【タイ・バンコク発】 国際協力・海外援助ブログ

「エンパワーメント」にはまっています。国際協力機構(JICA)・青年海外協力隊(JOCV)関連も

貧困

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映画:ポバティ インク あなたの寄付の不都合な真実
http://unitedpeople.jp/povertyinc/


NGOにや国際協力に共感しない若い人が増えていると感じます。
確かに、多くのNGOの主力メンバーは「10年前」と変わっていない。
NGOの高齢化著しいと感じるのは私だけかな?

その一方で、「社会的企業ソーシャル ベンチャー,ソーシャル エンタープライズ」に興味のある若い人は増えている気がします。

私の団体、野毛坂グローカル(http://nogezaka-glocal.com/)も、

若者向け説明:ソーシャル エンタープライズです。
中年向け説明:NGOです。(収益事業も行うけど)
高齢者向け説明:住民組織です。

とつかいわけたりしているのでした。

この映画:ポバティ インク あなたの寄付の不都合な真実

善意に基づく支援でも、現地の社会・産業・人々の意識を破壊して貧困の連鎖を生むことをこれでもかとシンプルに示しています。また、それにかかわる人々(援助関係者)が(高給などで)便益を得ていること、つまり、貧困があるから職を得ている、逆にいえば貧困が終わってしまうと職を失うため、援助を終わらせる(=貧困がなくなる)ことに対するインセンティブが働かないことも示唆しています。
(私も便益を得てきた一人です)

追及はソーシャル ビジネスにも。
「靴を一足買うごとに途上国の子どもに靴が一足贈られる」 TOMSも、
「靴の履けない貧しい子どもにめぐんであげよう」との意識の定着化やさらには「靴を現地に送ることにより現地の産業が育たない」弊害も指摘している。

これは日本でもありえて、たとえば熊本地震のときに、
「物資はいりません。でも物を買ってください。」と発信した商店が話題になったりしましたね。


この映画では直接触れていませんが、車椅子を途上国の障害者に寄贈すること」により、途上国の車椅子産業が育たない。「子育ての「母親」を支援すること」により「子育ては(父親でなく)母親が育てるべきとの意識が定着される」など、誰もが「良いこと」と思っていることも負の側面があります。

この映画の内容は、長く「海外援助」にかかわっていた人間として、本当に同意です。
というか、この映画で語っていることは、実は前世紀の議論の話です、、、、、。

「それを踏まえてどうするか」の議論が今世紀の議論で、少なくとも私や援助関係の友人では、「当たり前すぎて話題にもしない」次元ですかね。

飢えている人に魚をあげる
飢えている人に竿をあげる
飢えている人に魚の釣り方を教えてあげる

どれが良いか、的議論は昔からされていますが、そのような議論は過去の話で、


飢えているが魚の釣り方を学ぼうとする意欲がでるようにする支援

飢えている人が魚の釣り方を学ぶ意欲がでるような方策を政府がとるように政府に働きかける意欲がでるための支援(すいません、書いてて私も少し混乱してきました)

の次元、さらにはその次の次元ですかねえ。

一方で、この映画で言っていることを理解せずに援助を行っている人も、残念ながらいる気がします。
そういう援助関係者にこそ見て欲しい映画ですねえ。

私など、強調しているのは、
そういったもろもろのことを承知のうえで、
「物をあげることは援助の基本」
ということです。
ある意味、考えが一周廻ってもどってきたというか。

怖いのは、この映画を表面的にみて、

「寄付しない方が良い」「援助しない方がよい」
的に受け取る人がいないかなあということですかねえ。





まず、カロリーが必要か?(http://blogs.yahoo.co.jp/toshiyukiokui/52088390.html) その2 に京王線さんがコメントをしてくれました。

状況によってニーズが異なるというより、色んなニーズの中での優先順位と経済効率性でプロジェクトが行われるような気がします。生きがいは生きていく上で必要かもしれないけど、それはプロジェクトで与えられるものかどうか。与えられたとしてもごく一部になるのでは?
何が言いたいかといえば、多くの開発機関は生きていくための最低限の環境(カロリーとか)は整えるけれど、後は自分で開拓してくれというスタンスなんだと思います。但し、例に挙げておられる仮説住宅などでは、人々が交流しやすい設計にするとかは必要と思います。
しかし、ここまで書いて気がついたことが一つ。
結局最低限のところを整える仕事しかしていないから、人間を数としか見ず、評価も%で見てしまうんですよね。
だから私の仕事ってツマンナイんだと再確認しました。

そのとおりだと思います。援助においても透明性・効率性・経済性の視点が必要で、その結果、「いきがい」などというものは、「個人で解決すべきもの」とされるのが現状だと思います。

ただし、その結果、栄養・基礎教育・保健衛生などBHN(Basic Human Needs)をいかに効率的に満たすのか。それを「人間を数としか見ず、評価も%で見てしまう」こととなりがちなのですね。

