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娘と公園で遊んでいたら不審者と勘違いされ通報された―― 声優・落合福嗣さんの体験談に大反響

6/13(木) 16:55配信
ねとらぼ
 声優の落合福嗣さんの体験談が、Twitterで話題を呼んでいます。長女と公園で遊んでいたら、他の母親たちに不審者と間違われて通報され、警察官から職務質問を受けたというのです。

落合福嗣さんとは

 きっかけはライブドアニュースで配信されたキャリコネニュースの記事。「公園のベンチに座っていた男性が、『普段は見ない人だから』と不審者扱いされた」といった内容でした。これにちなんで、落合さんは自身の体験を明かしたわけです。

 落合さんは職質を受けた際、「(女の子が)あなたのお子さんと証明できるものはありますか」と聞かれましたが、保険証などは妻が持っていたため、すぐに対応できずあわてることに。どうにかスマートフォンに入っていた写真を見せて、警察官に説明できたそうです。

 この一件は大きな反響を呼びました。「実の親子が一緒に遊んでいるだけで通報されるのか」などと通報した女性が批判される一方、「母親の立場からすれば、見慣れぬ男の存在に“万が一の事態”を懸念するのも仕方ないのでは」といった声もあり、意見は賛否分かれています。こうした反応を受けて、落合さんは詳しい経緯をつづりました。

 当時3歳だった娘さんにせがまれて、落合さんが普段は行かない公園に連れていったときのこと。一緒に遊具で遊んでいる最中、5人のお母さんたちが公園に現れたので、軽く会釈を交わしたそうです。

 すると警察官が現れて女性たちと話したのち、落合さんに「何かお子さんと証明できるものはありますか?」と質問。「娘が『パパ』と呼んでいるのは証明になりますか?」と返答したところ、「子どもの言うことなので」と、納得してもらえなかったそうです。

 それもそうかと承知した落合さんは運転免許証を出し、娘さんの保険証は妻が持っていると伝えたうえで、子どもとのツーショット写真や家族写真をいくつか提示。警察官は納得のうえ、女性たちに説明して去っていったといいます。

 その後警戒心が解けたのか、女性の一部が寄ってきて、落合さんの仕事や娘さんの幼稚園などについて聞いてきました。そこから、互いの子どもが違う幼稚園に通っていると判明。彼女たちが見慣れぬ親子に驚くのも無理はないと、落合さんは納得したそうです。

 通報について謝罪はなく、女性たちは「気をつけてくださいね」と笑顔で去っていったといいます。後日、その公園に夫婦そろって娘さんと3人で行ったところ、娘さんは妻と遊ばずに落合さんにべったりで、理由を聞くと「パパが連れてかれちゃうから」と半泣き。その公園には現在まで一度も行っていないそうです。

 理不尽な仕打ちを受けたように思える話ではありますが、落合さん夫婦は「平日で他の子どもたちがいないような時間に、身長185センチのでかいおじさんが公園にいたら、そりゃ怪しいよな」と、笑い話で済ませたそうです。

 そして、「お母さんたちやおまわりさんに対して負の感情はまったくない。ただただ、通報せざるを得ない世の中に悲しさを感じる」とコメント。親子連れで公園などに行くときは、子どもの保険証や写真を持っていると安心だと語りました。なお、現在5歳になった娘さんは、家族で公園に行くと、ほかの大人たちに「あれ私たちのパパ!」と言ってくれるそうです。
ねとらぼ
最終更新:6/13(木) 20:09
ねとらぼ

東京都美術館 漫画家・峰なゆか氏が受けた館内トラブルの対応について謝罪「現在、事実関係を確認」

6/16(日) 21:55配信
スポニチアネックス
 東京都美術館が16日、公式ツイッターを更新。SNSなどで拡散している館内トラブルについて謝罪した。

 「アラサーちゃん」で知られる漫画家の峰なゆか氏(34)が15日夜、自身のツイッターで、同美術館で展覧会を鑑賞中に「車椅子に乗った男に殴られた」被害に遭ったことを告白。峰氏は「今日は東京都美術館のクリムト展に行って絵を見てたら、急に車椅子に乗った男に殴られた。びっくりしすぎて固まってたら、さらに無言で2、3発殴られた。美術館の人に伝えると『常連のお客様で頻繁にトラブルを起こす方なんですけど、こちらでできることは口頭注意くらいです』とのこと」と説明し、さらに「追いかけて殴り返そうとしたけど『峰なゆか障害者男性に暴行』という見出しがよぎってやめた。何もできないわ痛いわ惨めだわで泣けてきて、とにかく私が泣きまくるので最終的に私が救護室に連れていかれて終了しました」とつづった。

