【タイ・バンコク発】 国際協力・海外援助ブログ

「エンパワーメント」にはまっています。国際協力機構(JICA)・青年海外協力隊(JOCV)関連も

協力隊その他

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10年以上前に書いた文章ですが、、、、青年海外協力隊員OBの思いです


「協力隊」は、とにかく美化されたり(その反動として批判されたり)しがちである。日本を出発するときも皇太子殿下や地方自冶体首長の激励、知人・友人の激励を受けてあたかも「特別な人」との気分になり、帰国すれば、あたかも特別なことを成し遂げた人として迎えられる。しかし、国際貢献と言いながら総論賛成各論反対の風潮の中で、必ずしも日本社会に協力隊OBが受け入れられやすい訳でない。隊員やOBにも一種独特な連帯感を持って、一般社会から乖離する傾向にある。
 と言いきれば、言いすぎかも知れないが、協力隊にこのような「普通でない」雰囲気があるのは事実である。
協力隊は「国民参加型(公募)」「ボランティア(自発性)」による国際協力事業であり、このように「普通でない」ことが、協力隊事業のこれ以上の発展を阻害する要因になるのではないかということを危惧している。「普通でない」ことに起因する様々な思い入れにより、むしろ隊員活動が進まなかったり、さらには「協力隊は成果を求めてはいけない」などと極端な意見もでてくる。
通常の事業では、人・物・金が投下され、それに見合った結果が得られるかどうかにより事業の成果が評価される。もちろん協力隊活動の成果を直接的な技術協力のみに捕らわれる必要はないし、草の根レベルの相互理解や相互の成長と社会への還元も立派な成果であると思う。しかし、事業の一つとしてきちんと評価することは必要であると思う。
「普通の人が自身の人生の中の適当な2年間を途上国の一助となるために派遣される。それが過大な評価をされることもなく、無用な気負いをすることもない。成果と課題を正当に評価したうえで、その後の派遣先選定や選考方法改善に生かされ、事業の発展を図る。」
これが私の考える協力隊への期待像である。 

報告書は必要か?

開発途上国での領収書(偽造しほうだい?)と赤城元農林水産大臣の領収書
http://blogs.yahoo.co.jp/toshiyukiokui/52034370.html で、

適切な支出であることを証明する方法の1つが領収書

であって、

領収書があることが、必ずしも適切な支出である証明にはならない

と書きました。むしろ、適切な支出でも領収書がないこともありますし、事務手続き上領収書の添付を省略する場合もあって当然です。

開発途上国にいると、そもそも「領収書がある」ことなんか殆ど意味を持たないことも多々あり、おのずと「領収書や書類が揃っているか」ではなく、「適切な支出か」としう視点で仕事をしなければならないので、そう感じると思います。

ちなみに、日本の税務署は「タイの領収書などはなから信用していない」とタイで雑貨を買い付けているバイヤーの人が言っていました。
税務署の人はわかっているんじゃん!!

で、前置きが長くなりましたが、今日の本題です。

援助活動の本質はなんでしょう?

当然、「想定する裨益者に裨益がなされるかどうか」です。

当たり前ですよね。 援助プロジェクトが成功したかどうかは、その視点で測るべきです。当然それが本質です。

ところが、最近はしちめんどくさいことがあって、小活動の個別に具体的到達目標があって、「その目標を達成したかどうか」を持って援助プロジェクトを評価します。確かにそれにより、より客観的に透明性のある評価ができます。

ところが、ここでも先の、「領収書」と「適切な支出」の関係がでてくるのです。

「裨益者に裨益がなされたか?」を測る手段として「個別な小活動の評価」があるのですが、「個別な小活動の評価」だけしか見えていないことも多々あるような気がします。あくまで持つべき視点は「裨益者に裨益がなされたか?」なので、「個別な小活動」はその一手段です。そして、その一手段は現場の事情で柔軟に行うべき物で机の上で考えた計画どおりするものではないのです。


