あるスーフィー巡礼者の日記 A diary of a sufi

思い込みや見かけにだまされず、本質を見極めましょう。

知的所有権について考える

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  【人間は偶像を作り、神は常に存在し続ける】

「創造」「盗作」「権利」といったものは、人間が生み出した「概念」に過ぎず、実在するものではない。人間が創造することができる唯一のもの、それは「幻」である。それをフランシス・ベーコンは偶像(イドラ)と呼んだ。人間は偶像を作ることはできても、神そのものを作ることはできない。神とは、誰にも創造されずに始めからここに存在するものだからである。コーランの「唯一の章」では、次のように詠われている。

告げよ、
神は唯一なり
神は永遠なり
生むことも生まれることもなき
並ぶ者のなき存在なり
 
【人間は無から有を創造することはできない】
 
創造とは何だろうか?無から有を生み出すことか?人間が無から有を創造することができるのだろうか?
スーフィーの諺に次のようなものがある。
 
「相対世界に創造はなし。ただ存在の成りてあるのみ。」
“There isno creation in this relative world, there is only the becoming of Being”
 
森羅万象は唯一存在の転変なのである。
 
【不毛な非難はやめませんか?】
 
どの国がどの国の文化を盗作した。どの民族は盗作を何とも思わない民族だ。そんな不毛な非難の応酬は、もうやめませんか?
【ベンゼン環は誰の発明か?】
 
ベンゼン環の構造式を最初に提案したのはケクレだと言われているが、これには二重の意味で欺瞞がある。ベンゼンの環状構造そのものは、実際は、イギリスの科学者ジェイムズ・デュワーの方が先に思いついていた。
 
デュワーの最初の論文は1867年に発表された化学構造モデルに関するもので、そこでベンゼン構造式の候補(環状構造を含む)をいくつか挙げていた。これがケクレの目に留まり、デュワーはその夏ベルギーヘントにあった彼の研究室に招かれた。(「Wikipedia ベンゼン」より)
 
また同時代の科学者バンバーガーも同様の環状構造式を提唱している。
 
発明とされるものは、複数の人によってほとんど同時に発案されることが少なくない。それは、偶然というより当然のことである。なぜなら、発明とは、様々な先人の理論にもとづき、それに最新の知見が加わって生まれるものだからである。人は「個人」が発明を行うと勘違いしているが、発明は「個人」が行うものではない。様々な思考が集まって発明が生まれるのである。
 
それは、仏教の「無我説」「因縁生起説」で遥か昔に説かれている真理である。
 
【ウロボロスは普遍的なイメージである】
 
ところでケクレは古代ギリシャの神話に登場するウロボロスの姿を夢に見て、ベンゼン環の構造式を考えついたと言われている。
 
では、ウロボロスを発明したのは古代ギリシャ人だろうか?
以下は、「Wikipedia ウロボロス」からの引用である。

>ウロボロスのイメージは、アステカ、古代中国ネイティブ・アメリカンなどの文化にも見受けられる。

>中国では、新石器時代の北方紅山(ホンシャン)文明紀元前4700 - 紀元前2900)の遺構から、青色蛇紋石で作られた「猪竜 (ズーロン)」または「玉猪竜(ユーズーロン)」と呼ばれる人工遺物が発掘されている。これは、ブタのような頭とヘビの胴体を持ち、みずからの尾をくわえた姿をしている。

>今日見られるウロボロスの起源となる、みずからの尾をくわえたヘビ(または竜)の図の原形は、紀元前1600頃の古代エジプト文明にまでさかのぼる。エジプト神話で、太陽神ラー(レー) の夜の航海を守護する神、メヘンがこれに当たり、ラーの航海を妨害するアペプからラーを守るため、ウロボロス様にラーを取り囲んでいる。これがフェニキアを経て古代ギリシアに伝わり、哲学者らによって「ウロボロス」の名を与えられた。

北欧神話では、ミッドガルドを取り巻き、みずからの尾をくわえて眠る「ヨルムンガンド」が登場する。詳細は当該項目参照。

ヒンドゥー教では、世界は4頭のゾウに支えられており、そのゾウは巨大なリクガメに支えられ、さらにそのリクガメを、みずからの尾をくわえた竜が取り巻いているとされている。

トルテカ文明アステカ文明では、ケツァルコアトルがみずからの尾を噛んでいる姿で描かれているものがある。

【他者に噛みつく人間の愚かな姿】

カール・グスタフ・ユングは、ウロボロスを人間精神(プシケ)の元型を象徴するものとした。

「盗作だ」と他者に噛みつく人間の愚かな姿は、まさにウロボロスのイメージが象徴していると言えるのではないだろうか?

