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前回(昨日)の投稿で予告した通り、今週月曜日(1月7日)の朝に(私が)見た夢のメッセージについて「内なる叡智」からのインスピレーションをもとに紐解いた私の解釈を提示してみたいと思います。
※イタリック(斜字体)部分が夢の記述、正字体部分がその解釈です。斜字体の中の青字部分は、夢のシンボル(象徴)と思われる事項、正字体の中の太字部分は、重要ポイントと思われるものです。
学校のような建物(三階建)の最上階の一番端っこの部屋で、私は、インド人の講師と一緒にサンスクリット語の奥深さについて共同講義を行っている。
➤この世界は学校のような「(魂の)学びの場」である。
➤「インド人の講師」や「サンスクリット語」は、仏教、インド哲学、アーユルヴェーダなど、インドを源流とする「宇宙の真理への理解」に根ざした「精神的伝統」(およびそれを伝える者たち)の象徴である。
そこでは、ホワイト・ボードを使って、次のような説明が行われていた。
・ サンスクリット語で「健康」のことはswa-stha(スワスタ)と言う。
・ swaとは「自身の」という意味で、
・ sthaは語根sth-(立つ、存在する)を語源とし、
・ 併せて「自己を存在せしめるもの」(自己存在基盤)あるいは「(真の)自分自身であること」といった意味となる。
・ それこそ「健康」という言葉の本質的な意味である。
➤これはまさしく「健康、すこやかさ」(health)という言葉(概念)の本質を示している。「(真の)自分自身としてあること」こそが「健康」の何たるかである。
➤すなわち、人々が「(真の)自分自身としてあること」を手助けすることこそが、人々の健康を守る「医師」としての私の務めである。
そこで、誰かが、「危ない!ビルが崩れるぞ」と声を上げると同時に、3階建のビルがいきなり崩壊を始める。
次から次へと床が抜け下へ向けて落下し、最後は、3階の天井もバラバラになって崩れ落ちてくる。
「9・11ビル同時爆破解体事件」で、航空機も突入していないのに突然完全崩壊したWTC第7ビル
➤現代文明(or社会)は、一見強固で立派な構造物のように見えるが、今まさに崩壊直前の状態にある。
➤そのことに気づいている少数の者が、声を上げて警告を発しているが、崩壊を防ぐことはできないだろう。
私は、「天井が崩れるぞ!頭上に注意しろ!」と大声を上げてみなに警告を発する。
➤私もまた、そのような警告者の一人である。
➤でも、私は、真の意味の「先見者」と言うよりも、すでに崩壊を始めている現代文明(or社会)への(直前に迫った)「最後のとどめ」について追加警告を発しているにすぎない。
床が抜けて今や地上に到達した元3階の壁の中に、誰かが密かに仕込んでいたらしい「何らかの仕掛け」が、壁の崩壊とともに露わにされ、虚しく破壊されていった。
➤このように遠からず崩壊の運命にある現代社会の中で、自己の(個人的な)成功を目的とした「種の仕込み」や「仕組みの形成」などは虚しい行為である。
その虚しさやおろかさは、現代文明の崩壊とともに、白日の下にさらされることになるだろう。
「かわいそうに、彼は密かにこんなものを仕込んでいたから、犠牲になってしまったのだ」誰かが、一抹の同情と一種の蔑み、さらには諦観とが入り混じった声の調子で、その仕組みを密かに仕込んでいた者の哀れな運命を告げる。
➤そのような「現代文明(社会)の脆弱な構造」の中での個人的な成功のための仕込みにかまけている者は、逆に「失敗者」となる。
ただ、その「失敗」とは、「経済的(あるいは物質的な)損失」などというよりも、「魂の退化」「徳の喪失」あるいは「深層心理の穢れ」といったより本質的な「自己への敵対行為」を意味する。
➤そのような(成功のための)「仕込み」とは、たとえば、「引寄せの法則」にしたがった(我欲の達成のための)アファーメーション(ただ単に、成功に「憧れる」ことも含まれる)、あるいは、末期的な金融資本主義の中で最後の取り分をかき集めるためのマルチ商法ビジネス、仮想通貨への投資、その他投機的株式投資など、が含まれるだろう。
➤そして、現代文明の中で成功するためのそれらの個人的努力の集積そのものが、現代社会の完全崩壊をもたらす要因となるだろう。
