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宮崎県は今、口蹄疫被害で大変なことになっています
畜産に携わっている人々や関連する地域の方々のご心痛を思えば同情を禁じ得ません
宮崎県には第43普通科連隊が駐屯する都城駐屯地と第24普通科連隊が駐屯するえびの駐屯地があります
また、新田原には空自の第5航空団が基地を置いていますが・・・
今回の口蹄疫災害派遣では、やはり空自よりも陸上自衛隊の部隊がその主役になっているものと思います
日頃お世話になっている地元の皆様のために頑張って欲しいものです
TV画面で白い服を着て牛舎を清掃したり・・・重機を使って処分した牛などの埋却作業に携わっている人たち
がそうだと思います 他に消毒作業にも就いているものと思いますが・・・
西部方面隊や第8師団の公式ホームページを開いてみましたが・・今回の災派がらみの新着情報はありません
ハイチにも救援部隊を送っている筈ですが陸幕には彼らの活動を積極的に広報しようという姿勢が見えません
OBとして・・・・んっ! 残念っ!という心境です 災害派遣は絶好の陸自広報のチャンスなのに・・
最近の陸自の災害派遣はサリン事件や口蹄疫や火山や何や・・・と派遣対象がとても多様になりました
Toshiジィたちが若い頃・・・昭和40年代前半ごろまでは災害派遣というと大半が台風などの水害派遣でした
戦争のために治山・治水事業が滞っていたこともあったのでしょうが・・・・毎年のように出動していました
部隊での訓練も土のうの作り方や積み方、蛇篭の設置のし方やつるはしエンピ(業界用語:シャベル)やカケヤ
や10ポンドハンマー、8番線・10番線針金の扱い方なんかの水防訓練がメインでした
今の陸自ではもう見ることもなくなりましたが・・・各隊員にはゲートルと地下足袋が支給されていました
ゲートルとは巻き脚絆のこと・・・旧陸軍の兵隊さんが脛部分に巻いていた脚絆
足元が整理されてズボンを引っかけることなく動きやすい・・・
いざというとき・・包帯やロープがわりになる便利もの・・・・
地下足袋は靴と違って軽く、足にフィットして足の細かい感触がわかって高所作業なんかには最適の履物・・
出動や出動訓練では背嚢の飯ごうの上にゲートルを・・・小エンピの替わりに地下足袋を縛着していました
戦後派のToshiジィは地下足袋はよく見知っていましたが・・・ゲートル装着は初体験でした
当時の部隊には旧軍や少年時代にゲートルを使っていたという人たちが多くて・・・・
ゲートル装着は思わず見とれるほどに神業的に早くきれいに着けていました
「初年兵のころ、古兵殿の脚絆をこんな風に巻いてやってたんだヨ・・」とか言いながらToshiジィにゲートル
を巻いてくれた旧軍出身の人もいたりして・・・
巻き方や力の入れ加減で最後の紐の部分が真横に来なかったり、少し運動しても緩んでしまったり・・・・
でしたが男性角帯の貝の口の結び方と同様・・・何度も何度も練習してそれなりに出来るようになりました
ゲートルを巻き終わって紐で脛の部分にバッテンを作るように紐でしめるとゲートルがバラけない・・・
ということも教わりました・・・この巻き方を・・・「戦地巻き」と言ったんだそうです
最近の災害派遣では・・・防護マスク 防護衣 をつける派遣が多くて
見ると何だかオドロオドロしいのが多くなりましたね・・・
地下足袋 ゲートル の時代が懐かしくなりました。。
Toshiジィが統幕と千歳勤務のときの有能の部下だったF庄君が今・・・
第24普通科連隊長兼ねてえびの駐屯地司令として災害派遣を指揮している筈です
ご健闘を祈るや切!
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私は後方部隊だったので災害派遣の経験はありませんでした。
前線部隊の方々、陸自の花形の方々に敬意を表し
<(・_・)敬礼!
