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当店で、ずっと作り続けている料理の1つにビーフシチューがあります。
そのビーフシチューのお話は『ラ・マルセレーズ』という書庫に書いてあります。
(随分古い記事ですが・・・)
サンタムールのビーフシチューは、牛の頬肉を使っています。
赤ワインや香味野菜と共にじっくりと時間をかけて煮込んでいくのでトロトロです。
私自身は良く出来たビーフシチューだと思っていますし(当然ですね!)
来店する度にビーフシチューばかり注文される方もいらっしゃいます。
しかし・・・・、
万人が美味しいという料理など存在ましません。
(皆、それを目指して仕事しているのですが)
当然、残されるお客さまもいらっしゃいます。
その殆どの方が、コラーゲンを脂又は筋と勘違いされているという現実。
(なかには、この肉は牛肉ではないと言い張る方も・・)
頬肉なので脂も筋もありません。
もちろん癖も無い部位です。
それどころかコラーゲンをたっぷり含んでいる部位なので
コラーゲンの香りが結構します。
(ごく稀に、これが臭いというお客様もいます)
コラーゲンですから食べて下さいね!
などとお客様には言い難いですね。
何かうまく伝達できる方法を只今模索中です。
つるつる美肌を目指す貴方。
是非サンタムールのビーフシチューを召し上がってみて下さいね。
では、また。
*今年の土用の丑の日は、サンタムールのフォアグラ丼はいかがでしょう?
ランチメニューの組み込む予定ですので、鰻ではなくフォアグラを食べて暑い夏を乗り切ってはいかがでしょうか?
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料理のこと☆食材のこと
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料理に使う食材を中心としたお話です
料理の逸話もお話します
料理の逸話もお話します
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7月の20日〜22日の3日間は熊谷のうちわ祭りですが、今年も無事に終わったようです 熊谷のうちわ祭りは、八坂神社の流れを汲んでいる『関東一の祇園』と言われています。 本家京都の祇園祭といえば、『鱧祭り』と言うくらい鱧は欠かせない料理であり 大阪の天神祭も鱧が欠かせないそうです。 関西の夏の味覚として欠かせない鱧ですが、実は鱧料理が夏の風物詩になったのには訳があります。 今日のように流通が発達していない昔は、海から遠い京都まで新鮮な魚を運ぶのは困難を極めました。 しかし生命力の強い鱧は活魚のまま京都へと運ぶ事が出来たのです。 (もちろん料理人が編み出した骨切りという下処理の技術も普及した原因のひとつでしょう) 鱧というのは、『はむ』『咬む』がなまった物と言われています。 その名の通り鱧の口は目の後ろまで裂けていて、顎には犬歯のような鋭い歯が並んでいます。 さらにその内側にも細かい歯が並んでいるため、口は完全には閉じられません。 (しかも夜行性の為、目がギョロっとしています) 漁獲した際や調理をする際には大きな口と鋭い歯で噛み付いてきますので、注意が必要です。 (私は噛み付かれたことはありませんが、噛み付かれた調理師は結構います) 鱧は鰻やアナゴなどと同じウナギ目に属します(ハモ科です) ウナギ目共通の特徴として血液中に『イクシオトキシン』という毒があります。 この事は意外と知られていないので驚かれる方もいるかもしれませんが、加熱をするとその毒は分解されてしまいます。 鰻やアナゴ、鱧もそうですが、刺身などの生食をしないのはその為です。 鱧は暖海性の魚です。 本州の南よりに主に生息をしているので、関東以北や日本海側には余り生息していません。 主に東シナ・南シナ海に生息をしているので、日本における漁獲高は長崎や福岡 徳島・愛媛などが多いのですが、韓国・中国産も数多く輸入されています。 (韓国産はかなりの高品質で高級品です) 沿岸よりも海底か砂泥地、岩礁付近に生息しているのですが、アナゴやウツボなどのようにひそんでいるわけではないので、意外と泳ぎが得意なようです。 これは鱧の骨切りを表した言葉です。 鱧には小骨非常に多く、食べるにはこの『骨切り』をしなくてはいけないのですが 腹側から開いた鱧の身に皮を切らないように包丁で細かな切込みを入れていきます。 一寸(約3センチ)で26の包丁を入れるようになって初めて一人前と言われるのですが、この骨切りがきちんと出来ていないと、鱧を熱湯のくぐらせた時に牡丹のように綺麗な花が咲かないのです。 