【タイ・バンコク発】 国際協力・海外援助ブログ

「エンパワーメント」にはまっています。国際協力機構(JICA)・青年海外協力隊(JOCV)関連も

政府開発援助(ODA)

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先日の夜にタイ人の若いスタッフと一緒にメシを喰っていたら、おばあちゃんが席に来ました。
カゴの中にキャンディやらお菓子やたらを入れて売りにきたのです。
売っているキャンディーやお菓子は、「買いたい!」という意欲がわかないような代物でした。
70代後半の身なりもみすぼらしいおばあちゃんです。
「可哀想なおばあちゃん!」というのが、ごく普通の感情でしょう。


うちのスタッフが、すかさず財布に手をかけました。
そして、100バーツをおばあちゃんの手に握らせました。
おばあちゃんは、感謝で手を合わせ、お菓子を渡そうとしました。
が、うちのスタッフは「いらない」と言ったのです。

それを見て、私はスタッフをしかりました。
「品物を受け取りなさい!」
と。

おばあちゃんは、品物を持って売りに来ているのです。
物乞いをしに来たわけではありません。
品物を受けとらずに、お金をあげるのは、とっても失礼な話です。

うちのスタッフは金持ちではなく(貧乏でもないが)、あくまで善意でやったのだと思いますが、結果的にとても失礼なことをしてしまったのです。


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タイ政府の人間安全保障省の実施するプロジェクトで、「貧困家庭への住居補修プロジェクト」があります。貧困者の住環境を改善するために、政府で住居改修予算をつけて、住居を改修するというプロジェクトです。パイロットサイトにおいて、1つの村で1軒ずつ対象とする家を決定し改修します。

対象の家を選ぶに関しては、住民の話し合いで貧困家庭を決定し、また政府予算が十分ではないことから地方自治体が予算を追加し、改修にあたっては業者に依頼するのではなく村人が共同で改修します。

プロセスを大切にする参加型で改修するのです。

説明してくれた政府役人は、「住民参加型のすばらしいプロジェクト」と誇らしげでした。

現場も見学しました。
改修済みの家で、政府役員や村長や村の有力者があつまり、いかにすばらしいプロジェクトか説明してくれました。
住居のオーナーの貧困者もいましたが、その人に質問しても村の有力者が代わって答えてくれました。


でも、何か変じゃないですか?

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私;なぜ、無料で改修するのですか? 本人の負担金はないのですか?

政府役人;貧困で負担するカネがない。

私;それであれば、なぜ貸し付けにしないのですか? 
  タダであげるのでは、依存心を助長してしまわないか?

政府役人;返すあてがない。それに、住民は借金してまで改修する必要性を感じない。
   (タイの田舎では、壁に透き間があろうが、トイレがなかろうが大きな問題ではない)
     政府がカネを出すから(無料だから)、改修を受け入れるのだ。

私;では、それは住民のニーズに基づかない改修ということですか?


政府役人;......



私;それに、「村に1軒だけ」というのもおかしいのではないか?
  問題のある家が2軒あったときにどうするのか?
  また、問題のない家がない村はどうするのか?
  改修対象となる家の基準がなければ、たとえば村長の恣意により対象者が決まる恐れもある。

政府役人;タイの習慣では、村長の意向にさからうと村で生きていけない。
     村長が決めていれば村の中は丸く収まり、問題が生じない。

私;その習慣は尊重はするが、それにより不利益を得る個人を見捨てるのはおかしい。
  それに、そのような習慣は都市部を中心に急速に破壊されてきているのではないか?

政府役員;.......


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そして、最後の決定的なひと言!


政府役員;タダで修理してあげれば(自分が感謝され)喜ばれる
     自分がお金を出してあげて喜ばれるのは仕事をやりがいがある。
     (あなたがお金を出しているのではなく、政府のお金ですよ!)

     基準を明確にしてしまえば自分の選択における権限がおよばなくなる。
     自分の判断で、「本当に困っている(と政府担当者が考える)人を決定したい」


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まあ、殆どのタイの政府役人なんてそんなものです。


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政府役人とは、「適当に」つきあうのがいい。

真面目に議論するのが時間の無駄!

だってことを再度確認してしまいました。

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でも、援助に関わる皆さん!

日本人も同じようなことをしていませんか?

このタイ人役人を笑えないような気もします!

