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【すべての国家・社会は複数の文化・民族の混淆から生まれた】
縄文文化と弥生文化が融合して日本文化の原型を形作った。その後、長い歴史を通して大陸の文化や技術を取り入れ、鎖国の間も出島や倭寇などを通じて海外の文化や技術を取り入れ、明治維新の後には、西洋の科学技術や社会思想などを大々的に取り入れて来た。日本の文化、日本の経済、日本の科学、日本の社会は、そうやって様々なものが融合しながら作り上げられたものである。
日本人が単一民族、日本文化が単一文化であるというのは幻想である。
アメリカでも、当初は白人が先住民を征服したが、ヨーロッパだけでなく世界の各地から移民が集まり、黒人の文化や音楽、南米の文化、イスラームの文化、中国をはじめとするアジアからの移民の文化、日系人の文化や技術、そして先住民文化の影響も色濃く受けながら、現在のアメリカの文化や文明が形作られて来たのである。
オーストラリアも同じである。思想犯が多くを占めていた白人の流刑者や移民、近隣のアジア諸国からの移民、そしてやはり先住民文化の影響を表に裏に受けながら、オーストラリアという国家とその文化が形成された。
【固定した民族・文化という幻】
そういった「歴史の事実」を前にすれば、誰が先住民であるか、誰が土地への権利を持つのか、誰が加害者で誰が被害者なのか、誰が文化の担い手なのか、そんなことにこだわることは、無意味であることがわかってくる。
そもそも「○○民族」「○○文化」という固定した実体が存在するという思い込み自体が幻想なのである。あらゆる民族・文化は、様々な民族の融合と様々な文化の影響を受けて形成されたものであり、他との関係性なしに独立して存在する「個」はないからである。
それは、仏教の「無我」「空」「因縁生起」の教説の説くところである。
「諸々の事象には我(中心・実体)がないと知るならば、葛藤は消え、平和がもたらされる」(ゴータマ・ブッダ)
【チリ大地震が教えてくれたこと】
「弥生」を目の前にして発生し、日本列島を津波の恐怖で満たしたチリ地震は、地球の裏側で起きたことが、私たちの生活と密接に結びついていることを如実に示している。
温暖化問題を始めとする近年の地球環境問題の超国境性と合わせて、もはや私たちは、この地球で、他の国の人たちと独立して生きることは不可能であることを自覚させられる出来事であった。
「我という幻に根ざした生き方が不毛である」としたブッダのメッセージが、これからのグローバル社会において持つ意味は計り知れないものがある。
それはまた、預言者ムハンマドがもたらし、「全人類」「全生態系」「全宇宙」のために生きることを説く「イスラーム」のメッセージとも同一である。
【パシュートでの銀メダル獲得に思う】
メンバーにメダリストが一人もいなかったのに、見事に銀メダルを獲得したスピード・スケート「パシュート」の日本チームの在り方が、これからの世界が歩むべき道筋を指し示しているように思う。
パシュートは、リードする人は必要だが、最後の一人が遅れないように気を配ることが最も大切な競技である。これからの地球社会では、先を進む国だけに注目するのではなく、一番後を歩む国を気にかけて行くことが大切なのではないだろうか。
地球温暖化問題では、どんなに環境先進国が頑張ろうとも、後発開発国が温暖化ガスを排出し続けるならば、現時点での「より多くの温暖化ガスを排出する産業先進国家vsまだ少ししか温暖化ガスを排出していない発展途上国」という図式もやがて逆転し、すべての努力は徒労に終わることが明らかにされている。
資本主義や自由主義の考え方は、「競争」を重視し、優秀な者を優遇し、まず富める者が富み、上から全体を引き上げて行こうという考え方である。
そういった競争原理のすべてを否定するわけではない。だが、今、世界はあまりにも「競争」と「分離」に傾き過ぎ、「分かち合うこと」「ともに生きること」をおろそかにしてしまったのではないだろうか。
現代社会で、資本主義と社会主義の闘争で資本主義が勝利したかのような錯覚が蔓延している。
しかし、本当に敗北したのは、社会主義や共産主義の思想そのものではなく、その一部の「一党独裁」「労働者階級の独裁」という「独占」の思想である。社会主義や共産主義の中の「分かち合い」や「平等」の思想は、実は現代の資本主義の中にも取り込まれているし、これからますますその重要性を増して来るだろう。
そして資本主義の中の「競争原理」や「欲望の拡大再生産」の思想は衰退していくだろう。もしそれらが衰退しないならば、生態系の中でこの先人類が生き残る希望はない。
ロシアのメドヴェージェフ大統領が、メダル獲得数が大幅に減少したロシア・オリンピックチームの責任者に辞任を促す会見を行った。よその国の話ながら、空恐ろしい気持ちがする。オリンピックという平和の祭典が幕を閉じた後で、そのような分離の発想に後退してしまうことは残念でならない。
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