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意識が戻るまでは、きっと薬も点滴で注入されていたのでしょう。
でも、経口で食事をとり始め点滴もなくなると薬も経口薬だけになりました。
『脳卒中の治療薬』というものがどーんとあればそれを飲むのだろうけど
きっとない。というか治療段階とその人の状態で決戦を溶かす薬とかいろいろだからと思う。
なので飲んでいる薬は、いわゆる喘息のいつものやつに加え、抗てんかん薬??と痛み止め2種
いつもの奴が種類が多かったので飲むのが大変?そうにみえたのか
気が付くと一包化されてしまい鎮痛剤の「カロナール」から逃れられなくなった。
こんなもん毎食飲むんかい??カロナールは他の錠剤に比べると粒がでかいのに
2錠ものまないといけないので、のどにつっかえる感があるのです。
まぁ、入院後半からのラインアップのまま退院した現在も同じ処方で服用しています。
気になったのは、抗てんかん薬「イーケプラ」ともう一つの鎮痛剤「リリカ」
なんで抗てんかん薬がでたのかを退院説明の時に聞きました。
なんでも救急搬送時にてんかん様の瞳孔反射?があったからとのこと。ふーん。
「リリカ」は、カロナール飲んでても頭痛を訴える私に処方してくれたものですが、
初めて飲んだ時は量が多くて「フラフラ」歩くようになってしまい慌てて量を減らしてもらったもの。
気になってネットで調べたら、医師に評判が悪い薬とありへこみました。
徐々に減らす方向で減薬していました、なんとリリカのおかげで消えていた
筋肉痛等が復活して背中や肩が重いです。
こんなんだったら次の処方は元に戻してもらおうと考えています。
高血圧でもない、高血脂症でもなく、家族歴もないのになんでくも膜下になったのか
不思議がられていますが、スキーや犬散歩で転倒して頭や顔を強打したことは
結構あるので外傷性っていうのも捨てきれません。私の場合。
喘息の先生には、「血圧はかってね」といわれたので血圧計買おうかなぁ
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搬送前も救急車に収容されてからも頭痛はなかったと記憶している。
でも、ベッド上で記憶が戻ってからは頭痛はあった。
頭を開いて手術しているのだから当たり前だが。 朝は、頭が痛くて目が覚める。食事が来ないと鎮痛剤が飲めないのがツラい
でも「カロナール」だから効き目はイマイチだった。 そしたら、先生が違う薬「リリカ」も出してくれたんだけどこれが最初効きすぎて フラフラになったのですぐに減量されました。(´▽`) ホッ。 「リリカ」
痛いときだけ飲むものではないと勝手にやめてはいけませんと念押しされました。
でも製品添付の文書みたら「漫然と投与しない」と書いてあったけどね。 『疼痛の原因となる疾患の診断及び治療を併せて行い、本剤を漫然と投与しないこと。』
その処方のまま現在も飲み続けています。
ただ最初のころ痛いと思った場所は、「脳の内側」のような感じ
待てよ、昔TVで脳内で痛みは感じないとか見たことあるけど。。。本当かな
脳内を手術したから、内側が痛いと勘違いしているのか??? 元気になって歩いたりできるようになってからは、「傷口が痛い」感じで
痛む場所が変わってきましたよ。 傷口が痛いのは正確には頭痛ではないな。
あと食事をとるときに気が付いたのは、大口があかないこと。
右の顎というか耳の付け根が痛くて、以前のような大口が開かないため 上品に食事ができるようになりましたよ。(´;ω;`)ウゥゥ これも今におさまるでしょうと言われました未だに75%くらいかな?
