80ばあちゃん

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夫と癌(10)

その後、夫の死亡診断書をもらいに病院へ行った。
 
係りの女の人が、
 
"ああ、あの、検査入院の方ですね?”
 
と、言われたので、びっくりして、
 
"いいえ、癌の手術で入院していました。”
 
と、言ったのだが、もし、検査入院でということになると癌保険は
 
降りるのだろうかと、考えていた。
 
大分待たされた後、男の方がやってきて、封筒に入ったものを渡さ
 
れたのだが、裏には封がしてあった。
 
其の男の職員さんを、隅の方に連れて行き、小さな声で言った。
 
 ”さっき受け付けの方が検査入院の方ですねと言われたので、
 
 この内容が気になっていますので、この封をあけたいのですが?”
 
 と言うと、其の方が、
 
 "これはちゃんと封をしてありますので、これは開けられません。
 
 もしあけたら、法律違反になってしまいます。”と、言われたので、
 
 ”私たちは癌保険に入っているので、この内容によっては癌保険が
 
 出ないかもしれませんので、ちゃんと癌と書いてあるかどうか確か
 
 めないと長年高い保険料を払ってきたのですが、それが無駄になって
 
 しまいます。だから確かめたいのです。”と言ったら
 
 ”どうしてもだめです。このままお持ち帰りください。”の一点張り
 
 です。
 
 それでも、私は”此処で引き下がるわけにはいかないのです。”と
 
 言って 頑張りました。
 
 
  30分も過ぎた頃、彼が、
 
 "分かりました。では、私が開けてあげます。封筒を取り替えればいい。
 
 この封筒は私が書いたものですから。”と言ってくれた。
 
 中の死亡原因の欄にはたった一言"癌”と書いてあった。
 
 
 

夫と癌(9)

 お葬式の数日後、夫と同じ先生に私も健康診断を受けていたので、
 
結果を聞きに行くことになっていた。
 
午後一時にということだったので、12時45分ごろに病院へ行った。
 
私が午後の部では一番最初に待合室に入っていたのだが、午後の診療
 
が始まっても、一向に私の名前が呼ばれなかった。私の後から来られ
 
た男性たちが、
 
"奥さん。 悪いね。 奥さんの方が早く来ておられたのに、お先に
 
ごめんなさい。”と言って、つぎつぎに診察室へ吸い込まれていった。
 
私には大体訳が推測できたので、"別に急ぎませんので、どうぞ”と、
 
何食わぬ顔をして見せていたのである。
 
皆さんが全部終わられて、辺りが暗くなりかかって、廊下に人っ子一人
 
いなくなってから、暫くして、やっと私の名前が呼ばれてお部屋に入る
 
と看護婦さんも誰もおられず、先生お一人だった。
 
きっと、私が先生を罵るとか何とか、大声もありうると思われて、
 
そういうことになったのだろうと私は思った。
 
 私は言った。
 
 "先生。うちの母は、よく変なことを言うと、其の通りになって
 
 しまうことがあるから、変なことをいうもんじゃないって言って
 
 ましたけど、夫は、何でもない時に、僕はあの先生が大好きだから、
 
 あの病院であの先生や、看護婦さんのお世話になって死にたいって
 
 言ってましたよ。だから、其の通りになってしまったのでしょうね。”
 
 先生はふっと小さく息をはかれたような気がした。
 
 
 
 
  翌日、私は同じ病院の眼科に行った。
 
 眼科の色白の美人先生が
 
 "あら、あんたが、あの荒武さんの奥さん?”
 
 と、言われたのだ。  
 
 もうすでに病院中の噂になっていたのだろうと思った。
 
 
 
