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東西の精神文化では向精神性をもつ植物の力が活用されていた
東洋の諸思想において大麻が果たす役割
東洋の平和主義的な宗教と大麻はもともと少なからぬ縁によって結ばれていると考える人もいます。
ヒンドゥー教の出家行者「サドゥー」には、大麻の吸引を常習としている人が少なくないのは周知の事実です。彼らは、神への信仰を高める目的で、あるいは世俗の欲望を低下させ「知足」の精神状態を実現する目的で大麻を吸引するとされています。
古代インドに源流をもつ伝統医学のアーユルヴェーダでも、大麻は心身の治癒の為に利用されていました。漢方でも大麻は活用されています。便秘の治療薬として有名な麻子仁丸は、大麻の種子を含んでいます(もっとも、これら伝統医学での活用は向精神作用ではなく身体的な薬理作用を主目的とした使用がほとんどですが)。
仏教の開祖と崇められるブッダも、悟りを得る瞑想修行に入る前の苦行中の数年間は、穀類の摂取を断ち、大麻の種子や葉などから栄養を摂取しその生命を支えていたと伝えられています。わずかな食物によってブッダが生き存えることができたのは、大麻の種子や葉が滋養に富んだ食品であったからかもしれません。
米国支配者層による思想言論統制下にある日本ではあまり公にはされていませんが、古代の日本でも、大麻は「緑煙草(みどりたばこ)」と呼ばれて吸引される習慣があったと言われています。
自然調和型の文化では植物が精神に及ぼす力が活用されていた
南北アメリカの先住民文化では、大麻こそ使われていませんでしたが、幻覚性キノコや幻覚性サボテンなどの変性意識(非日常的な精神状態)を引き起こす植物の力が、宗教的な儀式や精神的修行のある過程において活用されていました。
ヨーロッパでも、土着の文化や信仰(例えば、Witch〔魔女〕の語源となったWitkaと呼ばれる自然との調和を重んじる心身修養法、ケルトの伝統文化、北欧の伝統文化など)や、中世キリスト教のハーブ医学の中でも、大麻やベラドンナ(朝鮮アサガオ)など幻覚性の植物が活用されていたようです。
指導者の下で節度をもって行われた幻覚性薬物の摂取
ただし、こういった文化における幻覚性薬物の使用は、精神的な指導者の指導と監督のもとで節度を持って行われるのが原則で、近代西洋の若者たちによって行われたような無節操な濫用は戒められていました。そのため、近代西洋社会でアヘン、コカイン、覚醒剤などの麻薬の乱用によってもたらされるような脳機能の恒久的な障害による知性や人格への悪影響が生じる危険性は少なかったと考えられます。
植物脳の機能を回復させる向精神性植物の摂取
大麻、幻覚性キノコ、幻覚性サボテンなどの向精神性植物の摂取には、私たちの脳の中の植物脳(大脳新皮質と比べると生命としてのより基本的な活動を司るとされている深部脳)の働きを活性化する作用があると言われています。
大脳新皮質の暴君的支配により自然と対立し自然を破壊する近代文明を生み出してしまった西洋諸国の若者たちの中では、20世紀後半になって、カウンターカルチャー(対抗文化)と呼ばれる「既存の西洋近代文明に替わる新しい文明を模索する文化運動」が流行しました。その運動では、東洋や先住民の伝統的な自然調和思想が注目され重視されるとともに、天然の向精神性薬物(とくに幻覚性植物)の使用が盛んになりました。
それは、大脳新皮質の暴走により極端に偏り過ぎた文明(人間の精神活動)のあり方を見直し、動物脳や植物脳などを活性化することで全脳の統合性を回復し、人間と動物と植物が調和した世界を取り戻す為の本能的な試みだったのかもしれません。
大麻の生理学的有害度は酒や煙草より低くカフェインと同程度である
多くの科学的な研究によれば、向精神作用をもつ植物の中でも、とくに大麻は長期に渡って摂取しても脳機能の恒久的な障害はもたらされず、知性や人格への悪影響は残さないとされています。
もっとも、これとは異なった結論を採る研究も存在しますし、後日別稿にて詳しく解説する予定ですが、アーユルヴェーダなどの伝統医学でも大麻の摂取が心身に全く悪影響をもたらさないと考えているわけではありません。
しかし、少なくとも、大麻が心身に及ぼす(依存形成性や精神機能への悪影響などを指標とした)有害度は、西洋諸国で広くその使用が合法化されているアルコールや煙草と比べるとかなり低く、コーヒー・お茶・チョコレート・栄養ドリンクなどに含まれるカフェインと同等であるというのが多くの科学者が共有する見解のようです。
そういった科学的見解にしたがい、オランダなど大麻の使用が合法化されている国では、アルコールの過剰摂取や煙草の吸引などによって身体を壊した人に対して、医師により大麻の摂取に切り替えるように(酒や煙草を飲むぐらいなら大麻を吸いなさい)という医学的助言がなされることもあるようです。
なぜ大麻だけが悪者視されて来たのか?
