|
【原発こそが莫大な国富を貪り続ける金食い虫】
次に、②の主張の妥当性について検討してみましょう。
原発を稼働し続けるには、原発の建設や稼働のための日常的な費用以外にも、(電力供給コストに含まれない)莫大な費用が必要とされます。つまり、原発の稼働によって莫大な国富が失われ続けるのです。
原発の稼働によっていったいどれだけの国富が失われることになるのか、具体的に見てみましょう。
《放射性廃棄物の処理・管理の費用》
原発の稼働により、日々膨大な量の放射性廃棄物が蓄積されていきます。
そして、それら放射性廃棄物は、無害化されるまで気の遠くなる長い年月にわたって安全に管理し続けなければいけません。
そのためには、莫大な費用が必要になることは言を待ちません。
つまり、原発を稼働し続けること自体が、現在と未来にわたって日々「莫大な国富喪失」の種をまいていることになるのです。
《廃炉や事故処理の費用》
また、運転期間を終えた原子炉の安全な廃炉のためにどれだけの費用がかかるかも、福島原発の事故処理(や原状回復)のために今後トータルでどれだけの費用がかかるのかも、また今後もし福島原発事故のような重大な事故が起きた際に、その処理や原状回復のためにどれだけの費用がかかるかも、現時点では「算定不能」です。
つまり、原発を稼働し続けることで、「今後どれだけの莫大な国富が失われることになるのか」は、おおよその見積を立てることさえできないのです。
《原発の稼働により失われる莫大な国富》
原発は、一部の関連業者(やそれと癒着した政治家など)には大きな富をもたらすかもしれません。
でも、一般の日本国民(日本国全体)にとっては、莫大な負担となり遥か未来の世代におよぶまで膨大な重荷となり続けるのです。
もしも、真剣に国の富のことを心配するのなら、原発を稼働し続けることにより「とてつもなく長い月日にわたって失われ続ける膨大な国富」のことをこそ、心配すべきではないのでしょうか?
最後にまとめとして、現時点で「電力供給コスト」に含まれていると思われる原発の建設費や日常的な運転にかかる費用(ウランなど原子力燃料の輸入費も含む)以外で、原発を稼働し続けることにより必要となる経費、つまり「日々失われる国富」(⑤のみは、そのリスクがある費用)の主なものを列挙してみましょう。
①放射性廃棄物の処理や(半永久的な)安全な管理に必要な費用⇒算定不能
② 安全な廃炉のための費用⇒正確な算定は不能(今後もますます高騰が予想される)
③ 事故を防止するための安全対策の費用⇒上記に同じ
④すでに起きた重大事故(福島原発事故など)により今後もたらされる環境や人間、家畜、植物などの生命体の健康、日本経済などへの極めて長期間に及ぶ悪影響⇒(それらを貨幣価値に換算した場合の損失額は)算定不能
⑤今後、もし重大事故が起きた時にもたらされる様々な被害と悪影響⇒上記に同じ
《「電力供給コスト」に算定されていない莫大な費用》
これらの費用は、現時点では正確に算定することさえ不可能なので、「電力供給コスト」にはふくまれていないはずです(もし含まれていたとしても、それは正確な金額ではありません。何せ「算定不能」なのですから)。
つまり、現時点で公表されている「電力供給コスト」が火力発電などの他の発電方法による電力供給コストより安いから「原発が安い電力である」と主張することには、合理的な根拠は存在しません。独断的な「信条」(ドグマ)にしかすぎないないのです。
むしろ、「算定不能」な莫大な費用がかかるのですから、真の「電力供給コスト」は遥かに高くなると考えるべきでしょう。
現時点であきらかになっているコストだけにもとづいて(算定不能な「電力供給コスト」を無視して)「原発は安い電力だ」と思い込むのは、詐欺師に金額欄空白の小切手を渡して「ああ、(はっきりとした)被害がなくて良かった」と安心するほど愚かなことだと言えるのではないでしょうか? 【「よくばり犬」の愚を犯したいのか】
