あるスーフィー巡礼者の日記 A diary of a sufi

思い込みや見かけにだまされず、本質を見極めましょう。

ヒンドゥー教

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 ヒンドゥー教という宗教は、もともと存在しない。
「ヒンドゥー教(Hindhuism)」という言葉は、近代の西洋人のインド文化・インド社会研究者が作った言葉である。

 ヒンドゥーの徒は、伝統的に自分たちの精神的な教えのことを「サナータナ・ダルマ(永遠の真理)」と呼んできた。それは、社会慣習や政治支配システムと独立した精神性の教えであり、ライプニッツ(写真下)やオルダス・ハクスレー(写真上)らが「永遠の哲学(The Perennial Philosophy)」と呼んだものと同一である。

 そしてサナータナ・ダルマにおいては、いかなる社会的な差別も認められることはない。


 以下、「Wikipedia 永遠の哲学」からの引用である。

 永遠の哲学(えいえんのてつがく)とはあらゆる民族と文化に共通の真理であるとされる思想。

 この語は16世紀に Agostino Steuco が著書 'De perenni philosophia libri X (1540) で初めて使用した。17世紀にはゴットフリート・ライプニッツがすべての宗教の基礎となる思想を示すのにこの言葉を用いた。オルダス・ハクスリーは1945年に『永遠の哲学』 (The Perennial Philosophy) を出版し、永遠の哲学を有名にした。ハクスリーは永遠の哲学を以下のようにまとめている。

* 物質、生命、心の世界の実体を成す神的リアリティを認識する形而上学
* 神的実在に類似する、もしくは同一の何かを人間のなかに見出す心理学
* あらゆる存在に超越すると同時に内在している根拠を知ることを究極目的とする倫理学

 永遠の哲学の主義によると、古今東西で様々に異なる文化と時代に生きた人々は、現実、自己、世界、存在の本質に関して共通する知覚を記録しているという。この知覚はあらゆる宗教の共通の基盤を形成する。

 物理的世界は唯一の現実ではなく、それを超越した現実が存在している。物質界は感覚を超えた現実の影である。人間は現実の2つの側面を反映している。人間の物質的側面は生成消滅という自然の法則の支配下にあるが、人間のもう一方の側面である魂、叡智はそれを超えた究極の現実(リアリティ)に通じている。そして人間には究極的なリアリティを認識する能力が備わっている。

 宗教は人間をこの究極的リアリティと結びつける。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などでは神こそがこの究極的リアリティである。仏教などの無神論的宗教でも空や無が究極的リアリティとされる。

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 ヒンドゥー教で家事が重んじられて来た根拠は、バガヴァッド・ギーターの次の二節に見出すことができる。
(「バガヴァッド・ギーター」とは、哲学者・宗教家から庶民にいたるまで多くのヒンドゥー教徒が愛唱してきた古典であり、あらゆるヨーガの根本聖典の一つでもある。ガンディーがその思想の基盤としていたことでも知られている)

 Om Brahmarpanam
Brahmahavir Brahmagnau Brahmanahutam
Brahmaivatenagantabyan brahmakarmasamadhina

 オーム
 ブラフマン(絶対者)なる儀式において
 ブラフマンなる供物(食物)が、
 ブラフマンなる火の中に
 ブラフマンによって捧げられる
 その時人は実にブラフマンに至る
 ブラフマンなる行為と一つになるがゆえに

havir…ギー(精製したバター)が原義であるが、あらゆる供物さらには(神に捧げられる)あらゆる身口意の行為を意味する

gnau…「火」が原義であるが、「神への愛の炎」や「知識」という意味も
ある。グノーシス主義の「gnosis(霊智)」、英語のknowlegeも同語源である。

samadhi…「三昧」と漢訳される。「釣り三昧」「放蕩三昧」といった使い方もされるが、原義は「高度の精神集中状態」およびその結果もたらされる「主客合一の境地」である。

 Patran Pushpan Phalam to yam
Yome Bhaktyaprayacchati
Tadaham Bhakti Yupahritan
Ashnami Prayatatmanaha

 一枚の葉、一輪の花 一つの果実 もしくは一杯の水
 それらがバクティ(愛と帰依)の心とともに捧げられるとき
 その自己を制御した者のバクティによる贈り物を
 私は確かに受け取る

 これらは、ともに多くのヒンドゥー教徒によって愛唱される2節である。とくに、最初の節は、食事の前に唱えられることが多い(私も、この2節は、毎回食事の前に欠かさず唱えている)。

 前者は、もともとホーマ(仏教の「護摩供養」の起源)と呼ばれるバラモン(司祭)による儀式の際に唱えられていた言葉である。しかし、日常生活でホーマが行われることがほとんどなくなった現在では、食事を捧げる献餐の儀式がそれに取って代わっている。

 ホーマの精神は、ただ食事の時だけでなく、生活のあらゆる場面において実践されるべきものである。その時、日常のあらゆる行為が神への捧げものとなる。同時に、生活のあらゆる瞬間が神の祝福へと変わるのである。

 「威儀即仏法、作法是宗旨」(道元禅師)

 
 
 

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