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【誤解の余地を残した判決文】
先々週、鯨肉の横領を告発するためと称して運送会社から鯨肉を盗んだグリーンピース・ジャパンのメンバーに対する判決が下された。
私は判決を伝えるニュースを読んでどうも解せなかった。彼らが有罪になったからではない。被告側の主張の一部が認められ、あたかも調査捕鯨の船員への鯨肉の配布が「不正行為」であるかのような誤解釈もできる判決文に対してである。
判決文の冒頭では、「たとえ公益を目的とした行為であっても、法に反し他人の権利を犯す行為は許されない」としている。
判決文の後半では、鯨肉の取り扱いについて「一部不明朗な点があったのは確か」と指摘。「本件の鯨肉の存在を公表したのを契機に、取り扱いが見直された」と述べたと言う。
これでは、まるで彼らの行為が公益に適う行為であるかのような誤解を与えかねない表現である。
事実、グリーンピース・ジャパン側は、判決文の言葉尻を捉えて「自分たちの行為の正当性が一部認められた」という会見を行っている。
【なぜ購買が横領なのか?】
グリーンピース・ジャパンの主張によると彼らの窃盗は「船員が鯨肉を無断で持ち帰る『横領行為』を告発するための公益目的の正当な行為」であるということである。
国際捕鯨委員会の取り決めでは、調査捕鯨によって得られた鯨肉は、食用として有効活用しなければいけないと定められている。その取り決めに従い、調査捕鯨の副産物として得られる年間4千トンの鯨肉は、国内の加工業者などに販売されている。約200人の船員たちには、一人当たり約4キロの鯨肉が無料配布され、共同船舶が日本鯨類研究所にその代金を全額支払っているそうである。
つまり、船員に配布されていた鯨肉は、調査捕鯨を請け負う共同船舶が、日本鯨類研究所に代金を支払って正式に入手(購買)したものであって「横領」などではない。
【鯨肉の配布は当然の手当である】
共同船舶が船員に鯨肉を配布する行為は、船員たちの労働に対するねぎらいの徴であり、言わば他の民間会社で言えばボーナスに相当するものだろう。
不況が厳しい昨今、現金の代わりにボーナスを現物支給する会社は山ほどある。日本の水産業界のみならず、世界の人々の食糧資源の適正使用のために、寒風吹きすさぶ船の上で命をかけて働く調査捕鯨船の船員たちに、それ相応のボーナスを与えるのは当然の行為ではないのか?それは、サラリーマンならば「寒冷地手当」「単身赴任手当」「危険手当」とでも言うべきものであろう。
捕鯨に伴う危険だけでなく、シーシェパードなど過激な暴力的反捕鯨団体によっていつ何時危害を加えられるかもしれない船員たちに、たかが4キロの鯨肉など、危険手当としては安すぎるぐらいである。人類の幸福に貢献する仕事をしているのに「非人道的行為」などという謂れのない誹謗中傷を受ける彼らには、「慰謝料」も払うべきであろう。
【なぜ巨大な人権侵害には目をつぶるのか?】
迫りくる未曾有の食糧危機を目の前にした現在、海洋食糧資源の科学的な利用を進めて行くことは人類にとって最優先課題の一つである。もっとも、先進諸国の金持ちたちが、食糧危機で真っ先に犠牲になるであろう途上国の貧しい人たちの命などどうでもいいと考えているならば話は別であるが。
事件を巡っては、国連人権理事会の「恣意的拘禁に関するワーキンググループ」が「メンバー2人の逮捕・勾留は人権侵害」との意見を日本政府に伝えたそうである。科学的な調査捕鯨を妨害することで途上国の貧困層の命を危険に曝す行為は、なぜ「人権侵害」「公益を犯す不正な行為」にはならないのだろうか?貧しい人々には生きる権利はないとでも言うのであろうか?
【漁業資源の乱獲を防ぐ捕鯨】
もし人道への配慮を唱えるならば、「反人類」とでも言うべき反捕鯨に現(うつつ)をぬかすよりも、生態系の中で鯨類の天敵としての役割を果たす人間の自然にかなった捕鯨活動を認め、生態学にもとづいた適正な鯨類の管理をこそ推進すべきであろう。そして、増えすぎた鯨たちが漁業資源を乱獲することを防ぎ人間と鯨類双方の生命を尊ぶことこそ人道主義であり生命尊重と言うべきではないのだろうか?
それとも、彼ら反捕鯨者たちの「人間」の定義には途上国の貧しい人たちは含まれず、有色人種は動物にも劣る存在だと考えているのであろうか?