 この書き込みに対して2万以上の「いいね」とリツイートがなされ、都美術館に質問などが殺到。美術館側はこの日「東京都美術館にいつも御来場、御支援いただき、ありがとうございます。昨日御来館いただいたお客様に、館内トラブル時の美術館の対応により、ご不快な思いをさせてしまいました。また、このことについて多くの方からお問い合わせをいただくなど御心配をおかけしております。誠に申し訳ございません」と謝罪した上で「現在、事実関係を確認しており、明日以降、できるだけ早く当館の対応につきまして当館ホームページ等でご説明させていただきます」と説明した。
最終更新:6/16(日) 22:34
スポニチアネックス

都内の33歳男の逮捕状請求へ 警官襲撃

6/16(日) 23:12配信
産経新聞
 16日午前5時40分ごろ、大阪府吹田市千里山霧が丘の千里山交番前で、この交番に勤務する府警吹田署地域課の古瀬鈴之佑(こせ・すずのすけ)巡査(26)が包丁で複数箇所を刺された。古瀬巡査は意識不明の重体となり、実弾5発入りの回転式拳銃が奪われた。府警は強盗殺人未遂事件として吹田署に捜査本部を設置。捜査関係者によると、東京都内に住む男(33)が関与した疑いが強まったとして逮捕状を請求する方針を固め、行方を追っている。

【写真でみる】大阪府警が公開した不審な男の画像

 府警によると、事件前の午前4時13分〜同5時1分、交番の周囲を歩き回る不審な男が8回、交番の防犯カメラに写っており、府警は画像を公開。捜査関係者によると、同日午後、大阪市内の警察署に「防犯カメラの男に息子が似ている」と届け出があった。息子とみられる男は東京都品川区在住の33歳で、14日から、現場の交番から約2キロ離れた同市内のホテルに宿泊していたという。

 この男の勤務先の関係者によると、男は昨年11月から勤務していたが、今月11日から体調不良を理由に休んでいた。15日には「体調が良くなってきているので25日くらいから復帰しようと思う」と連絡があった。

 府警によると、古瀬巡査は防刃(ぼうじん)チョッキを着ていたが、左胸に包丁が刺さった状態で見つかった。複数の傷があり、傷は肺を貫通し心臓まで達していた。拳銃をつなぐひもの留め金具が外されていた。

 大阪市内では28、29日に20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)が開かれる予定で、多数の警察官が警戒を強めている最中だった。

 千里山交番は阪急千里線千里山駅前にあり、当時は警察官3人が勤務。16日午前5時28分、隣の関大前駅ホームにある公衆電話から空き巣被害があったと110番通報があり、上司2人が先に出動後、古瀬巡査が1人で出ようとしたところを襲われたとみられる。空き巣被害は確認されず、府警は虚偽通報とみている。

 防犯カメラの男は身長170〜180センチ。黒っぽい上着にキャップ帽、メガネ姿だった。同日午前9時すぎには、現場近くのイオン北千里店で右手に血の付いた男が衣服などを購入しており、関連を調べている。吹田市の隣にある大阪府豊中市の北大阪急行電鉄緑地公園駅近くのカメラにも似た男が写っていた。
最終更新:6/17(月) 0:59
産経新聞

なぜ秋篠宮紀子さまは国民に嫌われるのか

6/11(火) 9:15配信
プレジデントオンライン
■「いい加減なことを書くな」と怒ることもできない

 秋篠宮紀子さんは腹を立てているに違いない。

 令和の時代になって、以前よりさらに紀子さんへのメディア、特に週刊誌のバッシングは激しくなっている。

 しかし、紀子さんにはなぜ私がこれほどまでに、いわれのない噂や臆測でたたかれなくてはいけないのか、理解できないだろう。

 特に、娘の眞子さんや佳子さんと一緒に、公式行事やイベントに参加した時などは、「眞子さんとは一言も口をきかなかった」「佳子さんは紀子さんに『うるさい』といった」などと、紀子さんの一挙手一投足を報じられ、宮内庁関係者や秋篠宮家の事情通なる人間が、実はこれこれだと意味深な解説をする。