「原発の停止により莫大な国富が失われた(から原発の再稼働や新設を進めるべきだ)」と主張する人たちの言い分を聞いていると、イソップ童話の「犬と肉(骨)」あるいは「よくばり犬」を思い出します。
「よくばり犬」のあらすじは、次のようなものです。
ある犬が、肉(骨)をくわえたまま橋を渡っていた。ふと下を見ると、見知らぬ犬が肉(骨)をくわえてこちらを見ている。犬はその肉(骨)が欲しくなり、脅すために吠えた。すると、くわえていた肉(骨)が川に落ちて流されてしまった。もう一匹の犬は、水面に写った自分自身の姿だったのである。
福島原発事故後に莫大な国富が流出することになった原因は、まさしく原発推進論(原発依存体質)そのものにあったのに、それが何か他のもののせいであるかのように声高に主張するのは、このイソップ童話の中での「川面に映った己の姿に吠え掛かる犬」のように私には思えます。
もし私たちが、その思い違いにとらわれ、そして目先の化石燃料輸入代を惜しむがゆえに再び原発依存体質に戻ってしまうなら、その強欲と思い違いゆえに自分がくわえていた肉(骨)をも失うことになってしまった犬のように、今よりも遥かに多くの国富が失われることになってしまうでしょう。
|
原発は本当に必要なのか?
[ リスト | 詳細 ]
|
冒頭に掲げた新聞記事は、先週金曜日の河北新報の「持論・時論」です。
今回の記事では、その中から最後の一節(クローズアップ写真部分)で言及された「原発停止は国富の流出」とする意見の非合理性に焦点を当てて掘り下げてみたいと思います。 【国富の流失を防ぐための原発再稼働???】 原発推進(or維持)論者の「原発の停止により莫大な国富が失われた(から原発の再稼働や新設を進めるべきだ)」という主張には、まったく論理の正当性がありません。 彼らの主張の根拠を要約すると次のようになるでしょう。 ① 福島原発事故後の原発停止により、火力発電所の再稼働にともなう海外からの化石燃料の輸入が増大し、莫大な国富が流出した。 ② 今後も原発を稼働しないことにより、化石燃料の輸入に莫大な国富が失われ続ける。 【そもそも原発依存政策こそが莫大な国富の流出をもたらした】 まず、①の主張の妥当性について検討してみましょう。 原発推進(or維持)論者の間からよく聞こえてくるのは、次のような主張です。すなわち、 「福島原発後すべての原発を稼働停止したことにより(膨大な電力の不足が起き、休止していた多数の火力発電所の再稼働を余儀なくされ)、石油や天然ガスなどの化石燃料の海外からの輸入が大幅に増大し、莫大な国富が失われた。だから、原発を再稼働すべきだ」 でも、考えてみてください。そもそも、福島原発事故後に、(火力発電所の再稼働により)海外からの化石燃料の輸入を増大せざるを得なかったのは、「電力供給の多くを原発に依存していたから」がゆえに起きたことです。 《原発は極めて不安定な電力供給源》 福島原発事故があきらかにしたように、原発は、いったん事故が起きて稼働停止に追い込まれると莫大な電力供給の不足をもたらす「著しく不安定な電力供給源」です。 もしも、そのような不安定な電力供給源へ依存し続けることなく、燃料を海外から輸入しなくて済む再生可能エネルギー(自然エネルギー)への転換を進めていたとしたらどうでしょうか。 そうであったならば、そもそもそのような膨大な電力供給の不足(とそれに引き続く火力発電所の緊急の再稼働)が引き起こされることはなかったわけです。 《また莫大な国富を失いたいのか》 つまり、福島原発事故にともなう火力発電所の再稼働による国富の喪失は、歴代の政権が「原発という不安定な電力供給源に依存するエネルギー政策を続け、再生可能エネルギーへの転換を怠って来た」ことによりもたらされたものです。 