【手段も目的も公益に反する反捕鯨運動】
被告側は、「公益のためには不正な手段も正当化される」と主張しているようだが、これは二重の点で的を外れている。
不正な手段は不幸な結果をもたらす
まず、目的のために不正な手段が正当化されるということはないという点。現在の世界に蔓延る悪のほとんどは、「目的のために不正な手段が正当化される(不正な手段によって善なる結果がもたらされる)」という無知にもとづいてもたらされていると言っても過言ではないであろう。
その一例を挙げてみよう。
・イラクやアフガニスタンの民衆を泥沼の不幸に陥れているアメリカの戦争、 ・暴力的革命と労働者階級による権力の独占を肯定するマルクス主義思想、 ・上記二者と関わりが深く反対勢力の大量粛清による憎悪と暴力のカルマを全人類に残したフランス革命、 ・大国による核抑止力の独占により核兵器の拡散を防ごうとする試み、 ・憎しみを増幅することで凶悪犯罪を増加させる死刑制度、 ・イエスの教えを理解しないキリスト教宣教師にそそのかされ、韓国併合に終始反対し朝鮮人による独立政府の樹立に努力されていた伊藤博文首相を暗殺したことで朝鮮独立への道を閉ざした過激主義者アン・ジュングンの蛮行、
このように、「正しい目的のため」と称して不正な手段を採ることで、不幸な結果をすでにもたらし、あるいは現在もたらしている行為には枚挙に暇がない。
反捕鯨は公益を目的としたものではない
そして、調査捕鯨の船員に冤罪を着せることで調査捕鯨への印象を悪くし調査捕鯨を止めさせようとするのは、決して公益を目的としたものではなく、反捕鯨で利益を得ている先進国の大企業や富裕層の私利私欲のためだということである。
どうも彼らには、自分たちだけの益を「公益」と称する性向があるようである。
他者の自由を認めず自分だけの自由を求める
グリーンピース・ジャパンのメンバーが自分たちの行為を正当化するもう一つの根拠は「表現の自由」である。だが、彼らは共同船舶が船員たちに感謝とねぎらいの意を表現する自由を認めるつもりはないらしい。彼らが唱える表現の自由とは、他者には表現の自由を認めず自分たちだけには自由を認めろということなのだろう。
【貧しい者たちとの連帯を進めよう】
日本側の関係者も、臆することなく、自分たちの正当性を世界に向かって堂々と主張すればいいのだ。自分たちの贅沢で優雅な暮しのことしか考えず「鯨は可愛いから殺したくない」などという感傷に浸る余裕のある先進諸国の金持ちからは非難されるかもしれないが、圧倒的多数である途上国の貧しい人たちからの支持を得ることが出来るだろう。
伝統的に慎ましやかな暮らしと弱者や貧者への思いやりを美徳として来た私たち日本人は、環境破壊・資源枯渇の最大の張本人である金持ちたちのご機嫌伺いに窮するよりも、慎ましい暮らしの中で必死に生きている貧しい人たちとの連帯を進めて行くべきではないだろうか?
【補足 反捕鯨問題は文化摩擦ではなく道徳と倫理の問題である】
反捕鯨運動の問題を「文化摩擦」の問題として論じる人がいるが、私はこの問題を文化摩擦と言う視点では考えていない。
例えば、太地町の漁民たちのイルカ漁を捏造映像によって不当に誹謗中傷することは、家族の生活のために慎ましやかな生活を送る漁民たちと、贅沢な生活を送る欧米の大企業の宣伝工作とセレブの自己満足のために虚偽によって人を陥れる人々との間の純粋に道徳的な問題だと考えるべきである。
今回の問題は、国際的な決まりを守り人類の食糧資源確保のために働く人々と、窃盗と偽言による自己主張を善と考える人たちの間の道徳的な問題だと考えるべきである。
もしこの問題を「文化摩擦」として捉えるならば、その問題は永遠に水かけ論に終わるだろう。
虚偽や窃盗を善とするか、自分たちの贅沢な生活を守るために貧しい人たちの命を脅かすことを善とするか、そういう倫理的な問題として扱うべきではないだろうか? |
反捕鯨は鯨を救うのか?
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捕鯨やイルカ漁については
人それぞれの考え方があるだろう。
弱い者いじめの環境破壊だと考える人もいるだろうし
生きるために海の生き物を漁るという
自然の営みの一つであり
自然と調和し自然とともに生きる道だと
考える人もいるだろう。
反捕鯨の人たちは、
鯨たちを救うためには
捕鯨関係者は犠牲になってもいいと考えている。
だが、一頭の鯨が生きるために
無数の魚やプランクトンを食べるのはいいと考えている。
一頭の鯨を救うために
一頭の鯨が養う無数の人間の命は犠牲になっても止むを得ないと考えている。
戦後の食糧難の時代に、
私たち日本人の命を繋ぐために
鯨肉がどんなに貴重なタンパク源だったか
考えたことがあるだろうか?