では、日本を含む西洋資本主義諸国では、同じ向精神性薬物であるアルコールや煙草やカフェインの使用が広く容認されているのに、なぜ大麻だけが悪者視され、その使用が法律で禁止されて来たのでしょうか?
次回の投稿では、その問題について検討を加えてみたいと思います。 (その3に続く) |
伝統文化
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神道では大麻は「神の草」として尊ばれる
一昨日、祖母の誕生日プレゼントとともに渡す予定の健康長寿のお守りを買いに鳥海月山両所宮神社へ行ったら、お神札に「鳥海月山両所宮神宮大麻」と記されていました。
鳥海月山両所宮
近年の日本人の中には、神社のお札の文字を見て「えっ、あの大麻(たいま)?」と驚かれる方も少なくないようです。「神社の大麻は『おおぬさ』と読み、大麻(たいま)とは別の言葉です」とYahoo知恵袋で説明されている方がいましたが、それはその方の誤解です。「大麻」(たいま)とは他ならぬマリファナ(学名Cannabis sativa L.)のことです。色々な神社のホームページでも、はっきりと「たいま」と発音がひらがなで表記されています。
大麻頒布始祭の幟 大麻比古神宮のお札
江戸時代の神宮大麻のお札の中身には、麻(大麻)の繊維を入れていたのです。昔の日本では、大麻は、神聖で悪魔を避ける植物だと考えられていたからです。
戦後の日本人の間では大分忘れ去られつつありますが、「大麻」(マリファナ)は、日本の伝統文化を支える重要な植物であり、神道では「神の草」として大切にされ、様々な伝統行事に活用されていたのです。
神聖な「大麻」がタブー視される歪んだ現代日本社会
大麻は、戦前・戦時中の日本では山野に広く自生する野草でした。また、繊維製品・食品・医薬品・燃料などの原料としてその栽培が政府によって奨励され、稲に次ぐ重要な農産物として農村経済の一翼を担うとともに、日本人の日常生活を支えていました。戦後、GHQ(米国占領軍司令部)の主導により大麻の栽培が原則的に禁止され、その栽培と使用が許されるのは政府によって許可されたごく限られた人々に限定されるようになりました。
大麻畑
その過程でGHQ主導の情報戦略によって「大麻」に対する様々な偏見が醸成されて行きましたが、それには、日本支配を恒久化するために日本の伝統的な文化や経済を破壊する目的があったと言われています。
その結果、現在の日本では「大麻」あるいは「マリファナ」という言葉を口にすることすらタブー視されるに至ってしまいました。その思想汚染の影響は私の妻にまで及び、筆者が、神聖な植物である「大麻」あるいは「マリファナ」という言葉を人前で口にすると、妻にたしなめられてしまう始末です。まあ、妻は私の身を案じて(秘密保護法などの適用を受けて逮捕されることなどを心配して)のことですが、私はやましいことはしていませんから心配はしておりません。
日本の伝統文化や日本人の日常生活を支えて来た神の草「大麻」は、西洋近代文明の偏見によって不当な恥辱を受けて「麻薬」と同列の扱いを受けるようになり、「魔薬」すなわち「悪魔の薬」だと誤解されるようにさえなってしまったのです(後述しますが、大麻は法律上も、覚醒剤やアヘン、コカインやモルヒネなどの麻薬とは区別されています。周知のように、大麻の栽培・所持などを取り締まる法律は「大麻取締法」であり、「麻薬取締法」ではありません)。
大麻の有用性が見直されるようになって来た