 私だったら「いい加減なことを書くんじゃないよ」と編集部に怒鳴り込むのだが、尊いお方にはそれができない。どんなにつらくても、好奇の目にさらされようとも、国民には「ごきげんよう」とにこやかにほほ笑み返しをするしかない。

■なぜ「3LDKのプリンセス」は批判されるようになったのか

 公務は多忙を極め、このところ気弱になっている夫も気遣わなくてはいけない。2人の娘たちは恋にダンスに余念がなく、母親の悩みなど聞く耳をもたない。

 まさに「紀子はつらいよ」と愚痴の一つもこぼしたい気分だろうが、そうすればまた、秋篠宮家関係者に何をいわれるかしれない。

 「3LDKのプリンセス」と歓迎され、気品の高い挙措ややさしい言葉遣いに、国民は魅了されたのに、なぜ、紀子さん批判が噴出するようになったのだろう。

 しばらく前までメディアは、皇太子妃だった雅子さんより、紀子さんを褒めそやしていたではないか。

 子供、それも男の子を産むことを“強いられた”雅子さんは、ストレスから心身のバランスを崩して適応障害になり、公務もままならない日々が続いていた。

 気晴らしに実家の両親に会って食事をすれば、公務をさぼっているのにおかしいといわれ、娘・愛子さんの送り迎えや、合宿についていけば、私ばかりを優先して公を軽んじているといわれた。

■「男子の誕生」でこれ以上ない幸福感に包まれていた

 それに比べ、紀子さんは美智子皇后の立ち居振る舞いを見習い、公務をこなし、夫に尽くして娘2人を育ててきた。そして、2006年9月6日には男の子を産んだのである。

 皇室では秋篠宮文仁親王以来、約40年9カ月ぶりの男子の誕生であった。

 皇太子夫妻には男の子がいない。このままでは男系天皇がいなくなってしまう。小泉純一郎首相(当時)が皇室典範を改正して女性天皇を認める方向へ舵を切ろうとしていた矢先だった。

 まさに明と暗。紀子さんと秋篠宮家が、これ以上ない幸福感に包まれていたのは間違いなかったと思う。これが次第に暗転していくのである。

■秋篠宮家は庁内で比類なき「ご難場」として知られる

 まずは週刊誌が、秋篠宮家の職員たちが、紀子さんの厳しいやり方に不満を持っていると報道し始めた。「東宮に比べて、うちは職員の人数も少ないしおカネも少ない」とこぼしているという話も伝わってきた。

 たとえば『週刊新潮』(2019年1月3・10日号)は「秋篠宮家は従来、庁内では比類なき『ご難場(なんば)』として知られてきた。仕事量は言うに及ばず、宮邸を切り盛りされる紀子妃の要求なさる作業のレベルが、圧倒的に高いのである」と報じている。

 病身の皇太子妃とは違う厳しさを秘めた紀子妃は、週刊誌の好餌になった。

 2017年、秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんの婚約が発表される。2人は晴れやかに会見を開くが、その後、圭さんの母親の金銭スキャンダルが明るみに出たあたりから、秋篠宮家にアゲンストの風が吹き始めるのである。

 その逆風は、日増しに強さを増していった。最初の火の手は学習院から上がる。眞子さんを学習院に入れておけば、あんな身元が不確かな男が寄り付くことはなかった、学習院を軽視した秋篠宮家の教育方針に問題あり、というのだ。

 しかし、秋篠宮夫妻はそんな声には耳を貸さず、長男も学習院ではなくお茶の水女子大学附属幼稚園に入園させ、小学・中学も同校に進学させるのである。

■秋篠宮家は優柔不断ではないかという声が湧いてきた

 そして、眞子さんの結婚問題が暗礁に乗り上げ、次女・佳子さんの自由奔放な言動が話題になる中、天皇が「生前退位」を決断する。

 御代替わりを迎えれば、秋篠宮は皇位継承順のトップである「皇嗣(こうし)」になり、息子の悠仁さんが2位になる。

 万が一、雅子妃が皇后になっても公務を十全に行えなければ批判が巻き起こり、皇太子が退位して、紀子さんが皇后になる日が来るかもしれない。失礼な話だが、週刊誌は「こうした事態を想定なさるにつけ、紀子妃のお気持ちがいや応なく高ぶるのは必定」などと書きたてた。

