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61式戦車は普段の発進は1速でなく 「2速の低」 で発進した。 1速は急坂とか壕からの脱出とか、特別の時だけ使用した。 「2速の低」で発進して10〜20mぐらい走ったところでクラッチペダルを踏み込む。 プシューンとエアーサーボの音がして「2速の高」に切り替わりランプが緑に変わってエンジンの 回転が下がり、車速が増す。 少し気持ちに余裕が出る瞬間! スムーズな発進と「高への切り替え」が出来るまでには各人10回以上は練習しただろうか? それ程、最初の発進は難しかった(クラッチの性能の未熟とE/Gの回転制御の遅れ)。
増速するには「2速高」からダブルクラッチ操作で「3速高」へ、一方減速の場合は一旦「高」から 「低」に落として「3速低」からダブルクラッチ操作で「2速低」という手順 を踏んだ。 最初は出来るだけ地面が平らで硬い所で且つ直線距離がとれるところを選んで増減速の訓練をする。 装輪車(業界用語でワッカ付きの車)はクラッチを切っても結構惰力で転がるけれども、装軌車 (業界用語でキャタピラ付きの車)はすぐに速度が落ちてしまう まして方向変換は片一方のキャタピラにブレーキをかけるやり方だから、方向を変えると更に速度は落ち る。 だから平らで地面が固く転がりやすく方向を変えなくてすむ場所を選ぶということ。 実際にやってみるとアクセルの反応が鈍いことに加えて、惰力を付けた積りでもすぐに車速が落ちてギア チェンジの途中で戦車が止まってしまう。 アクセルを踏み込んでも2〜3秒経ってからE/Gが吹いてくる感じがした。 加速して惰力をつけ、クラッチを切りアクセルを離してニュートラルにシフトする。 しかし回転数が落ちない内に戦車が止まってしまう。・・これの繰り返し・・ ヨシいいぞ!と思ってチェンジレバーを3速に入れようとすると「ジャ〜ン」という細かいが連続の ギア鳴りとともに撥ね返される。 たまにうまくいきそうな「ゴトゴト」音のギア鳴りで我慢してレバーを押さえてみる。 「M−4シャーマン戦車」だったら入る筈のギアが61式戦車では絶対入らないのだ。 なんとかチェンジ出来るようになったのに2〜3日かかったように思う。 一度、増減速に成功したら、一皮むけたも同然であとの操縦は「M−24」「M−4」と同じようなもので 北恵庭駐屯地から演習場への雪どけの道路をぶっ飛ばして楽しんだ。 高名な F−1レーサー が一度61式戦車を操縦したことがあって、さしもの彼でも最初のギア チェンジを失敗し、なかなかチェンジ出来なかったたと聞いている。 また後日談ながら、 チェンジレバーがギア鳴りと共に撥ね返されて左手の中指・薬指を骨折した者 を私でも2〜3名は知っている。一方でチェンジレバーを押し折った剛の者も一人だけ知っている。
訓練もあと1週間という位の時、E/Gをぶっ壊す。という初めての体験をした。 訓練生が2〜3名と助教1人が乗り込んでの訓練中に事故は起きた。 私はその戦車に同乗していたが、別にE/Gに負荷がかかった時でなく、平地走行のときだったがドッカ ーンという大きな音と震動!(戦車砲で撃たれたかと思った)と同時に戦車は止まってしまった。 E/G室から真っ黒い大量のオイルが流れ出す。 シリンダーがぶっ跳んでシリンダーブロックを破壊して大きな穴が空いてしまったのだ。 エンジンのクランクシャフトを掴んでいるシリンダの足付近のメタルが熔けて、シリンダーが外れてしま う状態であったようだ。 こんな状態になるにはエンジンオイル中に金粉が混じってる筈だ・・とあとで随分上司から怒られて挙句 の果てには、指揮官責任ということで始末書をとられたが・・。 イヤー!びっくりもしたし反省もした。お世話になっている部隊の戦車(当時6千万円ぐらい)の大事な エンジン1基(1千万円以上?)をパーにしてしまったのだから。 この事件で大分から上官の副大隊長が航空自衛隊の輸送機に便乗して北海道まで事態収拾・と謝罪にとん できた。
なんだかんだの1ヶ月が終わり、夏からの61式戦車導入への 基幹要員たるtoshidorobo2尉以下 12名 は所望の操縦技能を習得し(E/Gオイル点検の重要性も十分に認識し)3月31日、大分 の原隊に帰還し、目出度くそれぞれの中隊の操縦指導者となった。 ♪チャンチャン♪
私も教育中に61の操縦は体験しましたが・・・「こんなん、よく乗りこなせたもんだ。」というのが正直な感想。北部、東部、東北方面隊配置予定の学生は74での訓練だったので、随分うらやましがられました。今思えば61の操縦もちゃんと教えてもらいたかったです。
2006/10/21(土) 午後 3:27 [ ヤン ]
新しく部隊に装備されても最初の乗員訓練は殆ど「操縦訓練」でした。 M−4の経験がある隊員は、それでも習得は早かったですネ。最初の頃は操縦手が足りず、小隊長の私が操縦して演習場へ戦車を持っていったこともありました。
2006/10/21(土) 午後 8:36
ありがとう!参考になりました!
2014/10/26(日) 午後 11:57 [ Automobile Enthusiast ]
2から3のギアチェンは2の高に入ったらクラッチを踏みニュートラルに戻しその状態からまたクラッチから足を離してアクセルを軽く吹かしてからまたクラッチを踏み3番に入れてました。このやり方を僕ら操縦手は中間ガスと言っておりました。 マスターすればギヤはサクサク入り操縦が楽しかった記憶があります。
2016/8/10(水) 午後 2:31 [ 福田雅美 ]
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西方 凌
小川菜摘
浅香あき恵
私も教育中に61の操縦は体験しましたが・・・「こんなん、よく乗りこなせたもんだ。」というのが正直な感想。北部、東部、東北方面隊配置予定の学生は74での訓練だったので、随分うらやましがられました。今思えば61の操縦もちゃんと教えてもらいたかったです。
2006/10/21(土) 午後 3:27 [ ヤン ]
新しく部隊に装備されても最初の乗員訓練は殆ど「操縦訓練」でした。 M−4の経験がある隊員は、それでも習得は早かったですネ。最初の頃は操縦手が足りず、小隊長の私が操縦して演習場へ戦車を持っていったこともありました。
2006/10/21(土) 午後 8:36
ありがとう!参考になりました!
2014/10/26(日) 午後 11:57 [ Automobile Enthusiast ]
2から3のギアチェンは2の高に入ったらクラッチを踏みニュートラルに戻しその状態からまたクラッチから足を離してアクセルを軽く吹かしてからまたクラッチを踏み3番に入れてました。このやり方を僕ら操縦手は中間ガスと言っておりました。
マスターすればギヤはサクサク入り操縦が楽しかった記憶があります。
2016/8/10(水) 午後 2:31 [ 福田雅美 ]