深夜特急

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Delay Delayed Delayed
 
Delay Delay 遅延、遅着の表示が並ぶインフォメーションボード。
 
冷たい強風に横殴りの雪が吹き付ける
 
Cleveland.
 
 
暖房の効いた明るい照明もあるバスディーポの内部からは
 
人の気配だけが消えてゆく。
 
 
その事に少し不気味さを感じ、背中に寒い思いを感じながらも
 
グレイハウンドの赤いテールランプが雪の中へ消えてゆく光景を
 
じっと眺めながら
 
時間をやり過ごす事しか、この時は出来なかった。。。
 
 
 
この日の敦煌は冷たい強風に砂の舞い飛ぶ
 
最悪の天候であった。
 
 
次の街へ進むべくたどり着いた長距離バスターミナルには、大きな荷物を抱えた人々で
 
いっぱいの状態で、どうやらこの天候でバスが時間通りに動いていないという事は
 
すぐにわかったのだが、どれぐらい遅れているのか?次はいつやって来るのか?など
 
日本人ならではのクエスチョンの数々は質問をするだけ無駄であることも
 
思うだけでも無駄であることは、既に承知をしていたが、日没前までに
 
哈密(ハミ)までの移動を考えていた自分には、ここでの足止めはとても
 
苦痛に感じられた。
 
 
もう何時間待っているだろう。。
 
 
暖房設備も無い、満足な照明もない薄暗いバスターミナルの中で
 
時間の間隔を寒さと風と砂に奪われ、いつ出発できるのかが
 
わかりもしない状態が長く続いた。
 
 
いつか本で読んだ様に荷物の安全と身の安全を確保するために
 
なるべく家族連れの人々の居る場所で自分の居場所を確保し
 
ザックを枕に冷たいコンクリートに横になり
 
待つ事に慣れた人々の真似事をして時間をやり過ごした。
 
 
日も暮れ、場内が真っ暗に近い様な状態になった時
 
煌々と明かりが点いているのは、インスタントラーメンを食べながら
 
テレビを見ている切符売り場の服務員の居る場所だけとなった。
 
 
それでも何故か、不気味さがここでは感じられないのは、
 
この暗い空間に蠢く様に人の気配が同居するからなのであろう。
 
 
そんな事を思ううちに、少しずつバスが到着し、出発をする様になって来た。
 
滞留した人に流れが出てき始め、やがて「哈密!哈密!」と叫ぶ人の声が
 
聞こえて来た。
 
 
重たく感じられれる身体を持ち上げバスに向かい歩き出した。
 
 
寝台車の車両に横たわると
 
そのベッドに他人の残り香を感じ、待ち疲れた事に加え、この先も移動を続けなければ
 
いけない事にも少し疲れを感じて来ていた。
 
 
時計に目をやろうとする自分にも嫌気がさし
 
今が何時で、何時に到着出来るのか?
 
そんな事を気にする必要のない自分をこの時、決して幸せだとは
 
感じていなかった。
 
 
 
動き出したバスは、粗悪な舗装を正確に
 
客室に伝えて来る。
 
 
「こんな振動で、眠れるのだろうか。。」
 
 
暗闇のバスターミナルに居たせいで
 
街頭のない、引きづり込まれそうな深い黒い世界が
 
窓の外に見えてしまう。
 
 
そこに見える、流れる様に続く黒い砂の稜線は
 
そんな自分のちっぽけな心配を受け流し
 
自らの闇の世界へ誘い込んだ。。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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Mが何度か