さらにいえば、「報告書に何と書かれているか」を持って評価する人たちもいます。報告書は本質ではないのです。あくまで本質は「裨益者に裨益がなされたか?」であるのです。 それを客観的に表現するひとつの手段が報告書なのです。

それがやはり逆転して、「報告書だけが良くて実体はよくないプロジェクト」「よいプロジェクトなのだが報告書が無いことを理由に評価されないプロジェクト」が生まれたりします。


注;筆者は報告書は大切だと思っています。少なくとも援助プロジェクトでは、その費用を支出するスポンサー(青年海外協力隊においては税金を支払う人(=国民))に説明する為にも報告書は絶対に必要です。
でも、あくまで「目的は報告書ではない」ということを協調して書かせてもらいました。

筆者は青年海外協力隊のOBなわけですが、青年海外協力隊「事業」は良い意味でも悪い意味でも「政府の実施している事業」です。

難しいことや建前はおいておいて、要は、

「比較的若い一般の人を途上国に派遣して、国造りに生かすとともに、その経験を日本にフィードバックをしてもらおう」

ということだと思います。

で、青年海外協力隊員への生活手当やら活動経費、その他もろもろは国家予算(≒税金)から支出されるわけです。

税金で支出されている以上、その支出は当然透明性が必要です。

で、活動に必要な費用を支出する際に当然「領収書」が必要なわけです。ところが、デパートで買うのならきちんと領収書が出るのですが、例えば村の小さな商店で「バケツやスコップを買います」と鶏の養殖プロジェクトの為に「ヒナを村人から買います」とかそんなときに領収書をどうするのか、それは頭の痛い問題です。
領収書など発行する手段がないし、無理矢理書いてもらっても、その国の法律にのっとった正式な領収書でないことも多く、相手国の正式でない領収書を日本が正式なものとできるのか。あるいは、逆に、開発途上国では、領収書の偽造など簡単にできるのも事実です。

青年海外協力隊員として開発途上国の現場で働くと「領収書なんて意味がない」なんて思うこともよくありました。

青年海外協力隊員は通常は2年の任期なのですが、筆者などは出来がわるく、人より大分余計に青年海外協力隊員をしたりしたので、他の協力隊員から、領収書の作ってもらいから、あるいは日本政府に通用する領収書はどのようなものなのか? 逆に領収書をうまく細工して別の費用を捻出できないか?などとの相談を受けたりしました。


それらの質問をする人は、何もわかっていない のです。



領収書とは、きちんと支出したことを証明する手段のひとつ なのです。 

筆者的には、きちんと支出したことを客観的に証明できればry9押収書が無くても構いません。「村の中で住民から竹材を購入」で正式な領収書などはもらえませんし、そのときは、

何々村の何々さんの家には竹やぶがあり、竹材を10k伐採し加工するには、どれだけの手間がかかり、それを購入するのに幾らはらった。それは村長さんの了解すみである。

ということを文書に残し。竹材とそれを使用したものの写真に残せば十分なのです。

それを、領収書のフォームを作成し、意味もわからない村の人に「ここにサインしろ」といって、サインだけする。結果、体裁だけ立派な領収書ができあがります。5年後にサインをしている人に、この領収書はあなたが発行したものですか? といっても領収書など発行していない。そういえば、なんか知らないがサインをしろと言われた。となるでしょう。ましてや、この竹を売ったおじさんが控えなど持っているわけはありません。

また、先ほども書いたように、開発途上国ではあ領収の偽造くらいいくらでもできます。これは偽造されたのではないかプンプン臭う領収書が相手国の公務員から出されて精算を求められることもあるのです。

そんなときは、領収書の発行元に問い合わせたり、量を確認したりして不正がなかったか確認をします。
そうすると、「きちんと領収書をはじめ文書を整えているのに、なぜ疑うのか?」と不満を言う人も多くあります。