  私の友達の中には、
 
 "あなた。訴えればいいのよ。”と仰られた方もあった。
 
 でも、私は、そんなことを思ったことはなかった。
 
 たとえ一年半でも夫も私もまったく癌のことを忘れて幸せに過せた
 
 ことは、本当に先生のお蔭であり、もし癌がずっとあちこちに転移
 
 しての死であるならば、夫もきっと長い間苦しむことだろうし、私も
 
 其の苦しみを見ることになって大変な思いをしなければなかったと思う
 
 からだ。
 
 日曜日だったので担当の先生がおられなかったのは仕方のないことだし
 
 日直の先生が一度も来られなかったのは、お忙しかったからに外ならない。
 
 其の日に夫が具合が悪くなったことが不運であったのだと思う。
 
 戦後、アメリカの訴える文化が日本に入ってきて、何かあると訴えることも
 
 あるようだが、私はあまり賛成できない。今回は先生の落ち度ではない
 
 けれど、よしんば、先生に落ち度があるケースであったとしても、それは
 
 ご本人がきっと 反省しておられることだろうし、それから学ばれること
 
 も多い筈。失敗は成功の元である。人間だからこそ、時には失敗もありうる
 
 のだと思う。全く失敗がないことを要求するならば、それは神様に治療を
 
 お願いする外はない。 何かあれば、すぐ、訴えられるようなこと
 
 であれば、そんな大変なお仕事をしてくれる人々がきっと減っていくこと
 
 になるのだろうと考えている。
 
    (つづく)

夫と癌(8)

 夫の病室へ荷物を片付けに行って、同室だった方々にご挨拶をした。
 
お隣のベッドの方が、ご主人は、明け方、苦しくなられて、ベルを
 
押されたようだけれど、看護婦さんが中々来られないので、這って廊下
 
まで出て行かれて、そこでやっと看護婦さんが来られたのです。”
 
と、言われた。
 
私は、もし、夕べ夜通し付いていてやっていたなら、夫が苦しみ
 
ながら、這って廊下まで行くなんてことをさせなくてすんだ
 
のにと思ったら、たまらなかったが、いまさらそれを
 
言ったとて、どうなるものでもないと心の中で思っていた。
 
 
 
 私たちはただお礼を言って、車に荷物を置きに行き、霊安室へ
 
戻ったら、長男と大学生の孫が東京から駆けつけてくれていた。
 
 長男が先に家に帰って用意しておこうと言ってくれたので、鍵を渡
 
して頼んだが、朝起きぬけに、そのままの状態で飛び出したので、
 
お布団もそのままだったし、みんながいてくれて本当に助かると感謝
 
した。
 
 
 霊安室にはすでに葬儀やさんが待機してくれていた。
 
お医者さんの着るような白衣の服を着た30代ぐらいのやや小太りの
 
あまりさえない感じの男だったが、型どおりの挨拶をし、
 
 "これからご遺体をお宅へお移しいたしますが、場所はどちらですか?”
 
 と聞かれた。
 
一応、町名を言って、”如何ほど掛かるのでしょうか?”と、聞いたの
 
だが、”お宅へ行って見なければ判りません”
 
 
 どういう意味なのかと思って、再度いろいろ尋ねてみたが、何を聞い
 
 ても、お宅へ行って見なければ判りませんという返事。
 
 どういう意味なのか計りかねたし、なんだか、ぼられそうな気がして
 
 いたら、次男が、
 
 "すみませんが、会社の葬儀屋さんがあるので、そちらに頼みたいと
 
  思っているのですが・・・・・。?”と、言ってくれた。
 
 男は口惜しそうにすごすごと引き上げて行った。
 
 
 
 次男が携帯電話で、連絡を取ってくれたら、背の高いまじめそうな
 
 34,5歳ぐらいの男が割合と早く来てくれて、丁寧に、ことを
 
進めていってくれたので、ほっとした。
 
 
 

 夫は常々、以前会社の方のお葬儀に参列したときに、お年を召した
 
会長が、外の寒い所にずっと立っておられてとても気の毒だったから、
 
俺の時には、迷惑を掛けたくないので、内輪でやってくれと言って
 
いたので、息子たちとも相談して家族葬で家でやることににした。
 
 (つづく)

夫と癌(7)

 夫の解剖で待たされている間、私には考えなければならないことが
 
二つあった。
 
その一つはもちろんお葬式のことだが、もう一つは翌日に迫っていた
 
小学校のクラス会のことであった。
 
私がほとんど一人で会のお金を集めたり、会の出席者の名簿だとか
 
住所録を作ったりしていたのである。
 
夫の入院が決まる前にクラス会のことは決めていたのだが、予定では
 
夫のところに夕方でも行けばいいくらいの元気な夫がいるはずであっ
 
たし、夫も行って来いと言ってくれていたのだが、どうしたらいいの
 
か、兎に角、友達に電話して一切の書類とお金を渡すしかないと思っ
 
たが、何分にも早朝だから電話を掛けることはできないと思って
 
時間を見計らって電話することにした。
 
 
 
