MALAYSIAの残像

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マラッカから

北へ70KM



車窓の風景から

ときおり見える

マラッカ海峡を横目に

北上する事を決めた。



マラッカに滞在中

どちらの街へ行くのか

悩んだ候補地が

ふたつ程あった。



ひとつは

この付近にあるリゾート地

PORT DICSON。



もうひとつは

明治の文人

「金子光晴」が逗留した街

BATU PAHAT。



主に春画を

描いた画家でもあり

文人、詩人でもあった彼は

不貞行為を犯した

自分の妻を

その愛人の男性から

引き離すために

借金を重ね

なけなしのお金をはたいて

その妻と共に

日本を離れた。



航海の船の中で

立ち寄る

外の国の街で

ふたりはどんな会話をし

どんな生活をしていたのか?



考えるだけで

空恐ろしく

興味深くもあった。



途中

金の尽きた金子は

妻だけを

フランスへ向わせる事を妻に告げ

一人でマルセイユへ向う船に

乗船をさせた。




その愛人男性から

どれほど遠くまで

引き離せばいいのか?




どれほど遠くまで

行けばいいのかを

考えた結果と

自分の絵をフランスの人々に

認められたいとの思いからであった。。。




金子の

妻への執着心と

嫉妬心が如実に現れていて

三部作と言われる

三冊の本は

興味深く読んだものだった。




しかし

彼は作品の中でも

記載していたが

その妻を

本当に愛していたかどうかは

非常に疑問で

本当は

どうでも良かった様にも思える節も感じるが

妻の渡仏後

詩人はアジアの街の路地裏を

一人彷徨い続けた。。。



春画という

当時であれば

眉を顰められる絵を

描き続けていた彼は

それこそ

形振り構わず

絵を描き

借金を重ねる。



シンガポール

バトゥパハ

ジャカルタ

ジョグジャカルタ

スラバヤ

プロウスリブ



を渡り歩き

フランスでの生活費と

借金返済の金を稼ぐために

言葉もわからない場所へ降り立ち

創作活動を繰り返す。



これらの街は

今でこそ色々な情報があり

どんな街であるかも

すぐにわかるのだが

時代は1928年。



彼にとっては

得体の知れない街での

創作活動であった事は

簡単に

想像が出来た。




BATU PAHATは

そんな彼が立ち寄った

場所だった・・・。




ここまで話を引っ張って

どうかと思うのだが

この時私は

逆の方向へ

向う事にした。



そんな金子の事情も

街の風景も

重く感じられる場所に

向う気にはなれず

何も考えないで

居られる場所へ

向う事にする。




彼女は聞いた。



「sexyになるってどういう事ですか?」



もう一人の女は

煙草を吸いながら答えた。



「頭の中をカラッポにする事よ。」



そして私は

そんな映画のシーンを見ながら・・・。



「そうか・・・。頭の中をカラッポにすればいいのか・・・。」


「何か、判る様な気もするな・・・。」


「そうするか。」



マラッカからのバスが

ポートディクソンの街に到着すると

水上コテージが並ぶ

Avillion Village Resortへ

向う事にした。



オフシーズンなのか

人もほとんど居なかった

ホテルのフロントで。。。



「今日、部屋ありますか?」


「はい。ありますよ。」


「あの海上のコテージはいくら?」


「今は、客がいませんからお安くしときますよ。150USDで

どうですか?」



海に見える

部屋の大きさを考えれば

これでも

充分安いのであろう。



「120は?」


「いいですよ。100でいいです。」




いい奴だ・・・。


  

海に突き出したコテージへ

案内されると

その部屋の

広さに驚いた。



「いいの?この部屋使って・・・。俺一人だけど・・・。」


「どうぞ どうぞ。」



いい奴だ・・・。



ただこれは

大事な事だけど・・・。



海は緑色と言うか

茶色と言うか

とても

飛び込んで泳ごうなんて

思える海ではなく

それこそ

カレドニアや

モルディブのコテージを

想像されては

困る海だった。



季節の問題かも知れないが

マラッカ海峡の海は

青色では無い事は

強く印象に残っている。




部屋の中で洗濯をし

洗物をコテージのベランダに

並べて干した。



腕時計も外し

広い部屋の

どこかに置いた。



ルームサービスで

ビールとフィッシュアンドチップスを

注文すると

綺麗ではない

海の見えるベランダに

デッキチェアを置いて

本を読み

ビールを飲んだ。。。



そして帰りの

KL空港のチェックインカウンターで

荷物を預けるまで

外した腕時計も

洗濯物も

そのまま部屋に置いて来てしまった事に

気が付く事は無く

ほんの少しの間でも

頭の中は

カラッポだったのかも知れないと

考えた・・・。




いや

別に

私はSexyだって

言ってる訳では

ありませんので・・・。
  


 
 
 
 
 

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昨日と今日は

ゆっくりと休みました。

お昼寝もして・・・。



先ほど

目が覚めました。



目が覚めると

京都はまだ

雨が降っていました。



マラッカで目が覚めた時は

暑さで目が

覚めた気がします・・・。

 



少し

陽が傾いた時

午睡から醒めました。



軽く冷房を入れていましたが

それでも暑く

目を覚ました

気がします。



ボーっと

部屋の中を見渡すと

KLの時と同じく

自分が今

どこに居るのか?