しかし、近年になって、主としてエコロジーやホリスティック医学の考え方が盛んになった西洋先進諸国で、エコロジーの観点から(再生性に優れた環境にやさしい繊維あるいは燃料の原料などとして)あるいはホリスティック医学の観点から(身体にやさしい薬品や食品の原料として)大麻すなわちマリファナの有用性が見直されるようになりました。すでに一部の国々や地方自治体(オランダや米国の一部の州など)では、医薬品や嗜好品などとしての所持や服用も合法化されるようになっています。
旧態依然とマリファナの害悪をデフォルメして強調しその有効活用を考えない日本は、マリファナ後進国の一つであると言えるでしょう。
先のうさとの服についての投稿で衣と医が同源であることに触れましたが、大麻製品は、服などとして外服し(身につけ)ても良し、内服(薬として飲んだり食べたり)しても良し、という外内両面で心と身体にやさしい植物であると認められるようになって来たのです。下記の写真は、日本で合法的に販売されている種々の大麻製品です(ヘンプ製品と呼ばれることが多いですが)。
麻の葉をあしらった麻布 大麻の繊維 大麻のバッグ 大麻の服 伝統食としての大麻の実
まず、その第一段として、先日BSで放映されたベトナム戦争を題材とした反戦米国映画「プラトーン」での大麻の描かれ方を露払いとして、大麻の摂取が人間の精神に及ぼす影響(向精神作用)について考え直してみたいと思います。
「大麻」や「マリファナ」は素晴らしい言霊を持った言葉
なお、大麻の合法化や利用の普及を推進する人たちの中には、「大麻」や「マリファナ」という言葉に付きまとう負のイメージを避けるために、「ヘンプ」という英単語のカタカナ読みを使用する方も少なくありません。しかし、筆者は、大衆を己の欲望のままに操ろうとする権力者の情報操作(イメージ洗脳戦略)によって「大麻」や「マリファナ」という言葉に結びつけられてしまった負のイメージを理性(科学的思考)によって正す意味でも、あえて「大麻」「マリファナ」という言葉を使いたいと思います。
後に詳しく解説させていただく予定ですが、「大麻」という言葉には、言霊(ことだま)的には「今此処のあるがままの真実」あるいは「大いなる希望をもたらす清浄な光」という意味があり、「マリファナ」という日本語(大和言葉のひとつとなった外来カタカナ語)には、「真理の悟りによって執着を解き放ち、魂を花開かせ、自我を滅却して神人一体の境地に至る」という意味が秘められています。どちらも、素晴らしい響きをもった言葉なのです。
あえて大麻やマリファナという言葉を使う意味
また、欧米では、繊維製品や燃料などの原料としての外用の大麻をヘンプ(hemp、古英語を語源とする俗称)、向精神作用などの薬理作用をもつ医薬品もしくは嗜好品の原料としての内用の大麻をマリファナもしくはカンナビス(cannabis、ラテン語を語源とする植物学上の分類名)と呼んで区別する人がいます。日本の大麻合法化普及運動に関わる人の中でも、それぞれの音訳カタカナ語を当てて区別して考える人が少なくありません。
それには、繊維製品や燃料としての大麻使用の是非を向精神性薬物としての大麻使用の是非と独立して論じようとする(まず、無難な繊維製品や燃料としての大麻を合法化して向精神性薬物としての是非は棚上げする、もしくはなし崩し的な漸次合法化をめざす)意図があると思われます。しかし、大麻の素晴らしさは、先に述べたように外服と内服の双方に有益である点にあります。
なお、大麻の合法化を進める人の中には、「向精神薬としての大麻は有害だが繊維や燃料の原料としての大麻は有用だから合法化されるべきだ」と主張する人もいますが、そのような中途半端な大麻解放では、神の草である大麻に対して失礼であるし大麻の本質を十分に活かすことができないと考えられます。