あとは、右のこめかみがえぐれているのに気が付きました。
あー、もうおでこ出せない。バレエの発表会に出られないと変なことばっかりに 気が付きます。夫に言っても「へっ」と言われてしまいました。 これは、筋肉とかを切っているから元に戻るかは不明とのことでちょっとだけ
凹んでみた。 痛いのは、こんなところか。後は、歯間ブラシしていないから奥歯の根っこがじくじく
している感じがします。 たぶん、普通のくも膜下出血の人と比べたら痛みは少ないと思います。
痛いときはずーっと意識がなかったから??? |
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いつからか不明ですが、リハビリが始まっていました。
ずっと眠っていたので身体機能の回復からです。上体を起こして座っているのもツラい。
車いすでリハビリ室に行って身体機能の回復訓練をします。
最初は、ピラティスのようなものから初めて、最後の方は実践的な階段の昇降や
ジムの自転車漕ぎみたいなものまでやりました。 そして次は、作業療法士によるいろんな機能回復訓練も開始され、最後には言語療法士による
リハビリが開始されました。 最後は知能テストみたいなことをやらされていました。
くも膜下出血等の脳卒中(事故等による脳への損傷)後に『高次脳機能障害』:記憶、認知、言語、身体等
へ様々な障害が発生することがあるそうです。 私の記憶がうすらぼけている時にも医師からは、様々な問いかけをされていたようですが
私の反応があまりにも悪いので『高次脳機能障害』が発生していてリハビリテーション病院への 転院など検討されていたようです。 そういえば、「家への退院」か「リハビリテーション病院への入院か」を誰かが何度も言っていたのは
かすかに記憶がありますねぇ。 なんか言われるたびにむかついた記憶も思い出してきた。 急性期の病院にはずっと居られないので、回復期リハビリテーション病院に転院?! そんなに悪いのか?????また、老人みたいだなと大失望。 だって、入院してから日にちも結構経っていたしね。 夫はその間にネットとかで「くも膜下出血」について相当調べたらしく、その結果たどり着いたのは
「GLOBEのKEIKOさん」さんだったそうです。
それで高次脳機能障害について相当心配になったらしく、医師やSTの方々に食らいついて
質問したらしいです。(迷惑な奴だな・・・・・・)
3種類のリハビリは、1日のうちに数回かることもあり開始初期の頃には
結構スケジュールがきつかったりしました(´;ω;`)ウゥゥ そうこうするうちに「HCU(ハイケアユニット)」と呼ばれる高待遇の看護の部屋を
出ることができるようになり、リハビリも歩いていくようになりました。
HCUに入らなければいけない患者さんがいたんでしょうね。
1泊一人部屋に泊まってから、一般病棟に移動しました。 勝手にこの時点でトイレとか自由にいけると思ってましたが、実際はそうでもありませんでしたが
事実上院内自由歩行解禁でした! 隣の部屋がデイルームという面会部屋のためfree wifiが使いやすかったのも
よかったです。 あとは、南側の部屋で晴れると富士山がみえるのもgoodなんですよね! うーん、撮影時9月なので白くないですね。
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救急車に収容されてから2週間以上の記憶がまったくありません。
それを過ぎると、なんかいつも変な夢をみているような感じで、現実と虚構と希望??が入り混じりながら
数日過ごしていたようです。 後遺症で「脳血管攣縮」や「水頭症」等で異常な行動をするかもしれないと夫が医療従事者から
言われたみたいで、携帯やお財布を取り上げられていたため正確な日時が不明でした。 まぁ、毎日今日の日付と今いる場所を言わされているので(病室内の患者みんな)、
わかるのだけどTVや新聞見るわけでもないので、目や耳から入る情報のみで暮らしていました。 向かいのベッドが入れ替わったとか向かいのベッドのユニットが違うとかね。 意識が正常に戻ってくるにつれ、現状への不満も増します。
トイレに自由にいけない。(脳外科という診療科の特性から必ず付き添いが必要とのこと:転倒の防止) 点滴ルート取り直しによる液漏れ等等・・・・・。 上記を守れない私は、手袋でベッドに保定されるということになりました。
また、ずーっと寝ていたためちょっと上体を起こして座っているだけでもツラいという。 頭の中も痛いし、切ったところも痛いし、ロキソニンが飲めないため変な薬(失礼!飲んだことないやつ) 飲まされたりしてフラフラになったりもしました。 スマホも返してもらい、いろいろなメッセージを返しました。
すみません。9月の22日前後の内容はおかしい可能性が高いです。ごめんなさい。 食事も少しずつ経口摂取にかわり、家族や友人、職場の人のお見舞いなどにより
なんだか人間らしく戻ってこれたような気がします。
適度な外部刺激って大事!!
このころのご飯は、おかずも全部細かく一口サイズにされているのですよ!!
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その日の朝も平日で出勤のため、通常通り薄暗いなか起きだして階下へ。 |



