61式戦車とは
◎戦後初めて日本で開発された主力戦車で1961年(昭和36年)に制式装備、約560両作られ
2000年(平成12年)全車退役し主力戦車の座を74式戦車に譲った。
◎主要諸元
鉄道輸送前提のため車幅2.95m、全長8.19m、全高2.49m、重量35t.
速度:45km/h、エンジン:4ストロークV型12気筒、直噴式空冷ターボチャージド・ディーゼ ル、570hp.変速・操向:サーボアシスト付き2重差動式(前進5段、後進1段)
北海道での操縦訓練
昭和45年ごろの話・・当時は27歳の2等陸尉として大分の山の中にある戦車部隊で勤務していた。
装備戦車は米軍供与のM−4(シャーマン)とM-24(チャーフィー)。いずれも戦車は老朽化してお
り、演習場への移動中も10両の内1〜2両は「歌う」のが常態:(注:歌うとは戦車仲間の業界用語で
「故障」の意、オーバーヒートしてラジェーターキャップ等から蒸気がヒーヒーと歌うことからか?。ま
た「足を出す」とはシリンダーブロックをシリンダーが蹴り破ってエンジンを破壊すること)
このため戦車乗員は常に整備には心を砕いており、油圧計の目盛りや油量、排気煙や音の状態、各種フィ
ルターのチェックは怠らなかったが、一日も早い61式戦車(新戦車と当時は言った)の装備化を期待し
ていた。しかし年間60両ほどの生産のため、また防衛重点正面の北海道から優先装備されたため、九州
の部隊への装備化には時間がかかった。
それでも昭和45年中にまず10両程が我が戦車大隊に装備されることになった。この為に新装備導入準
備として各中隊から2名ずつの中堅陸曹(下士官)基幹隊員を選抜して、既に装備が終わり稼動中の北海
道の部隊で約1ヶ月の間、北海道で訓練することになった。
61式戦車は世界一、操縦が難しい戦車であるということで訓練内容を全て操縦訓練に絞った。
私はその指揮官に指名され、昭和45年の3月初旬、勇躍、総勢12名の長となって北海道恵庭市に
向かった・・(続く)写真「61式戦車と私(前)」
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ギアチェンが出来れば楽勝ですな
2016/8/10(水) 午後 2:24 [ 福田雅美 ]