多くの人が、現代文明の歪んだシステムの中で成功しようと努力することこそが、現代文明の崩壊を促す結果をもたらす。
崩壊した建物から、何とかほとんどの人は無事避難を終えたが、逃げ出す際に、何人かの教師の指導のもと、建物の周りに有志が麦の種を植えている。
今のうちに麦の種を植えて地盤を強化しておくことで、将来、同じような災害が起きた時に建物の完全崩壊を防ぐことが可能になるかもしれない、ということらしい。
➤「現代文明の崩壊」そのものを防ぐことはもはや不可能だろう。いや、むしろ現代文明は完全崩壊すべきなのかもしれない。新しい文明を創造するための崩壊である。それは、ヒンドゥー神話の「創造のための破壊者」シヴァ神によって象徴される。
➤「現代文明」そのものは崩壊するが、私たちの魂が破壊されるわけではない。それは、現代文明の崩壊を超えて存在し続ける。
➤今、私たちが考えるべきことは、「現代文明の崩壊を防ぐこと」ではなく、文明が依って立つ基盤、つまり私たち人類の深層意識の中に、良き種を撒くことではないのだろうか。
つまり、「因果応報」の「因」の仕込みであり、「善業楽果」のための「徳の蓄積」である。
それは、すぐ目先の成功や結果のための努力ではなく、(個人的にも社会全体としても)中長期的な将来を見すえた上での(魂の成長のための)努力である。
➤それらの努力は、現代文明の崩壊の後に生まれる新しい文明の存在基盤を、現在のものよりもより強固なものとしてくれるだろう。
➤それらの努力とは、「(特定の結果を得るための)人為的な技巧」と言うよりも、「自然の法則」に根ざし、「自然の力」の発現を促すためのものである。
つまり、お釈迦様が諦(あきら)かにされた因果応報、因縁相応などといった仏法にもとづいた精進(努力)のことである。
➤ただし、ここで言う「仏法」とは、「(既存の)仏教の枠組みの中で説かれている教え」という意味ではなく、「覚醒めた意識」によってあきらかにされる「宇宙の真理」という意味であり、特定の宗教的な枠組みの中に限定されたものではない。
つまり、仏教以外の他の宗教的な枠組みの中で説かれてきた「真理の教え」、さらには宗教的信仰とは無関係な形で説かれてきた「真理の法則」も含まれる。
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【暗示的な初夢】 一昨日(1月7日)の朝3時頃、 私はある夢を見て目が覚めました。 その夢は、 多分に暗示的な夢であり、 「私個人」というよりも 「私たち人類」への重要なメッセージを 秘めているように思えました。 そこで、 自分自身の「内なる叡智」に問いかけ その解釈を試みてみました。 現代の一般的な解釈にもとづくと 「初夢」は、 1月1日の夜から2日の朝にかけて見る夢 (もしくは1月2日の夜から3日の朝にかけて見る夢) だとされています。 もしその解釈にしたがうらなら これは「初夢」ではありませんが、 「今年はじめての重要なインパクトをもった夢」ということで、 「初夢解釈」と題させていただきました。 もっとも、 もともと「初夢」とは、 (とくに江戸時代以前には) 「節分から立春の夜に見る夢」 のことを意味していたようです。 【集合的無意識からもたらされた予知と預言の夢?】 ともあれ、その夢は、 「今まさに現代文明に起きつつあること」の本質を示唆する、 (ある意味では)「予知的な」夢であり、 そのプロセスにおいて私たちが心すべきことについて 多くの示唆を与えてくれるという意味では、 「預言的な」夢である と言えるかもしれません。 (ちなみに、「預言」は「予言」とは異なり、 より理性的、つまり「真の意味で合理的」な 示唆を含んだものです) 私の「個人的な夢」というよりも、 阿頼耶(アラヤ)識すなわち 私たち人類の集合的無意識からもたらされた 「(寓話的な)夢」のように思えたのです。 【個人を超えた普遍的なメッセージ】 そこで、 その夢の内容と、 (私の「内なる叡智」からもたらされた)その解釈を、 小生のブログにまとめてみました。 もちろん、その(文章化された)解釈には、 私の個人的な理解や信念に影響された部分が 皆無とは言えないでしょう。 (直観的示唆を言葉に変換する段階で 通常の思考過程のフィルターを通しますので) 「個人に向けたメッセージ」というより 「全人類に向けたメッセージ」という性質を 基本的には有しているようですが、 (解釈文には)一部私個人へのメッセージも含まれます。 