電話をくれた様だ。


寒気のする背中に

強めの抗生物質のおかげで

受話器の向こうから聞こえてくる声が

現実的では無く

用件を伝え様とする彼の声が

とても遠くから

聞こえて来る様な気がした。。






このホテルの暖房が

それほど優秀で無い事はすでに経験済だった。


壁際に剥きだしの

鉄の管から少しの湯気が上り

冷たく冷えた窓ガラスを曇らせている。


キュッキュッと

窓ガラスを拭いてみると

オレンジ色の薄暗い街灯に照らされ

砂漠の街の冷気の中を

小さく身をかがめた人達が

行過ぎるのが遠目に見えた。



八ヶ月程前

自分は同じ場所に居た。


その時

神にでもすがりたいくらいの吐き気

嘔吐、下痢に襲われ

河倉城へ向かう壮大な景色の中で

胃液が出るまでうずくまり

涙目で砂の稜線を眺めていた。



街に戻り

その時、不思議な薬局の

無愛想な女主人から買った

風邪薬の箱を

今回の旅で持って来ていた事を思い出し

ザックから取り出し

ベッドの横に置いた。



今回は陽関や河倉城まで

行くつもりは無く

しばらくは来る事が無いであろう

この街で

見るべきものと見たいものは

ゆっくりと見ておいた。



砂漠の大画廊「莫高窟」



第十七窟「蔵経洞」

第四十五窟「菩薩・阿難塑像」

第五十七窟「菩薩図」

第百三十窟「南大仏」

第百七十二窟「西方浄土変」



これらと時間を掛け

対峙することで、千年以上も前の

人間とも対峙をしている様な

錯覚にも陥る事が出来る。



誰にも気を使う事なく

時間を気にする事もなく

西暦二千年を超えた今の時代にあっても

過酷な環境にあるこの地で

これほどの美しい芸術作品を生み出した人々に

驚きと敬意を払う。




敦煌故城



井上靖氏の小説「敦煌」を日中共同で映画化をした際の

巨大なロケセットが今も残り

観光施設として残されている。



ここは中に入って見るより

遠目に見るだけで良いかも知れない。



それだけで

あの映画の数々のシーンは

十分に記憶に蘇らせる事は可能である。




タクラマカン砂漠の東端に位置する

日の落ちた鳴砂山で

登り切れるところまで

砂の稜線を掛け上ってみた。



身を切る様な冷気に浮かぶ月が

とても綺麗。



そして、百八十度の視界いっぱいにうねる

巨大な砂の山の稜線は

果てしなく西へと向かっている。。



小さな自分

小さな国で

小さな自分の世界観で悩んだ自分が

心から小さく思えた。



この事をここで

体感したのは

これがはじめてでは無かった。




もう何度も感じた事だった。





気が済んだ。。。

そう思った。





ベッドの横に置いた

風邪薬を少し取り出し

沙州市場で夕食を済ませると

あの薬局へ足を向けてみた。



薄暗い店。。

開いている。。



あのとき、礼を言いたくても

言えなかった薬局が。。。




店の外から中を伺うと

その時の女主人は

ガラスケースに肘を付き

やはり無愛想な表情でテレビを見ていた。



どうしたものかと

しばらく様子を見ていたが

考えれば

自分の事など

覚えている訳も無く

また普通話で

上手く説明をして礼を言う自信もなかった。


心の中で

礼を言いホテルへ戻る事にした。



敦煌を出発し

星星峡、哈密(ハミ)、鄯善(ピチャン)を抜け

吐魯番(トルファン)へ向かう事を

夕食の時に決めておいた。



星の見えない空に

見上げる月は

冷たそうだがやはり綺麗で

夜光杯を

その月明かりに当てれば

好きになれない白酒も

少しは飲めそうな夜だった。。。










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琵琶を持つ天女。


朝の砂埃が

風で舞い上るロータリーで

オンボロタクシーの

おじさんを捕まえる。




顔を見る限り

漢民族ではないよう。。。



ウイグルの人。




筆談で

自分の行きたい場所を紙に書き

彼の前に

差し出すと。。。



ちょっと驚いた顔をしながら



「ちょっとここで待ってろ。」

「いいか。 ここで待ってろよ。」




と言った感じの言葉を返され

彼は車に乗って

どこかへ

消えてしまった。





「ナンだろう? 俺、何かマズイ事言ったのかな?」

「この場所って外国人未開放地域か?」

「あの おっさん まさか公安に通報しに行ったんちゃうやろな。」




疑心暗鬼の気持ちと

訳の判らぬまま

歩道の柵にもたれかかりながら

しばらく

その場所で待っていると。。。




プップーと

クラクションを鳴らしながら

ウイグルのおじさんは戻って来た。




車から降りて来ると

給油口を指差し

更に私に

燃料計を確認させる。




「満タンにして来たぞ。」

「じゃぁ行こうか。」



と言った雰囲気。。。




「ちょっと待って。」

「ここ、そんなに遠いの?」




日本語で突っ込んだ後

また筆談をはじめる。




「地図で見ると、そんなに遠く見えないんだけど。」

「バカ。往復で350キロはあるぞ。」




「いくらで行ってくれる?」

「そうだなぁ。。1200でどうだ?」(約18,000円)