 友達は二俣川から私の家まで来てくれると言ってくれたが、車の運転
 
ができない友達のこと、センター南の駅で会うことにした。
 
お金と一切の書類を渡し、すべてお願いすることができたので、本当に
 
助かった。
 
 

 やがて夫の遺体は霊安室に運ばれて、先生が解剖の結果を知らせて
 
 くださった。
 
 ”癌の転移が心臓と、肺と胃に見られましたが、いづれも小さい物で
 
 死因につながるものではありませんでした。ただ、肺に肺炎の兆候が
 
 見られました。”
 
 私たちは何も言う言葉がなかった。
 
 私は頭の中で考えていた。私が肺炎ではないかと言った時にすぐ肺炎
 
 の手当てはしていただけたらどうだったのかということと、肺炎の事
 
 は口に出しては、いけない。もし出せば、あの新人の看護婦さんに
 
 精神的なショックを与えてしまうだろう。
 
 それまでお世話になった先生にも、看護婦さんのためにも、私の胸の
 
 中に収めておこうと思ったのである。
 
 そこで、私が大騒ぎをして夫が生き返るのなら、どんな風にも暴れ
 
 ようけれど、そんなことは起こるわけがないのだから、生きておられ
 
 る人たちのことの方が大事であると、考えたのだ。
 
  
 (つづく)

夫と癌(6)

 その夜は、私はほとんど着の身着の儘で、枕元にバッグを置いて寝た。
 
朝5時に眼が覚めたが、それまで電話がなかったことにほっとしていたら、
 
5時40分に電話が鳴った。
 
 もう一刻でも早く行くしかないと思って、電話を取るなり、相手が病院
 
と言われた時点で、"はい、すぐ行きます。”と言って、息子と二人で飛ん
 
で行った。
 
病院ではまだ廊下の電気がついているだけで暗かったが、担当の先生が来
 
ていてくださったし、昨日は一度もお出いただけなかった宿直の先生も、
 
夫の傍にいてくださった。
 
 担当の先生が、
 
 ”ベッドの横を叩くと、反応します、”と、仰ったが、息子と二人で叩
 
いてみたが、夫は何の反応もなかった。
 
 ”これから、治療の方法を決めるために、心電図を撮ります。それから
 
  レントゲンを撮りますが、その前に注射をしないといけませんので、
 
  注射をします。”と仰ったのだが、それから2,3分後にレントゲン
 
  室へ連れて行くと言われて、夫は寝台車に乗せられて、連れて行かれ
 
た。
 
  
 
   暗い廊下で息子と二人待たされていたのだが、あまり待たないうち
 
に、看護婦さんが呼びに来られて、
 
 "レントゲン室へ運んで行く途中でご主人の容態が急変されたので、今、
 
 心臓マッサージをしています。"と言われたので、息子と飛んでいった。
 
 先生が
 
 "もう20分以上も心臓マッサージをしていますが、蘇生しません。”
 
 と仰った。
 
 少し高いベッドの上に寝かされていた夫の顔を見ることはできなかった
 
が、こんもりと大きなお腹が、私たちの目前にあって、もう, 体中に不気
 
味な チアノーゼが起きていた。
 
 ”万事休す”
 
 私たちは言葉を失った。
 
 先生の手はほとんど止まっていた。
 
 心の中のどこかで、さっき連れて行ったばかりじゃないか。20分以上もと
 
 はおかしいと、叫んでいたが、そこで何か言っても無駄なこともよく判っ
 
 ていた。
 
 
 
  原因が解らないから解剖させてくれと先生が仰って、私たちは書類に
 
 同意の署名をさせられた。
 
 医学の発展のためにと言うことだったが、何にせよ、夫の死の真相が知り
 
 たいと思って同意したのである。
 
 
 (つづく)

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