でも、これからの文明の行く末や その中で私たちがなすべきことについて 超個的な(私個人の存在を超えた)メッセージを 含んでいると思いますので、 関心のある方には、 一読をおすすめします。 はっきり言って、 「経済アナリスト」を自称する人たちによる (株価の動向も含めた)今年の経済予測、あるいは 「予言者」もしくは「霊能者」を自称する人たちによる 「2019年の大予言」などより (私たちの魂の成長と天命成就にとっては) 遥かに有益な内容だと思います。 (「私」の予測や予言ではありませんので) ただし、その真価をどれだけ深く理解できるかは 読み手の機根(真の「知性」つまり「魂の成熟度」) 次第だと言えるでしょう。 次回の記事に
夢の内容の記述とその解釈を 掲載したいと思います。 |
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【原発こそが莫大な国富を貪り続ける金食い虫】
次に、②の主張の妥当性について検討してみましょう。
原発を稼働し続けるには、原発の建設や稼働のための日常的な費用以外にも、(電力供給コストに含まれない)莫大な費用が必要とされます。つまり、原発の稼働によって莫大な国富が失われ続けるのです。
原発の稼働によっていったいどれだけの国富が失われることになるのか、具体的に見てみましょう。
《放射性廃棄物の処理・管理の費用》
原発の稼働により、日々膨大な量の放射性廃棄物が蓄積されていきます。
そして、それら放射性廃棄物は、無害化されるまで気の遠くなる長い年月にわたって安全に管理し続けなければいけません。
そのためには、莫大な費用が必要になることは言を待ちません。
つまり、原発を稼働し続けること自体が、現在と未来にわたって日々「莫大な国富喪失」の種をまいていることになるのです。
《廃炉や事故処理の費用》
また、運転期間を終えた原子炉の安全な廃炉のためにどれだけの費用がかかるかも、福島原発の事故処理(や原状回復)のために今後トータルでどれだけの費用がかかるのかも、また今後もし福島原発事故のような重大な事故が起きた際に、その処理や原状回復のためにどれだけの費用がかかるかも、現時点では「算定不能」です。
つまり、原発を稼働し続けることで、「今後どれだけの莫大な国富が失われることになるのか」は、おおよその見積を立てることさえできないのです。
《原発の稼働により失われる莫大な国富》
原発は、一部の関連業者(やそれと癒着した政治家など)には大きな富をもたらすかもしれません。
でも、一般の日本国民(日本国全体)にとっては、莫大な負担となり遥か未来の世代におよぶまで膨大な重荷となり続けるのです。
もしも、真剣に国の富のことを心配するのなら、原発を稼働し続けることにより「とてつもなく長い月日にわたって失われ続ける膨大な国富」のことをこそ、心配すべきではないのでしょうか?
最後にまとめとして、現時点で「電力供給コスト」に含まれていると思われる原発の建設費や日常的な運転にかかる費用(ウランなど原子力燃料の輸入費も含む)以外で、原発を稼働し続けることにより必要となる経費、つまり「日々失われる国富」(⑤のみは、そのリスクがある費用)の主なものを列挙してみましょう。
①放射性廃棄物の処理や(半永久的な)安全な管理に必要な費用⇒算定不能
② 安全な廃炉のための費用⇒正確な算定は不能(今後もますます高騰が予想される)
③ 事故を防止するための安全対策の費用⇒上記に同じ
④すでに起きた重大事故(福島原発事故など)により今後もたらされる環境や人間、家畜、植物などの生命体の健康、日本経済などへの極めて長期間に及ぶ悪影響⇒(それらを貨幣価値に換算した場合の損失額は)算定不能
⑤今後、もし重大事故が起きた時にもたらされる様々な被害と悪影響⇒上記に同じ
《「電力供給コスト」に算定されていない莫大な費用》
これらの費用は、現時点では正確に算定することさえ不可能なので、「電力供給コスト」にはふくまれていないはずです(もし含まれていたとしても、それは正確な金額ではありません。何せ「算定不能」なのですから)。