もし鯨肉がなかったら
無数の日本人が餓死に追い込まれたことだろう。
そんな時、欧米人たちは
ただ油だけを取るために大量の鯨を殺し
残りは棄てていたのである。
そのために大型鯨が
絶滅の危機に瀕しているのである。
人類は、間もなく未曾有の食糧危機を迎えるだろうと言われている。
今、私たちが食糧資源の有効利用を真剣に考えて行かなければ
すぐに無数の人々が餓死することになるだろう。
それは、主として貧しい途上国の人たちになるだろう。
科学にもとづかない反理性的な反捕鯨は
所詮強者の論理なのではないか?
それは、
経済強者の論理であり
情報強者の論理なのではないか?
だが、
メキシコ湾の原油流出はどうなのだろうか?
海鳥や魚など多くの生物を死に追い込み
環境に甚大な被害を及ぼし
漁師たちの生活を脅かしている。
魚を食べて生きている
無数の人たちの命を脅かしている。
誰が考えても得する存在はない
絶対的な悲劇なのではないか?
善悪どちらか分からないことに
精をだす暇があるならば
なぜ、疑いようのない善を為そうとしないのだ?
なぜ、海鳥たちや魚たちを救うために
駆けつけないのか?
海鳥の体から原油をぬぐい取ると言う
地道な作業になぜ従事しないのだ?
それこそ環境保全であり
動物愛護なのではないか
もし、誰かを糾弾したいなら
原油流失をもたらし
「原油流出など大したことではない」と暴言を吐いた
石油会社のトップをこそ非難するべきではないのか?
あなたの会社の石油は買わないという
不買運動を繰り広げるべきではないだろうか?
敵味方含めて
無数の人命を殺戮し
国土を荒廃させ環境を破壊し
地球温暖化の最大の悪化要因だと言われている
戦争をこそ糾弾すべきなのではないだろうか?
なぜ巨悪を放置し
善か悪か分からないことにかまけるのだ?
チャップリンは
「独裁者」の中で問いかけている。
「なぜ、一人の人間を殺す殺人は悪となり
無数の人を殺戮する戦争は善となるのか?」と
反捕鯨論者たちが、
原油流出や戦争と言った巨悪に立ち向かわないのはなぜなのだろうか?
それは、彼らが弱い者いじめだからだ。
石油会社は強大である。
アメリカ軍も強大である。
逆らっても勝ち目がないと分かっているから
挑もうとしないのではないだろうか?
そんなことをしたら
自分たちを支援している大企業が
お金を出してくれなくなるからではないのだろうか?
漁民たちは弱いから
よってたかっていじめているのではないだろうか?
反捕鯨を唱えながら
原油流出や戦争を非難しようとしないのが
本当に正義であると思うなら
私を説得してみて欲しい。
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「ザ・ファーム」とは、私が将来撮影予定の、農場における動物虐待の実態を描いた映画の題名である。
菜食主義者の方々へ
「私は菜食主義者だから、動物虐待は一切していない。」
そう考える人には、次のような映画を想像してみて欲しい。
まず、あなたが、ご飯と野菜をもりもり食べるシーンが映される。
場面は突然変わる。
田んぼでコメを作るために無数の虫たちが農薬で殺される。
バッタが、芋虫が、農薬を浴びて苦しみ悶えながらバタバタと死んでいく。
用水路では、農薬を飲んで死んだ無数のカエルたちが
白いお腹を上にして水面に浮かんでいる。
そして、次のようなナレーションが流れる。
「この人の贅沢な生活を支えるために
日々、無数の動物(虫)たちが殺されています。
私たちは、このような蛮行を許しておいていいのでしょうか?」
自然農法主義者の方々へ
「私は完全無農薬の穀物や野菜しか食べないから、虫など殺していない」
そう主張する人たちには、
次のような映画を想像してみてほしい。
あなたが無農薬の穀物や野菜を食べるシーンに引き続き
無農薬農園を作る時の映像が映し出される。
鍬の刃に切り刻まれ、体液を流して次々と悶え死んでいく虫たちの姿が
クローズ・アップで映し出される。
そしてナレーションが流される。
「無農薬菜食主義者たちの贅沢な生活を維持するために
こうして無数の虫たちが無残に殺されていくのです。
私たちは、このような蛮行を許しておいていいのでしょうか?」
イスラム教徒の気持ちを想像してみて欲しい
表現の自由を巡っては、
預言者ムハンマドが頭にミサイルを載せたイラストを掲載したオランダの新聞が