自分は、栄養・基礎教育・保険衛生などの視点よりも、「人間らしく」の視点が最重要だと信じています。(それが、「エンパワーメントおたく」と自称している理由です)

話は変わりますが、昔工場ではベルトコンベアで工業製品を組み立てていました。ベルトコンベアの速度をいかにあげるかが、効率性だったのです。鎌田慧の自動車絶望工場(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%AB%C6%B0%BC%D6%C0%E4%CB%BE%B9%A9%BE%EC)にあるように、それが「絶望」をよんだのです。それに対してセル方式とは、一人あるいはグループにまとまった工程の仕事をする方式です。一見非効率に見えるこの方式が、結局人間のやる気を引き起こして、ベルトコンベアより効率が良くなった、、、、いかに、人のやる気が重要かの例ではないかと思います。

あるいは、スポーツでは、サッカーで横浜マリノスと横浜フリューゲルスが合併した、野球では近鉄バッファローズとオリックスブルーウェーブが合併した。その結果、強くなったかどうか? 自分は、廃止が決まった横浜フリューゲルスが突然強くなったことが強く印象に残っています。

絶望している人間に、いくら栄養・基礎教育・保健衛生と叫んでもあまり意味がないと思うのです。いかに絶望を取り除くのか、いかに希望を持たせるのかが援助の鍵であり、そのためにはマクロで考える以上に個々の人間にフォーカスをあてなければならないと自分は考えます。

「あたりまえのこと」と思われるかもしれませんが、「多くの開発機関は生きていくための最低限の環境(カロリーとか)は整えるけれど、後は自分で開拓してくれというスタンスなんだと思います。」となると、結局数字ではプロジェクトは成功した。でも、そのプロジェクトが成功なのかと思います。
まずカロリーが必要か([http://blogs.yahoo.co.jp/toshiyukiokui/52088337.html
])に京王線さんがコメントしてくれていました。

マズローの欲求段階説


開発を考えるとき、相手のニーズは何だろうって考えます。マズローの欲求段階説って私にとって一番ピッタリとくるんですけど、どうですか?開発にもあてはまるのではないかと思いますが。。。

その時々の状況によりニーズが異なる。栄養やカロリーが必要なニーズもあるし、より社会的なニーズも存在する。そのニーズに合致した支援(援助)が必要。とのことですね。

全くそのとおりだと思います。
が、自分が最近(頭の中で整理はできていませんが)考えているのは、そうではないのです。

話はずれますが。重度の障害者が暮らせるように日本で施設が容易されました。それにより、重度の障害者が安心して「生きる」ことができるようななったのです。しかし、それが、人間らしく生きれるかといえばかえってマイナスではないかと思うのです。もちろん、施設では「生きればいい」とは考えていないと思いますし、様々な工夫はされていると思うのですが、基本線としては、「まず生命の維持、次に、、、」という考えになってしまうことが良いのかとの疑問です。

自然災害の時の仮設住宅のお年寄りが、衣食住は行政により用意された、でも孤独死をするお年寄りが相次いでいるとのニュースを聞くと、同様のことを考えます。まず、自然災害のような極端な状況でも、「まず衣食住」ではなく、「衣食住と同時にエンパワーメント(=生き甲斐)」ではないかと。

障害者や自然災害のようなちょっと極端なことを例に出すのは、極端なことを例に出すことにより、判りやすく、対策がとりやすくなると考えるからです。
同じ考えは、村落開発・コミュニティ開発に生かせるのではないかと考えています。

青臭い書生論でしょうか?

まず、カロリーが必要


に対する京王線さんのコメントです。


どんな書籍をみても、貧困を単純化していません。人間開発報告書をみても、いろんな指標を使っています。自殺率とか、、、

ただ大きな援助機関側としてはそんな複雑なことをみて対応できないし、1ドルとカロリーの指標が最も理解されやすいので使用しているのだと思います。夢も希望も必要。でもカロリーや栄養が足りなかったら、生きることすらできません。
ちなみに私、夢や希望がありませんが、自分が貧困だと思っていません。不幸ってこともないし、なんざんしょうね。。。

京王線さんコメントありがとうございます。
このブログは、匿名のマイナーなブログですので、自分の立場や公式の考えでなく、自分の考えをストレートにかける。それが、このブログの魅力です。好き勝手書いています。
しかし、反応がないというのは寂しいですね。
コメントは、肯定的・否定的を問わず、はげみになります。

そのとおり、京王線さんのいうとおり、いろいろな人がいろいろな指標で貧困を考えています。ただ、自分が拘っているのは「1日1ドル」が一人歩きしている危惧です。

誰もが判りやすいシンプルな目標として、1日1ドルがあるのでしょうが、誤解を招きやすい言葉だと思います。「スローガン」や「1つの指標」ならいいのですが、「到達目標」とするなら、「限りなく間違いに近い」と思います。(匿名のマイナーなブログなので、、、、国連や世界銀行にケチをつけてしまいました。)