少し迷う様なところがあり

おそらく

こう呟いたと

思います。




「マラッカだっけ・・・?」




小さな窓を

全開に空けると

蒸し暑い風に

海からの風が

交じり合って

小さな部屋の中に

入って来ます。



ジーンズを履いて

汗をかいた

Tシャツは

脱ぎ捨てて

街中へ

出てゆきます。




ホテルの裏の

JI.HANG JEBAT通りにある

マレーシア最古の寺院

「青雲亭」へ行き

充満する線香の香りと

煙の中で

祈りを捧げる

人達を見ていました。



そしてstadthuys(スタダイス)へ

向います。



 
西暦1650年

マラッカを支配した

オランダの総督が

居住するために

建てられた

このランドマークは

博物館も併設され

日本が占領した時代の

写真や資料も

数多く

展示されていました。




それらを見た時

この南方まで

資源を調達しなければ

アメリカと戦えなかった

日本の貧弱さを

感じずにには

入れなかったのです。



先の大戦において

日本が多くの迷惑を掛けたのは

中国や韓国だけではなく

このマレーシア、シンガポール

インドネシア、フィリピンに

及んでいた事を

覚えて置かなければなりません・・・。




その赤い教会は

美しく整備され

そこに集う敬虔な信者達も

祈りを捧げる姿は

美しかったのです。



良く考えれば

赤い教会を見たのは

カソリック系でも

プロテスタント系でも

初めてだった様な

気がします。



私もここで

クロスを刻みます。


 
Porta de Santiagoの砦に

汗をかきながら登り

マラッカ海峡の位置を

確かめました。




街中を見渡せる

この砦からの景色は

意外にも近代化された

海側の景色を

見る事になります。




PARKSONなどの

大型ショッピングセンターなどが

埋め立てられた

海側に建てられ

その周辺にも

整備された家並みが

並んでいるのが

見えました。



マラッカ河沿いに

歩けば

海の近くまで行ける事がわかると

サンセットの見える場所へ

歩き出しました。



今回は

これだけ見れれば

後は何もいらないのです。


 
海沿いの道に座り込んで

見たそのサンセットは

本当に自分が

求めていたものかどうかは

わかりません。



マニラベイで見た夕陽

ロスのビーチで見た夕陽の方が

綺麗だった様な

気もします。




ただこの海峡に沈む夕日は

自分の憧れとともに

先人達が

この場所で見て来た

夕陽だったのです。




太陽が沈みきる

その瞬間をこの目で見た時

この街の幕が

毎日こうやって

降ろされる事に

感動を覚えました。



やはり来て良かったと

思えたその瞬間を

今でも

フラッシュバックできる

今日の自分に

感謝をします。。。

 

 

 

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冷たい冷気が

蔓延するACバスは

緑の高速道路を

走りぬけ

KLから約3時間ほどで

マラッカの

長距離バスターミナルに

到着した。




マラッカ川沿いを

スタスタと宛てもなく

少しでも賑やかな方へ

歩いてみる。




朝食も食べずに

出発したので

途中でお腹も空いて

マラッカの名物料理でも

食べてみるかと思い立った。




まずは荷物を置きたかったので

バス停から

15分ほど歩いた

ちょっと洒落た

オールドスタイルの

ホテルへ入って見る。




「すみません。部屋はありますか?」

「ありますよ。」



「お一人?」

「はい。」




「うちはババ・ニョニャスタイルのいいホテルですよ。」

「1泊 RM150でどう?」(=4500JPY程度)
 



