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今日は弟妹や其の家族と一緒に実家の御墓参りに行ってきましたが、
夫のお墓を作ったときのことが思い出されてしまいました。
夫が亡くなった後、夫の出身地宮崎ではお墓が遠すぎると思って
長男が東京に住んでいますので、多摩霊園がゆったりとしていいと思い
二度申し込みましたが、はずれました。
それではもっと近い所にと思って、あちこち探しました。
息子たちの車に乗せて行って貰ったり、私一人でも、暇さえあれば
探しに行ったのです。
それこそ夫は引き揚げ者で、私は戦災者で、本当にお互い何一つない
貧乏暮らしの中で、始めから夫の弟を養ったり、6人もいる兄弟が次々
出てきたり、父や母も毎年何回か上京してきていたので、費用が大変でした。
夏にはみんなで一週間か10日は滞在しているので、母が一万円くれましたが、
朝から晩まで飲んだり食べたりして足りるはずもなく、夏のボーナスは
パーになりました。それ以外でも次から次へと出てくるので、やっと
少し余裕ができたかと思うと、また、お金がいることが出てくるので、
うちの子供たちは遊園地へも連れて行った事はありませんでした。
ですから、これでは、家も建てられないと思って二人でいろいろ働きました。
夫は翻訳をし、私はそれをタイプして仕上げました。ご近所の子供さん
に勉強を教えたこともありました。何時も何とかしなくては私たちの
老後はないという思いで一杯でした。
それで私が一台七役の家事机を考案し、労働大臣賞をいただいて売り
出したのですが、それはまた、いつか書きましょう。
そんな風に力をあわせて働いてきたので、何とか御墓だけは私なりに
納得のいくものにしたかったのです。お墓は作った人がどんな生き方
をしたかの象徴だと思っていました。
或る日のことです。 舞坂という地下鉄の駅から歩いて7,8分の
小高い丘の上の霊園を一人で見に行きました。
其の頃の私は真っ黒い服を着て、何もアクセサリーもつけず、勿論
ブランド物のハンドバッグも持ってはいませんでした。〔(それは
毎度のことですが(笑い)〕一人でとぼとぼと婆さんが歩いていく
様子はどう見ても大きなお墓なんて買って呉そうには見えなかった
のでしょう。お墓の中に立っている小屋を覗いて、
"お墓のパンフレトをくださいませんか?”と言ったのですが、
係りの男の人が、言を左右にして一枚もくれませんでした。
"それでは、○○さんと言う会社の方はいらっしゃいますか?"
と言ったのですが、
"5日前に止めました”と言う返事で、其処は小さいお墓ばかりでしたし
急斜面に作られているので、地震のときには墓石が倒れるだろうし、
お骨もどうなってしまうか分からないと思って、全く買う気はあり
ませんでしたが、息子たちと話をするときの資料の一つにしようと
思って言ってみただけだったので戻ってきかけたら、5日前に止めた
と言った会社の人にあったのです。勿論パンフレットは直ぐ出てき
ました。私はちょっとおかしいと思って、また、其の小屋へ戻って
行きましたら、先ほどの係員が向こうから声を掛けてきたのです。
"此処は5社の人が来ているから、パンフレットを渡してしまうと、
次の人の番になるので、大きい御墓を買ってくれそうな人にしか
パンフレットはわたせない”とのたまいました。それから、
"センター霊園と言う安くていいお墓があるよ。”と付け加えたのです。
それはどこですかと念のため聞いてみましたら、
"二俣川からタクシーで10分ぐらいのところだよ。”と言ったので、
私は家に帰って、すぐネットで調べてみましたら、それはなんと
動物専用の霊園だったのです。
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