2010/5/21(金) 午後 5:18
たしかに…今何をしているのか言ってくれたほうが「がんばってるな〜」とわかりますね。「自衛隊って何してるんだろう?」とか「平和だから必要ない」とか関わりのない一般の人は思ってしまうかも。。。地下足袋は大輔君の仕事道具ですよ〜。初めて聞いたとき地下足袋!?ってかんじだったけど(笑)
2010/5/21(金) 午後 5:20
雲仙普賢岳。大火砕流があった日の夜、山口聯隊長は「一人でも生存の可能性があるのなら自分が先頭になって探しに行く」と主張、観測所にいた太田一也九大教授が「この場面で行かないのは行くのに勝る勇気」と必死にとめたそうです。
口蹄疫と戦っている諸君の使命感を映像を通じて肌で感じ、健闘を祈るや切です。
「それにしても政治業者さん達は・・・」なんて言いません。
2010/5/21(金) 午後 8:13 [ S村 ]
表立って広報活動をしないあたりは、日本人の奥ゆかしさだと思っておりますし、防衛省の新着情報(おしらせ)では、連日、アデン湾の海自と同じく、43普連の活躍が(官僚的にですが)報じられております。そのまんま東知事も、いち早く43普連に災害派遣要請をしておりますし。。。無能な中央の政治屋どもより、よっぽど立派だと思いますよ。
それにしても。。。地下足袋に8番線。。。時代を感じますねぇ。今では、どちらとも、土木の風景でも見かけなくなりましたね。安全靴に12番線・・・です・・・
2010/5/21(金) 午後 9:46 [ 穴ライザー ]
究極の3Kのお仕事をしてくれるのは自衛隊しかいませんからね…。
「それが仕事だから当然だろ?」とか「俺たちの税金でメシ喰ってんだから」と言われそうですが、その言葉は東京で胡坐をかいて、明後日の方向を向いている政府の連中に言ってやって欲しいものです…。
2010/5/22(土) 午前 8:34
ニュースを見ると 牛舎の清掃や消毒 殺処分の処理を速やかに自衛隊の協力があるので これからは 各業者の負担も楽になる…と紹介されていました。
なぜか ニュースで聞くと 自衛隊の方が作業されている姿をみると 涙がでました。
本当に ご苦労様…と一人一人に伝えたいです。
2010/5/22(土) 午後 6:37 [ かずみ ]
Toshiジィ様へ
前に、「災害派遣の時に地下足袋着用を上申したそうですが、断られたそうです。」とカキコしましたが、誤りでした。昭和47年夏の災害派遣では「中隊長は地下足袋、巻きけはんという姿で、‥現場指揮を取っていた。」と連隊長の手記にありました。(事実はよく確認して書き込まなければなりませんね。失礼致しました。)
然しながら、父の「地下足袋」が突飛な発想でないことがToshiジィ様の記事でわかって良かったです。ありがとうございました。
(先の私の記事は削除致します)
2010/5/25(火) 午後 4:25 [ aratakeshouji ]
昭和40年代は・・地下足袋・巻き脚絆・・が災害派遣の常装でした
それと・・保安隊当時の茶色半外套の袖を取った作業外被・・
2010/5/25(火) 午後 8:10
そうですかー、常装だったのですね。
父の死後37年、こんなお話が伺えるとは‥、パソコン様さま、Toshiジィ様です。
S47年夏の災害派遣とは「えびの地震」の時ですね。
演習帰りのおみやげの羊羹やミカンの缶詰、乾パンなどが懐かしいです。
2010/5/26(水) 午後 9:08 [ aratakeshouji ]
当時は演習に参加したら“演習加給食”の“乙額支給”といって
当時の金額で70円程度の缶詰やお菓子などが毎日支給されていました(2尉の給料が5万円ぐらいの時・・ハイライトというタバコが70円の頃で・・・今だったら300円ほど?)
戦車部隊のナンバー中隊の隊員にはプラス羊羹なんかの“戦車食(40円ほど)”が支給されており・・1週間の野営訓練に参加すれば子供たちへの演習土産になっていました・・・。
2010/5/27(木) 午後 6:57
因みに私はS59年の新隊員ですw
昭和40年って・・・・
生まれた年なのですがw
当事、機甲職種希望だった私(リコンですが)
残念ながら募集は無く、特科に進んだのが現実でした。
結果はのほほんとブログを書いている事もありますが
荒波を受け流している私だったりします。(良い意味と受け取ってください)
2010/5/27(木) 午後 8:36
当時・・
当直勤務や警衛勤務にも増加食甲額(30円程度の羊羹や駄菓子)
土曜や日曜、営内で食事をとらなかったら食費相当の弁当食というお菓子などを貰っていました。
1週間の休暇なんかの時は・・それが段ボールいっぱいになり田舎に
送ったりしていました。
2010/5/28(金) 午前 7:47