そんな人も根本的にわかっていません。

「領収書や文書がきちんとしていればいい」、、、のではなく、「適切に購入した事実を証明する」のが文書や領収書なのです。適切かどうかに不明や疑問があれば領収書や文書を確認したり、客観的に説明する追加資料を求めたりするのです。



で、何も判っていない大バカものがなんと大臣にいました。
赤城元農水大臣です。事務所経費の疑問に対して、
「ルールにのっとって経費処理をしている。ルールでは領収のの添付は『省略できる』こととなっている。だから、領収書を公開する必要がない」そんな理論です。

確かに、細かい経費まですべて領収書を添付する必要はないかも知れません。事務経費の節約のために領収書添付の省略はよく行われます。たとえば市内交通費の支出にいちいち領収書をとっている会社はあまりないでしょう。でも、事務効率化と説明とは全然別ものです。
赤城元農林水産大臣は疑問が呈された時点で、「客観的に証明しなければならない」のです。「事務的に領収書の添付を省略できる」ことが「領収書を公開して客観的に説明する必要がない」こととは全く異なります。

青年海外協力隊員がわずか合計数万円の税金を使うときに、こうやって処理しているのに、大臣ともあろう人がわけのわからない説明をすることに衝撃をうけました。

今回参議院選で自民党が大敗しました。争点は「年金」とのことでしたが、厳密にいえば「年金の事務処理方法」というある意味低い次元の問題が争点でした。自民も民主も「きちんと年金の事務処理処理をします」と言っているわけですから、そもそも争点にもならないはずです。
でも、このような意味不明大臣の説明を聞いて、かつ首相が「赤城大臣は説明責任を果たした」というのを聞いて、「自民党に任せていては事務処理ひとつできない」と思った人が多くいたのではないでしょうか?

「ノン」と呼ばれて

青年海外協力隊員の人たちと話をしていると、「事前に聞いていた内容(要請背景調査票)と現地で要望されていた業務内容が異なる」ことを良く聞きます。

このことは、青年海外協力隊の古くて新しい問題で、

青年海外協力隊の要請背景調査票がおかしい?
http://blogs.yahoo.co.jp/toshiyukiokui/51999674.html

「協力隊(JOCV)の要請背景調査がおかしい?」ことへの対策
http://blogs.yahoo.co.jp/toshiyukiokui/51999693.html

青年海外協力隊員要請内容調査への現役協力隊員の協力
http://blogs.yahoo.co.jp/toshiyukiokui/51999722.html


などで書いてきました。
「要請背景調査票がオカシイ!」と協力隊員がいう理由の1つには、「自分が配属先で正当な評価をされない」というのがあります。

特に公務員組織では、組織によっても異なりますが、平均年齢は40歳程度でもあり、かつ公務員は(仕事をしながら修士号を取得する例が多い(≒仕事は適当にして修士号をとることを認められる甘い職場であることが多い)こともあり、カウンターパートと呼ばれる人を含む同僚は「学歴的にも年齢的にも経験年数的にも、協力隊員より上」ということになるのです。

その結果、カウンターパートと呼ばれる人(注)から、

ノン(年齢が下の人に対する呼び方)

研修生・実習生

と呼ばれてしまうことになるのです。



注;カウンターパートが「技術移転をする対象となる同僚。あるいは一緒に業務を行う同僚」と考える人がいるのですが、筆者はそのような狭義の考え方に異議があります。そのあたりは、このブログで以前から何度か書いてきています。


それでいて、要請背景調査票には「カウンターパートに『指導する』」などと書いてあたったりします。
普通の会社で、新入社員に「部長に指導しろ!」といわれても困りますよね。
もっとも、最近の要請背景調査票には、「カウンターパートに『指導する』」などとはあまり書いていないはずなのですが、協力隊員の方が、「指導すべき」と思いこんでいるケースもあります。

まして、若くて経験年数は少ないとはいえ、厳しい日本の職場での数年の経験を持つ協力隊員の方が、生ぬるい公務員の職場で数十年をすごしてきたカウンターパートより技術力が高いことが大いにあるわけで、余計に協力隊員のストレスにつながります。

