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 ダブルヘッダーで謡の練習
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 写真は# ”tutu夢” プロジェクトの目標とする風呂敷を利用した買い物袋(レジ袋代用)そろそろプロジェクトを動かす準備をしなければです。ますロンドンから帰国の翌日の例会でプロジェクトメンバーを集めコンセンサスを得るブレーンストーミングを行いたいと思います。その事前準備からですかね。

 昨日は午後からつづき謡曲会の定例練習会でしたが、長谷川先生がお休みとなり、急遽梅田先生に「三井寺」の第二回範吟を頂き、合吟練習しました。場所を大岡山に移し、清水先生の個人レッスン。先ず「船弁慶」の中ノリ部分を終了し、第一回目の「玄象」(九番習い)のレッスンが始まりました。

 ここで平家物語に書かれた藤原師長(もろなが)について勉強しておきたいと思います。勿論、能「玄象」のあらすじは少し異なります。管弦の道に詳しかった師長の人となりを描くため能では唐に渡ろうと志すストーリー展開にしたものです。

(97)藤原師長の遠流

太政大臣・藤原師長(もろなが)は官職を停止されて、東国へ流されました。

 藤原師長は、去る保元の乱の際は、父の悪左大臣・藤原頼長の連座として、兄弟4人で流罪となりました。兄の右大将・藤原兼長、弟の左中将・藤原隆長、藤原範長禅師は、帰洛を待たずして、配所にて亡くなりました。師長一人、土佐(高知県)の西南群、幡多で9年の春秋を送り、長寛2年(1164年)8月に召し返され、本位に復帰しました。翌年に正二位になり、仁安元年(1166年)10月に、前中納言から権大納言に昇進しました。その時は、大納言の欠員がなかったので、定員外に加えられました。大納言が6人になったのは、そのときが初めてといいます。また、前中納言から権大納言に昇進したことも、藤原南家・真作の子で後山階大臣三守公、源高明の孫で俊賢の子の宇治大納言隆国卿の他には、先例がないといいます。
 藤原師長は、管弦の道に通じ、才能技芸に優れ、昇進も順調で、太政大臣まで上った人物です。それなのに、どのような前世の報いでしょうか、再び遠流の身となりました。師長は、保元の乱の際は、南海の土佐に流され、治承の今は、今度は、東国の尾張(愛知県)に流されました。しかし、もとより罪なくして配所で月を眺めるということは、風流に通じた人にはむしろ願ってもないこと。師長は、このたびの遠流を苦にしませんでした。かの唐の賓客・白楽天は、しん陽江のほとりに流され、日々を楽しみましたが、その故事を思い出して、師長は、愛知群鳴海の鳴海潟を遠くに眺めつつ、おぼろ月を見上げ、海風に吟じ、琵琶を奏で、和歌を詠み、なお、ゆうゆうと月日を送りました。あるとき、師長は、尾張の国の第三の宮・熱田明神に参詣しました。その夜、読経や音楽を奏して神を慰める「神明法楽」のために、琵琶を奏で、歌を詠みました。そこはもともと田舎なので、風流情緒を理解する者はいません。里の老人、村の女、漁師、牧師など、頭を垂れて耳を澄ましていますが、音の高低や、旋律の変化を理解する者はいませんでした。しかし、中国の故事で、胡巴(こは)が琴を弾くと魚が飛び上がって躍動し、虞公が歌を歌うと、梁塵が動いたといいます。何物かが妙を極めた際は、自然に感動がわき上がるもの。居並んだ人々は身の毛が立って、満座が不思議な気持ちになりました。やがて深夜に及ぶと、琵琶の調子の名前「風香調」のうちに、花のふんふんたる香りが漂い、琵琶の秘曲「流泉」が奏でられると、月が「流泉」の泉と清明の光を争いました。和漢朗詠集巻下の中から『願はくは今生世俗文字の業、狂言綺語(正道を逸した妄言)の謬(あやまり)を以て」と朗詠し、秘曲を奏でると、神明が感応し、神殿が大いに揺れました。師長は、「平家の悪行が無かったら、今、この瑞相(ずいしょう)をどうして拝むことができただろうか」と、感動の涙を流しました。

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