鱧は骨切りがあるため、家庭で食べるのは難しい魚だと思われますが、最近は骨切りされた物が流通しています。 楽天市場などをのぞいても、骨切りした鱧はもちろん、料理された鱧が幾つか売っているようです。 鱧は年間2度旬を迎える魚なのですが、さっぱりと美味しいこの時期に召し上がって暑気払いをしてみてはいかがでしょう? (『梅雨の水を飲んで育つ』と言われるこの時期はさっぱりと美味しく、産卵を終えて食欲が増し、脂が乗ってコシが出て『金ハモ』『松茸ハモ』などと呼ばれる冬です) 天婦羅、牡丹ハモ、落とし、照り焼きやハモしゃぶなど、色々な料理がありますが、お酒とも合わせやすいです。 飲みすぎた後はハモ茶なんていうのもなかなかおつですね。 関西の夏の風物詩、鱧のお話でした。 では、また。
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そんな暑くて食欲の無い時でも、茄子料理って以外と食べられると思いませんか? 冷たい糠漬けや浅漬けなども美味しいし、油との相性が抜群なので揚げ浸しなども食が進みますよね。 私は油との相性の良さを生かして、トマトで煮込んだりオリーブオイルでハーブなどと共に炒めたりした物が好きで、シャンパーニュやビールのお供に最適です。 (しかも、残った物は翌日冷たいまま頂いても美味ですよね) そんな茄子ですが、いつ頃日本に伝来した植物なのかご存知ですか? 茄子はインド東部が原産の植物で、温帯では一年生植物ですが熱帯では多年生植物となります。 日本へは平安時代に『奈須比』(なすび)として伝わりました。 現在は、女房言葉により茄子となった形で呼ばれる事が多いですが、土地(または年代)によると今でもなすびと呼んでいる場所もあるそうです。 日本伝来以降、日本人にとってはなじみの深い野菜となっていくのですが、独自の品種なども多く作られたり、人形など(お盆などでは足を付けたりして牛に見立てたりするのを、ご覧になった事がありますか?)も作られたりして深く生活と関わっていくのです。 また『秋茄子は嫁に食わすな』とか、『一富士二鷹三茄子』『親の小言と茄子の花は千にひとつの無駄もない』(意味の解らない人はいないと思うので書きません)など、茄子を使ったことわざは幾つかありますが、これらも日本人の生活に根ざしている野菜だということがうかがえますね。 意外と知られていない事として、茄子は連作障害を起こしやすい植物なのです。 (同じ作物を同じ場所で連作すると、多くの場合作物に病気や栄養障害などの障害が発生する) 同じナス科のトマト、ジャガイモ、ピーマン、シシトウなども相性が悪く、5〜6年以上間を空けるか、何らかの処置を施さないと障害が起きやすいのです。 茄子はフランス語ではAUBERGINE(オーベルジーヌ)と言いますが、残念ながらその語源はわかりません。 しかし英語のエッグプラント(卵植物)ドイツ語のアイエル・アプフェル(卵形りんご)は何となくうなずけるネーミングですよね。 白茄子、もしくは皮をむいた状態なら卵のようにも見えますし皮をむいたりんごのように見えなくもないです。 そんな茄子は日本各地で様々な品種改良をされて、100種類以上の品種が栽培されていると聞きます。 形だけで分けてみても、卵形茄子、中長茄子、長茄子、丸茄子、小茄子などがあり 京都の加茂茄子や泉州の水茄子などブランド茄子も数多くあります。 (ちなみにここ埼玉では小茄子が有名です) 茄子は95%が水分で、栄養素は殆ど含まれていませんが果肉は油をよく吸収するので、炒め物や揚げ物にする際に使う植物油に含まれるリノール酸の摂取には適しているのかもしれません。 夏野菜は体を冷やす作用が含まれているものが目立ちますが、中でも茄子はその作用が強いので、発熱や体が火照っているときなどに食べると良いかもしれませんね。 そのほかには、食欲増進や解熱作用、高血圧予防などもあるそうです。 八百屋さんやスーパーなどで茄子を購入する際には、皮に張りのある物を選ぶのはもちろんですが、色つやが良くヘタの刺がしっかりとして重みのあるものを選びます。 調理をする際に切り分けると、灰汁が出てしまってすぐに黒ずんでしまうので調理をする直前に切るようにしてくださいね。 また、切った茄子は薄い塩水につけて灰汁抜きをしてから調理をすると綺麗に仕上がります。 さあ、蒸し蒸しと暑い日が続いていますが、体の中から冷やしてくれる茄子を食べてこの夏を乗り切りましょう! 参考までに、なす料理レシピです。 では、また。
