80ばあちゃん

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1995年午前5時46分、阪神淡路大震災が起きました。

私は、その頃はもう横浜に戻ってきていましたが夫は北京駐在で

家に居たのは、私一人でした。すでに目が覚めていたので、揺れ

出したはじめからはっきりと覚えています。横浜でも相当揺れま

したので、すぐ起きて、テレビをつけました。震源地は何処なの

か、被害を受けられている方を知りたいと言うことのほかに、

私には気になっているとても大事なことがありました。

それは私の考案した家具の耐震性でした。家事机を考案した時から、

私は地震が起きた時にどうしたら家具が倒れないですむかを考えて

いました。

其処には本当にいろいろの問題がありました。家々の天井までの高さが

本当にまちまちであることと、一見、きれいに仕上がっている天井の壁、

それが、びっくりするほど、いい加減に作られていたのです。

高額をとる建築会社でそれでした。

何箇所も天井高を計ると、ところどころ何センチか飛び出しているのです。

私達は当然天井の壁は平らににきれいに作られていると思い込んでいます

から、いくらみても綺麗で平らに出来ているように見えるのですが、それ

を計測してみると本当に綺麗に作られていないことが多いのです。また、

床もそうでした。

私は新築のおうちを建てられるときにご注文をいただいて家中の家具を作ら

せて頂くいことが多かったのですが、平らに作られているはずの床が本当は

平らではなく、床にゴルフボールを置くと自然に転がる傾斜がついている

お宅さえありました。

そうなると、家具の扉をきちんと平衡を保ったところで作っていても、現場

へ持っていくと、家具の金具が左右づれているようにしか見えないのです。

ひどい大工さんになると、柱の長さが、1800mの長さであるはずのところ

が反対側は1850mにもなっていましたっけ。

阪神淡路に起こった大震災だとを知ってから、私の家事机をご結婚前に知られて、

わざわざ、私の家迄おいでになって、すっかり気に入ってお嫁入り先の神戸に

お届けさせて頂いていた方があったので、其処へ電話を差し上げましたが、



何度も電話しても、お留守でした。あきらめかけた時に電話がつながりました。


あの日、ご主人様は出張で奥様は私のお届けした家具の前にお布団を敷いて寝て

おられたそうですが、地震の後、家を出て避難所に向かわれたのだとか、あわてて、

帰ってこられたご主人が家の中に入られると、どの部屋も家具が倒れ扉が開き、

中のものが散乱していたので、これはもう奥さんは駄目かと思われて奥様の寝て

おられたお部屋に入ったら、家具の扉は開かず、お部屋はきれいになっていたので

奥様は助かったのだなと安心して、避難所を探されたということで、あの家具のお蔭

で命拾いをしたととても喜んでくださったのです。


私は嬉しくてそのことをその頃作ってもらっていた家具会社の社長に電話したのですが、

社長は全く私が地震対策に行っていたことは何も知らないのに、其処へ電話して、

自分が考えたものが命を救ったと宣伝し、静岡の家具組合で、やり方を講演し、

静岡のテレビにも出たと言うのです。わたしの名前は言わなかったと言うことで、

全部自分がやっても折られないことを自分の手柄にしてしまったのでした。

其処から来たたくさんの注文があったそうですが、東京埼玉横浜の三軒の家の分だ

け置く場所の事など問題があったので、自分達の手に負えず、其処だけはと、わたし

に言ってきたそうなのです。

びっくりしました。私は従業員のSさんに質問しました。社長は何も知らないし、やって

もいないのに、なんて講演したのですかと聞いたところ、何だかゴムをつめたとか何とか

言っていましたと言う返事でした。

れはどう考えても大泥棒の話です。でも、そんなことで訴えている暇はありませんでした。

訴えれば、なんだかんだと時間をとられるのです。

それとは別に、その会社とは家事机を12本作ってお互いに売っていこう。売れるまで

その会社の倉庫で家事机を預かるから半分づつお金を出し合うと言うことで合意して

いたのですが、その会社ではお店がありますので、家事机は大分売れているようでした。

私の方は特注家具ですので、本当に他の関係者がびっくりするほど、絶えずご注文があり

ましたが、家事机は一軒のお宅にに大抵一本で、まれにはお机としても使っていただけ

