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CSJ開発協力勉強会 7月28日(月)18:30ー ー どなたでも参加歓迎!! ビールを飲みながら不真面目に学び合いましょう! ー
地図:http://jica-ri.jica.go.jp/ja/about/access.html 食事や飲み物(ビール)をとりながらのリラックスした勉強会としたいと思います。 アカデミックな調査研究や公的機関の報告書などは読んだり聞いたりする機会も多いですが、現場での実際の経験との乖離を感じることもあります。また、例えば障害者支援やジェンダなど差別と誤解される危惧から自由な議論ができにくい雰囲気のある分野もあります。本勉強は、現場での経験をを元にした生の情報をもとに、アカデミックでもなく公式でもない情報をもとに率直に学び意見交換する場として企画されています。 今後、ひきつづき非定期に勉強会を実施していきます。 なお、本勉強会は株式会社シーエスジェイの後援のもとで実施されます。
出席の連絡先:
株式会社シーエスジェイ 総務部 03-5333-4475 csj-soumu@cup.ocn .ne.jp |
その他国際協力
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尖閣諸島や竹島の領土問題が、中国や韓国との関係に大きな問題となっていますね。
国際政治や外交の問題であり、私にはわからない大人の世界ですし、
右翼・左翼入り混じってのあぶない世界でもあるし、
そんな議論にはいる知識も労力も私にはないのですが、
別の視点から、、、少しだけ、
日本の主張は、
『国際法に照らし合わせて』尖閣諸島も竹島も日本の領土
それに異議があるのであれば、『国際法に照らし合わせて』処理しよう
(国際法に則った議論をしないのは)中国も韓国も領土と主張する根拠が薄いからではないのか
のようにおもえます。
日本人にとって、きわめて当然のような感覚のような気がします。
「規則や法律を守ることが正しいこと」と考える日本人は多いような気がします。
でも、私は、韓国や中国が『国際法』に乗ってこない理由もわかるような気がします。
いや、「規則や法律を守ることが正しいこと」が悪いことだと言っていませんよ。
でも、国際法ってそんな正しいものなのでしょうか?
私は国際法をよく知らないのですが、国際法って「いわゆる先進国」に都合が良い、日本にとっても都合がよく作られていませんか? 本当にフェアなのでしょうか?
後発国にとって、旧植民地国にとって、国際法が不利ってことはありませんか?
そうでであれば、『国際法の遡上に』そんなに簡単に乗ってこれない理由もわかる気がします。
現在の国際法が問題あるのであれば、国際法のルールに則って国際法を改訂すれば良い、
というのも、正論ですが、多分既存の先進国にとって有利なものだはないでしょうか?
タイで、住民と関わる仕事をしていると、
「法律が住民を守るものとは限らない。むしろ住民の利益を阻害する」
そんな事例を多く見聞きします。
地域の伝統に則って、森を開拓して畑を作って家を作っていたら、
突然役人が来て、「そこ国有地だからどきなさい」というのなどが典型的事例です。
地元の住民が知らない世界で国有地が決められているわけです。
そして、政府からみれば、不法居住者となるわけです。
でも、昔から、そこの住民は森を開拓して暮らしてきたんですよ。
知り合いの中卒で働いている田舎の女の子が、高卒資格を取ろうとガンバています。
高卒資格が取れたら、「スコタイ大学(通信大学)で法律を勉強したい」とのこと。
「なぜ法律?」
「家族も地域の人もみんな法律を知らずに損をしてきた。法律を勉強して法律からみんなを守りたり」
法律は、住民を守るものではなく、法律から住民を守らなければならない、そういうものようです。
タイでは、WTOにも加盟し、著作権も国際的な合意のもと取り締まっています。
が、実体として、街中にはコピー商品があふれています。
これは、「タイの取り締まりの怠惰」ではなく「政策として」コントロールして取り締まっているためです。
「国際的な著作権法が先進国有利に作られている」との主張が根拠です。
タイは極めて外交上手なので、2枚舌、3枚舌を使ってうまく泳いでいるのです。
で、「国際法に則って領土問題を解決する。」
そんな事を言っていても、韓国や中国は相手にしてくれない気がしますし、
なんだか、思考停止の議論のような気がします。