したがって、筆者は、そもそも両者を区別するのは適当でないと考えていますし、先述したように言霊の観点からも、あえて大麻(たいま)もしくは大麻の英語名Marijuanaの音訳である「マリファナ」という言葉を一般に使いたいと思います。ただし、引用文などに記されたヘンプの訳語はそのまま表記します。
なお、学名の日本語音訳のカタカナ表記である「カンナビス」という言葉も素晴らしい言霊を持った言葉なのですが、そのことについての解説は後日の投稿に譲ろうと思います。
(次回投稿「ベトナム戦争の狂気と正気を取り戻させた植物の力」[仮題]へ続く)
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昨夜は、東京スカイツリータウンの中にあるプラネタリウム天空で、ヒーリングプラネタリウム「花鳥風月 星ごよみ」を鑑賞しました。
一年を四季とそれをさらに六等分した約2週間の季節の区切りである二十四節気(節季とも言います)ごとに、日本の自然における季節の移ろいと四季の星座を鑑賞するプログラムです。
昔の日本人は、季節ごとの楽しみを見つけ、自然の営みに調和しつつ自然の恵みを感謝しながら自然とともに生きていたことがよくわかります。 たとえば、寒い季節の冬には、雪の景色や晴れ渡った星空を楽しみ、炭火の温もりや午後の日溜まりの温もりに無上の幸せを感じていたようです。夜は西洋の物質文明からもたらされたテレビやビデオやインターネットに夢中になり、冬の星空を見上げることはほとんどなくなった現代の日本人から見れば、ある意味、実に贅沢で風流な生活だったとも言えるでしょう。 花を添えた日本の伝統文化 プラネタリウムの上映と同時に焚かれていた日本の伝統的な香料であるたちばなの花の香り、風や水の音、鳥のさえずりや虫の声といった効果音、日本の自然や伝統文化を題材とした音楽を紡いできた姫神によるBGMにも心安らぐ思いがして、身も心も癒されるひと時でした。 二十四節気は、もともと古代中国からもたらされたものですが、昔の日本人は、それを日本の自然と暮らしに合わせて解釈し、日本独自の文化を生み出していたようです。上映中にしばしば筆文字でスクリーンに映し出された清少納言の枕草紙の珠玉の文章も、古代日本人の感性の豊かさを見事に表現していました。 「花鳥風月」については、以下のサイトをご参照ください 「二十四節気」については、以下のサイトなどをごらんください http://ja.wikipedia.org/wiki/二十四節気 古代東洋の豊かな感性を見直そう 私たち日本人は、いつからそんな自然と調和し自然を楽しむ風流な心を忘れてしまったのでしょうか? 東京近郊にお住まいの方は、是非一度出かけて鑑賞されることをお勧めします。きっと、日本の伝統文化に対する誇りをあらたにされることでしょう。 ちなみに、昼間は東京駅近くの南インド料理店「ダクシン」で、ミールズ(南インドの伝統的な定食)に舌鼓をうち、八重洲ブックセンターで東洋医学の本を読みふけっていました。東洋の伝統文化の素晴らしさをあらためて実感する一日でした。 東洋の先人たちが残された伝統の叡智に感謝をこめて。 |
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日本はかつて「黄金の国」と呼ばれていた
古代中国の陰陽論の書「易経」の中には「陰極まれば陽に転ず。陽極まれば陰に転ず」という言葉があります。深層心理学者のユングも傾倒した「易経」は、もともとは哲学書ですが、占い(易占)のテキストとしても使われています。
先に述べた東洋と西洋の文化の逆転現象は、易経で予言されていた歴史的必然であると言えるかもしれません。しかし、このまま手を拱(こまね)いていてもいいのでしょうか?