ましたが、そう売れるものではなかったのですが、其れでも、わたしが気づいていたのは、

家事机の金具が私の方の注文が入るたびに見ると、毎回違ったいたことなのです。

金具は一個づつ択ぶものではないのです。何本か作る度にどんな金具が必要かということで、

まとめて発注するものです。だから、明らかにわたしには言わず作り続けていると思って

いましたが、私は忙しくて、何もいうことができなかったのです。しかも勝手にお裁縫箱の

中身を変えてしまっていたのです。

私はお裁縫箱の用途の引き出しは、中にしきりのない、大きなは鋏などを入れるためのもの

更に細かい針刺しとか指貫とか、様ざまな細かいものを入れてきちんと整理できるようにした、

区切りを取り外し可能にしてつけていました。

その引き出しを開けると、お裁縫に必要名小物が三段に入れられてあり、それを左右にスライド

させるだけで、何でも簡単に取れ、出したところへ入れれば、片付ける手間も要らないように

作っていたのが、そのわたしの工夫を勝手に変えて二段でしかもスライドするようには作られて

いませんでした。

取っ手も子供さんが転んでぶつかったとしても怪我の少ないようにと思って選んでいたのですが、

それも安っぽいものにかえられていました。


最後に、夫がそろそろ辞めてくれないかといったときには、私は6本残っている計算で

したので、家で使っているものも新しい物に変えようと思い、欲しいけれど買えないといって

おられた方々に二本差しあげたり、その残りを引き取りました。自分の責任以上払っていましたが、

ところが、配達に来たMさんはそんな事情も何も知らず、社長は自分が勝手に作った文までわたしに

払わせようとしたのです。自分の悪いことは何も言わなかったのでしょう。奥さんも何も知らされて

いないのに、残り全部を引きとらなかったひどい人だとこぼしたと言うので、運んできた何も知らない

Mさんが何も本当のことを知らないくせに、私のことをののしりました。ひどい人たちでした。

大うそつきの社長に今もって腹がたっています。

阪神淡路大震災、福島、隈本、何処の方々もお辛かったことでしょう。わたしもできるだけのことは

したいと思いましたし、寄付もいたしましたが、あの時には、私の家にこらえた方にお見舞金として

些少ながら一万円を包んだことがありましたが、どうも、詐欺ではなかったかと後で思えることが

ありました。

このごろは老人目当ての振込めさぎも多く、わたしなど、狙われすぎと思うくらいいろいろなことが

起こっています。お互いに気をつけましょうね。

私の人生(34)

大阪での暮らしといえば、観光地めぐりでした。京都、奈良、神戸など毎週日

曜日になると、我が家はみんなでお出かけ、父は歴史や地理は勿論、寺社仏閣

仏教の教えにも本当に精通していて、くわしく教えてくれました。

最初に行ったのは若草山で、五月の美しい緑の広々とした景色があまりにも美

しくて忘れられません。

清水寺、法隆寺、大仏さま、いろいろ心に残っているのですが、今でも、私が

大好きなのはなんといっても、弥勒菩薩です。多分父もそうだっただろうと思

うのですが、一番写真も多く、父自身が描いた絵が額に入れられていました。

観光地の真っ只中に居るといつでも行かれると思っているのか、ご近所の方々

は、どこへもいかれませんでしたが・・・。

そろそろ物がなくなりはじめていたので、奈良へいったときには、お茶碗一杯

のおうどんしか食べられませんでした。

それが、手打ちの太麺でしこしこしていて、御出汁もきいていて、本当に美味

しいものではありましたが、小さめのお茶碗で一人一杯づつしか食べられなく

て、その美味しさと少なさが、74年もたった今でもはっきりと思い出される

のです。


横浜では学校の遠足は年に一回でしたが、大阪では、毎月一回あり、最初に行

ったのは、嵐山の第十三霊場で、夏休みには、希望者だけが、吉野に三泊四日

で、修学旅行に行きましたが、吉野では、朝はお茄子の味噌汁と、お香のもの

お昼は、お茄子の煮物にたくあん、夜はお茄子を焼いたものと言う風で、お茄

子ばかりで、吉野の思いでと言えば、何処を見ても美しい緑一杯で、朝のさわ

やかさはいいものではありましたが、お茄子攻めには閉口しました。

その後、急遽横浜に帰ることになった時に神戸にはまだ行っていないからと言

うことで、父と二人だけで神戸の新開地へいきましたが、山が迫っている感じ

がして、もう帰ると言うことの方へ頭が行っていた為かあまりいい思い出がな

いのです。



私の人生(33)