もしも、ここでまた原発に依存するエネルギー政策に後戻りし、再生可能エネルギーへの転換を遅らせるなら、将来また原発事故が起きて原発の稼働停止に追い込まれた場合、ふたたび火力発電所の緊急の稼働再開にともない莫大な国富が失われることになるのです。 それを防ぐためには、太陽光、風力、水力、地熱、バイオマスなどの自然の力をエネルギー源とし燃料を海外からの輸入に依存しなくて済む再生可能エネルギーを最大限活用する「エネルギーの地産地消」を進めるべきだと言えるでしょう。 《原発推進論者の明確な論理の破綻》 つまり、①の主張そのものはまったくもって正しいのです。でも、①で示された事態がもたらされたのは、日本がエネルギーの供給源を「原発に依存していたから」こそ起きたことです。
すなわち、原発推進(or維持)論者の主張の中身を論理的に正確に言い換えると次のようになってしまうでしょう。 「原発に依存していたから莫大な国富が失われた。だから、原発の再稼働や新設を進める(原発への依存に戻る)べきだ」 これはとても正気の沙汰とは思えません。
(後編に続く) |
|
【世界から愛されている私たち】
今回の震災で、いかに私たち日本人が世界中の人々から愛され気遣われているか、心に染みた人は少なくないことでしょう。
経済的には私たちよりも遥かに貧しい途上国の人々までもが、彼らにとっては莫大な価値をもつであろうお金を募金して送ってくれたり、様々な支援物資を送ってくれたり、様々な応援メッセージを送ってくれたり…。
まさしく「乏しい中からも分け与えよ」というお釈迦様の教えの実践であると言えるでしょう。
震災が起きて間もない頃、私はマレーシアの友人からスカイプを通して電話をいただき、マレーシアの人々も私たち日本の人たちのことを深く気遣い、日本支援のためにチャリティー・イベントが行われていることを教えてくれました。
【災厄の種を売ることで幸せになれるのか?】
それなのに東芝の社長を始めとして、いまだに原発を世界に輸出することで自分たちの会社の利益を求める人がいたり、原発輸出を新成長戦略の一環として頑なに続けて行こうとする人々がいます。
自分たちを苦しめている、そして放射能汚染水を世界につながる海に垂れ流し続けていることで世界中に迷惑をかけているのに、いまだに原発を世界に広めることで、自分たちが利を得ようとしています。
そのことは、同じ日本人として本当に恥ずかしい。世界中から受けている恩に対して仇で報いるような行為は本当に情けなく、申し訳ない。
【世界から受けている恩に報いるには】
日本が世界中から受けている恩に報いるにはどうすればいいのでしょうか?
それは、危険で未来もない(たとえ運良く事故が起きなかった、ウラン鉱採掘労働者や原発労働者を被曝から守ることが可能になったとしても、数十年以内にはウラン燃料は枯渇し、後にはその安全な管理技術さえ確立されていない膨大な量の放射性廃棄物だけが残されることになる)原発を、たとえ一時しのぎの手段としてさえ売り込むことにあるのでしょうか?
世界に対する報恩は、科学技術立国の誇りと英知を結集し、今まで原発の研究開発・推進・運営に注ぎ込んで来た莫大なお金とエネルギーと労力を再生可能エネルギーの研究開発や普及、それを支える社会システムの構築に注ぎ、自らが持続可能な社会のさきがけとなり、また、その技術やノウハウを世界と分かち合うことによってこそ成し遂げられるのではないでしょうか。
【意志があれば道は拓ける】
「たとえ危険であっても原発に依存しなければやっていけない」私たちが強くそう思い込んでいる限り、それが現実のものになってしまうでしょう。
だが、「原発なしにやっていく」と決意し、そのヴィジョンを出発点として、あらゆる英知を絞り、代替エネルギーや省エネルギーのさらなる研究・開発を進め、社会のシステムを変え、私たちのライフ・スタイルを変えて行く努力を続けるならば、それは必ず実現することができるでしょう。それこそが、日本の真の復興につながっていくのではないでしょうか?