 また眞子さんの結婚問題は、圭さんが弁護士資格を取得するためにニューヨークへ“逃亡”したこともあって、結論が出せないままいたずらに日数を重ねている。秋篠宮家は優柔不断ではないかという声がメディアから澎湃(ほうはい)と湧いてくる。

■「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」

 一部の週刊誌は、紀子さんはこの結婚を破談にしたいと思っていると伝えていたが、それに反旗を翻したのは次女の佳子さんであった。

 「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」と、圭さんとの結婚を強く望んでいる眞子さんを援護射撃したのである。

 また、兄・皇太子(当時)は弟・秋篠宮に、「もっと大きな志を持ってほしい」「(新天皇になる)自分の思いを理解してほしい」という思いを近しい知人に明かしていたとも報じられた。

 さらに秋篠宮が、「私は天皇になる気はない」とも取れるような発言をしたことで、軽率だ、兄の御代替わりに水を差すのか、といった声も上がったのである。

 「雅子さまが皇后となられる日が決まって、妃殿下は内心面白くないのだろう」と、宮廷職員の間ではささやかれているとも報じられる。

 その上あろうことか、平成が終わろうという4月26日、悠仁さんが通っているお茶の水女子大学附属中学校(東京・文京区)で、彼の机に刃物が置かれているのが見つかったのである。

■トランプ大統領との宮中晩餐会から生じた劇的な変化

 幸い、令和になる前に犯人が逮捕されたが、またぞろ学習院側から批判が噴出した。

 また、長男である悠仁さんが親しい友人を持たず職員と遊んでいると報じられ、帝王教育がおろそかになっているという批判も根強い。まさに秋篠宮家は四面楚歌のようである。

 令和になり、皇太子は第126代天皇に、雅子さんは皇后に即位され、ここから劇的な変化が生じたのである。

 体調が不安視されていた雅子さんが別人のように溌剌とした姿で公務をこなし、トランプ大統領を迎えた宮中晩餐会では、元外交官として活躍していた往時を思い起こさせるユーモアや語学力で、みごとに大役をこなしたのである。

 米紙ニューヨーク・タイムズをはじめとする海外の新聞は、「トランプ氏と会話する雅子皇后は、彼女が外交能力を活かしてソフトパワーを促進するのを助けた。彼女は厳しい家父長制の皇室で、新しい女性のあり方を確立することになるかもしれない」と絶賛したのである。

 日本の女性誌も、「ピンヒールの雅子さまが日本の国母へ」「皇后・雅子さまが新時代の皇室を世界に知らしめた」と、これまでの報じ方から一変した。

 明暗が逆転したのだ。

■「私はもう駄目かもしれない……」とこぼした

 「皇嗣家になって職員の数も増えたのに、相変わらず彼らへの“ご指導”は苛烈を極めているという」(『週刊新潮』5/23号の「『雅子皇后』と『紀子妃』の冷戦」から)

 また、テレビのワイドショーで、小室圭の代理人の弁護士が、「本人は弁護士になるとはいっていない」「彼はいまライフプランを作っている」などと発言した上、「(圭さんは)眞子さんとの結婚は諦めていない」というニュアンスのコメントがあったことを知らされて、紀子さんは「まさしく怒髪天を衝くようなご様子でした」(秋篠宮家の事情に通じる関係者)という。

 眞子さんの結婚問題、佳子さんの母親への反発、悠仁さんの帝王教育のあり方などが重なって、紀子さんの心は欝々として晴れないというのである。

 『週刊文春』(6/6号)は、「秋篠宮家研究」という連載を始めた。第1回で文春は、昨年の夏に、紀子妃が、ある秋篠宮家関係者に苦悶の表情を浮かべて、「私はもう駄目かもしれない……」といったというのだ。

■女官という役職を廃止して、「皇嗣職宮務官」に統一

 その時期は、圭さんが突然、ニューヨークのフォーダム大に留学することが報じられた時期と重なる。だがそれだけではないそうだ。紀子さんは「適応障害」と診断された雅子さんに代わって、美智子皇后を手本に、公務に励んできた。