一度、おじさんの顔を見るとそのまま無言でその場を

離れようとした。



「ちょっと待てよ。もうガソリン入れて来たんだぞ。」

「いくらならいいんだよ。」



ここは定石どおり。。。



「600」


と言って見る。



これでも高い方だと思うのだが

可愛い帽子をかぶった

おじさんの演技バレバレの

困った顔に免じて

「650」の数字を提示した。




このあたりの平均的な月収は

いいとこ1000RMBあるかないかで

あろう。。。



「600」でも腹の中では

笑っていた筈である。



ただ片道3時間

往復6時間の距離を

言葉のそれほど通じない者同士が

二人きりで車の中で過ごすのである。



気持ちよく行ってもらいたいと言う

思いもあった。。。




おじさんは満面の笑みで

「OK OK」を繰り返し

真っ赤な車体の全面が

砂埃にまみれた車は

貧弱なエンジン音を出しながら

一路「安西」へ向い走り出した。




飛行機で飛び越えてしまった

「河西回廊」を少しもどる事になる。




昼食を吹きっさらしの街

「安西」で済ませると

更に70キロほどの距離を走行し

その場所に到着をした。





はじめてグランドキャニオンを見た時

その目の前の光景が

とても過剰に見えてしまった。



そこには地球の歴史が

遥か彼方まで刻まれていたのだが

億という単位の年数や

自分の中でピンと来ない情景が

余りにも大きく広がっていたからであろうと思う。




これは自分がただ単に

器の小さい人間であるが為に思う事であり

この大渓谷には何の責任も無く

そこで聞いた

ネイティブアメリカンの昔話や

今も続くビジョンクエストの様な

旅を続ける人達の話は

興味深く聞く事が出来た。




それらの話を聞いたあと

渓谷を何日もかけて

馬やロバを伴いながら聖地を下って行く人影を

ビューポイントから見下ろした時

景観と話に焦点が合った事を

この安西で思い出した。。。






楡林窟。






グランドキャニオンとまでは行かないまでも

ここにも地球の小さな皺は刻まれている




砂と岩だけの景観の中で

意外な水量で流れてくる楡林河の峡谷に

開かれた俗称「万仏峡」。





唐代から清代にかけての

1000年以上にわたる精魂が

ここに壁画や塑像として

窟の中に隠されている。





唐代壁画の西方浄土変

弥勒浄土変はもちろんの事

銀川で見た謎の王国「西夏」に関わる石窟までもが

西暦2000年を超えた今尚

色を失うことなく

存在している。




窟の魅力はここにある。

色を失わない事。





もちろん当時のままでは無いにしろ

乾燥したこの地域ならではの

自然の保存がなされており

窟の中の適度な湿度、温度、暗さが

これらを可能にしている。





ひとしきり

窟の媚薬を堪能し終わると



入り口でおとなしく待ってくれていたおじさんが

私を見つけて

大きな声で質問をして来る。




何を言っているのかがわからず

紙とボールペンを渡すと




「出生地?」

との質問。




「大阪」と書いて見せて見る。




「知らねぇ〜なぁ〜」

と言う感じ。




「おじさんは?」




彼は紙に書く前に

笑いながらこう言った。





「喀什(カシュガル)だよ。」





私が判らないと思ったのか

慌てて紙に書こうとする

彼の手を制して。。。



「わかりましたよ。」




彼は不思議そうな顔をしていた。





また。


そうやって。。


魅力的なことを言うのね。。。


あなたたちは。。。。





天山北路、天山南路


どちらへ進むのか?





どちらにしても向う方角は

西だった。。。







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窓から見渡すと

どこまでもどこまでも

砂色の風景が

視界いっぱいに広がっていた。




眠気を誘う色の中に

脈打つ様な波が見えると

それが山脈だとわかるが

それ以外には地平線まで

砂しか見えない。




玄奘は本当にこの道を

一人で歩けたのだろうか?



孫悟空と一緒じゃなければ

空飛ぶ雲に乗らなければ

ナーランダまでは

行けなかったのではないだろうか?




千年以上経った今でさえ

自分はバスに乗る事さえ

苦痛に感じ

空から河西回廊を見下ろしていると言うのに

彼はこの道を自分の足で歩き

ナーランダからサンスクリット文字の経典を

西安に持ち帰っているのである。



彼の偉大さは

日本への経典の伝来云々よりも

「この道を歩いた」事実に敬意を

表したい。




高い高度を飛行しない

プロペラ機はやがて

タクラマカン砂漠の東端へ近づき

序所に高度を下げて行く。




中途半端な舗装が施された

真っ直ぐな一本道の両側に

ポプラの並木が

同じ様に道に沿って

植えられているのが見えてくると

それは砂漠の中の

オアシス都市と言われる

「敦煌」(DUNHUANG)へと続く道。




そして着陸態勢に入る頃には

はじめてこの街に訪れた時に

最初に抱いた疑問の

小さなふくらみが

無数に見えて来る。



その時

空港に迎えに来てくれた

「敦煌莫高窟研究院」の人に聞いてみた。



「あの無数の小さな石と砂の山は一体何ですか?」


「あぁ・・・。あれはお墓です。」


「お墓?」


「そうですよ。」



良く見ると確かに

お花やお供えものらしきものは

見えたのだが・・・。



「え!お墓って・・・。」


「あれで大丈夫なんですか?」



「ん?何がですか?」


「いや。あれで誰のお墓かわかるんですか?」



「ん?何でですか?」


「この広い砂と石だけの風景の中で、あんなにお墓があって間違えないんですか?」


「何の目印も無いのに・・・。」




「あなたは日本でご先祖様のお墓を間違える事がありますか?」


「いや、もちろん間違えませんが、それはちゃんと目印があるから

 
 間違えないだけで、この状況とは全然違いますから・・・。」




「ははは。間違えませんよ。ここの人達もあなたと同じ様に間違えません。」




それはどうして?