外交、政治問題なので、そんな簡単な話ではないですけどね。
ちなみに、横浜市の林文子市長の言葉で次のような言葉があるそうです。
公務員は、「法律や規則を守らなければならない」、そういう強迫観念が強すぎる、もちろんそういうことは大切なのだけど、個々の事例や人を公務員一人一人が見て考えるようにしなければならない。
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コミュニティにおける高齢者ケア その1
の続きです。
保健・福祉・医療のサービスのに2つのアプローチがあると思います。 一つ目のアプローチは、 「できるだけ多くの人にサービスが行き届くような制度の構築やサービスの提供」 です。最大多数の最大幸福の追求のような考え方です。 当たり前のように思えますが、「当たり前なのかな?」が私のスタートです。 どんなすばらしい制度でも漏れる人はでてきます。 そういう人には、「漏れた人対象の制度をつくる(例;「年金制度」から漏れた人には「生活保護制度」)」などなのでしょうが、 それでも、漏れる人がでてきます。 そういう人には、 「個別に(例外的に)対応していく。」 ことになるのだと思います。 一見何の問題も無い様ですが、私的には大きな問題をはらんでいる手法だと思っています。 つまり、「制度から漏れた人」というのは非常に弱い人だと思います。 そういう一番弱い人が、「「個別に(例外的に)対応していく。」という曖昧な対応として十派一絡げになってしまう。 さらに、制度を適用する(サービスを実施する)人は、「『制度を守って仕事をすること』が主業務」となり、制度外のところに興味がいかない傾向になると思います。 余談になりますが、この部分は横浜市の林市長からのパクリです。 今年私の子供の小学校のアレルギー対応に関して、横浜の小学校や教育員会と話しても埒があかず、ホームページで市会議員を探して相談したところ、その議員ととても話があい(アレルギー以外のこともいろいろ情報交換しています) その議員がうちの娘の事例をアレルギーのことを林市長に話したときに、市長は「公務員は法律や制度を守ることに一生懸命で、もっと大切なことを見失いがち。そういう公務員に気づきの機会を与えていかねばならない。」との趣旨のことを議員に話したそうです。実は、大昔から(市長になる前から)私は林市長のファンなのですが、さらに大ファンになりました。 実際に、日本でも多くの介護や保健医療の方が自分のブログなどで、 「万人に提供できないサービスはしてはいけない。特別対応はするな」 などと上司(行政)に言われた。ようなことを書いています。 「個別に(例外的に)対応していく。」というのは事実上難しいようです。 で、2つ目のアプローチは、 「例外からのアプローチ」です。 一番困難な事情にフォーカスしてアプローチしていくのです。 「万人」ではなく「一番大変なひどい事例」に、まず着目するのです。 その対応からいろいろなことを学び、その対応方法のうち一部分を将来的に万人に提供していく。 そのためには、どこにでもあるリソースを使わざる得ない、本質的にサスティナブルなシステムになるのではないか。 タイでいえば、 「行政の支援がなくても、これはこれでうまくバランスがとれてる」と思われる部分は優先せずに、 「コミュニティの助け合いが機能せず床やベッドには汚物が見られ悪臭も強く」からまず考えていく、 (想像するに、人には簡単に目に触れることのできない「悲惨な事例がタイに数多くあると想像しています」) もちろん、そのような考え方は、従来の考え方からすれば「バランスの悪い考え方」だと思います。 確かに最終的には、 「できるだけ多くの人にサービスが行き届くような制度の構築やサービスの提供」 をしたうえで、 「個別に(例外的に)対応していく。」 のが理想だと思います。 でも、その方法の欠陥は上に書いたとおりです。 そういう思いからも、「現場の個別具体的なことを知りたい」と思うこのごろでした。 参考;
タイのコミュニティにおける保健医療・高齢者福祉とエンパワメントについて簡単にまとめました |
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今回は、コミュニティにおける高齢者ケアについて、、、、さわりだけ。
コミュニティの仕事をするには、住民、地域のリーダー、地域の自治体職員、政府職員、中央政府職員、政府幹部そういった人たちから話を聞くことになります。
一般的には、住民の意見を聞くのがは簡単で、地位が高い人の意見を聞くのが難しい!