【ウロボロスは真理への道も示す 「わたし」の本質とは】

だが、ウロボロスの行為は、人間の愚かな姿だけでなく叡智をも示している。ウロボロスが自分の体を食べ続けると最後はどうなるだろうか?自らが自らを食べつくして「消滅」してしまうのである。

「『私は何か?』という問いは、焚き火をかき回す棒のように、最後はそれ自身をも燃やし尽くしてしまうだろう。」(ラーマナ・マハーリシ)

他者の芸術を「盗作だ」と非難するうちに、人は自分の芸術も「盗作だ」と言わなければならないということに気づくようになる。そして、そもそも「宇宙と分離して何かを行為することができる個人」という概念自体が幻であることに気づいていく。つまり、それが「個人」という幻の「消滅」である。

「わたし」という概念の役割、それはそれ自身を消滅させることにある。「わたし」とは此岸から彼岸への渡し船、つまり迷妄(まよい)から真理(さとり)への渡し(わたし)なのである。
 
【上海万博のマスコットはガンビーの盗作?】
 
上海万博のマスコットはガンビーの盗作ではないかという疑惑も取りざたされている。ガンビーは水木しげるの一反木綿の盗作ではないのか?長方形の布状の生物が、目と口を持ちしゃべるコンセプトは盗作としか考えようがない。
 
【パビリオンも盗作?】
 
上海万博のパビリオンのデザインが、昔の日本の万博のパビリオンのデザインにそっくりだというのも問題視されている。日本のパビリオンは、あきらかに伝統的な寺社建築の様式に従ったものである。日本の寺社建築の様式は、かつて中国から伝来したものであることを日本人は忘れてしまったのだろうか?
 
【他者の生まれつきの権利を著しく損なう知的所有権】
 
サンデー・ジャポンの中で、弁護士の八代英太氏が、「中国では、どこか一か所でも変えれば別の作品と認められることになっているんです。盗作という基準が私たちと違うんです。」と述べていた。
 
数年前、アメリカの企業が、インド古来の長粒種米「バスマティ」の遺伝子配列を数か所操作しただけで「バスマティ」の名前を独占的に使用する権利を得ようとした。さすがに国際機関がそれを認めなかったが、「知的所有権」の先進国と言われる米国企業は、インドの農民が今まで普通に使っていた名前を使う権利を奪おうとしたのである。それが、「知的所有権」の正体である。
 
「知的所有権」は、他者が生まれつき持っている権利を著しく損なう側面を持っている。
 
 
【個々の現象に囚われる愚かさ】
 
私たちは、ただ一つの現象(例えば、上海万博PRソングの作曲者の盗作疑惑)だけを見て、「中国が(一方的に)日本文化を盗作している」と考える。だが、世界で起きていることを見極め、多くの人々の意見に虚心に耳を傾ければ、それは、ただ一つの見方でしかないことに気がつくはずである。
 
【盗作問題は、昔からあった】
 
だれが先に考えついたのか?という論争は、現代に限らず、昔から繰り返されて来た。微分積分の発案を巡るニュートンとライプニッツの論争などがある。ライプニッツの二進法と中国古代の陰陽論と、どちらが先に二進法的世界観を提供したと言えるのだろうか(ライプニッツ自身、中国古代の陰陽論は二進法と同じ原理を示していると認めている)。グラハム・ベルとエジソンの電話の発明を巡る論争も有名である。
 
【万有引力の理論はニュートンの発明ではない】
 
万有引力の法則は、ニュートンが発明(創造)したのではない。「発見」したのである。微分積分もニュートンやライプニックが発明したのではない。宇宙に存在する法則を発見したのである。
 
【アメリカ大陸を発見したのは誰か?】
 
西洋では(日本も含め)アメリカ大陸はコロンブスが発見したと教えられるが、本当に発見したのは先住民族ではないだろうか?その先住民族さえ、ベーリング海峡を渡ってユーラシア大陸から移り住んだ民族だというのが定説となっている。
 
誰が最初に発見したか?というのは、客観的な事実ではなく、主観によって決められるものなのである。
「盗作だ!」中国のSF作家が映画『アバター』を訴えるY!