何を目印にして間違えないのか?



それを聞きたかったが

彼にこれ以上の明確な答えを求めることは

馬鹿な質問を繰り返す様な気がして

仕方なくなった。




ここに住む砂漠の民は

目印があろうが無かろうが

この広大な土地と景色の中で

自分の先祖の墓を間違える様な

馬鹿な真似はしないのである。




それが答えなのである。





砂と石にセメントを混ぜて建て上げられた

空港施設の外で

自分の預けた大きなザックが

プロペラ機から降ろされてくるのを

待っていた。




長く立っていると

口の中が砂でジャリジャリ言いそうな風が

この日も強く吹いていた。




そして見覚えのあるマークの

古いトラックが自分の荷物を

運んできたとき

日本で一緒に働いた同僚や上司の顔が

浮かび出し

そして同時にちゃんと

感謝の気持ちも持つことが出来た。




自分がまたここへやって来ることが出来たのは

自分の力なんかではなく

皆が支えてくれたから。




素直にそう思えた。




誰も迎えに来ない空港から街へ向う事にすると

風は次第に強くなり

一人で居ることの嬉しさと

人恋しさの矛盾が

自分の心の中で

葛藤している様だった・・・。




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実はこの本編を長い間

更新しておりませんでした。



この旅は私にとって楽しく

有意義なものであった事も

確かでありますが

実につらい事も同時に思い出さなければならず

更新する事に

戸惑っている日が多いのです。



私はこのブログをその時の旅日記をもとに

記憶をたぐりよせて記載しています。




今日は少し前に進めそうです。




蘭州で3日間ほどの滞在をした。


イスラミックな人々や

漢民族が同居する空間で

私は同じ様に日を過ごし

西へ向う為の移動手段や

途中の訪問場所について考えていた。



敦煌までの間には魅力的な街もある。



万里の長城の西の端

「嘉峪関」には行ってみたいと思っていた。




しかし交通手段が長距離バスか

席を取るのに苦労する列車での移動しか

出来ないと考えた時

どうしても

その気にはなれなかった。




これは中国を列車やバスを乗り継いで

長い旅をした事がある人であれば多少

理解をしてもらえるであろう・・・。




逆に体力が必要な交通手段に

乗車する体力が

この頃の私には無かった。。。




しかし

これ以上蘭州に留まる

必要も無かった。




私はまだ中国を超えて

中央アジアからヨーロッパへ向うのである。



そろそろ出発をしなければ・・・。




急ぎこのまま敦煌へ飛ぶ事に決めた。




市内にある中国新疆航空のオフィスへ向い

明日以降で最初に搭乗できる

航空便の予約をする事にした。



この区間には割引料金などの格安航空券は無く

普通運賃で発券を行う。

観光路線として需要が高いためである。



冬になれば飛行機はまともに発着が

出来なくなるので

今は駆け込み需要で

席がいつも取りにくい

状況であることは知っていた。



翌日、中国国内の空港で

もっとも市内から遠いと言われる

蘭州中川空港へバスで向う。

距離は約70KM。




それなら都心から成田空港へ

行くのとそれほど変わらないないじゃん。

と思われるかも知れない。




ここは西域の入り口「蘭州」である。

今はどうだか判らないが

この時の記録では約2時間以上の

時間がかかっている。




空港でチェックインを済ませると

手で破れる搭乗券を渡される。



自動改札口など有はしない。




大きなザックは

手荷物として預け

フランス製のプロペラ機へ向う。



そう何度か搭乗した事のある

飛行機・・・。



自由を手にして

敦煌へ向おうとしている。



帰る日付は香港からの1年後

目の前の自由な時間で

敦煌を満喫出来る。

また高揚感が蘇り

心も躍る。




遠くに駐機する飛行機へ

その心を隠しながら歩いて行った。



タラップを登りながら

後ろを振り返ると

蘭州のゴツゴツとした岩肌が

遠くまで見える・・・。




ここから数時間で

あの敦煌へ行ける。




仏教芸術の宝庫へ

そして砂漠のオアシスへ。



脳裏に蘇る

オレンジ色の薄暗い街頭が

もうすでに

見えている様な気がした・・・。





 

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