でも、現実的にはカウンターから一目おかれるというのは、いろいろな意味でやりやすいのは事実です。

しかし「自分はこんなに能力があるんだ。みんなオレの言うことを聞け」的な発現を本人がすれば、アフリカや南米は知りませんが、少なくともアジア的には反感を招かれます。

コンピューター技術者などエンジニアリング分野なら技術力を目で見える形でカウンターパートに見せることは可能ですが、そういう分野の方が少ないくらいです。

それで、悶々悩む協力隊員も多いようですね。


これについての、筆者の考えはクリアです。「公務員組織の(狭義の)カウンターパートへの技術協力などしなくてよい」そんなことにエネルギーを使うくらいなら、裨益者と直接関わる方がよい(裨益者へのエンパワーメント活動を行う方が良い)と思うのですが、そのあたりは今までにも何度も書いてきました。

【協力隊員への手紙】
【協力隊の課題】
の記事を見てください。


カウンターパートに「ノン」と呼ばれようが研修生と呼ばれようが、そんなことに目くじらを立てずに、(学校なら生徒と、村なら住民と、障害者施設なら障害者と)エンパワーメントの活動を行えばいいのです。カウンターパートは「仕事の邪魔さえしなければ良い」程度に思っていれば良いのです。まして、カウンターパートから尊敬される必要など全くありません。

ノン! でいいじゃありませんか?

ノン! で、良い仕事はいくらでもできると思います。
ノン!と言われないように努力するのが無駄な活動だと思います。

ミャンマーの女の子

青年海外協力隊員としてタイの地方で働いていました。ある日、誰だったか日本からお客さんが来ました。

来客;日本人が誰もいないところで働いているのですか?」
自分;この街には、日本人はいないけど、ちょっと行けば意外と日本人がいるんですよね
来客;ちょっと行くってどこに日本人がいるのですか?
自分;東に60kmのところに1人、西に80km行ったところにも1人いますよ。
来客;無言

60kmや80kmは「ちょっと」とは言わないらしい。

日本人が他にいないことや生活が大変な場所で働いている青年海外協力隊員をねぎらう人は多いような気がします。
でも、そんなものは大した問題ではないのです。
青年海外協力隊員が現地で何がつらいかといえば、頑張っても頑張っても「仕事がうまくいかないこと」なのです。


と、作者は、いつも強調しています。

が、


あるときミャンマー国境に近い場所に行きました。レストランでメシを食べようとすると、従業員のタイ語がカタコトです。しかも、十代前半の子供です。なんとか話をすると、歩いて何日もかかるミャンマーの山の中から出稼ぎに来たそうです。もう2年間も働いているのだが、一回も家に帰っていないそうです。

子供ができてベビーシッターを捜しているとき、「英語ができる」ということでミャンマー人の女の子を紹介してもらいました。やはりミャンマーからの出稼ぎですが、労働許可をとるために、袖の下が年に1回7000バーツ必要と言っていました。不安定な身分で何の保証もなく、外国で一人で働いているのです。

以前住んでいた近所のカレン族の女の子の家族は、紛争地域の難民キャンプで暮らしていました。ある日彼女の家族から彼女に取り次いでくれないかと、電話がありました。(家族は電話屋から電話をかけているので折り返し電話はできない) 内容は、「彼女のお兄さんがミャンマー政府軍に殺された、と彼女に伝えてくれ」とのことでした。

また、彼女の友達のやはりカレン族の女の子が妊娠しました。父親はオーストラリア人で、「今、オーストラリアに帰っている。そのうち迎えにくる」とのことでしたが、少なくとも自分の知る限り赤ちゃんができても父親が来た形跡はありませんでした。(その後、どうなったのでしょう)


厳しい状況で生きている人が大勢いるのですね。


青年海外協力隊員が現地で何がつらいかといえば、頑張っても頑張っても「仕事がうまくいかないこと」なのです。

などと、言えなくなってきます。

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