  中国のSF小説作家・周紹謀氏が、空前の大ヒットとなったジェームズ・キャメロン監督のSF映画『アバター』について「以前発表した自分の作品と酷似している」として、10億元(約 130億円)の支払いを求める訴えを北京市第一中級人民法院に起こしたことを中国網が伝えた。

  訴えを起こした周紹謀氏によれば、映画『アバター』のストーリーや背景、場面設定、登場人物の相関関係などが、自身が1997年に完成させた長編小説『青カラスの伝説(原題:藍烏鴉的伝説)』の内容と約80%合致するという。『青カラスの伝説』は2000年より新浪や網易などのサイト上で連載されている。

  具体的には、科学者宇宙人軍隊(企業)という基本構図、地球人がクローンを培養して太陽系外の惑星に送り込むストーリー、クローンは温室の中で培養され、人間の意識を送り込むことによってクローンを操作するという手法、青い皮膚をした宇宙人の形態などが挙げられている。

  映画史上最多の20億ドル(約 1800億円)の興行収入をあげた大ヒット作を相手取っただけに、約130億円と強気の賠償金請求に出た周氏だが、世間では「売名行為ではないか」という 声も挙がっているという。中国網は中国大手掲示板サイト「天涯網」内では一部のユーザーが今回の訴訟に対して半ば疑問を抱いているとした。また、SF作品どうしで設定が似通うのは珍しいことではなく、盗作の判断は難しいだろうという声も合わせて紹介した。


http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0305&f=national_0305_011.shtml

 
 

FF13開発者「映画アバターは我々の影響を受けて作られたと思う」

 

  スクウェア・エニックスの人気テレビゲームソフト『ファイナルファンタジーXIII』の開発者が、「世界的に有名な映画『アバター』は、我々(ファイナルファンタジーXIII)からインスピレーションを受けて作られたのではないかと思っている」と発言している事が判明した。

 これはゲームインフォメーションサイト 『TechDigest』が掲載した『ファイナルファンタジーXIII』の開発者インタビューで明らかになったもので、鳥山求(とりやまもとむ)氏が発言したコメント。その発言を要約すれば、鳥山氏は「映画『アバター』は『ファイナルファンタジーXIII』の影響を受けて作られた映画」と思っている事にる。

  しかし、『ファイナルファンタジーXIII』は別の作品から影響を受けたのか? という質問には「特に影響を受けた作品はない」と返答している。どうやら、『ファイナルファンタジーXIII』を開発するにあたり影響を受けた作品はないが、映画『アバター』は『ファイナルファンタジーXIII』の影響を受けて作られたと考えているようだ。

  映画『アバター』のどの部分を観て『ファイナルファンタジーXIII』の影響を受けて作られたと思ったのかわからないが、神秘的な雰囲気とメカニック的な雰囲気が融合した作品という部分でそう思ったのかもしれない。しかし映画『アバター』は『ファイナルファンタジーXIII』よりも遙か昔からジェームズ・キャメロン監督が考えていた作品であり、世界観だ。

  『ファイナルファンタジーXIII』の影響を受けたとは考えにくいが……。エンターテインメント作品を作るプロフェッショナルだからこそ、気がつく部分があるのかもしれない。

 
 
 

【韓国ブログ】『アバター』は 宮崎駿アニメのオマージュ!?

 

 ジェームズ・キャメロン監督が構想に14年、製作に4年以上の歳月を費やして完成させたアドベンチャー大作『アバター』。日本では2週間で35億円の興 行収入を記録しており、全世界では17日間で102000万ドル(約947億円)を突破した。


  日本に滞在する韓国人ブロガーのダングニは「韓国 では『アバター』が、外国映画の興行収入の歴史を新しく塗り替えるものとみられており、人々の反応も称賛であふれている。アバターはジェームズ・キャメロン監督が想像した、蝶族が生きるパンドラ惑星を3Dで完ぺきに再現し、人々に新しい映像美をプレゼントしている」と語っている。

  しかし、一方で筆者は「盗作だという論議が起こっているのも事実だ。 宮崎アニメーションを楽しんできた私としては、キャメロン監督の『アバター』を、単純なオマージュと見られない。世の中にあるすべてが、無から創造されたわけではないが、映画をすべて見終わった時に感じたのは、キャメロン監督が 宮崎アニメの設定からアイディアを得たということだ。新しい解釈を感じることはできず、設定やストーリー、映像を表現する主要カットは、食傷ぎみに感じられた」とつづっている。

