80ばあちゃん

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お正月

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新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。m(__)m
 
旧年中は大変お世話になりました。
 
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 

このところ、長男が大晦日から来て一緒に除夜の鐘
 
を聞くというのが慣わしのようになっている。
 
今年は長男の長男も来てくれて、次男と次男の長女
 
と私の5人で大晦日を過ごした。
 
12月30日が長男の誕生日なのだが、いつも長男の
 
都合で12月30日にはお祝いができないので、大晦日
 
にお祝いをするということになるのだが、夫が健在の
 
頃には夫の誕生日が1月7日だったので、クリスマス
 
からお正月に掛けて、いろいろお台所の忙しいときに
 
本当に大変だったけれども、それでも、お誕生祝いに
 
一度も手を抜いてしまったことはない。
 
親孝行息子で、本当に嫁さん思いで、私の夫はあんな
 
に、私のことに気を使ってくれていなかったかなと思
 
うくらいのものだが、嫁さんはどう思っているのだろ
 
うかと思うことがある。
 
しっかりした嫁さんで、私ともよく話をしてくれる、
 
頼もしい存在で、孫たちもいい子に育ってくれた。
 
次男坊の嫁さんも、とってもお料理上手だし、家族は
 
幸せ。
 
ごみを私が捨てに行くと
 
”おかあさん、私が捨てますから置いておいてください”
 
と言ってくれたりする。 
 
孫たちもいい子に育ってくれて、一安心。
 
 
昨日長男の長女が持ってきてくれたプレゼントが
 
写真のものである。 いつも何か私が卓球へ行くときに
 
持っていったらどうかしらなどといって、おいしそうな、
 
かわいい物をいろいろと心がけて買っておいてくれるの
 
だ。
 
写真のマフラーは嫁さんからのものだが、他にも嫁さんからは
 
いろいろと頂き物はあったのだが、写真より先にお腹に入って
 
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
しまった。(笑い)
 
すみませんが画像は全部のせられませんでした。

お餅

お餅と言えば、お正月のつき物だが、毎年、
 
高齢者がお餅を咽喉に引っかけて呼吸困難
 
になり亡くなるという事件が報道される。
 
私も勿論,超高齢者であるので、気をつけ
 
なければということはかねてから思っては
 
いたのだが、この間、お餅自殺未遂事件を
 
起こしそうになってしまった。
 
 
 
 昨日、久しぶりに卓球に出かけたら、
 
今年初めての会だったので、いろいろと暮
 
からの過ぎこし方やお正月にあったことな
 
ど、たくさんの話題で盛り上がったが、
 
そのうちのお一人がご親戚のおばあさんが
 
お餅を咽喉に引っ掛けて亡くなられたという
 
話をなさった。
 
私は、思わず、
 
"私も御餅を引っ掛けたわ。”と、言って
 
 しまった。
 
 で、どうだったの?”
 
”え、手でお餅をひっぱりだしたけど・・。”
 
 
ところが、その亡くなった方というのは、一度、
 
咽喉の中のお餅の一塊を取り出して、息ができ
 
るようになられたそうだが、まだ、その先に
 
入ってしまっていたものがどうしても取れなか
 
ったと言う事だったらしい。
 

 
私が毎回お餅をいただく時は、先ず、水分を先
 
に、とってお餅が咽喉を通りやすいようにして
 
おくことと、お餅を短く切ることが大事だと思
 
っていたが、年をとると、入れ歯だったり差し
 
歯で、なかなか食べ物をお口の中で噛み切るこ
 
とが難しくなることがあるので、気をつけなく
 
てはいけないと思ってはいたのだが、、、。
 
 
お餅も、スーパーで売っているビニール袋入り
 
の何時までも、もつような物は比較的伸びにく
 
いお餅なので、咽喉に引っかかりにくいのでは
 
ないかと思っているが、お菓子屋さんに頼んで
 
搗いてもらうお餅だとか、農家の方のお餅は
 
非常においしいだけでなく長く伸びるものが
 
多いので、特に咽喉に引っかかりやすいような
 
気がする。
 
だからできるだけ小さく切って食べるのが望ま
 
しいのではないかと思う。
 
自分自身そう思ってはいたのだが、お雑煮をいた
 
だきながら、一人でテレビを見ていて、あまりに
 
もテレビに夢中になって、うっかり、お餅を噛み
 
切れていないうちに飲み込みそうになって、慌て
 
て引っぱり出したのである。
 

 お粗末なお話でした。(笑い)m(__)m
 
 
 
 
 

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。
 
旧年中は多くの皆様に読んでいただきまして本当に嬉しく
 
心から感謝申し上げております。 
 
どうもありがとうございました。    m(__)m
 
 
 
私の方からはなかなか皆様のブログに伺えないことが多く
 
大変申しわけなく存じております。 どうぞお許しください。
 
本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。
 
 
 今日いただいたお年賀状、どれもありがたかったのですが、
 
例のすてきな方からいただいた物は、飾らせていただけるように
 
立てられるようになっていますので、ご披露させていただきます。
 
私の写真の撮り方が下手で申し訳ないのですが、、、、。
 
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
  あけましておめでとうございます。m(__)m
 
長い間お休みさせていただいてすみませんでした。
 
実は息子二人と、孫二人の4人のイケメン(????)に囲まれて”超”幸せな
 
三泊4日の北京旅行をしてきました。「笑い)
 
 約3ヶ月以上前になりますが、次男の家族と一緒にお夕飯をいただいている時に
 
嫁さんが、
 
 ”おかあさん、 まだ、歩けるうちに、台湾へでも行ってきたらどうですか?
 