瑞穂の実り豊かな大地で人々が和を尊んでともに暮らす日本は、かつてマルコ・ポーロやペリーなどに代表される西洋人も羨み「黄金の国ジパング」と呼ばれてきました。「黄金の国ジパング」と呼ばれたのは、日本で多くの金が産出されたからだ(江戸時代前期までは世界有数の産出国でした)と言う説や、藁葺き屋根の色が黄金色に見えたからだという説や、水田に実った稲穂が日光を受けて黄金色に光り輝く様を表現したものだという説があります。
しかし、同時に、優れた伝統文化の中で人々が和合のうちに暮らす豊かな精神文明に対する羨望の念から生まれた言葉であるとも言われています。
西洋の先進諸国は、高度な物質文明を築きながら、国内では階級闘争や権力闘争などの内輪もめに明け暮れ、対外的には、足ることを知らない貪欲(とんよく)に根ざした植民地主義(資本の拡大再生産を使命とする資本主義が行き着く必然的な形態の一つ)によって(アジア、アフリカ、中南米諸国、北米先住民など)よその国や自国の民衆から搾取することばかり考えていた西洋の人々の目には、対外侵略を行わずに植民地ももたず、決して資源が豊かであるとは言えないのに庶民文化が花開き、人々が足ることを知って幸福に暮らしていた日本は、「桃源郷」のように映っていたのかもしれません。
西洋の文明は私たちを幸福にしたのか
西洋文明移入前の日本は未開国だったのか? 私たちは、戦後の歴史教育において、「日本は開国によって西洋の進んだ科学技術と社会思想を取り入れたことで近代化を遂げた」として開国の肯定的な側面ばかり強調し、あたかも開国前の日本は遅れた国であったかのような印象を子供たちに与えてしまっています。 しかし、鎖国をしていた江戸時代は260年以上もの長い間、基本的には政治が安定し(日本人同士で殺し合うことがほとんどなくなり)、自給自足経済が形成され庶民の生活も安定し、その結果、庶民文化が花開き、漢方医学・博物学・和算(日本特有の伝統的な数学)・時計技術・銅製錬技術・酒造技術・天文学・測量学を始め様々な独自の科学技術が発達していたのです。 先進的な業績を残した江戸科学 世界的に見ても高いレベルに達していた江戸時代の天文学と測量技術は、当時の世界最高レベルの日本地図の製作を可能としました。 医学分野では、漢方と蘭方(オランダ医学)の外科学を学んだ華岡青洲が、漢方薬をもとに通仙散という経口麻酔薬を開発し、世界初の全身麻酔による乳がんの摘出手術に成功しています。 関孝和らにより発展した和算では、代数法による多元連立方程式の解法、行列式、無限級数、オイラー関数やラプラス展開などが西洋の数学とは独立して考案され、和算独自の計算法にもとづく微分積分も行われていました。 江戸は、水道技術が発達し、様々なリサイクルのシステムが構築され、消火と防災のシステムも完備し、江戸時代の人々の様々な智慧や技術が結集した高度なエコロジカル都市だったと言われています。 (「ビックリ!江戸時代の科学」http://www.eonet.ne.jp/~osaikikj/sub130x22x09.htm参照) また、医師であり思想家でもあり「自然真営道」の著者としても知られる安藤昌益は、互性(相互関係性)というキーワードをもとに、様々な学問に共通する普遍的原理を発見し、一般システム論とも言える思想を構築しました。農業を基本とした文明国家の建設を構想していた昌益は、現在のエコロジーの先駆けとも言える思想も提示しています。 一般システム論は西洋では新しい理論だが東洋には古代から存在していた 一般システム論とは、1950年にF・ベルタランフィ、G・ベイトソンらの科学者によって提唱された科学理論で、電子回路やコンピュータなどの人工物、生物の身体、社会集団など、ミクロからマクロまで様々な現象をシステムとしてとらえ、これら多様なシステムに共通する普遍的な法則を見いだし、物理学・生物学・社会学・工学・政治学・経済学・天文学などあらゆる学問に適用可能な一般理論を構築しようとする考え方です。
