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【必要のないものは世界に存在しない】
タ イでは、身体障害者だけでなく、日本社会では「はぐれ者」と見られがちな同性愛者やニューハーフも、社会から認められている。彼らは、風俗産業だけでなく、美容業界・飲食業界を始め様々な分野で活躍している。人々は、彼らを良くも悪くも「特殊な人たち」として扱うのではなく、純粋にその技術を評価する。
タイは多宗教が共存・調和する国としても有名である。バンコクのドンムアン空港には、仏教の僧侶の特別待合室だけでなく、イスラム教徒のための礼拝室も完備されている。
ドンムアン空港のイスラム教の礼拝所の看板
【タイの微笑みは仏教の専売特許ではない】
タイの街中では、林立する仏教寺院のすぐ横にイスラム教のモスクが建ち、人々は笑顔で挨拶を交わし合う。
私は、インドでタイから来たイスラム教徒に出会ったが、その微笑みは、仏教徒のタイ人のそれと何ら変わるところがなかった。
微笑みの国タイは仏教によってもたらされたとする人は多いが、タイ人の微笑みの温もりは仏教だけに限定されるものではないのである。
【証拠よりも心意気を大切にする心が諸宗教・諸民族の調和を生む】
マレーシアもまた、多宗教・多民族が共存・調和する国である。町では、マレー民族を中心とするイスラム教徒が集うモスクと、中華民族を中心とする仏教徒が集まる中国寺院と、南インドのドラヴィダ民族を中心とするヒンドゥー教徒が集うヒンドゥー寺院が隣り合って建っている。
マ レーシアで特に印象に残ったのは「肉まん」である。日本では、肉まんの具は普通豚肉だが、ペナン島の肉まんの具は、鶏肉とゆで卵である。私は、それを「親子まんじゅう」と呼んで愛好していた(この習慣はマレーシア全土のものなのかは分からないが、クアラルンプールの肉まんも鶏肉とゆで卵らしい)。
ペナン島北部の漁村テロクバハンの中華料理店の店主は、片言の日本語でその肉まんを「ぶたまん」と言って売っていた。「日本人はイルカ肉を鯨肉と偽っている」と非難するアメリカ人に言わせれば「偽装食品」ということになるだろうか。
だが、その中華料理店の店主が「ぶたまん」と言ったのは、日本人の私によく解るようにと考えていたからであり、偽装して売ろうとしていたのではないことは言うまでもない。
「親子まん」の起源は定かではないし、その起源についての証拠は知らないが、私は、仏教徒である中国人がイスラム教徒であるマレー人を密かに心づかっているからではないかと考えている。
もちろん、中国人は自分たちは豚肉を沢山食べる。でも、そのことに眉をひそめるマレー人はいない。
彼らは、お互いの信仰や文化を尊重し歩み寄って生きているのである。
「人の行為は、その心意気によって判断される」(預言者ムハンマドの言行録「ハディース」より)
【本当に大切なものを形に残すことはできない】
タイもマレーシアも、オリンピックのメダルにはほぼ無縁の国々である。アジアの小さき国々には、他人を尊重し、譲り合う文化が今も息づいている。それは、競争の場であるオリンピックで沢山のメダルを取るよりも、その国の真の力強さを示すものではないだろうか。
アジアの伝統文化は、身体の障害やメダル、写真記録や著作権、あるいは宗教の外見といった目に見える形よりも、内なる心を大切にする文化である。本当に大切なものは、形を超えたものなのである。
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バンクーバー・パラリンピック特集
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【障害者は可哀想な存在ではない】
アイススレッジ・ホッケーの伊藤仙孝(のりたか)選手が、朝日新聞の取材に対し「両足がなくてもできることは多い。障害者は全然かわいそうな存在じゃない」という言葉を述べている。
【あらゆる文化・民族が混然一体となって調和するマレーシアの地で】 その活動をコーディネートしていたのは、道教と仏教の徒でイスラム教徒やキリスト教徒の友人を数多く持つある中国人の青年である。
私がペナン島に滞在していた第一の目的は、合気道の流れを汲む武道「和道」を学ぶことであった。
「和道」は、ペナン生まれで子供の頃中国にも滞在したことがある日本人で植芝盛平翁の高弟であった早川師範が、合気道を基本に中国武術や気功を取り入れて創始した武道である。
私は、その「和道」を、マレーシア育ちのインド人で日本で長年合気道と和道の修行を積んだキリスト教徒のフランシス・サミ師範から習っていた。
サミ師範には、多くの西洋人の弟子がいた(その中には、カナダのテッコン道のチャンピオンもいた)し、マレーシア航空のイスラム教徒従業員を相手にしたクラスも開いていた。
サミ師範は、ヨーロッパではよく知られた武道家であり、地元マレーシアのテレビ番組「武術のマスター」シリーズで、「不敗の武道家」として紹介されたこともある。師範は、黒澤映画の大ファンでもある。
【健常人をも力づける障害者】 私は、その子が「障害者だから」ではなく、純粋に一人の女性(人間)としての魅力にひかれ、会うのを楽しみにしていたのだ。
