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先の投稿でアメリカ型の民主主義とその理論的基礎となった功利主義の誤謬について言及した。ひとつはっきりとさせておきたいのは、私は「民主主義」そのものを否定しているのではないということである。
今回の投稿では、民主主義の光と影について考察し、真の民主主義の在り方について言及してみたい。
世界の歴史に登場する民主主義の最古の例は、古代インドの聖典「リグ・ヴェーダ」に登場するSabhaとSamitiであるとされている。ネパールでは、「委員会」「協会」「集会」などのことを、今でもSamitiと呼んでいる。
カントも愛読した教育論「エミール」や「社会契約論」で有名なジャン・ジャック・ルソー、あるいは「王権神授説」を否定したジョン・ロックなどが近代社会の民主主義の生みの親であると考えられている。
彼らの「人民主権」の思想は、原始仏教教団のサンガ(僧団)の運営方法(お釈迦様が絶対権力を握らず、サンガの全メンバーに等しく発言権が認められ、多数決ではなく、全会一致によって意思決定が行われた)を彷彿とさせる考え方である(この「人民主権」の思想が、日本国憲法の「主権在民」に引き継がれていく)。
ベンサムやミルの功利主義の「最大多数の最大幸福」という概念を受けて、アメリカや欧州の大国では「多数決型民主主義」が民主主義の主流となった。
(本来は)特定個人や特定政党による独裁を否定するという意味で「民主主義」には良い点がある。だが、アメリカや欧州の大国で「多数決型民主主義」となった時点から、民主主義は腐敗の道を辿ることになる。
ヒトラーのナチス党、日本の大政翼賛会、フセインのバース党は、いずれも「多数決民主主義」の正式な手続きを踏んで政権を獲得したという歴史的事実を忘れてはならない。世界の歴史では、「多数決型民主主義」こそが、独裁政権の生みの親だったのである。
「アメリカ帝国主義」のブッシュ政権も同様である。ただ、ブッシュの場合、純粋な民主的な手続きによるものではなく、「不正な選挙」により生まれた非民主的な政権であるという批判が根強いことも事実である。愛国的な映画監督・ジャーナリストのマイケル・ムーアはブッシュを正当な民主主義により選ばれたアメリカ合衆国の大統領と認めず、「元テキサス州知事」と呼んでいた。
ともあれ「多数決民主主義」は「衆愚政治」へと結びつきやすい弱点をもっている。その危険性をはっきりと指摘したのは、古代ギリシャの哲学者ソクラテスである。
だが、民主主義には別の形態もある。ヨーロッパの小国で行われている「合意形成型民主主義」がその一例である。原始仏教教団で行われていた(スリランカの仏教教団では今でも行われている)民主主義も、この「合意形成型民主主義」にあたると言えるだろう。
「多数決型民主主義」でも「共産党の一党独裁」でもなく、第三の民主主義と言うべき「合意形成型民主主義」こそが、個人や特定政党の独裁を防ぎ、多数決による暴力(多数派による少数派の抑圧)をも防ぐ理想的な民主主義であると私は考える。
写真は上から「真の民主主義の生みの親ルソー」「王権神授説を否定し三権分立を唱えたジョン・ロック」「ヒトラーとナチス党」「大政翼賛会」「フセイン大統領の写真を掲げる民衆」「衆愚政治の危険を見抜いていたソクラテス」
(今回の投稿では、「Wikipedia民主主義」の記述を参考にしました)
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