  「たとえ大部分が食傷ぎみでも、その映画を通じて新しい世界観が生まれれば、それはそれで価値がある。しかし今回に関しては、とても多くの場面が宮崎駿作品と重なって見えた。ここまで世界観が似ているとは思わなかった。ターミネーター2、タイタニックなどで有名なキャメロン監督が、十年余りの時間をかけて作った映画への期待が、失望に変わった。続編では、新しい想像力を見られるとよいのだが」と結んでいる。(編集担当:李信恵・ 山口幸治)

 
 
 
 

【韓国ブログ】安室奈美恵に盗作疑惑!韓国の雑誌写真をパクリ?


イメージ 1

  1216日にリリースする安室奈美恵の新アルバム『PAST<FUTURE』のジャケット写真が、26日、公式ホームページに掲載された。ジャケット 2008年にリリースしたベストアルバムのジャケット写真を安室奈美恵が自ら破る斬新なスタイルだが、盗作の疑惑が持たされている。


  30日付『毎日経済』によると、このジャケット写真は、3月号の韓国某ファッション雑誌に掲載された、韓国を代表する写真作家の作品に極似しているそうだ。確かに、髪型や構成、写真を破るしぐさ、手の位置などほとんど同じシチュエーションになっている。韓国には多くの安室ファンがおり、それに、イ・ヒョリやソ・インヨンなど韓国の歌姫が安室奈美恵の衣装や舞台演出を盗作したと論争になったこともあり、そのような背景がさらに今回の盗作疑惑への注目を倍加させているようだ。

   

 この話題を受け、安室奈美恵ファン歴13年というブロガーのナッデットは「論争というより誰が見ても明白な盗作。もちろん安室自ら動いて作った作品ではないだろうが、安室奈美恵ブランドとして動くアーティーストとして今回の非難からは免れない」と指摘し、その上で「安室は今回の論争について自ら明らかにすべき。いくら大ファンだとしても、無条件に擁護するのはよくない」と、厳しい見解を述べる。

  また、ヨミというブロガーもこの話題に 触れ「完ぺきだと思っていた女神もこのような大型失敗をするのね。それでも私にとって依然として女神。とにかく、新しい音楽にするという確実な意志が込められたジャケットのコンセプトだから」と記し、相変わらずの愛情ぶりを示す。

  さらに、この話題を取り上げた記事では、「恥ずかしい」 「我が国が誇るトップスターが韓国の雑誌を盗作する時代が来たのか」などとする日本のネット上の反応も併せて紹介されており、これに関連して、ブログ主は「日本の反応もおかしい。雰囲気からすると、韓国の雑誌を盗作することが、まるで下位文化のものをまねして恥ずかしいというような感じ」と記し、日本の反応に不快感を示した。(編集担当:金志秀)

 
 
 
太字ハイライトは筆者による。
【上海万博のテーマソングは岡本真夜の盗作か?】
 
上海万博のテーマソングが岡本真夜さんの歌の盗作ではないかという問題が持ち上がっている。
 
確かに、両者を聴き比べるとそっくりの部分がある。だが、岡本真夜の曲自体、オリジナリティーのある曲だろうか?はっきり言ってどこかで聞いたことがあるありふれたメロディーである。
 
太田光が冗談めかして「ぼくも、岡本真夜さんのこの曲の発売5分前に同じ鼻歌を歌ってたんです」と発言していたが、その発言がこの問題の本質を見事に言い当てている。大田光は、笑いの中で深い本質を洞察した発言をすることが少なくない。
 
岡本真夜の歌の前に創られ、岡本真夜の歌とそっくり同じメロディーの歌を見つけようと思えば、いとも簡単に見つかるだろう。
 
【あらゆるメロディーはすでに作曲されている】
 
世界には歌が溢れている。およそ人類が考えられるメロディーは、もうほとんど作曲し尽くされていいると言っても過言ではないのではないだろうか?
 
以前あるFMラジオ番組で、クラシックの名曲とほとんど同じメロディーを使ったポピュラー・ソングを紹介するコーナーがあった。毎週毎週多くの歌が紹介された。それらのポピュラー・ソングはみな盗作なのだろうか?
 