今、日本はちょうどアルコール依存症患者のように「原発依存症」状態にあるのだと思います。
日本人のいまだに多くが「原発は危険かもしれないが、ないと困るのではないか」と思っているのは、そもそも原発が日本に必要だからではなく、「必要だ」という洗脳を受けて、原発推進に巨額の資金やエネルギーを投入し、再生可能エネルギーの研究・開発と普及を怠り、原発に依存するメンタリティーと社会システムを作り上げてしまったからではないでしょうか?
アルコール依存症患者が、「アルコールがないとだめだ」と思ってアルコールを摂取し続けるならば、彼の心身はぼろぼろになり、様々な精神疾患や肝硬変などの身体合併症を発症し、食道静脈瘤による大量出血や肝性脳症を引き起こし、悲惨な最期を遂げられる。そんな方々を私は何人も見て来ました。
日本も今すぐに原発依存からの脱却を目指さなければ、その先には悲惨な未来が待っていることでしょう。
私たちは、まず「脱原発」(省エネルギーと再生可能エネルギーへのシフト)を決意し、原発のない明るい未来のヴィジョンを共有し、力強く歩み始めて行くべき時ではないでしょうか?
【世界がともに幸福になるために】
それこそが、私たちが世界中の人々から受けているサポートや励ましに報いる唯一の道であると私は考えます。
オーム ローカーハ サマスターハ スキノー バヴァントゥ |
|
【闇に光が当てられつつある】
全国紙や全国ネットテレビなどの大手マスメディアではまだなかなか現れてきていませんが、ネット上では、今まで原発行政がいかにずさんな考え方で進められてきたか、原発を推進するために様々な情報操作が行われ、一般大衆が欺かれてきたかということについての事実が次々と明らかにされているようです。
今まで私たちが目をつぶって来たそう言った闇の部分を直視することは、とても大切です。なぜなら、闇を直視しなければ問題の真の原因は明らかになって来ませんし、当然のことながら真の解決法も明らかになりません。闇を直視することで光が見えてくるのです。
【悪に対する憎しみは悪である】
しかし、ともすれば私たちの心を暗くし、怒りや憤りを引き起こしてしまうようなそういった情報に接する時に、お願いしたいことがあります。
それは、今回の原発事故の責任者や今まで原発推進のために情報操作などの悪行を重ねて来た人たちを憎まないでほしいのです。
悪に対して憎しみを抱くとき、人はその悪と同じレベル(暗黒面)に堕ちてしまいます。
【スター・ウォーズ「ジェダイの帰還」に学ぶ】
スター・ウォーズ エピソード6「ジェダイの帰還」を観た人も少なくないと思います。
(日本では、公開当時は「ジェダイの復讐」と誤訳されていました。英語の原題は、return of the Jediで、returnには、「復讐・報復」と言った訳語もあるのでそのように誤訳されたようですが、正しい意味は「帰還」です。ジェダイの騎士だったがダークサイドに堕ちていたダースベーダーが、最期の瞬間に悔い改めジェダイ戦士に立ち戻ることを表わした言葉です。)
あの映画の中の最後の方で、ルークとダースベーダーが対決をしたシーンを思い出してみてください。
ダースベーダーは、息子であるルークに「憎め、憎め、私を憎め」と言いました。それは、怒りや憎しみはダークサイド(暗黒面)のエネルギーだからです。悪を憎むことで、ダークサイドの側はさらに力をつけてしまうのです。
悪を憎むならば、悪を効果的に正すことも困難になってしまいます。
ルークは、一旦は憎しみに駆られて(暗黒面に堕ちて)しまいましたが、ダースベーダーにとどめを刺そうとする直前に自分の過ちに気づきます。そしてダースベーダーの仮面の下に隠されていた、悲しみに満ち苦しみに捉えられた男の顔を見ました。「悪の化身」と思い込んでいたダースベーダーが、実は苦しみ悩む一人の人間に過ぎなかったという事実を見出し、怒りを手放し深い慈悲の心を抱くことができました。
その結果、ダースベーダーも、己の良心を取り戻し、ジェダイ戦士アナキン・スカイウォーカーに立ち戻り、安らかな死を迎えることができたのです。