西洋では、一般システム論は20世紀後半になって初めて登場した新しい科学理論だと考えられています。しかし、東洋の古代科学であった古代中国の陰陽論や古代インドのヴェーダ科学などはすでに一般システム論的な考え方を提示しています。前者は、漢方の基本原理となり、後者は、アーユルヴェーダの基本原理となっています。
古代ギリシャの哲学者プラトンの著作「国家」も、国家について論じながら個人に適用できる哲学の一般原理を明らかにしようとするもので、西洋における一般システム論の先駆けだったと考えることができます。
古神道の中にも、一般システム論的な考え方があったとする説もあります。
平安時代に編纂された百人一首や万葉集に収集された和歌も「表風景、裏人事」とも言われるように、自然の景観について歌いながら、実は、人間の心や社会について描写していたものと言われます。これも、自然界の出来事と個人や社会の出来事に共通する原理を見ていたもので、一般システム論の先駆け的な文芸であると言っていいでしょう。
スリランカで始まったサルボダヤ運動では、個人の精神的啓発のための仏教の原理(四つの尊い真理)を、村落開発という社会的な活動に適用することで適正な開発を可能にすることをめざしています。これも人間個人の心理と社会に共通する普遍的原理にもとづいたもので、社会開発に対する一般システム論的なアプローチだと言えるでしょう。
もともと西洋のように自然と人間を区別せず、物事を分割して考える分析的思考よりも総合的な思考に秀でていた東洋の人々は、古より、森羅万象の営みに共通して流れる普遍的な法則を見いだす一般システム論に通じる眼差しを持っていたのです。 科学技術や経済の発展は伝統文化や伝統精神によって可能となった たしかに、日本は、開国以後、物質的な側面からも急速な発展を遂げ、戦後は、世界をリードする経済大国、科学技術立国としての地位を確立し物質文明先進国の仲間入りを果たしました。しかし、それは、ただ西洋の技術や文化を学んだことによってのみもたらされたのではなく、日本人の伝統的な精神性や日本の伝統文化や伝統工芸の裏打ちがあって初めて可能となったものです。 私は、マレーシアに住んでいた時、「時計産業」など日本の精密機械工業の高い技術レベルが、いかに伝統工芸の技術に依拠しているかということを解き明かしたBBC製作のテレビ番組を見たことがあります。 西洋人の多くは日本を賛嘆し羨望の眼差しで見つめていた ペリー提督やハリス米国大使を始めとして幕末と明治初期に日本を訪れた多くの西洋人は、日本人の勤勉さ、欧州諸国を凌ぐ洗練された工芸技術、職人の熟練度の高さ、「寺子屋」などによる庶民まで行き届いた世界に類をみない教育制度、物質的に貧しくても明るく笑って生きる庶民の心意気(知足の心)など日本の伝統文化や伝統的精神の類いまれなる素晴らしさを口々にほめちぎっています。それらの表現には、先進国が途上国を上から目線で評価する視線よりも、感嘆と羨望の念が込められています。
「西洋の悪徳」は日本人を幸福にしたのか?
江戸末期に日本に滞在していた米国大使ハリスはこう書き残しています。 「この国土豊かで、子供たちは楽しく笑い、悲惨を見る事のない幸福な日本に、我々は〝西洋の悪徳″を持ってきている」 「新しい時代が始まるが、これは日本の真の幸福となるだろうか?日本にとってこの変化は良くない」 「日本の豊かさを見、至るところに満ちている子供たちの楽しい笑い声を聞き、私にはどこにも悲惨なものを見出す事ができなかった。おお神よ…この幸福な情景が今や終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思えてならない」ヒュースケン(ハリスの通訳)
次回の投稿では、幕末に日本を訪れた西洋人が、日本人や日本の伝統技術・伝統文化に対してどのような評価を行っていたかについて、さらに詳しく見て行きたいと思います。
東洋の伝統文化を見直し「黄金の国ジパング」を取り戻そう
私たちは、「黄金の国ジパング」を取り戻すために、欧米(とくにアメリカ)に習うことを進歩的で素晴らしいと考える浅はかな思考から抜け出し、もっと東洋の伝統文化に誇りをもち、その叡智の素晴らしさを見直す必要があるのではないでしょうか?