と考えがちです。
でも、実は全く逆で、政府幹部や中央政府職員の情報や考えは入手しやすいのですが、地域にいけば行くほど難しくなります。政府方針など、各種ペーパーにもなっています。
政府の方針を入手したり、政府幹部の話を聞いたりすることは、
一見高度なことをしているようで、実は一番簡単な安易なことをしているのだと思います。
一番難しいのは、現場の実情やニーズを知ることなのです。
これは、もちろん「情報の取り纏め能力」、「情報の発信能力」の差によります。
中央政府職員は、一流大学を一流の成績で出た「情報の取り纏め能力の高い、情報発信能力」の優れた人です。それらの高い能力が、地域住民の情報やニーズを「吸い上げ纏める」ように使うのであれば、良いのですが、(確かにそういう例もあるのですが)残念ながら途上国の多くでは、そういう風に能力が使われることが少ない気がします。
様々な開発関係者やマスコミ、学者の書いた物で現場を知る機会はありますが、いずれも「纏められている情報(=バイアスのかかっている情報)」です。「現場のひとつの事例で全体を語る」のはもちろん変ですが、なぜか、「纏まられた情報」が現場感と食い違うことも多くあります。
以前、東北タイで農村の仕事をしていたときにも、「(情報がはいっているはずの)政策を考える中央省庁の人の考えていること」と「現場の住民の考えていること」がどうも食い違っていることが多くありました。 中央省庁の人に現場感をシェアすると、(人によっては)とても興味を持ってもらったこともあります。タイ人だからといって現場がわかっているわけでもない(いやむしろ中央省庁のタイ人は「現場がわかっていない」に近い)と思います。
中央省庁の人は、ある程度海外の事情を勉強しています。
少なくとも、勉強しようという意志はあります。
たとえば、高齢者福祉に関しては、日本の高齢者福祉の事例をタイの政府幹部につたえて、
タイの高齢者政策決定のお手伝いをする。
というのが、多分、援助の王道なのだと思います。
ここで私が言いたいのは、
「『日本を中心に』タイを考えると、いろいろタイの悪いところが見えてくる」
でも
「『タイを中心に』タイを考えるとタイの良いところも悪いことが見えてくる」
のではないかなあと思いました。
外国から人がきて(上から目線で)「問題点と対処方針案」をタイに提出しても、
(頭では理解しても)タイ人の心の中ではきっと面白くないと思うのですが、
だからこそ、そのようなアプローチにはサスティナビリティが常に課題となると思うのですが
(言い切っていいのか? ←いいのです、ブログは自由な個人の勝手な意見表明の場ですから)、
タイを中心に考えると「心のそこからの」同意をもって(日本の事例も参考にしながら)前に進むので、サスティナビリティがある。
そう思います。
そうそう、タイで高齢者福祉を考えていると、
もっとそもそものところで疑問を感じることがあります。
「長生きするのが良いのだろうか?病気は治療しなければならないのだろうか?」
との素朴な疑問がタイにいると、どうしても考えてしまいます。
(「保健・医療技術を否定するとか、伝染病が蔓延してもしかたない」とか、そういう意見ではなく、
「西洋的保健医療技術で正しいこと」が「住民、特に途上国の住民に幸せなこと」なのか、という素朴な疑問です。
「(病気で)食べれなくなったら、すぐに死ぬ」タイ人を目の前で何人も見てきて、
必ずしも「ひどいこと」と思わなくなってきた自分です。
でも、「自分の親が食べられなくなったら、なんとか生かせて欲しい」と多分思うと思います。
(「言動不一致」は私の「得意科目」です。)
コミュニティでの高齢者ケアに関しては、
私的には、
(こういってしまうと当たり前ですが)タイのリソースを活用した、
タイ式の高齢者ケアを行わねばならない。
と思っています。
日本の社会福祉制度を超シンプルに言い切ってしまいます。
・日本の医療保険制度は(ほぼ)単年度会計の相互扶助システム
・日本の年金精度は、世代間の相互扶助システム
・それらシステムは、良い点も問題点もある
で、タイの現状はどうなっているかといえば、一般的には、
・医療保険制度は、一応皆保険が制度としてはできている。
