幕末と日本史

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江戸時代末期


京の都に住む多くの人々は

一生、「伏見」と言う土地に立ち寄る事が無かった。


という文献を読んだ。


当時、伏見は交通の要所で

船便での都への物資搬入や旅人の行き交う活気のある場所で

あったと言う。


現在、大阪や京都のベッドタウンとして

住宅街のイメージが強く、京都の市中に比べれば

少し地味なイメージがあり、過去の活況を垣間見る事は出来ない。



伏見と言う土地は過去の歴史の中で何度か

大きな舞台として脚光を浴びるが

幕末、ここに日本に革命を起こそうとした男が

逗留する事になる。



旅籠「寺田屋」は

京都での隠密行動を余技なくされた龍馬の根城の

ひとつとなる。


天からの日差しに殺意が感じられる

夏のある日

殺戮の舞台にもなったこの旅籠へ足を向けて見た。



龍馬の偉業は

ここ伏見から、都への往来を何度も繰り返し

行なわれる事となる。



幕末、一瞬の間、光を放った「寺田屋」は

今も尚、住宅街の真ん中でうずもれる様に佇ずみ

維新の証人として多くの人を呼び寄せている。。

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春先の頃であっただろうか。。。


ちょっとした用件で滋賀県の東部にある

近江八幡という街に出かけた事があった。



用件を終え、さて帰るかと思っていた矢先

ふいに「ひこにゃん」の事を思い出した。


そのキャラクターの肖像権について

キャラクターの作者と行政側がモメにモメた

元祖「ゆるキャラ」と言われる あの彦根市の「ひこにゃん」である。。



アホか!と思われるかも知れないが

ディズニーキャラクターを一切受け付けないこの私でも

「ひこにゃん」の事は本当にかわいいと思っているし

見ていると「癒される」という多くの方の感想は非常に良くわかる。。



なので、せっかく隣の市まで来たのだから

「ひこにゃん」に逢って帰ろうと思ったのである。



彦根城に向かうも

「ひこにゃん」にはちゃんと登場スケジュールがあり

この日の登場の最終時間は過ぎていた。。

(↑何かちょっと腹がたったわ。。そんな忙しいんか!!ひこにゃん!!!)

(↑家に戻ってから「ひこにゃん」のホームページで確認したが

 ちゃんと来場日の登場スケジュールを確認する様にという記載があった。。)

(↑また、ちょっと腹がたった。。何者やねん。。ちょっと天狗なってんちゃうか!!

 一人で言ってみたが、相手は私の百万倍の人気者「ひこにゃん」である。。。)

 


まぁいい。。(←ちょっとすねてるやんけ。。何歳や!!!)



来た道をそのまま戻るのも退屈に感じられたので

琵琶湖の北端を通り、湖西側から家に戻る事にした。



その途中、長浜と言う街を通過するときに

「長浜城→」と言う看板が目についた。



司馬遼太郎氏の作品で数年前にNHK大河ドラマでも

話題になった「巧名が辻」の舞台のひとつである

あの「長浜城」である。



この物語は主人公である「山内一豊」の立身出世と

その妻「千代」の内需の項をドラマティックに描いた作品であったが

その山内一豊が「関が原の戦い」において徳川家康の東軍側に組した事と

戦前の功績が認められ、その褒美として

当時、二十万石を超える領地を与えられ、琵琶湖の隅っこの小大名は

大きな出世と領地を手にする事になる。



命じられた国替えの場所は「土佐」。



彼は二十万石を超えるの大大名として

「土佐」に乗り込むこととなる。



車の窓から「長浜城」が見えた時、そこまでは思い出す事が出来た。



私は本当に何気なく

現在の大河ドラマ「龍馬伝」をHDDに予約録画をしてまで

見逃さぬ様に見ているが、この何気なさから

見逃していた一点に気がついた。。



歴史好きの人であれば、当たり前の事かも知れないが

この「土佐」に「関が原の戦い」以後、「山内一豊」が乗り込んで来たと言う事は

当然の事ながら領地を没収された大名が居た筈である。



それが名門「長宗我部」である。



その二十一代目の当主であった「長宗我部盛親」は

「関が原の戦い」において

東軍に組する腹づもりであったが、不遇な事態が重なり

本意とは違った敗軍「西軍」の部隊として戦いに向かう事となる。

(↑彼が関が原に到着する前に西軍は壊滅状態となり実際の戦闘には加わっていない。)



その後、家康に謝罪を行うも、さらに怒りを買う様な事態が起こり

領地没収の上、京都での謹慎生活を命じられる事となる。



「龍馬伝」の中で近藤正臣氏の演じる「山内容堂」は

この国替えを行った「山内一豊」から数えて十五代目にあたる

土佐藩の藩主である。




関が原の戦い以後

名門「長宗我部」の没落は

他藩には見られない程の厳しい身分支配を「土佐」に生み出す事になる。

(山内家とその家臣=上士  長宗我部家の家臣=下士)




ドラマの中で見られる

土佐藩の厳しい身分制度の発端が

この琵琶湖の北端の小大名の出世話に起因している事に

長浜城を見たときに気がついたのである。




西暦千六百年 関が原

不可抗力とも言える運命に振り回された。。。



ただそれだけの事が

多くの長宗我部の家臣の運命の分かれ道となり

二百八十年の歳月が流れるのである。



時代は幕末。



困窮した財政に苦しむ江戸幕府は「鎖国」と言う永い眠りから

たたき起こされる事となる。



郷士(下士)の子として生を受けた

天からの贈り物は

長宗我部家の積年の恨みを晴らすが如く

己の道をつき進む。

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