イスラム教徒の猛反発を受けたことを覚えておられる方も多いだろう。
自分たちが最も尊敬する預言者を
テロリスト呼ばわりされた人々の気持ちを
想像してみて欲しい。
しかも、太地町の住民と同じように、
事実にもとづかない誹謗中傷によってである。
預言者ムハンマドが認めた唯一の戦争は、
自分たちの命が脅かされた時の正当防衛だけである。
そのことを裏付ける預言者ムハンマドの言葉を二つご紹介しよう。
「神にとって最大の敵とは、イスラームの道に入りながら不義を働き、理由なく人の血を流す者のことである」
「誰であろうと他の宗教の信者を害する者たちに対し、最後の審判の日に私は彼らの敵となって立ちはだかるであろう」
キリスト教徒や仏教徒の方へ
想像して観て欲しい、
もしあなたがキリスト教徒なら、
イエス・キリストが頭にミサイルを載せたテロリストとして描かれることを。
もしあなたが仏教徒なら、
お釈迦さまが頭にミサイルを載せたテロリストとして描かれることを。
無宗教の方へ
想像して観て欲しい、
もしあなたが無宗教ならば、
あなたの愛する妻が、愛する夫が、愛する子供たちが、
頭にミサイルを載せたテロリストとして描かれることを。
敬虔なイスラム教徒にとって、
預言者ムハンマドは自分自身よりも大切な存在である。
想像して見て欲しい、
あなた自身が、頭にミサイルを載せたテロリストとして描かれることを。
それでもあなたは、
「表現の自由は守られるべきだ」
そう主張することができるだろうか?
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と考えている人に一つ提案がある。
想像してみて欲しい。
あなたは、家族の生活を守るために日々真面目に働いている。
家計を助けるために妻は薄給のパートに出ている。
高校生の息子と中学生の娘もいる。
あなたは、ごく普通の日本人だから、時々肉を食べる。
そのドキュメンタリー映画では、あなたが肉を口に運ぶシーンが映される。
あなたが食べる肉は普通のウェルダンだ。
だが、映画では、その肉が血の滴る生肉にすり替えられている。
突然、画面が変わる。
いたいけな子牛が無残に屠殺されるシーンだ。
その子牛は、血を流し苦しそうに泣き叫びながら死んでいく。
その光景を見ながら、
若い女性(実は俳優で、実際に屠殺を見ている訳ではない)が大粒の涙を流す。
「私は、その子牛が殺されるのを見て胸が締め付けられるようでした」
少し前にあなたは、動物愛護活動家と呼ばれる人たちに
仕事場に乗りこまれ、仕事を邪魔されたことがある。
「この人は子牛の命を何とも思わない残酷無慈悲な人だ」
「肉食をやめさせろ!」
血を模した赤い文字で書かれたプラカードを掲げて
その活動家たちはシュプレヒコールを繰り返した。
小石を投げ付けられ、罵詈雑言を浴びせかけられた。
彼らは、取引先との打ち合わせの場にドアを蹴破って侵入し
あなたの大切な取引先の人たちにこう告げる。
「こんな残酷な人と取引などしないでください。
もし、あなたの会社がこの人と取引を続けるなら、
私たちは世界中のネットワークを使ってあなたの会社の製品の不買運動をします」
次に取引先と打ち合わせがあったとき、
活動家の人たちはまたそれを妨害しようとする。
あなたは、「どうか仕事の邪魔だけはしないでください」
そう言ってカメラのレンズを手で覆う。
映画では、そのあなたの行為を映したシーンの後にこうナレーションが流れる。
「この人は、自分がやましいことをしているからそれを隠そうと必死なんです。
私たちは、その悪を暴く正義の味方です」
その活動団体は、インターネット上のホームページで
あなたが行う残虐行為を(たとえそれがやらせであっても)
カメラに収めた人には100万円の賞金を差し上げましょう という広告を掲げる。 世界中から一攫千金を狙う人たちが押し寄せる。
あなたの職場は大混乱に陥り業務停止状態に追い込まれてしまう。
始めはあなたをかばっていた上司も
ある日、あなたにこう告げる。
「これ以上彼らに仕事を邪魔されたら、
私たちの会社は倒産してしまう。
そうすると沢山の社員が路頭に迷ってしまう。
あなたには申し訳ないが会社を辞めてくれないだろうか?」
不況のただ中に、あなたは職を失う。
「明日から、家族をどう養って行けばいいのだろうか?」
あなたは途方に暮れる。
だが、その活動家たちはこう言い放つ。
「他に仕事はいくらでもあるではないか?