小学校の卒業式の後、担任の先生にご注意をいただきました。

”あなたはわかっていても手を挙げない。今まではそれでも何とか

なってきたけれども女学校へ入ったら、今度はみんなが優秀な人ばかり

だから,そういう訳には行かないよ”



私は人の前には出来るだけ出たくなかったのです。でも、この機会に

何とか直さなければと考えました。



それで、市電で通学することになって、岡の町という停留所で降りた時

に、先輩には必ずおはようございますというごあいさつをする、同じ

学年の方々には、

 ”私。一年四組の安藤です。宜しくお願いします”

 と言うことを決め実行していきました。



私の学校では毎年、クラス替えがありましたし、学徒動員で二年生の時

には、一組と四組、三年生の時には、家が空襲で焼けた人は海軍航空技術

省の支廠の釜利谷寮へ入れられたり、工場でもいろいろのクラスの人と

ご一緒になり、、また、家が焼け出されたお蔭で、あちこち親類の家に

同居させてもらったり、戦後もあちこち引越したりしましたので、通学

の路線や電車も変わり、駅も変わり、その度にお話できる人が増えてい

きました。

疎開から戻ってきた人々や、転校生も多くいろいろな方々とお話する

ことになり、私は同年代の卒業生の殆ど全員とお話できる状態になって

いたのですが、卒業して、しばらくしたら、同期会があるようになり、

お友達とご一緒しようと思ってお誘いすると、中には、クラス会は楽しい

けれど、同期会に言っても誰も知らない人ばかりだからいきたくないと

いう方もおられてびっくりしました。



小学校の先生のご注意のお蔭で私は同期会で殆どの方とお話できるので

楽しくてたまらないのです。





私に人生(32)


私が大阪から帰ってきたことで、担任の先生はとても大変だったのです。

成績表を変えることはできませんので、内申書をお書きになる時にいろいろ

お考え、悩まれた末に、女学校へ提出する書類にわざとお裁縫の成績をつけ

ないで、出されたようでした。

私には成績が悪いので、試験の時に上がってしまわないようにとのご配慮から

上級学校希望者全員に、ある日内申書を見せてくださったのですが、私のもの

は、私に見せるだけのために5年生の時の成績と同じものを6年生の

時の成績として書いて置いてくださったのです。ただでさえお忙しいときに

そんなご配慮をしてくださっていたのです。

当然女学校からはお裁縫の成績がついていない不備を問われ、呼び出されたそ

うで、その時に、その女学校出身の奥様がわざわざ女学校へ出向いてくださっ

て、それまでのいきさつをお話くださり、なんとか私は補欠で入学を許され

たそうでした。

担任の先生と奥様、また、大阪の弟の先生や妹の先生のお蔭でわたしはとても

幸せな女学校生活を送ることが出きました。

弟の先生は富田林にお住まいでしたが、白血病でその後に亡くなられてしまい

とても残念でした。 

当時ビキニ環礁でアメリカの水爆実験が行われ日本の漁船がたくさん被爆し

亡くなられた方も出ていましたので、先生が白血病だとおっしゃった時に

もしかして関係があるかとお聞きしてしまいましたが、マグロなんて食べるほ

ど贅沢をしては居ないとおっしゃられたのが、ずっと心に残っています。

いい先生方に恵まれたと何時も感謝感謝で居るのです。

私の人生(31)