 台湾なんて、大阪へ行くぐらいのものですよ。”
 
と言ったのです。
 
 私は、その時、ありがたいとは思いましたが、直ぐには返事ができませんでした。
 
何故なら、自分自身の健康に充分自信が持てなかったのです。考えてみれば、春に
 
国立のお友達がご親切にお花見に誘ってくださった時にも、足を痛めて、その日迄
 
に直るのかどうか、毎日、お断りも出来ないし、どうした物かと思いながら、いろい
 
ろな方法で足を直すようにしていましたし、その後、ふれあいが丘地区の卓球大会
 
の3日前に急に足を痛めて、どうしようかと思いながら、出場したこともあったので、
 
本当に自分の年齢と、健康状態が急に大きく行く手に立ちふさがったように思いました。
 
若い人達の早い足取りにはついていけないのは勿論の事、歩き通せることは考えら
 
れませんし、みんなの観光の邪魔になってしまいます。本当に迷いました。
 
 
 
 
 嫁さんが”台湾”といったのには訳があったのです。約15年も前、私が一人で
 
北京から日本へ帰国する日の早朝から、一寸先も見えないくらいのひどい霧で、北京
 
空港では、数時間も飛行機の離発着が出来ず大混乱に陥ったのですが、空港まで
 
送ってきた夫が、これでは当分駄目だから自分は家に帰って電話を待つ事にする
 
から,何かあったら電話しろと百元札一枚を私に手渡して北京市内のマンシヨンへ
 
帰っていったのですが、その百元札が北京では大きすぎて、買い物をしようにも
 
お釣りがないと言われて、細かくする事が出来ず、途方にくれて、汗かきの私が
 
体中から湯気を噴射してウロウロしているのを御覧になって、どうしたのかと声を
 
掛けて下さって、此処では、コインを買わないと電話は掛けられないよ。コインは
 
いくついるかと仰って、それでは2個とお願いしたら三個買ってくださった方が
 
あったのです。
 
 三ヵ月後に北京に来るからそのときに必ずお礼に伺いしますので、この紙に
 
お名前とお仕事先を書いてくださいと言ったら、小額だかっらいらないよと言わ
 
れたのですが、それでもと再度お願いしたら、ちょっと待ってってと言われて持って
 
来られた立派なカタログの中の社長談話と書かれた写真の方が、その方だったのです。
 
台湾の空調会社の社長さんで、いろいろな国へ輸出されたり、日本の江戸川区にも
 
工場がおありの方でした。その時いただいたカタログのご住所へ辞書を片手にお礼状
 
を書きましたが、いつか台湾へ行かれる日があったらお目にかかりたいと家族に
 
話した事があったのを嫁さんが覚えていてくれたのです。
 
でも、15年もたったらお目にかかれるのかどうか、たとえお目にかかってもお邪魔
 
かもしれないしとかいろいろ考えてしまいました。
 
 
 それでも、せっかく嫁さんが親切に言ってくれているうちに外国旅行をする方が
 
いいとも思いました。
 
 それで行くことにしたのですが、嫁さんや孫娘は来年の成人式の関係で嫁さんの
 
実家へ行く用事があるというのと、長男の嫁さんは実家のお母さんが亡くなられた
 
ばかりで後片付けがあり、孫娘も仕事が休めないというので、息子たちと行こうと
 
思いましたが、孫息子たちも行きたいというので、次回は女性たちと一緒にという
 
事にして、結局男性ばかり4人と一緒に行くことになったので、次男の嫁さんに、
 
 ”お母さん、4人の男性に囲まれていいですね。”
 
と、冷やかされましたが、 私には、息子や孫息子が”男性”と言う意識は全くあり
 
ませんでしたでした。
 
 ”男性とは思えないけど・・・。”と私は、答えたのです。
 
  「続く)
 
 

戦前のお正月(2)

 1937年のお正月のことだったと思うが、当時早稲田の学生だった叔父

が小さな白い箱を持ってきて父や従兄と何かやっているようだったので、

覗き込んでみたら、10個ぐらいの駒が入っていて、その中の一番大きいもの

には”コミンテルン”と書かれていた。

 "コミンテルンって何なの?”と聞くと、

 "ロシアや支那の共産党のことで、今はこれは手前にあるけれど、これらの駒

を動かして、このコミンテルンを一番奥の真ん中に閉じ込めてしまえば勝ちに

なると言うゲームだよ。"と教えてくれたが、何だか子供心にもなんとなく不穏

なにおいが感じられたような覚えがある。


その年の12月には私は両親から毎晩夕食の後に歌留多取りの特訓を受けていた。

百人一首の天智天皇の御製から始まって10枚の札が、私の机に並べられ、まづ、

暗唱させられてから、母が読む上の句にしたがって、私が自分で並べた下の句の

手札を取るのだが、父がストップウオッチで何秒かかったか見ていたのである。

また、どこに何を並べたか覚えでいなければいけなかったし

相手がどのように手札を並べるのか覚えていなえればいけないと言われ、

もし上の句の最初の音が "むすめふさほせ"だったなら、その音の句は一枚だけ

なので、すぐ取るようにと言われていて、たとえば”む”ならば、霧立ち上る秋の

夕暮れが下の句だから、”き”を探してとれというわけであった。

その頃の青年男女の交際の場は歌留多会であったから、私の両親は器量のあまり

よくない娘のために、せめてもの努力をしてくれたのであろうが、その私が適齢期

になる頃には戦争のおかげで何もかにも灰燼に帰して、そんな華やかな会にお招き

を受けるようなことはなかったのである。まっこと残念至極。

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