なぜ、あなたは今の仕事に固執するのか?」
40年近くその会社一筋に生きて来たあなたに
今更他の仕事に変わることなどできるだろうか?
もう60歳が近づき、定年を間近に控えたあなたを
雇ってくれる会社があるだろうか?
「子牛の観光牧場の仕事に就けばいいではないか?」
活動家の人たちは無造作にそう言い放つ。
映画では、
最後にこうテロップが流される。
「この社員の残虐性を認めた会社は
ようやく彼を解雇しました。
私たちは、また一つ悪を駆逐し
正義を打ち立てることに成功したのです。」
その映画の上映中止を求めるあなたに対して
活動家たちはこう告げる。
「もしあなたが自分の潔白を証明したいなら
あなたも映画を作って堂々と主張したらどうなんですか?
それが、民主主義社会というものです。
悪いのは自分の主張ができないあなたです。」
もしあなたが、
あなたの夫が、
あなたの父親が、
こんな目に会ったとしても、
それでもあなたは、
「表現の自由を守るために、
そのドキュメンタリー映画の上映は認めるべきだ」
そう言えるだろうか?
「ザ・コーヴ」の上映を認めるべきだと考える人たちは
以上のことを想像してみてから自分の意見を表明してほしい。
理性にもとづく議論はそれからである。
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【捕鯨関係者を殺そうとするシー・シェパード】
反捕鯨団体「シー・シェパード」による調査捕鯨船妨害事件で、海上保安庁が国際手配した同団体代表のポール・ワトソン容疑者が、1日放送された米CNNテレビの人気トーク番組に出演し「経済的に(打撃を与えて)日本の捕鯨船を沈めるのが目的だ」と述べ、抗議活動を続ける姿勢を強調した。
ワトソン容疑者は、シー・シェパードが年間約520頭の鯨を守っていることで、日本の捕鯨船には多額の経済損失が生じていると指摘。「経済的に彼ら(日本の捕鯨船)を痛めつけるのが、捕鯨中止への最善の方法」とし、「彼らはわれわれを殺そうとしているが、われわれは彼らを負傷させていない」と主張した。
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捕鯨の中止は死活問題である
捕鯨船を(経済的に)沈めるなら、捕鯨関係者は生活の糧を失ってしまう。シー・シェパードは、捕鯨関係者を殺そうとしている。捕鯨関係者の命を守るために、私たちは平和的言論によってシー・シェパードという暴力の船を沈めなければならない。
自分が気に入らない者の生存権を認めない
シー・シェパードを始めとする反捕鯨を推進する人たちは、自分たちと考えが違う人には生きる権利はないと考えている。彼らが鯨を守ろうとするのは、それが「心優しい動物」という彼らの定義に合致する限りにおいてである。
人間に近く残酷な鯨類
鯨の一種であるオルカ(シャチ)は漁民たちのイルカ漁や鯨漁よりも残酷なオットセイ狩りをする。イルカは生きるためでなく楽しみのために狩りをする数少ない生物の一つである(それは反捕鯨論者が言うように彼らが「人間に近い」からである)。
オルカやイルカ以外の鯨類も全て捕食者である。彼らは無数の魚たちやオキアミなどを日々殺戮しながら生きているのだ。
反捕鯨論者は残酷な鯨類を絶滅しようと考える
もし反捕鯨論者がこの事実を知ったら(鯨の専門家であるはずの彼らが知っていないとは考えにくいが)、きっと「残酷な鯨たちを絶滅しよう」と考えるようになるに違いない。
鯨を絶滅から救え
つまり、将来予想されるそのような無差別殺戮を予防し鯨たちの生存の権利を守るためには、反捕鯨論を絶滅させることが不可欠なのである。
知っているの?
それとも、彼らはすでにそのことを知っていてそれを隠しているのだろうか?もしそうなら、(漁民たちが生きるための)鯨漁を止めさせようという彼らの主張の根拠はいったいどこにあるのだろうか?
生態系の調和を守るために
自分たちの都合で自然の営み(漁民たちが生きるための捕鯨は自然の営みである)に介入し、ある生物の生存権の有無を自分たちの主観によって決める、そのような考え方こそが生態系の調和を破壊するのである。
海の平和を守るためには、そのような考え方を根こそぎにしなければならない。
シー・シェパードの人たちも、お金を儲けて生きるためにその活動を行っている。自然の一部に過ぎない反捕鯨活動家の反捕鯨論も、自然の営みの一部である。だから、私たちは彼らの天敵となって全体の調和を乱す行為に歯止めをかける必要があるのである。
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