夢も希望も必要。でもカロリーや栄養が足りなかったら、生きることすらできません。

そりゃそうですね。
この部分が、最近自分の考えているかなり本質的な部分です。

自分は、エンパワーメントの可能性を確信しているのですが、

「この地域ではエンパワーメント以前にまず栄養です。」「まず保健衛生です」「まず初等教育です」

などとの言葉を聞くことがよくあります。

もっともだと思います。人間はいきてなんぼです。

しかし、本当にそうなのか疑問を感じるのです。

自分は、
「まずエンパワーメントがあっての栄養改善」だと思います。
「まずエンパワーメントがあっての保健衛生改善」だと思います。
「まずエンパワーメントがあっての初等教育充実」だと思います。

エンパワーメント≒住民自体がやる気になることが一番重要であることには拘っています。

もちろん、生命の危機に直面しているときの「緊急援助」はその限りではありません。

京王線さん、どう思いますか?

貧困 その2

青年海外協力隊員は、ボランティアといいつつ、生活手当が支給されます。
派遣される国ごとに、生活に必要な金額が決められています。
自分が協力隊員のころは7000バーツ程度ではなかったかと思います。

いまいくらなのか正確には知りませんが、1万5000バーツ程度ではないかと思います。

自分が協力隊員だったころは、ラーメンが一杯10〜15バーツでした。今は20〜30バーツなので、約2倍になりました。青年海外協力隊の生活費も7000バーツから1万5000バーツに約2倍なので、その意味では昔も今も同水準かもしれません。

青年海外協力隊員の生活費は、「給与」ではなく、文字通り「生活手当」とのことですが、ではタイの生活にどのくらいかかるのでしょう? (住居費や医療費、渡航費は別途支給されることになっています。)

食費はすべて外食したとしても150バーツあれば十分でしょう。一ヶ月4500バーツ。
交通費は、1日50バーツとして、一ヶ月1500バーツ。光熱費も1000バーツ。交際費、書籍等で一ヶ月1000バーツ。合計すると8000バーツくらいです。多めに見積もっても月に1万バーツもあれば余裕を持って十分生活できます。

そりゃそうですね。タイの最低賃金は1日180バーツ程度。実際はそれより安い賃金で働いている人はいくらでもいます。医療費、住居費とは別に月に1万バーツもあれば毎日大贅沢できます。毎月5000以上も貯金できる計算になります。

しかし、実際は、なぜか「足りない」と感じている人も多いのではないでしょうか?

バンコクでは、デパート・専門店に高級な物品があふれています。中流のタイ人と食事にいくと、一人500バーツ食べるのは簡単です。飲みに行くと1人1000バーツくらいすぐです。また、企業の駐在員など生活費が何万バーツの人も大勢おり、そういった金銭感覚の麻痺した人たちとつきあうと、お金がいくらあっても足りません。日本で生活するよりもはるかにお金がかかるのが、バンコクの生活なのです。

でも、最初に書いたように、タイの物価水準からすると月に1万バーツで足りるはずなのです。 でも、足りない。

そこにあって、他人は買えるのに、自分は買えない。
人(日本人駐在員)がお金を持っているのに、自分は持っていない。

だから、お金が足りないと感じるのですね

多分、タイにバンコクがなかったら、日本人が他にいなかったら、月に1万バーツで十分な生活ができますよね。
ないものを我慢するより、あるものを我慢する方がずっとつらいのです。
つらいから、その辛さがいろいろ変な風に悪影響をあたえるのです。
「何も無いところで頑張っている」のならやりがいも感じるかもしれませんが、「(周りの日本人は良い生活をしているのに)自分だけがなぜ、少ない生活費で暮らさねばならないのか」などとネガティブに考える要素にもなります。

自分はこれも「貧困」の一種と考えます。もちろん、、生命が脅かされる貧困ではありませんが、精神衛生上の貧困であり、生活のに重大な影響を及ぼす要因であると思います。

タイの貧困問題は、実はこのような問題が大きいのです。地方の農村で現金収入源が少ないのに、車や家電製品など消費財にあふれているのを見て驚いた経験を持つ人が多いと思います。それは、タイの「豊かさ」を示すのではなく、「貧困」をあらわしており、それにより様々な生活の問題を生じさせているのです。

タイの村で仕事をする人は、タイの地方の貧困とはなにかを考えるのが必要だと思います。


http://blogs.yahoo.co.jp/toshiyukiokui/52088300.html
↑ 関連記事;貧困 その1

http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Theme/Soc/Pov/
↑ 作者の考える「貧困」ではなく、一般的に言われる貧困

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