参考文献:スターウォーズで「仏教入門」ですか(春秋社)
【怒りを慈悲に転換しよう】
悪行を為す人々に対する怒りの思いが湧きあがった時は、それを慈悲に転換しましょう。ブッダが説いたように、悪行を為す人には因果応報の理により必ず不幸の報いがもたらされます。その時の彼らの苦しみを想像し、心から同情して下さい。
そして、悪行を為す人は、その報いを受ける前にも、悪行を為している時点で心の深層ではすでに苦しんでいるのです。真実を隠して(あるいは知らずに)原発をいまだに推進しようとしている人の鉄面皮の奥に潜む、無知と我欲(貪りや恐怖など)に囚われて苦しむ一人の人間としての素顔を想像してみてください。
そういった彼らの苦しみに思いをはせ、彼らが自分の無知に気づき、心から反省し、清らかな心を取り戻すことを願いましょう。
「父よ、どうか彼らをお赦しください。彼らは、自分たちが何を為しているのかを知らないのですから」と言ったナザレの預言者イエスのように。
そうすることで、他人の悪行に怒りを抱く、悪人を憎むことで自分自身もダークサイドに堕ちてしまうことを防ぐことができます。慈悲の力は憎しみの力よりも強いからです。
神は言われた「私の慈悲は、私の怒りに勝る」と。(預言者ムハンマド)
【怒りを慈悲に転換する実践法】
怒りを慈悲に転換するための素地となる心の性向を育むためには、上座部(テーラーワーダ)仏教のメッタ・バーヴァナ(慈悲の瞑想)やチベット仏教のトンレンなどが有効です。後者は、ダライ・ラマも、チベット人を弾圧する中国人たちに対して毎日実践されているそうです。
なお、怒りを慈悲に転換するために有効な実践方法としては、そのほかにもスーフィー(イスラーム神秘主義者)に伝わる瞑想法など様々な実践方法が伝えられています。もし、機会があれば、将来それらについてご紹介させていただくことがあるかもしれませんが、今回の投稿では割愛します。
メッタ・バーヴァナ(慈悲の瞑想)やトンレンの実践法について興味のある方は、ネットで検索してみてください。
【心明るく生きて行きましょう】
怒りや憎しみは「分離」という幻想に根ざし、赦しや慈悲は「一体性」という真理に根ざしています。「分離」から悪が生まれ、「一体性」から善が生まれます。
以前「脱原発の聖戦を腐敗させないために大切なこと」の中でも述べましたが、脱原発の聖戦は「やつらvs私(たち)」という対立意識からでなく、「私たちすべて」という一体性の視点から進めて行かなければなりません。
これから、様々な今まで隠されていた悪が明らかにされていくでしょう。もしそのたびごとに私たちが怒りや憤りを抱いていたら、私たちの心はどんどんと暗くなっていってしまいます。怒りや憤りの代わりに慈悲を抱く習慣を身につけるならば、隠された悪が暴かれるたびに知恵と慈悲が深まり私たちの心はどんどんと明るくなって行くでしょう。
われわれは怨みをもつ者たちの間にあって怨みを抱かず
よく心安らかに生きて行こう
われわれは悩みを抱く者たちの間にあって悩みなく
よく心安らかに生きて行こう
われわれは貪る人たちの間にあって貪ることなく
よく心安らかに生きて行こう
われわれは一物をも所有せず
よく心安らかに生きて行こう
光り輝く神々のように
喜びを食(は)む者となろう
(ダンマパダ、「楽しみの章」より)
|
|
【迷いの中で深く眠りこけている日本人】
世界では、脱原発に向かう動きが指導者層よりも一般大衆の間で急速に高まりつつあるようですが、(マスコミの世論調査の結果や、私の妻とその友人たちとのやり取りの中から判断するに)事故の影響を最も受けている私たち日本人の中にまだ十分なそれが見られないことは本当に驚きです。
一般的日本人の多くは、いまだに「原発は危険なのかもしれないけれど、現実問題として原発なしにはやっていけないんじゃないの?」というような思い込みに囚われてるようです(だから、十分な安全対策を施せば問題が解決すると思い込んでいる、あるいは、思い込もうとしているのかもしれませんが)。この思い込みの過誤に関しては、別稿にて改めて取り上げる予定です。