つまり、現時点で公表されている「電力供給コスト」が火力発電などの他の発電方法による電力供給コストより安いから「原発が安い電力である」と主張することには、合理的な根拠は存在しません。独断的な「信条」(ドグマ)にしかすぎないないのです。
むしろ、「算定不能」な莫大な費用がかかるのですから、真の「電力供給コスト」は遥かに高くなると考えるべきでしょう。
現時点であきらかになっているコストだけにもとづいて(算定不能な「電力供給コスト」を無視して)「原発は安い電力だ」と思い込むのは、詐欺師に金額欄空白の小切手を渡して「ああ、(はっきりとした)被害がなくて良かった」と安心するほど愚かなことだと言えるのではないでしょうか? 【「よくばり犬」の愚を犯したいのか】
「原発の停止により莫大な国富が失われた(から原発の再稼働や新設を進めるべきだ)」と主張する人たちの言い分を聞いていると、イソップ童話の「犬と肉(骨)」あるいは「よくばり犬」を思い出します。
「よくばり犬」のあらすじは、次のようなものです。
ある犬が、肉(骨)をくわえたまま橋を渡っていた。ふと下を見ると、見知らぬ犬が肉(骨)をくわえてこちらを見ている。犬はその肉(骨)が欲しくなり、脅すために吠えた。すると、くわえていた肉(骨)が川に落ちて流されてしまった。もう一匹の犬は、水面に写った自分自身の姿だったのである。
福島原発事故後に莫大な国富が流出することになった原因は、まさしく原発推進論(原発依存体質)そのものにあったのに、それが何か他のもののせいであるかのように声高に主張するのは、このイソップ童話の中での「川面に映った己の姿に吠え掛かる犬」のように私には思えます。
もし私たちが、その思い違いにとらわれ、そして目先の化石燃料輸入代を惜しむがゆえに再び原発依存体質に戻ってしまうなら、その強欲と思い違いゆえに自分がくわえていた肉(骨)をも失うことになってしまった犬のように、今よりも遥かに多くの国富が失われることになってしまうでしょう。
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冒頭に掲げた新聞記事は、先週金曜日の河北新報の「持論・時論」です。
今回の記事では、その中から最後の一節(クローズアップ写真部分)で言及された「原発停止は国富の流出」とする意見の非合理性に焦点を当てて掘り下げてみたいと思います。 【国富の流失を防ぐための原発再稼働???】 原発推進(or維持)論者の「原発の停止により莫大な国富が失われた(から原発の再稼働や新設を進めるべきだ)」という主張には、まったく論理の正当性がありません。 彼らの主張の根拠を要約すると次のようになるでしょう。 ① 福島原発事故後の原発停止により、火力発電所の再稼働にともなう海外からの化石燃料の輸入が増大し、莫大な国富が流出した。 ② 今後も原発を稼働しないことにより、化石燃料の輸入に莫大な国富が失われ続ける。 【そもそも原発依存政策こそが莫大な国富の流出をもたらした】 まず、①の主張の妥当性について検討してみましょう。 原発推進(or維持)論者の間からよく聞こえてくるのは、次のような主張です。すなわち、 「福島原発後すべての原発を稼働停止したことにより(膨大な電力の不足が起き、休止していた多数の火力発電所の再稼働を余儀なくされ)、石油や天然ガスなどの化石燃料の海外からの輸入が大幅に増大し、莫大な国富が失われた。だから、原発を再稼働すべきだ」 でも、考えてみてください。そもそも、福島原発事故後に、(火力発電所の再稼働により)海外からの化石燃料の輸入を増大せざるを得なかったのは、「電力供給の多くを原発に依存していたから」がゆえに起きたことです。 《原発は極めて不安定な電力供給源》 福島原発事故があきらかにしたように、原発は、いったん事故が起きて稼働停止に追い込まれると莫大な電力供給の不足をもたらす「著しく不安定な電力供給源」です。 もしも、そのような不安定な電力供給源へ依存し続けることなく、燃料を海外から輸入しなくて済む再生可能エネルギー(自然エネルギー)への転換を進めていたとしたらどうでしょうか。 そうであったならば、そもそもそのような膨大な電力供給の不足(とそれに引き続く火力発電所の緊急の再稼働)が引き起こされることはなかったわけです。 《また莫大な国富を失いたいのか》 つまり、福島原発事故にともなう火力発電所の再稼働による国富の喪失は、歴代の政権が「原発という不安定な電力供給源に依存するエネルギー政策を続け、再生可能エネルギーへの転換を怠って来た」ことによりもたらされたものです。 