要請主義 その3

人間の安全保障は、「国の保証する安全保障」ではなく「一人一人の人間の注目した安全保障」です。
要請主義とは、「国が国民の安全保障をする」のが前提。
必ずしも国家が国民の生活の安全を保障するとは限らないという人間の安全保障の考え方は。要請主義とは相容れないのではないのでしょうか。

当然、グローバル化により、環境・疾病・人権などのいわゆるグローバルイッシューも国家からの要請ともなじまない性格があるのは当然でしょう。


多分、政府の関係者は、いろいろな法律・規定・制限の中で最も良い方法をとるよう努力しているのだと思います。それらの人を非難するのが目的ではなく、個人的なブログであるこの場で、いろいろなしがらみは全く考えずに、そもそものあるべき論を書いているだけですので、念のため。

要請主義 その2

http://blogs.yahoo.co.jp/toshiyukiokui/52051755.html

前回書いた「要請主義 その1」は、当たり前すぎることではないかと思います。
が、今回のその2は、ちょっと変な考えかも?

最近の世の中は、「成果主義」が重要視されています。海外援助の世界でも、「成果」と「その成果をあげるための投入(人・物・金)」をプロジェクト開始前に明確にすることが求められます。

それ自体は当たり前のことです。以前は、「いいことは何でもやりましょう。(→ 目的とする成果に対していいことをやるべき)「結果は重要ではない、プロセスなのだ。(→結果もプロセスも両方大切)」などがまかり通ったこともあると思うのですが。

ところが、その国の政府が重要案件と認識し要請するということは、
『その政府の積極的実施・協力あるいはその政府の十分な投入』
が前提条件として、プロジェクトの求められる成果とそれに必要な投入が決まるということになりがちです。

繰り返すと、『その政府の積極的実施・協力あるいはその政府の十分な投入』が十分でないということは、前提条件が狂うことになるのです。
「狂う可能性が高い前提条件のプロジェクト」は、一般的にはあんまり良くないプロジェクトデザインですよね。 でも、多かれ少なかれそうなっていませんか?

ここで、自分の提案は、『その政府の積極的実施・協力あるいはその政府の十分な投入』を「前提条件」ではなく、「成果」としてプロジェクトデザインすべきではないかということです。

つまり、「プロジェクトを実施した『結果』、その国の政府の認識が高まった」ということであれば、プロジェクトの成功とするのです。

具体的例をあげると、例えば緑化プロジェクトで、政府がトップダウンの植林・育林計画をしているとします。しかし、現場では住民のエンパワーメントによる社会林業のニーズがある。その場合、従来の要請主義では、「政府のトップダウンが基本」「そして、それになんとか住民のエンパワーーメントも考慮した活動とする」ようなプロジェクトになります。 自分の提案は、「住民のエンパワーメントが基本」「そして、プロジェクトの実施を通じて、その国の政府にトップダウンではなく、エンパワーメントの重要性を効果を教育していく」というようなアプローチになります。

面白くないですか? 要請主義を見直すととてもわくわくしませんか?

要請主義 その1

日本政府の海外援助の基本方針は、「要請主義」です。
これは、相手「国」から援助の要請があって、はじめて援助を行う考え方です。実際は、相手国が「何を援助してもらいたいのか(何を援助してもらえるのか)の整理能力に劣る場合、「要請」を行うことを「支援」する場合もありますが、いずれにしろ最終的に相手国政府からの要請を持って援助を行う限り、ここでは「要請主義」と呼びます。

要請主義とは、「押しつけではなく、相手国のニーズに沿った援助」を行うために必要だと思います。

多分、国道や空港を整備するとか、産業振興の仕組みを作るとか、そんな国家レベルの援助にはまさに要請主義の原則があるべきでしょう。

要請主義を否定するつもりはありません。
でも、ここで言いたいのは要請主義に弊害があるということを関係する人は共通認識しておきたい、ということです。

場合によっては、「要請主義」を問題が会った場合の「いいわけ」として使うこともあります。 「相手国から要請があったので、最終的な結果責任は相手国にある」などの言い訳です。

逆にいえば、「要請主義からの脱却」は「援助する側が結果責任まで負う」ことを意味します。言うは易しですが、容易なことではありません。でも、「脱要請主義」が必要なのではないかと思います。

(日本政府の方針では、「要請主義」を掲げながら、すでに戦略的援助(≒脱要請主義)を掲げています。)


まず、要請は誰から出されるのでしょうか?