ただし、国民保険、社会保険、労働省、公務員医療制度のサービス内容の混在
・年金制度はない
(極めてシンプルに言っています。厳密にいえば長くなるのでここでは省略します)
です。
多分、例えば年金制度は、従来の考え方でいえば、
日本では過去長い年金制度の歴史・ノウハウがある。その良い点悪い点を分析のうえで、タイの現状に合致させて導入することを協力する。
というのが、(技術協力するとすれば)協力方法ではないかと思います。
ところが私がここで協調したいのは、
「タイには年金制度はない」 が、「タイに世代間の支えあえ制度がない」ことを意味しない。
当然ながらタイで世代間の支え合いがあります。
家族や親戚が高齢者の面倒を見るのが、(少なくとも道徳的には)当たり前です。
むしろ、日本人が自分の親の世話をしないこと(家族・親族無いでの、世代間の支えあいが薄い)ことに違和感を感じるタイ人は多いようです。
正確にいえば、
「タイでは世代間の支えあいはある。」
但し、
「タイの世代間の支えあいは、社会化(顔の見えない関係化)していない(日本の年金制度は社会化している)」
ということだけです。
では、社会化するとことが良いのかどうか?
権利ベースという国際的潮流にも合致します。
高齢者が家族や親せきに面倒をみてもらると、自尊心も傷つけられますし、サービスの質もバラバラになるし、家族に捨てられる高齢者がでます。だから、日本では、制度を社会化して、国が広くお金を集めてサービスを提供してきたのだと思います。
日本で「顔の見える関係」を目指す、などと言われていますが、それは見方によっては、今までやってきたことの逆の方向です。あまりに、社会化してしまったからこそ、財政的にもサービス的にも問題が生じてしまった。
で、タイです。
タイには、現在の資源(=世代間の支えあい)があります。でも、上記のように様々な問題点があります。
さらに、長寿命化、少子化、介助が必要な例の増加などの問題も発生してきます。
そこで、日本や外国から学ぶよりも先に、まず「タイを学ぶ」のが必要ではないかと私は思います。
考え方のスタートが、「日本」ではなく「タイ」。 タイの現状の中で、タイ人がどのようにするのが良いのかをタイ人が考え、タイ人が行動する。 そのうえで、日本の事例も伝える。
「日本にあってタイにないものをタイに作っていく」
のではなく、
「タイに必要で、(タイのリソース(現地資源)を有効活用しても)タイに欠けているものをタイ人と日本人が一緒に作っていく」
のが必要ではないか。
ところで、「タイのコミュニティのリソース」って言葉ではよく聞きますが、実はその実情の報告って本当に少ないのです。
それでも「障害者の状況」ならまだ多少報告されていますが、「高齢者のコミュニティの実態」など報告書がほとんどありません。(もし、どこかにあるのなら教えてください。)
結局、住民の話を聞く、住民に参加してもらう、住民に発信してもらう、
そして住民のエンパワメント、
結局、このブログで何度も書いていることに結局収束します。
もちろん、コミュニティの助け合い・支え合いに、高齢者ケアを押しつけようと主張しているのではありません。
タイの公務員と話をしていると(特に人間安全保障省のオフィサーと話をしていいると)、「タイはコミュニティでの互助が強いから大丈夫」的な「無責任」な話を聞くことがあります。
「タイの制度的強みや地域のリソースを活用したうえで、網から漏れてしまう人をどう救うのか、権利ベースをどう担保するのか」、、、、、言葉でいえば簡単ですが、「答えの見えない話」ですが、決して「答えがない話」ではないと思います。
文字数制限を超えてしまいました。
続きは、
コミュニティにおける高齢者ケア その2( http://blogs.yahoo.co.jp/toshiyukiokui/63867387.html )
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大阪人かどうかを判断する方法はどうすれば良いかご存じですか? |

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