もしも、ここでまた原発に依存するエネルギー政策に後戻りし、再生可能エネルギーへの転換を遅らせるなら、将来また原発事故が起きて原発の稼働停止に追い込まれた場合、ふたたび火力発電所の緊急の稼働再開にともない莫大な国富が失われることになるのです。 それを防ぐためには、太陽光、風力、水力、地熱、バイオマスなどの自然の力をエネルギー源とし燃料を海外からの輸入に依存しなくて済む再生可能エネルギーを最大限活用する「エネルギーの地産地消」を進めるべきだと言えるでしょう。 《原発推進論者の明確な論理の破綻》 つまり、①の主張そのものはまったくもって正しいのです。でも、①で示された事態がもたらされたのは、日本がエネルギーの供給源を「原発に依存していたから」こそ起きたことです。
すなわち、原発推進(or維持)論者の主張の中身を論理的に正確に言い換えると次のようになってしまうでしょう。 「原発に依存していたから莫大な国富が失われた。だから、原発の再稼働や新設を進める(原発への依存に戻る)べきだ」 これはとても正気の沙汰とは思えません。
(後編に続く) |
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【株高が示す日本経済の病態悪化】
本日(11月9日)、日経平均株価が25年10ヶ月ぶりに最高値を更新したからって、安倍政権を支持する人たちは「アベノミクスの成果だ!」って鼻息荒くしてるんだろうなあ。
実におめでたい人たちです。
アベノミクス下での株価の上昇は、経済の好調を示すしるしではなく、むしろ日本経済がますます悪化の一途を辿っている証拠なんですよ。
それは、人体で例えてみれば次のような病態に相当します。
① 血の巡りが悪いことによって冷えのぼせ(下半身が冷えているのに頭に血がのぼっている状態)が生じている。
健康に良いと言われている「頭寒足熱(あるいは上熱下寒、上虚下実)」の逆ですね。
「のぼせて興奮している(気逆)」を「元気がある」と勘違いしているわけです。
② 大企業の業績が上がっているが、中小企業への還元などの形で日本経済全体を潤すことなく、企業の内部留保として蓄積される。
それは、中医学(漢方と源流を同じくする中国の伝統医学)で言う「瘀血内留証」〔血の流れが滞り身体の特定の部分に溜まることにより、様々な病的な状態がもたらされる〕に相当します。
【やがて脳の血管がキレるように日本経済は破綻する】
これでもし「見ろ!やっぱりアベノミクスは正しかったんだ」とばかりに現在の経済政策を続けていくなら、大企業や富裕層や投資家たちはますます儲かったとしても、日本経済の全身状態はますます悪化の一途を辿っていきます。
そうなると、たとえば動脈硬化症の人の血圧が上がることで脳の血管が切れて脳卒中になるように、遅かれ早かれ日本経済は破綻を来すでしょう。
【あるいは転倒骨折して寝たきりになるか】
あるいは、大企業や富裕層が肥え太る中で、中小企業や貧困層(から中間層)はますますやせ細っていきます。
大企業や富裕層といった少数派の経済活動も、中小企業や貧困層から中間層といった多数派の経済活動(下請けや国内需要)によって支えられています。
したがって、日本経済の下支えが失われると、やがて大企業や富裕層も枯れ果てていくことになるのです。
あるいは、仮に貧困層や中間層から富裕層への富の流れをある一定期間は継続することができたとしたらどうなるでしょうか。
つまり、下半身がやせ細っているのに、頭だけがどんどんでかくなっていくわけです。
そうなれば、ちょっとした小石につまづいて転倒して、日本経済はあっという間にこけてしまうでしょう。
お年寄りが大腿骨骨折を契機に寝たきりになってしまうように、日本経済はもう二度と立ち直ることができなくなってしまうかもしれません。 その時になって初めて「アベノミクスが日本経済の息の根を止めた」と気づくのでしょうか。
小生のブログの過去の投稿の中で、漢方医学のベースとなる陰陽論をもとにアベノミクスの病態生理をもっと詳しく解説した記事がありますので、興味のある方は是非ご一読ください。
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