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こんな小冊子があります。 なかなか面白い物で、埼玉県内の農業を中心にさまざまな情報が満載されています。 恥ずかしながら、この冊子を通して知った県産の新品種の野菜やブランド肉などがあるので、大変助かっています。 今回の『のうりんさいたま』の特集記事は 埼玉県の麦生産 となっています。 その昔、埼玉県は麦の生産量が日本一を誇っていた時期があるので非常に興味深い特集でした。 熊谷駅東にあるショッピングセンターである ニットーモール というものは日東製粉の工場跡地に作った建物であるし お隣の深谷駅前にある埼玉グランドホテル深谷の建物も日清製粉跡地に建てた物なので 昔は小麦の生産が盛んだった事が容易に想像できます。 以下は、のうりんさいたまの記事の一部です。 昭和30年代頃まで、埼玉の日常食は押し麦に白米を混ぜた麦ご飯一般的でした。また、大麦中心の日常食の中で、地粉を使った手打ちうどんもしばしば食卓に上りました。 (中略) 関東平野の内陸部に位置する埼玉県は、冬は北西の風が強く、晴天の日が多いことから、冬季の乾燥した空気と日照、適度な寒さが麦の生育に最適で、昔からの麦類の主要な産地になっています。 (中略) 埼玉県は、麦の生育に適した気候と平坦で広大な耕地など、作付条件に恵まれた環境にあるうえに、麦作改良に創意工夫をこらした先人達が存在したことを忘れることが出来ません。その代表は権田愛三であり、その門下生で『不整地播き』という新しい種播きの方法を開発した小暮常八や品種改良では国内の小麦作付品種で第1号になった『埼玉27号』を育成した野村盛久などがいます。 特に『麦翁』と呼ばれる権田愛三は、嘉永3年(1850年)に東別府村(現・熊谷市)に生まれ、麦の収量を4〜5倍も増加させる多収栽培方法を開発しました。その栽培方法は、麦の根元をしっかりさせ倒伏を防止する『土入れ』、麦の茎の枝分かれと根部の伸長を促す『麦踏み』、堆肥をふんだんに使った『土作り』を行うというものでした。 大正12年には集大成ともいえる『実験麦作栽培改良法』を出版し無償で配布し、県内はもとより全国に広めるなどの技術の普及に尽力しました。 栽培方法が改良された現在でも、『麦踏み』は安定多収を図る上で重要な技術として今日に活かされています。 面白いデーターがあって、県内の小麦生産量の第2位は熊谷のお隣の深谷市で2,550t、第3位は同じくお隣の行田市で2,110tとなっています。 熊谷市は9,330tとなっておりダントツの1位となっていますが 深谷市は『煮ぼうとう』が有名で、毎年山梨と合同で催事を行っていますし 行田市は『フライ焼き』という、簡素なお好み焼きのような物の発祥の地となっております。 もちろんどちらの料理も熊谷市民にはなじみが深く、古くからたくさん食べられていたのですが この辺の観光事業の下手さがなんとも熊谷らしいと思ってしまいます。 人によってはどちらも熊谷のものだといっていますが、先に名乗ったもの勝ちですね(笑) 煮ぼうとうは、熊谷では『ひもかわ』と呼ばれて、古くから愛されてきました。 最近はそれに習って熊谷産地粉使用のうどん屋さんが増えてきて、定着しつつあります。 熊谷にとって、麦は生活に欠かせない食物(穀物)であったので、私も麦を使った料理を作っていた時期がありました。(もう、7年くらい作っていませんが・・・) 麦の香り豊かなブイヨンと、プリプリの赤座海老がすばらしい一皿です。 のうりんさいたまを読んで、久しぶりに作ってみようかと思っています。 (画像を探したのですが見つかりませんでした。いつかアップしますね!) 熊谷が特産の麦にまつわるお話でした。 では、また。
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今日は私の大好きな食べ物の1つであるカレーのお話です。 今や日本料理といっても良いほど日本文化に溶け込んでいる国民食ですね。 各家庭ごとの特色あるカレーや学校給食、お弁当 そしてお蕎麦屋さんのメニューに載っているほどの浸透ぶりは 子供たちの好きなメニューベスト3のハンバーグやラーメンなどとともに 日本の食生活に欠かすことが出来ない料理になっています。 それほど親しみやすいカレーなので、詳しい方や凝った作り方をしている方なども 大勢いらっしゃると思います。 そういった方は新しい情報や薀蓄があったら さてこのカレーですが、日本人が一般的にカレーと呼ぶものはインドなどには存在せず 元々イギリス発祥の料理だということはあまりにも有名ですけれど、簡単におさらいをします。 イギリスといえば産業革命をいち早く行った後、7つの海の覇権を握ったというように屈強な海軍のイメージとともに、大航海時代を含め世界屈指の海洋国です。 (でした、と過去形にした方が良いのかもわかりません。しかし西洋屈指の強国として世界中に植民地を増やし、国際語が英語とまでなった事からも船乗りの数はたくさんいたと想像できますね) そのイギリスといえば一般的には食事は質素でしたが 長い経験から『シチュー』のバランスの取れた食事は大好物だったのです。 船乗り達の長い航海の時にも、このシチューを食べたいと思っていましたが 味付けに使う牛乳が傷んでしまうので別のものを探した結果 香辛料を使ったシチューを考案したのです。 これが日本で食べられているカレーの原形です 後にこのシチューはイギリス海軍の『軍隊食』として定着をしますが 明治期の日本海軍はイギリス軍を範としていたので、このシチューを取り入れたのです。 もちろんこのシチューはパンにつけて食べていたのですが 米食の日本人にとってはパンでは力がですに改良をしました。 小麦粉を使ってとろみを加えたシチューはご飯に良くあい 以後日本海軍の軍隊食として定着していくのです。 さらには、故郷に帰った兵士達が家庭に持ち込む事によってカレーは全国に広がっていくのです。 では、一般的にカレーが普及したのはというとやはりヱスビー食品からということになると思います。 当時カレー粉といえばイギリスのクロス&ブラックウェル社のカレー粉で (通称C&Bカレー粉 現在はネッスル社の傘下に入っています) 私が見習いの頃にも良く使ったカレー粉です。 これを大正12年に日本人好みに変えて作ったのがヱスビー食品の創業者である山崎峯次郎です。 山崎峯次郎は1903年埼玉県に生まれ、17才の時、東京に出てソース屋で働いていました。仕事の帰りにカレーと運命的な出会いをします。当時の洋食屋で始めてカレーを注文して食べた峯次郎は、カレーを一口含むやいなや、「辛い!しかしうまい!」と、たちまちカレーの魅力にとりつかれます。そしてカレーの基本になっているカレー粉を自分の力で作り出そうと決意します。しかしそれは、カレー粉とは何かが皆目見当もつかない当時のこと、想像以上に困難が連続する作業となりました。近所からは変人扱いされながらもくじけず、一つ一つカレー粉の秘密を解き明かし、ついに1923年(大正12年)日本で初めてのカレー粉の製造に成功します。峯次郎は同時に「日賀志屋」を旗あげし、自ら作り上げたカレー粉の普及に乗り出します。この日賀志屋こそが現在のエスビー食品の前身であり、山崎峯次郎は創業者その人です。 (S&Bカレーの歴史より) これがいまだに目にすることのある、あの赤い缶に入っているカレー粉です。 (実はサンタムールの通販のカレーにも少し使っています!) その後インスタントのカレー粉が主流になっていくのは日本の高度経済成長の頃からなので 皆さん御馴染みのものばかりだと思います。 実は諸説あってはっきりとは解かっていません。 一説には『ご飯にかけるタレ状のもの』をタミール語で【カリ】と呼ぶのでという説や インド人やスリランカ人が常食にする『スパイシィな汁かけご飯』の総称である【カリ】という説、ヒンズー語の神に供える『野菜ご飯』(カリ・アムドウ)という言葉の 『ご飯に乗せる具』を意味する【カリ】という説や『美味しい物』(香りよい物)を意味する【ターカリー】に由来する説などがあります。 他には お釈迦様が不老不死の薬としてスパイスを市民に与えた時に、民衆が美味しいという意味で叫んだ『クーリー』に由来する説 インド北部の古い料理名『カディ』に由来する説 1595年『東方案内記』(リンスホーテン)にインド人が『カリール』と呼ばれるスープ状の物をご飯にかけて常食しているとの記載 1681年『セイロン史』(ノックス)にスパイスをたっぷり含んだ汁っぽい料理を『カリーズ』として記載 長々と書いてきたカレーですが 人参、玉葱、ジャガイモなどがゴロゴロと入っている家庭的でシンプルなカレーが なんだか一番懐かしくて美味しくホッとする味です。 3,4日続いても、全く大丈夫だし、昼、夜とカレーでもOKなほどです(照) (大鍋で作って無くなってしまった時などは、なんと淋しいことか!) うちのスタッフは私が作るマトンカレーが大好きなようですので お蕎麦屋さん仕立ての出汁で作って片栗粉でプルプルにした『カレー丼』とあわせて賄いに登場する時があります。 (この場合でも、作った私が一番喜んでいるのですけどね 爆) ここまで書いてきたら 今晩の夕食にはカレーはいかがでしょう? また、貴方のカレーの隠し味や面白い具があったら、是非教えて下さいね。 では、また。
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