 だが、美智子皇后は、全国赤十字の名誉総裁を雅子さんに引き継いだ。男の子をもうけ、妃として順風満帆だった彼女が味わった初めての「失意」から、紀子さんは「もうこれ以上、公務はできません」と嘆いたという。

 秋篠宮家が皇嗣家になってから職員も24人から51人に増員された。そこで紀子妃は、侍従、女官という役職を廃止して、「皇嗣職宮務官」に統一したそうである。その背景には、侍従、女官という四六時中身の回りの世話をする「オク」の役職をなくして全員「オモテ」にすることで、「自分たちのプライベート空間を守り、プライバシーを保つための措置」(秋篠宮家OB)だというのである。

 秋篠宮家関係者、事情通などと称して匿名のまま、秋篠宮家のプライバシーを吹聴することを止めさせるための布石のようである。その気持ち、よくわかる。

■「紀子さん憎けりゃ弟や父親までも」という状態

 『週刊新潮』(6/6号)に至っては、紀子妃の弟である川嶋舟東京農大准教授が、特定の団体の“広告塔”のような役割を担わされていると報じた。

 さらに新潮は、父親の川嶋辰彦学習院大名誉教授(79)の交友関係も、宮内庁が心配していると報じている。その人物とは、山梨県出身で、家業のパチンコ店を継ぎ、上越市で遊技業「三井企画」を営む三井慶昭社長(75)だという。

 ここの古参役員に山歩きが好きな人間がいて、同好の士である川嶋名誉教授と20年以上前に知り合い、現在では三井社長と家族ぐるみの付き合いだそうだ。4月にも、2人は花見のため韓国を訪れていたという。

 『新潮』によれば、三井社長には2003年、自民党の坂井隆憲代議士に政治資金規正法違反が発覚した際、東京地検特捜部から家宅捜索と事情聴取を受けている(最終的に逮捕はされていない)。

 また、「在日本大韓民国民団新潟県支部」の役員と口論になり、その役員を蹴ってケガを負わせたとして被害届が出されたという(本人は事実無根だといっている)。

 記事では宮内庁関係者に、「お立場上、特定の団体や個人とあまり親密な交遊をなされるのは、決して好ましいとは言えません」と語らせている。

 「紀子さん憎けりゃ弟や父親までも」ということなのだろうか。

■既存の対立構図は「雅子皇后誕生」でガラガラと崩れた

 メディア、特に週刊誌は物事を善と悪に単純化して報道するのが常道である。雅子さんが公務をこなせない時は、その分も引き受けて、公務に、子育てに、秋篠宮家を切り盛りしてきた紀子さんにスポットライトを当ててきた。

 「美智子さん&紀子さんvs.雅子さん」という構図をつくり上げ、あることないことを報じてきたのである。

 その構図は、雅子皇后誕生でガラガラと崩れてしまった。国民の中には愛子天皇を期待する声も大きくなってきている。

 すると週刊誌は恥も外聞もあっという間にかなぐり捨てる。雅子皇后の時代が来た、やはり元外交官でバリバリやっていた女性は違うと、手のひら返しをしたのである。

 紀子さんの胸中いかばかりであろう。美智子皇后を手本として公務も雅子さんの分までやってきた。娘2人と長男を育て、たまには夫婦げんかもしたが、大きな波風も立てずに一生懸命やってきた。それなのになぜ?  そう思うのは当然であろう。

■必要なのは人間としての弱さを見せることではないか

 『女性自身』(6/18号)によれば、紀子さんはこれから眞子さんと2人きりの公務を増やしていきながら、冷え切った親子関係を修復し、公務に取り組む中で「小室さんの自分勝手な姿勢にきっと違和感を抱き“覚醒”してくれるはず――。紀子さまはそういった希望を胸に、眞子さまに連日の嘆願を続けていらっしゃるのでしょう」(皇室担当記者)。

 だが、娘の圭さんを思う気持ちが強いことは、母親である紀子さんが一番分かっているはずである。公と私を秤にかければ、皇室は公が重たい世界かもしれないが、娘にとってどちらが幸せかをいま一度考えてあげてほしい。