その子も私に対して好意を抱いていたようだったので、私は、その子に結婚を申し込もうかと真剣に考えた。私は今の妻を深く愛しているので、彼女に結婚を申し込まなかったことを後悔はしていないが、それほど彼女は魅力的な女性だった。 少し話がずれるが、そのチャシュア・ホームで出会ったボランティアの中国人女性もとても魅力的な女性だった(とても美人でもあった)。彼女の美しさは、ただ単に目鼻立ちが整っていただけでなく、内面の美しさが滲み出たものだった。彼女もまた私に好意を抱いていたようだったので、彼女との結婚も真剣に考えた(だが、中国人との結婚はその一族との結婚であり、軽はずみにできるようなものではないので最終的には断念したが)。 私たちが、パラリンピックで頑張る選手たちの姿に感動するのは、彼らが「障害にもめげず」頑張っているからではない。ただ、純粋に一人の人間として頑張る姿が感動を呼ぶのである。
【その人の能力を純粋に評価するタイの文化】
タイ伝統マッサージの創始者シバゴ・コマルパジ
(お釈迦様の友人だったジーワカ・クマール・バッチャ)
タイのワット・ポーと双璧をなすチェンマイのタイ伝統医療の学校(シバゴ・コマルパジ財団)でタイ伝統マッサージの研修を受けた時、私の担当の先生は身体障害者だった。「てんかん」を持病に持ち、マッサージを教えている時も、常に体がけいれんを起こしていた。
外国人と地元タイ人がともに学ぶマッサージ教室 私のクラスメートの一人のイタリア人学生は、そんな様子を見て「可哀想ね」と言った。それは、その人が可哀想という意味と、そんな人が先生になった私が可哀想という意味と両方の意味があったのだろう。
だが、私もその先生も可哀想ではなかった。その先生は、その学校でごく普通にマッサージの先生と施術者として扱われていたし、わざわざ彼を指名する多くの固定客がいた。
私は、その先生の教えを受けたことを「幸運」だと感じていた。なぜなら、その先生のマッサージはとても心がこもったもので、マッサージを受ける者の心を幸せにしたからだ。
私は、その先生から、素晴らしい技術も学んだし、技術を超えるものも学んだ。
【目に見える技術や資格よりも心を大切にする文化】
その伝統医療学校のマッサージ・コースには、学びの一環として、チェンマイ近郊の村にでかけて、それまでに学んだ技術を活用して住民にマッサージのボランティアを行うというプログラムが含まれていた。
私たちマッサージ・コースの生徒は、同じ人間として持てるものを分かち合い、住民たちも食事を作って私たちをもてなしてくれた。
日本も含めた近代文明諸国だったら、資格も持っていない者が他人にマッサージを施すなんてとんでもない。何かあったら誰が責任をとるんだとお叱りを受けそうである。実際アメリカだったら、何かあったらおそらく訴訟問題に発展することだろう。
だが「マイペンライ(気にしない、気にしない)」のお国柄である。マッサージ学校のスタッフにも、住民にも、そのことを心配する者は誰もいなかった。
【本当に感動するシーンを形に残すことはできない】
マッサージ学校のクラスメートの一人に、国際連合カンボジア暫定統治機構(United Nations Transitional Authority in Cambodia,"UNTAC")のメンバーの一人で、本職はプロのカメラマンのスイス人がいた。私は、その村での心温まる人々の表情をカメラに収めたいなと思ったが、あいにくカメラを持ってくるのを忘れた。そのプロ・カメラマンもカメラを持ち合わせていなかった。
その人と私は、「こういう時に限ってカメラを持っていないものだよね」と語りあった。その人は、「私が人生で最も感動した瞬間、それはいつでもカメラを持っていない時だった」と言っていた。
そして彼は、北極海で小さなボートに乗っていて、すぐ目の前に鯨が現れて潮を吹いた時の感動を話してくれた。写真という形でそれを目にすることはできなかったが、その人の感動という目に見えないものが胸に迫って来た。
お釈迦様生誕の地、ネパールのルンビニを訪れた時のことである。遮るものなく360℃の視界に広がる田んぼの光景に感動し、それをカメラに収めようとファインダーをのぞきこんだ瞬間、私は自分のおろかさに愕然とした。
そこにあったのは、文明によって「切り取られた」一部の風景であり、私が感動した自然の本質ではなかったからだ。
(続く) |
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大日方、女子回転「銅」=ホッケーは準決勝進出−パラリンピック〔パラリンピック〕
3月15日15時55分配信 時事通信
【バンクーバー時事】バンクーバー冬季パラリンピック第3日は14日、当地などで行われ、アルペンスキーの女子回転座位で大日方邦子(電通PR)が3位に入り、銅メダルを獲得した。今大会の日本勢で最初のメダル。大日方はパラリンピックに5大会続けて出場し、1998年 長野大会から4大会連続、通算9個目のメダルとなった。 パラリンピックで、日本が幸先のいいスタートを切った。イミョンバク大統領の「先進一流諸国への仲間入り」を国是とした韓国は、国威発揚のために国家ぐるみでオリンピックに力を入れ、キム・ヨナを始めとする選手を巨大財閥が後押しして数多くのメダルを獲得した。
それに対して、バンクーバー五輪でメダルを獲得した日本選手は、みな地方の中小企業の社員や学生である。真央は中京大学の学生、高橋は関西大学院の学生、小平奈緒は相沢病院の職員、田畑と穂積は
彼らの多くは、スポーツだけに専念することなく、勉学に勤しみ社員として働きながらその成績を残した。彼らは、その誠実な取り組みで経営者や同僚の信頼を獲得し、企業は全社を挙げて彼らを応援した。
日本がパラリンピックで好成績を上げるとしたら、それは、日本社会が障害者を始めとする弱者に優しい社会であり、神の道に適った社会だからである。
国威発揚の思惑がそれほど絡まないパラリンピックの中でこそ、その国の真の姿が明らかになるのではないかと私は思う。
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