【部分を抽出し、全体とする勘違い】
 
しかも、岡本真夜の曲とそっくりとされてテレビで放映されたのはごく一部のメロディーだけである。
番組で放映されたメロディーの後半は、音の運びに共通点はあっても明らかに音階が異なっている。それを盗作というのは明らかに言い過ぎである。
 
部分を抜き出して全体がそうであるかのように言うのは、情報操作の常とう手段である。
 
それは、西洋近代文明を支える要素還元主義の基本原理であるが、要素還元主義は真理の一面を明らかにすることしかできない。それを真理の全体であると考えることは間違いであることが明らかになり、東洋思想が基本原理とするホリスティックなアプローチ(全体を見る考え方)が見直されつつある。
 
「要素還元主義」は一見説得力があるが、それのみを真理であるとするのは間違った見方なのである。
 
【音の運びは普遍的なものである】
 
インド古典音楽には、「ラーガ」という概念がある。それは、簡単に言うと音の運びを定式化したものである。ラーガには、それを演奏するべき季節時刻がある。また、そのラーガが示す「情感」(ラサ)がある。インド古典音楽は、ラーガに従った即興演奏である。もし、一定の音の運びが盗作とされるのならば、インド古典音楽の演奏はすべて盗作だということになる。
 
ラーガは一定の情感を生み出すものだから、同じような情感をうたった曲は、同じような音の運びになるのは必然なのである。
 
【「夕焼け小焼け」は「家路」の盗作か?】
 
日本の童謡の名曲に「夕焼け小焼け」がある。それを、盗作だと考える人は誰もいない。だが、ドボルザークの名曲「新世界より 第2楽章 〜ラルゴ〜」の冒頭を思い出してみて欲しい。同曲に「遠き山に日は落ちて…」という日本語の歌詞をつけた歌「家路」は、キャンプファイアーで歌われる定番曲で多くの人に愛唱されている。
 
その両者はほとんど同じ音の運びをしている。「夕焼け小焼け」の作曲家草川信が、ドボルザークの曲を盗作したのだろうか?
 
ドボルザークも草川信も、「たそがれ時」という時刻における「夕焼けの美しさへの感動と寂しさと家への思い」といった人間に共通する情感をあらわしたラーガ(普遍的な音の運び)を、読み取っていたからなのである。
 
インド古典音楽には「盗作」は成立しない。なぜなら、インド古典音楽にはそもそも「作曲」という概念がないからである。古典音楽のラーガは、作曲家が生み出したものではなく、宇宙に始めから存在するラーガを読み取ったものとされている。もし作曲者が存在するとすれば、「宇宙」こそが作曲者なのである。
 
【普遍的メロディーに詞を付与することでオリジナル・ソングが生まれる】
 
以上のように、音の運び(しかもごくありふれたもの)を根拠に盗作とするのはナンセンスである。岡本真夜がありふれたメロディーに自分の詞を付与したことで、それを自分の歌としたように、同じありふれたメロディーに自分の詩を付与した上海万博のテーマソングは、独立した歌だと考えるのが当然であろう。もし、後者が盗作とされるのなら、岡本真夜の歌も盗作と言わねばならなくなる。
 
【著作権・知的財産権は幻想にもとづく誤謬である】
 
東洋には、伝統的に「著作権」という概念がない。「著作権」の概念を打ち立てた西洋文化の方が進んでいるという誤解が蔓延(はびこ)っている。だが、「著作権」は幻想である。この世界には、個人のオリジナリティーというのは実在しないからである。すべての創造行為は、先行する創造行為の再現や加工であったり、組み合わせのバリエーションに過ぎない。
 
近代西洋文化における「著作権」は、宇宙と分離した個人が独立して何かを創造できるという幻想に根ざした誤謬(ごびゅう)である。
 
【東洋思想とイスラームは同一の真理を示す】
 
東洋の陰陽論では、「森羅万象は無のゆらぎから生まれた陰と陽の転変と組み合わせによって生まれたもの」としてとらえる。
 
一方、イスラームの道では、唯一神こそが唯一の著作者であり、あらゆる創造行為の根源(オリジン)だと考える。「唯一神」(アラビア語の普通名詞「アッラー」)とは、超越世界に住む特別な個人のことではない。それは「宇宙をコントロールする唯一の力」という意味である。森羅万象の総体を「唯一神」(アッラー)と呼んでいるのである。
 
陰陽論やインド古典音楽が示す東洋の哲学とイスラームの世界観は、同一の真理を異なった言語であらわしたものに他ならない。

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