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【流行りつつある瞑想の落とし穴】
近年、「瞑想」がもたらすメリットについての科学的研究成果が報告されるようになり、科学的理由と(あまり科学的とは言えない)スピリチュアルな(魔術的な?)理由の両方で瞑想に手を染める人が増えてきました。 でも、「瞑想」はそのやり方を間違えると、思わぬ副作用をもたらすことがあります。瞑想で生じるデメリットについては、以下の記事もご参照下さい。 (「瞑想」で生じるデメリット「魔境」について科学的な調査が始まる) これまで瞑想を安易に薦める記事などでは、瞑想がもたらしうる負の側面についてスポットライトが当てられることはほとんどありませんでした。 でも、瞑想のマイナス面をちゃんと見据えた上で効果的に瞑想を実践するためには、正しい動機づけ、正しい準備のプロセス、正しい瞑想法の選択、正しい実践方法などが極めて重要となります。 今回の投稿では、それら正しい瞑想実践の基礎を簡潔に説き明かしたいと思います。 【正しい瞑想により悟りを啓かれたお釈迦様】 お釈迦様は、悟りを啓かれる前に、アーラーラ・カーラーマとウッダカラーマ・プッタ という二人のリシ(仙人)のもとで瞑想修行を行い、それぞれ空無辺処定、非想非非想処定という特別の境地(高度な変性意識状態)に到達しました。 でも、「これ(これらの瞑想修行)は、悟りを啓く役には立たない」として、ブッダになる前のゴータマ・シッダールタは二人の師のもとを去りました。 その後、6年間に及ぶ断食苦行を経た後、「これ(苦行)もまた、正しく悟りを啓くための役には立たない」として断食を止めました。 そして村娘スジャータからの乳粥の供養を受け身心の力を取り戻し、菩提樹の下で「ヴィパッサナー瞑想」を行い悟りを啓かれたのです。 ヴィパッサナー瞑想とは、ヴィ(詳しく)+パッサナー(観る)=「じっくりと観察する」を原義とし、「あるがままの事実をあるがままに認識する(気づく)」ことを基本とする瞑想法です。 今流行りの「マインドフルネス瞑想」の源流は、このヴィパッサナー瞑想にあると言っていいでしょう。 【瞑想すればいいというわけではない】 お釈迦様の悟りへの道程が示唆するように、瞑想なら何でもいいというものではありません。 例えばヴィパッサナー瞑想のような「あるがままの真理」を見極める智慧を深める正しい瞑想が、最も危険性が少なく効果が確実だと言えるかもしれません。 ただし、ヴィパッサナー瞑想にも様々な流派と手法があります。 また、たとえヴィパッサナー瞑想であっても、そのやり方を間違えたり、準備段階を端折って手っ取り早い効果を求めたりすると、ただ効果がえられないばかりでなく、かえって迷いを深めることにもなりかねません。 正しい効果を出すためには正しい実践方法が必要なことについては、以下の記事も参考になるでしょう。 (瞑想はプラセボ効果ではなく科学的に脳を変えることが初めて判明)
ヴィパッサナー瞑想のバリエーションと言ってもいい「マインドフルネス瞑想」についても、以下のように本人が望まない効果がもたらされることもあるようです(ただし、なぜこのような結果がもたらされたのか、この結果が本当に瞑想実践者にとって不幸な結果だったかについては、この報告だけからでは推し量ることはできません)
http://gigazine.net/news/20151031-mindfulness-killed-my-creativity/ (Googleが実践する「マインドフルネス」がいかに創造性を殺したかという記録) また、瞑想を始める前の心がまえ(何のために瞑想を行うか、どんな結果を期待するか〔なお、禅ではしばしば、そもそも「効果を期待しない」ことこそが正しい動機であると説かれます〕など)、精神的方向づけ(spiritualorientation)も極めて大切です。 それは、イスラム教では、礼拝の時に必ずメッカの方向(キブラ)に正しく体と心を向ける行為によって象徴されます。 【八正道が示す正しい瞑想への道すじ】 仏教では、「八正道」が瞑想に至るまでの正しい道すじを明解に指し示しています。 まず、正しいものの見方(正見)を学び、正しく思いを巡らせます(正思)。 そして、正思から生まれる正しい言葉を使い(正語)、正しい行為を行います(正業)。 その積み重ねにより、正しい生活を営み(正命)、正しい努力(正精進)により正しく念を凝らすこと(正念)で、初めて正しい瞑想状態・精神集中(正定)がもたらされるのです。 この正しい道すじを経ずに下手に瞑想や祈りなどの霊的行法に手を出したなら、麻原彰晃のように妄想の世界にとらわれてしまうかもしれませんし、安倍晋三のように(彼は、一種の霊的修行を日々行っているらしいです)かえって悪業を深める結果をもたらしてしまうかもしれません。 安倍晋三は、八正道ならぬ八邪道に深く迷い込んでいるので、彼にとって瞑想(や祈り)は、悪徳を積み、悪業(悪いカルマ)を増やす助けにしかならないのです。 彼らは、私たちにとって最高の反面教師を体現してくれていると言えるでしょう。 【戒定慧の三学が示す正しい瞑想のあり方】 正しい瞑想のあり方は、仏教では「戒定慧(かいじょうえ)の三学」として説かれることもあります。
正しい身口意の実践すなわち戒律(戒)を守った後に正しい瞑想(定)を行うことで、初めてあるがままの真理を理解する正しい知性(慧)がもたらされるのです。 身口意の慎み(戒)をなおざりにした瞑想や祈り(定)がもたらすのは、真理の理解(慧)ではなく、妄想や狂信です。 個人的な利得や目先の成功や物質的な富への欲望を煽り立てる「引寄せの法則」によって、真の幸福よりもむしろ不幸やより深い迷いを「引き寄せ」てしまう人は少なくないようです。 そのことも、こういった理由によるものだと言っていいでしょう。 【幸福と真の豊かさを射止めるための原理】 弓道の達人は言います。 「的に矢を当てることにこだわっていては、的に矢を当てることはできない。私たちの心と体の姿勢が正しいものになったなら、矢は自ずと的に当たる」 それこそ、禅の世界で言う「結果自然成」の真理なのです。 |
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>弓道の達人は言います。
「的に矢を当てることにこだわっていては、的に矢を当てることはできない。私たちの心と体の姿勢が正しいものになったなら、矢は自ずと的に当たる」
それこそ、禅の世界で言う「結果自然成」の真理なのです。
まさに・・・ですね。
ここまで自然との調和のある生き方を忘れてしまった人類・・・
思い出して、調和を取り戻すことができるのでしょうか。
一部の人たちは、すでに始めていますが、大多数はまだまだですもんね・・・
2017/7/11(火) 午後 8:17 [ ひろみ ]
ひろみさん、コメントありがとうございます。
「迷い」とは「真理」に至る通り道。
幸いなことに、「真理」に到達しない限り人は真の意味で幸福になることはありませんから、誰もが必ず真理を悟ることになっているのです。
因果応報によりもたらされる苦しみは、神の恵みであるとも言えるでしょう。
2017/7/13(木) 午前 10:16 [ アブドゥッラー・ザ・ブッチ ]
> アブドゥッラー・ザ・ブッチさん
>「迷い」とは「真理」に至る通り道。
迷ってこその人間ですよね。
動物たちには、「迷い」ってないですですよね。
「迷い」「苦悩」する脳を獲得して人類は進化が加速したのかもしれませんね。
2017/7/13(木) 午後 9:49 [ ひろみ ]