 紀子さんはきっと芯の強い女性なのだろう。だが、今、紀子さんに必要なのは人間としての弱さを見せることではないか。娘たちのこと、長男の教育のこと、夫・秋篠宮のことなどで悩んでいる姿を国民に知ってもらうことで、再び共感を得られ、この「ご難場」を切り抜けられると、私は思うのだが。

 (文中一部敬称略)

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)などがある。
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ジャーナリスト 元木 昌彦 写真=時事通信フォト
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最終更新:6/13(木) 17:05
プレジデントオンライン

1500万円の貯金が半年で50万円に・・・倒産寸前に陥った薬局が介護者の拠り所に変わるまで

6/16(日) 18:00配信
FNN.jpプライムオンライン
新装開店の薬局が半年で倒産寸前に陥ったわかりやすい理由
薬剤師の渡邊輝さん(40)の両親は浅草でラーメン店を経営している。子供のころから間近で見ていた親は、肉体労働に疲れ、病気がちだった。だから、何かあったら、自分が助けるしかない。そのために薬剤師か医者になりたい。渡邊さんは中学生の頃の、そうした純粋な思いを胸に、社会に旅立ち、薬剤師の資格を得て順天堂大学に勤務するようになった。

【画像】最も売れなかった薬局が白熱する「カフェ」に

しかし、いざ勤務してみると、患者との付き合いは患者の病気が治ったら終わり。あとはひたすら調剤する日々。薬剤師として、もっと患者を深く知り、向き合っていきたい。その思いは月日を追うごとに強くなり、迎えた2008年。東京・中野に警察病院が移転すると知り、これは、薬局を設立し長く患者と向き合うチャンス、と捉え、貯金1500万円を元手に警察病院前に「なごみ薬局」を設立した。

7軒並ぶ薬局のいちばん端に位置した「なごみ薬局」。患者を外で待たせるわけにはいかない、と、店先にたくさん椅子を並べた。

しかし、患者はまったく来なかった。

患者は、警察病院を出てすぐ目の前の薬局に次々と吸い込まれていき、いちばん出口から遠い自分の薬局にまでたどり着かなかったのだ。

1500万円あったキャッシュは半年で50万円に。倒産寸前に陥った。

しかし、この薬局が、やがて介護に携わるひとたちのよりどこになるのだから、物語はわからない。

薬の届け先 80代の女性が家の中にいるはずなのに・・・

彼の経験則によれば、50回に1回くらい、薬の服用方法など処方箋の内容が適切でないと感じることがあるという。だから、少しでもおかしいと思えば、直接医者に問い合わせ、さらに、患者の症状から別の新しい薬を医者に提案した。

やがて、医者の間で「なごみ薬局」は評判になり、患者たちにも口コミで広まり、商店街に広まり、ちかくの老人ホームに広がり、どうにか軌道にのることができた。薬局の設立から3年が経っていた。

「介護は患者の未来をつくること」

そう信じて、患者に寄り添う薬局を運営。その後、より地域に密着する薬局を目指し、薬を自宅に届けるサービスも始めた。

この訪問サービスでのある日の出来事が、彼の考えを大きく変えることになる。

いつも訪れる80代の女性宅。インターホンをならしても反応がない。事前に約束をしていたのにもかかわらず、中から物音すらしない。窓から中をのぞいてみると、女性が倒れているのが見えた。ドアノブに手をかけると、カギがかかっていなかったため、急ぎ家の奥に入ると女性は尿にまみれた状態で倒れていたのだった。119番して、女性は病院に搬送された。肺気腫による呼吸困難の症状があった彼女は、彼のとっさの対応のおかげで一命をとりとめた。

しかし、このとき渡邊さんは、薬を届けたり、薬局を経営しているだけでは「このばあちゃんは幸せにならない」と、無力感に襲われた。

さらに急遽、この場にソーシャルワーカーとともに駆けつけてくれた女性看護師が追い打ちをかけた。
本来吸うべき薬を飲ませたり、冷蔵庫で保管すべき薬を外に出しっぱなしにしたりと、薬の扱いが間違いだらけだったのだ。

「介護は、関わっているひとをトータルでケアしないと、全員が笑顔にならない」と強く感じたのだった。しかし、どうしたら、全員をケアできるのだろうか。

20人の枠に100人が応募する「薬局カフェ」に

「未来をつくる」という大きなテーマで、介護に携わる関係者が集う「介護カフェ」の存在を知ったのはちょうどその頃だった。自身も参加してみると、正解のない介護の世界において、それぞれが実体験に基づく意見を交わしていた。