大阪の家についたのは夕方でしたので、翌日になって家の外へ出てみたのです

が、同じ隣組の一柳さんというお宅に可愛いお嬢さんがおられて、私と同じ6

年生で、私を見つけるとすぐに“一段せいへん?”と声をかけてくれました。

私はとっても嬉しかったのですが、一段の意味がわかりませんでしたので、

ちょっとと惑っていると、すぐに、ああ、ゴム跳びの事だと教えてくれまし

た。本当に優しい方で、嬉しくてたまりませんでした。

南田辺小学校へ母に連れられていったのは、4月23日でしたが、私が編入

されたのは6年5組の女の子だけのクラスでした。 頼みの綱だった一柳さん

とは違うクラスでがっかりしました。

デモ、すぐに、近くのお席の敷山さんと、宮際さんと小暮さんという三人のお

友達が出来ました。敷山さんは小学校一年生のときに東京から転校してこられ

たそうで、宮際さんも転校生でしたが、関東からではなかったのです。

最初の日に算数と地理のテストがありました。4月の末にもうテストかとびっ

くりしましたし、地理は横浜ではまだ習っていなかった台湾のことが出題され

ましたが、運よく、その年の初めに父が会社の出張で、一ヶ月ほど台湾のキー

ルンに行っていたので、台湾のことを多少知っていましたから、85点になり

ました。 

算数は百点を取ったのは私一人でしたので、マア良かったかなと思いましたが、

地理が悪かったと思ってがっかりしていたら、友達が、85点ならすごいわと

言ってくれたので、仕方がないかと思ったのですが、それからが大変でした。

算数で百点をいつも取っていたのは私一人でしたが、その他の科目は

当時の大阪では、塾通いが盛んでみんな塾で先へ先へと勉強してきていました

ので、国語とか歴史、地理、理科では、私のほかに誰か百点をとる人があり、

ました。一学期の終わりごろ父兄会がありましたが、出席した母が、すごく怒

って帰ってきました。私達が転校したときには既に誰が何処の上級学校へ入る

かと決まっていたのに、私が入ったので、それが狂うので、職員室では、6年

の先生方が何とか私の成績を下げようと毎日対策を練っておられて、それを1

年下の弟の担任の奥野先生やさらに二年下の妹の担任の先生が聞いておられて、

あまりにもお姉さんがかわいそうだと、お二人で相談されて、母に父兄会の日

に私の担任だったH先生のご自宅のご住所を渡してくださって、何か持って和

歌山の先生のお宅を訪問するように言われたそうでした。夏の暑い一日母は和

歌山に行きましたが、土地の豪農の立派なお宅でびっくりしたそうでした。


わたしの一学期の成績は算数だけが優で、そのほかは良ばかりでした。それで

は当時は戦争中で、入学試験は常識問題だけで学科試験はなかったので、

何処のいい女学校もはいれない成績でした。

二学期には私が急に先生の変わりに黒板の前に立って、算数の授業を行うとい

う話になりました。母がびっくりして、横浜の杉田小学校の担任の大塚先生に

連絡して、ご相談したところ、先生からすぐに教師用の算数の分厚い参考書

が送られてきました。

私は毎回それで勉強して、教壇に立ちました。父からも、鶴亀算でも並木算で

も図を書けばわかりやすいと教えられていましたし、好きな科目なので、結構

楽しくやっていました。

先生は椅子を窓際において、外を眺めながら、時々黒板の前の私に目をやって

おられましたが、何もおっしゃいませんでした。今考えても、よく親御さん達

が、どなたも文句を言われなかったのかと不思議でなりません。

弟達の先生が、通知簿をいただく前に弟の先生が宿直の時に、校長室の鍵を開

けて、私の二学期の成績を先に見てあげるから、もしあまり上っていなかった

ら、すぐ横浜に帰る手続きをして帰りなさいとおっしゃってくださったのです。

結果、優が5個に増えただけでしたので、すぐ手続きをして1月の8日から横

浜に戻りました。 多分職員室では私のことが先生方に知れ渡っていたので、

私が二学期の終わりに週番の日記帳を持って職員室に行ったとき、たまたま

女の先生がお一人だけだ坐っておられたのですが、私に向かって、“あなた可哀

そうね。随分頑張ったそうなのに“と、言ってくれたのです。

私の方は先生のお名前も存知上げなかったのですが、他の学年の先生方は心の

中で応援してくださっていたのだと思って嬉しくなりました。

お昼休みに一人で、屋上でぼんやりしていたら、一人の男の子が大勢のクラス

メイトにじめられて居るのを見ました。もしかしたら、あの子も転校生かなと

気になりました。

そのとき、縄跳びをしていた子供達が跳びながら近づいてきて、伊藤さんと言

う町一番のお金持ちの御嬢さんが、私の背中を突き飛ばしたのです。

私は転んで、コンクリートで膝にかすり傷をおいましたが、みんなわたしが悪

いと言う風で、伊藤さんをかばって引き上げていきました。

私は転校生は真っ先にお友達になるようにしていたのにと割り切れない思いで

一杯になりました。

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