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【チベット仏教の瞑想「トンレン」】
チベット仏教には
「トンレン」と呼ばれる
強力な心の浄化のための瞑想法が伝えられてきました。
「トンレン」とは
「入れ替える(与える&受け取る)」という意味です。
他者の悲しみや苦しみなどの
ネガティブなエネルギー(邪気)を自らのハートに吸い込み
代わりに安らぎ、喜びや慈しみなどのポジティブなエネルギーを
解き放ち相手に送り届けることを
イメージする瞑想です。
一言でまとめると、
「抜苦与楽」の菩薩の慈悲の心を体現する瞑想です。
(ただし、これはごく大雑把な概要です。
実際に実践してみたい方は、
トンレンの真髄を会得した人の指導を受けてください)
【ネガティブなイメージは不幸を引き寄せるのか】
鍵となるのは
ただ単にイメージするだけでなく
実際にそれを「心の底から望む(べく努力する)」という
ことにあります。
「引き寄せの法則」のインチキ・バージョンを
聞かされ信じてしまっている人の中には
「他者の苦しみや迷いなどの
ネガティブなエネルギー(邪気)を
吸い込むイメージを思い浮かべたりすると
不幸な現実を自分に引き寄せてしまうのではないか」
そんな心配する人がいるようです。
でも、トンレンを正しく実践するならば
そのような心配は無用だと
チベット仏教の高僧たちは口をそろえて言います。
いまだにチベット人たちを迫害し続ける中国共産党の人たちをも
そのハートの慈悲の中に抱きとめるトンレンを
日々実践されているとされるダライ・ラマ法王も
次のように述べられています。
「この瞑想は、現実に他者を助ける効果があるかないかはともかく、
私の心に安らぎを与えてくれる。
私はより実践的になることができ、
その恩恵は計り知れない」
【トンレンの真の目的】
そして、
トンレンがそれを実践する人の心にもたらす最大の恩恵は
先に例示した心配に象徴されるような
(他者と分離した)「自我」という幻に根ざした
みみっちいこだわりから
私たちの心を解放してくれることにあります。
トンレンに関して、ある人が
「(他者の苦しみのエネルギーを吸い込むイメージを抱くことで)
もし本当に病気になってしまったらどうするのですか?」
とチベットの高僧に質問しました。
その質問に対する高僧の答えは
次のようなものでした。
「おお!よかった効いている!と思いなさい」
「トンレン」の原義は
「交換する(与える&受け取る)」ということにあります。
一般的にはそれは
「自分と他者を」入れ換えることだと解説されることが
多いようです。
でも、本当に入れ換えるのは
「自己と他者」ではなく
「迷いと悟り」であり
「貪りと慈悲」なのです。
そもそも「自己vs他者」などという分離は
はじめから存在しないことに気づくことこそが
トンレンの真の目的です。
【トンレンがもたらす悟り】
この世界の中で起きているすべてのことは
唯一の意識の中で起きています。
その「唯一の意識」こそ
私たちの真実の自己です。
世界の中に私たちが存在するのではありません。
私たちの中に世界が存在するのです。
この世界で起きるすべての現象は
私たちの中で起きているのです。
だからこそ
私たちはそれを自在に変えることができるのです。
トンレンの瞑想の中で
(見かけ上の他者の)ネガティブなエネルギー(邪気)を
吸い込む(イメージを思い描く)ことで
私たちの心が汚されることはありません。
ポジティブなエネルギーを与える(イメージを思い描く)ことで
私たちの幸福や平安が減ることは決してありません。
むしろ、
心の底からその想いを念じることで
私たちの心は浄化され
自分自身の苦しみや迷いも減り
より一層の安らぎと喜びと慈悲の光で
満たされるようになるのです。
そして私たちの本性は
「ネガティブvsポジティブ」といった区別を超え
「他者vs自分」といった区別を超えた
「空(くう)なる意識」そのものだと
気づくことができるのです。
トンレンの瞑想とは
慈悲心や利他心を育む瞑想であるとともに
「私たちの本性は空(くう)なる意識であり
空(くう)なる意識において私たちは一つである」
という悟りに根ざし
その悟りを日常の実践の中で
現実化するための瞑想
でもあるのです。
※ ただし、「空(くう)なる意識」といっても、
「空(くう)」という特別な神秘的な意識状態が
存在するわけではありません。
「空(くう)なる意識」とは、
日常の当たり前の気づき(everyday ordinary awareness)
すなわち「平常心」のことです。
そこのところはくれぐれも誤解のないように。
臨済禅師も
「仏法に日常を離れた秘義(秘密の教え)は存在しない」
と喝破されています。
この世のあらゆる苦しみは
私たちが自己中心的で
自分の幸福ばかリを望むせいで生じ、
この世のあらゆる幸福は、
他人を思いやることで生じる。
(シャーンティディーバ)
すべて物事は意念(おもい)を主とし
意念(おもい)にもとづき
意念(おもい)によって形成される
もしも人が清らかな心で
考え、言葉を発し、行為をなすならば
よろこびはその人につき従う
轍(わだち)が牛車(ぎっしゃ)につき従うように
(ゴータマ・ブッダ)
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