介護は「孤独な仕事」といわれている。向き合うべき患者は十人十色で、対処方法にきまったパターンがあるわけではない。しかし、それを相談したり、時に愚痴を言ったり、改善策のヒントを得たりなど、たとえば会社勤めのサラリーマンが同僚や部下、上司といった“仲間”とするような交流のようなものが、なかなかない。そして、人間関係に悩み、離職してしまうケースが多い。

しかし、このカフェは、ありそうでなかった、そういう交流の場を提供していた。そして、それぞれがそこからヒントを得て現場の仕事につなげていた。これならば、自分にもできるのではないか、と、この「介護カフェ」でカフェ運営のノウハウを教えてもらい、薬局をカフェにしてみることにしたのだ。

毎月月末、薬局を「介護カフェ」にして、そのときのテーマに沿う講師に来てもらい、参加者たちと話しあう。「1年は頑張ろう」と思い開催してみると、20人の参加者枠に応募が100人以上。それだけ、このような場を必要としている悩みを抱えた介護者たちがいるということだった。

特に「緩和ケア」をテーマにしたときは白熱した。答えが見つけにくい問題こそ、その場が提供されている意味があった。

同僚との人間関係に悩みうつ病を発症し、介護の現場から離れていた30代の看護師の女性が「カフェを通じて自分を見つめ直すことができた。もう一度、現場に戻ろうとおもった」と声をかけてくれたとき、この活動は社会にとってよかったのだと、心から思えたそうだ。

実体験に勝る情報はない。介護に関わる本も出版されているが、出版までに時間がかかるし、インターネットでは検索しても出てこない情報がある。人の生き死に関わる思いや考えともなるとなおさらだ。

こうして「なごみ薬局」は地域密着をすすめながら、かつ、月に一度、介護の最前線で働くひとたちが集う場へと変化したのだった。倒産寸前の事態から10年が経っていた。

保険外サービスで生活の質の向上を

介護カフェは自分自身を見つめ直す場にもなった。自分にないものや悪いものを、おなじ現場で働く人たちの考えを通じて、自覚することができた。

そして、そこから得たさまざまな情報、ヒントから、彼はいま「患者の未来」をつくるために「おでかけ介護サービス」をスタートし、力を入れている。介護を必要とする人が買い物や散歩など「おでかけ」をしたいとき、その付き添いは保険外になる。しかし、その保険外のサービスこそが、患者の生活の質を上げていくことにつながるのではないか、と感じたからだ。1時間3500円。大手の同じサービスより低価格を目指した。

これに力を入れるため、カフェは1年やりきって、ひとまずいま休みにしている。

答えのない「介護」の世界において、「こうしたらいい」という特効薬は、そうない。派手な解決策があるわけでもない。地道にひとつひとつ、対処していくしかない。しかし、ひとりでは悩みを抱え込み「たこつぼ化」してしまうという。彼は、このカフェを通じてひとつの答えを見いだしたし、実際に救われた参加者もいたのだ。

彼は介護カフェを通じて得たおもいをこう語る。
「誰かが一歩を踏み出さなければ、不幸な現実は1ミリも変わらない。しかし、やれば誰かしらちゃんと助けてくれる。行動すれば、社会が味方になってくれる」

渡邊さんが出会った本家本元の「介護カフェ」(ケアマネージャー・高瀬比佐子代表)はもちろん、いまも月に一度のペースで続いている。そしてその参加者が、地元で「カフェ」を開催するなど、動きは広がりをみせている。

もし介護の現場で悩むことがあれば、ひとりで悩まず、一度参加してみてはいかがだろうか。事態は1ミリずつかもしれないが、着実に前に動いていくことを彼が証明している。

ちなみに彼はアントニオ猪木のファンである。好きな言葉は「元気があればなんでもできる。一歩踏み出せば道になる」

思いはすこし猪木さんに感化された感はあるが…彼はいまも、一歩ずつ着実に前にむかって歩みを進めている。

(執筆:フジテレビ プライムオンラインデスク 森下知哉)

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最終更新:6/16(日) 18:49
FNN.jpプライムオンライン

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