日本の指導的立場にある人々がいかに深い迷いに囚われ、一般大衆が主に大手マスメディアを通して洗脳を受けて深い幻想に囚われてしまっていることを示すものなのかもしれません。そのことに対しては、本当に深い危機感を抱いています。
もちろん、既に目覚めているあるいは目覚めつつある人が急速に増えていることは確かです。それは大いなる希望です。ですが、まだそれが十分に多数派を形成するには至っていないというのが現実でしょう。
【これ以上深刻な事態をもたらさないために】
多数決民主主義という未熟な政治形態を採用している日本では、多数の人々が目覚めないと政治が良い方向に向かって行かないという現実があります。
私は、もしこのまま私たち日本人の多数派が目覚めないのならば、今は表面的には一時的な小康状態を保っているかのように見える福島原発の事態が最悪の事態へと進んで行くか、あるいは幸いなことに福島原発が無事収束に向かったとしても、今回の事態を超える惨事が近い将来に訪れることになるのではないかと危惧しています。
それを避けるためには、事故の現場であらゆる英知を結集して対処することはもちろん大切ですが、そもそも今回の事故をもたらした根本原因である私たちの間違った思考方法を正し、それから生み出された間違った社会システムを変革していくことがとても大切だと思うのです。
【今、求められているのは標本同治である】
漢方では、「急なれば標を治し、緩なれば本を治す」という言葉があります。「標」とは、おおざっぱに言えば表面に現れた症状、「本」とは、その原因となっている心身のバランスの崩れ、と言った意味です。
福島原発の事故への対処は、「標を治す」ことにあたり、現時点ではもちろん全力で取り組むべきことでしょう。ですが、それをもたらした根本原因にも取り組まなければ、いつ、さらに急なる標がもたらされるかもわからないというのが現実でしょう。
つまり、現在は、事故の影響をこれ以上拡大させない努力と同時、根本原因への対処が早急に求められている状態であると言えるでしょう。
そう言う場合、漢方では「標本同治」という治療法を行います。
重大な事態をもたらしている症状を抑える努力とともに、その原因にも同時に取り組むと言うことです。
今は、「標を治す」ことだけに心を奪われるのではなく、標が指し示している「本」に対しても全力で取り組む「標本同治」をこそ行うべきではないでしょうか?
ですが、今の日本では、特に大手マスメディアの報道の中では、「標を治す」面にばかり重きがおかれ、「本を治す」ことに対する論議があまりにも少ないと思います。そのため、一般大衆の意識も「本を治す」ことに思いを至らせることが少なくなってしまっているように思います。
【症状がもたらすメッセージに耳を傾けよう】
病の症状とは、私たちの心身の状態に問題があることを知らせるメッセージとしての役割があります。漢方の「標」すなわち「しるし」という言葉には、そう言った意味も込められていると思います。
だから、症状が標している本体である原因(本)を探る努力、症状が私たちにもたらそうとしているメッセージに深く耳を傾けることが大切なのです。
もし、私たちにもたらされているメッセージがちゃんと受け止めらることがなかったら、さらなる強いメッセージがもたらされる、つまり、さらに深刻な事態が私たちを襲うことになるでしょう。
【本質を見極めよう】
私たちは、福島原発事故が私たちにもたらしている深いメッセージにもっと耳を傾け、福島原発事故という標として表れているものの本質(本)を見極める努力をするべきです。
原発の安全対策を強化することで問題が解決すると思い込み、原発推進もしくは現状維持を続けて行くことは、標が示す本を見誤った治療法です。それでは、本である根本問題がさらに深く進行して行ってしまうでしょう。
今私たちに求められているのは、標が指し示している本質を正しく見極めた「標本同治」なのです。
|