(その11に続く) |
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【無知と憎しみの感染拡大】
宮崎豚に口蹄疫の感染が広がり、絶滅の危機に瀕しているという。
世界には、無知と憎しみの感染が広がり、人類は絶滅の危機に瀕している。
口蹄疫は感染力が極めて強いとされているが、「岡本真夜盗作疑惑問題」では、「著作権」という実在しない幻想に従って、中国人への憎しみが日本国内で爆発的に感染した(拙ブログの書庫「著作権について考える」を参照いただきたい)。
口蹄疫の感染拡大を食い止めるためには、検疫を強化することが大切だと言われる。憎しみの拡大を食い止めるためには、自分の発言や行動が世界にさらなる憎しみを生み出すものであるかどうか、私たち一人一人が、心の中で検疫(チェック)することが大切なのではないだろうか?
さもなければ、宮崎豚の絶滅どころが、全人類が絶滅することさえありえるのである。
【外来種が在来種を駆逐】
ニュージーランドで日本起源のワカメが繁殖し、現地の在来種が深刻な危機を迎えているという。
日本でも、個人主義を始めとする人と人を分断する外来思想が繁殖し、日本古来の人と人の和を重んじる伝統文化が急速に害われつつある。
【今こそ真の攘夷を】
明治維新における開国が伝統文化を破壊し、日本は富国強兵の道へと突き進んで行った。民主主義ならぬ衆愚政治が西洋から移入され、日本を誤った道へと導いていった。今こそ、攘夷を決行すべき時である。攘夷とは「夷」すなわち「卑しい考え」つまり「自分さえ良ければいい」「私たちは宇宙と分離した個人である」といった分離と憎しみを助長する考え方を打ち払うということである。
【恥は知から、力は知から生まれる】
日本には「恥」の文化がある。「恥」(ち)とは「知」(ち)すなわち「善悪を知る」ことから生まれる。フランシス・ベーコンは「知は力なり」と言ったが、「力」(ちから)は「知から」(ちから)生まれるものなのである。
私たちは、恥を知り(良心に従う)、人と人の間に憎しみをもたらす恥ずかしい行為を控えなければいけない。そうしなければ、人類は絶滅してしまうのだ。
【恥はハッジ(メッカへの巡礼)と通じ合う】
恥を知る(良心に従う)とは、内なる神の声に従うことである。「恥」とは、存在の一体性にもとづき、人と人を分断する行為を遠ざける心である。それこそ、イスラームの徒(唯一の真理に従う者)が果たすべき大切な務めの一つである「ハッジ」すなわちメッカ(宇宙の一体性の象徴)への巡礼が意味することの本質でもある。
キング牧師と並び称される黒人解放運動の指導者マルコムXは、黒人至上主義を唱える新興宗教「ネーション・オヴ・イスラーム」の信徒であった。だが、「ネーション・オヴ・イスラーム」の開祖の乱れた私生活に疑問を抱き、メッカへの巡礼に旅立つ。そこで彼は、彼が憎み続けて来た白人(アラブ人)から熱烈な歓迎を受ける。マルコムXは、唯一の真理への信仰に全ての人種が一つに結ばれるハッジを契機として白人を憎んできた自分の間違いに気づき、真のイスラームに回帰した。そして、白人の凶弾に倒れるその日まで、白人への憎しみに駆られた黒人たちに対して、白人を赦し、全ての人種差別を超えた人類融和への道を説き続けたのである。
「メッカへの巡礼」の本質は、「存在の一体性」を思い起こすことで、人と人を分け隔てる憎しみを取り除き、全人類・全生命の一体感にもとづく愛と平和を追求することにある。
日本文化の至宝の一つである「恥」(ハジ)とイスラームのハッジは深く通じ合う文化なのである。
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