気持ち的にはOKな

金額だったが

普通のバックパッカーであれば。。。





「失礼しました〜。」と



言いながら

出て行く金額でもある。




一応

考えるフリをする。




「じゃあRM130でどう?」




お腹も空いているので

その金額で

チェックインを行う。





ババ・ニョニャハウスとは

その昔

オランダ人が

多く住んだこのマラッカに

現在も残される

中華とヨーロッパの

テイストが品良く調和した

住宅の事。





フロントにあった

調度品などもセンスが良く

往年のマラッカを

想像するに

かなりの富が

この地にあったと思われる。





部屋の内装も

品が良く

気持ちよく

荷物を置く事が出来た。



 
フロントで

マラッカの名物料理を聞いてみると・・・。




「そりゃババ・ニョニャ料理でしょう。」



 
フロント氏の

「ここでも食べれるよ。」と

言う言葉を遮って

外のレストランを

探してみた。




店は何軒もあり

その中でも

繁盛している店を

選んで席についた。




メニューには

マレー語、中国語、英語

なかには

日本語まで書かれたものまであり

逆に引いてしまったが

中華とマレー料理が

上手くミックスされた

ババ・ニョニャ料理は

どれもおいしく

特にカレー風味の

魚料理は

美味だった。




お腹が満たされると

一度ホテルへ戻り

午睡をする。




ACの設定温度は

高めにして

少し窓を開けておくと

蒸し暑い風で

窓際の中華的な風鈴が

音を奏で

そのまま

眠る事が出来た。





目覚ましも掛けない午睡・・・。

ZZZ...。





目を覚ます頃

太陽が西へ傾く頃かも

知れない。



そう

憧れのマラッカの夕日まで

もう少し・・・。

あと少し・・・。

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安宿での目覚めは

あまり

宜しくない。




スプリングが

あるのか無いのか

よくわからない

硬いベッドから

身を起こすと

しばらくは

ボーっと

部屋を見渡す。




そしておもむろに

煙草に火をつける。




その意識の

薄い時間の間に

ゆっくりと

自分が今

どこに居るのかを

確かめる。





「そうか・・・。KLだな・・・。」

「どうすんべ・・・。」





古い部屋の

木製の窓を開け

部屋いっぱいに

南国の熱気を

入れると

気だるさと共に

旅情感が

湧き上がる。




これが

湧き上がらない限り

街に出ようなどと

思わない・・・。




近くの

中華料理の食堂街で

朝食を食べ

KLの街へ

繰り出す。




朝の礼拝時間を終えた

ブルーモスクへ行くと

人は誰も居なかった。




高い天井を見上げ

ただ呆然と

その場に立ち尽くし

ここに多くの人が

ひれ伏し

マホメッドへの

祈りを捧げている光景を

想像していた。




イスラムの経典

「コーラン」

を読んだ事はない。




その教えの真理や

アウトラインさえ

何もわからない。




でもここには

それを

生きる事の教えとして

崇拝する人達が

集まるのである。




イスラム様式の建物が

並ぶこの街は

シンガポール同様に

多くの民族が暮らし

イスラムの強烈な香りと

中華圏の香りが

戦うことなく

混在している。



ペトロナスツインタワーは

1棟を日本企業が

もう1本棟を韓国の企業が建設した

当時

世界一の高さの

ツインタワー。




この2棟は

同時に建設が開始され

日本企業は

韓国企業よりも

1ヶ月以上早く

工期を

終了させたという

日本の建築技術レベルを

みせしめた

ツインタワーだった。




ビーチサンダルに

Tシャツ姿で

インテリジェンスビルの展望台へ

向った。



館内は

どこでもそうであるが

エアコンが効きすぎていて

すぐに肌寒くなる。




展望台から

見下ろすKLの街は

美しく視界に

飛び込んで来る。




シンガポールの経済力に

押されがちな

この街であるが

その混沌とする

アジアの雰囲気や

街の中心部の雰囲気は

シンガポールと

それほど変わらない

気がした。



水を手にしながら

35度近い街の中を

歩き続けると

1日早く

この街から

出発することにした。




今回の目的は

マラッカの夕日を

見ること・・・。




チャイナタウンで

アルコールを摂取しない

人達の横で

ビールを飲みながら

そのサンセットを想像すると

すぐにでも

行きたくなった。




マラッカ・・・。




心から行きたいと

思っていた

その場所。




心躍る

その気持ちに

比例して

飲めない筈の

ビールが

体中に

染み込んで来た・・・。

 

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シンガポールを経由し

クアランプールへ

向かう。




今回の旅の目的は

マラッカの夕日を

見に行くこと。




沢木氏も

深夜特急の途中で

この夕日に

感動した事が

本には書かれている。




KIXを出発した

フライトは

約6時間で

SINのチャンギ国際空港へ

到着する。




この空港は

世界的にも評価の高い

すばらしい空港である。



綺麗だし

次のフライト時間までの

空き時間にも

客を退屈させない

工夫が

いくつもなされている。



次のフライトまでの時間を

本を読んで

過ごしていた。




SINからKULまでは

約1時間のフライト。



完成したばかりの

クアラルンプールセバン国際空港

に到着。




最近はやりの

大型空港だが

無意味に広い様な

気がする。




荷物を引き上げると

ムスリムの人たちと一緒に

リムジンバスに

乗り込み

市内へ向かうと

ブキビンタンの近くで

安いホテルを探し

すぐに夕食へ

出掛けた。




チャイナタウンの屋台街で

安価で美味なる

夕食を楽しむ。




体に巻きつく様な熱気に

ビールが上手い。




屋台では両親を手伝う

子供達が良く働き

気もちのいい笑顔を

振りまいている。




日本の子供たちにも

見せてやりたい気持ち・・・。




2〜3日

このKLに滞在し

バスでマラッカへ

向かうつもりである。




ここからマラッカまでは

比較的多くの

バスが出ており

3時間程度で

到着できる。




明日はKLを

ゆっくり

散策することにする。



KLまでの

プロローグは

何事もなく

すべてが順調。




何か拍子抜けして

しまうほどに

順調。




夕食も

ビールも上手い。



でも何か物足りない・・・。



それでも

1人でここまで来た事は

何の後悔も無い・・・。

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