少なくとも政府開発援助(ODA)であれば、その国の政府からです。
もちろん国際的に認知された民主的に選ばれた国の代表が、その国のニーズを把握している『はず』です。

でも、沖縄の基地問題を出すまでもなく、国の利益と地元の利益が相反することは多くあるののです。国・地方の構図だけでなく、多様なニーズを国が取りまとめることができる、というのは理想であっても現実的ではないと思います。

国からの要請が、必ずしも裨益者のニーズを反映しているとは限らないということです。

自分のルーツは、実はメーカでのエンジニアです。
そのため、現在国際協力をメーカでの経験とダブらせてしまいます。

自分がかって在籍した会社では、「事業責任は技術にあり」と言われ、技術者は製品設計のみならず事業全体について責任を負うべきと教育されました。
(営業部門では、「事業責任は営業にあり」と言われていたかも知れません。笑)

製品は、ほとんどはディーラ経由で販売店でエンドユーザに販売します。量販店(ヨドバシカメラなど)には、直接商品卸しますが。
いずれにしろ、メーカはディーラ経由あるいは販売店経由でエンドユーザと向き合っています。つまり、メーカの営業・販促活動は主にディーラと向き合っているのです。
 
つまり、ディーラ(あるいは販売店)が自社の商品をより多く売ってもらうようにするのが、メーカの営業の仕事です。
メーカにとって、競争力のある商品というのは、「ディーラがより多く売ってくれる商品(売り方)」です。そういう仕事をいつもメーカはしているのです。

でも、あらためて考えると、本来は、「エンドユーザがより魅力を感じて買う商品(売り方)」が重要なのではないでしょうか。

「ディーラがより多く売ってくれる商品(および売り方)」と「エンドユーザがより魅力を感じて買う商品(および売り方)」
一見同じように聞こえるかも知れませんが、商品開発上大きな違いがあります。

そんなとき、メーカの技術者は原点にもどって、「エンドユーザに聞け」「顧客(=エンドユーザ至上主義)」などとエンドユーザの声に耳を傾けて商品開発・販売戦略にフィードバックするのです。



すいません、ごくごく簡単ですが、特殊なメーカの事情を書いたのは、国際協力の現状とダブって感じることがあるからです。

つまり、デーラは各国政府です。、エンドユーザは住民などの裨益者です。デーラなしではメーカが成り立たないように、各国政府無しに各国で活動をできません。けれど、今までの多くのプロジェクトは、「ディーラ経由で販売していた(=各区政府経由で裨益者にいきわたる活動をしていた)」「デーラ経由でエンドユーザの声を聞いていた(=各国政府経由で、裨益者の声を聞いていた)」といえると思います。

ただし、「本当にディーラの言うことが正しいのか。ディーラがエンドユーザのニーズを反映しているのか?」を常に検証し、直接エンドユーザとコミュニケーションすることが必要ではないかと思うのです。
(「エンドユーザの声」と「ディーラがいうエンドユーザの声」は相当違います)

各国政府を軽視しようとしているわけでありません。でも、「各国政府のいうニーズ」と「裨益者のいうニーズ」が相当食い違う可能性があるのを前提にして、プロジェクトデザインをすべきだと思います。

なお、一般的にいえば開発途上国の公務員の業務へのコミットメントは非常に低いと思います。自分の利益・自分たちの利益が超最優先で業務をしているケースは少なくありません。まあ、誰でも多少はあると思うのですが、自分の経験上、NGOや一般企業社員と比べると公務員の業務へのコミットメントは低いと感じます。
(一般企業勤務のタイ人の友人、あるいは一般企業から公務員に転身したタイ人の友人の多くが同意見です)

「自分あるいは自分たちの利益の最優先」と「裨益者利益の最優先(=)」で議論をしてかみ合うはずがありません。

であれば、プロジェクトデザイン上、

「『公務員が』、プロジェクト目標・エンパワーメント・人間の安全保障の考え方を十分理解して、プロジェクトにとりこむ」

ということに多大な期待をせずに、

「『公務員が』、プロジェクト目標・エンパワーメント・人間の安全保障の考え方を多少理解した程度でも構わない」

のアサンプションで、プロジェクト目標を達成できるようなプロジェクトデザインの方がやりやすいのではないかと思います。

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