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3連休を利用して、行って来ました信州 上田城!!! でも、行ったのは奥さんだけなんです。。。 (僕は家でお留守番でした。。。) 実は先月にやっと真田太平記を読み終わり、プチ真田ブーム中だったのに。。。 『別所温泉に行く。』と言っていた時点で気づくべきでした。。。 真田太平記には別所の湯の場面が多々出てきます。 『別所温泉 = 別所の湯』だったんですね。 当日の上田城からの電話で初めて気づきました。。。 そんな僕を気使い、奥さんはお土産で、 真田六文銭のストラップ、真田十勇士の手ぬぐい等を買ってきてくれました。 (写メで銅像を送ってくれたのですが、誰だか分からないそうです。。。意味無いじゃん!!) ちなみに今、行ってみたいお城は 1.熊本城 2.大阪城 3.上田城 です。 今年中にどこか1箇所でも行ってみたいなぁと思っています。
(さすがに上田城は一緒に行ってくれないだろうなぁ。。。) |
歴史ネタ
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本日、9月15日は関ヶ原の戦いが行われた日ですね。 (記事を掲載するときには16日になっていると思いますが。。。) せっかくの日なので、コメントを残しておきます。 関ヶ原の戦いといえば、今で言う岐阜県の関ヶ原で行われた徳川家康(東軍)と 石田三成(西軍)の天下分け目の戦いですね。 戦いの当初は西軍有利で進みましたが、西軍の小早川秀秋の裏切りにより、 東軍の勝利に終わっています。 個人的に、石田三成という武将は嫌いではないんですが、 彼を総大将にせざる終えなかった西軍の層の薄さに問題がありました。 これも徳川家康の調略うまさだと思いますが、 加藤清正、福島正則、黒田長政など、秀吉が育てた武将が結束し、家康と戦えば、 歴史は変わったかもしれませんね。 さらに西軍にとって1番の損失は、秀吉の異父弟の秀長が秀吉よりも先に亡くなって しまったことだと思ってます。 少なくとも、秀頼が大人になるまで生き残っていれば、豊臣の天下になったと 思うんだけどなぁ。。。 (秀吉晩年の暴走も無かったと思いますし。。。) 個人的に、戦国時代の武将の中で豊臣秀長は1、2を争うほどの武将だと 思えるほど、思い入れが強いんです。。。 彼についてはあまり記録が残っていないのが残念ですが、そこがまた彼の魅力の1つですね。
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先日、あるサイトを拝見していたら、徳川埋蔵金について記載されていました。 そのサイトには、徳川埋蔵金の在り処について詳細に記載されており、 この目印から、この方向に埋まっていると具体的な目印についても記載されていました。 自分は過去にこの場所を訪れた事があり、目印と言われている物についても、 見覚えがあったので、大体の場所が特定出来ました。 そこで、徳川埋蔵金を掘る事は出来ないにしても、埋蔵されている場所ぐらいは 見てみたいという好奇心から、奥さんに相談してみました。 自分:『ねぇ、明日なんだけど●●に行ってみない?』 奥さん:『えっ!ちょっと前に行ったじゃん。』 自分:『そこに、徳川埋蔵金が埋まってるらしいよ。具体的な場所についても大体分かったから、 見つける事が出来たら、大金持ちになれるよ。』 奥さん:『徳川埋蔵金って、どのくらいの価値があるの?』 自分:『今の価値にしたら、何千万、何億の価値があるんじゃないかな。。。』 奥さん:『それって見つけたら、何割かもらえるの。』 自分:『それについて調べてみたけど、埋蔵されている場所が国の持ち物になってるらしいから、 没収されちゃうみたい。。。』 奥さん:『え〜、それじゃあ、見つけても意味ないじゃん!』 自分:『意味はないけど、埋蔵されている場所を見たくない?』 奥さん:『意味ないなら、遠いからヤダ!』 前述のサイトには埋蔵金の中身についても記載されていました。 と言うのも、中身については既に日本政府が承知しており、中身を公表してしまうと、 日本や世界の歴史に影響を与えてしまう為、公表を控えているそうです。。。 う〜ん。。。 今更、歴史に影響を与える物が埋まっているとは思えないけどなぁ。。。 影響を与えるとしたら、UFOか宇宙人の死体ぐらいしか思いつかん。。。 まぁ、時空警察の忘れ物でない事は確かでしょう。。。w 皆さんは何が埋蔵されていると思いますか? 最後に、今回のブログには具体的な場所や目印については明言していません。 これは、先に徳川埋蔵金を見つけられるのを恐れている訳ではなく、w 今後のネタになりそうなので、敢えて伏せさせて頂きました。 (興味のある方はネットで検索して見て下さい。すぐに分かると思いますよv) 徳川埋蔵金については、かごめかごめ、松尾芭蕉 = 服部半蔵説、
南公坊天海 = 明智光秀説など、ネタには事欠きませんからね。。。w |
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