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「老いていくアジア:大泉啓一郎著 中央公論新社 」という衝撃的な本が出版されて6年たちました。
当時は、少子高齢化が進む日本と違って「若い人が多いアジア」という印象が強くありました。
タイでも、街には若いタイ人が溢れているし、田舎に行くと「最近は人口計画が浸透して子供の人数がコントロールされているなぁ」という程度で。
私自身タイで働いていて、「少子化が進んでいるタイ」との印象ではなく、「人口増加をうまくコントロールしているタイ」との感覚でいました。
ところが、驚くほどの少子高齢化がアジアで進んでいる現状問題提起したのが、この「老いていくアジア」という本でした。
タイだけではなく、(一部の国を除いて)アジアで急速に少子高齢化が進んでいる現状を。
日系企業がタイに進出するときの問題点は、カントリーリスクや賃金の上昇ではなく、「人出不足」との声をよく聞きます。
(実は、企業の人が言う人出不足は、「高度人材の不足」が大きく、少子化とは直接はリンクしていないのですが。) ところが、この本を読んでから、少し注意していると、タイの子供の数は確かに少ない。
バンコクの家庭でも子供が1人、2人って普通。 地方に行っても、子供の数は最大2人。
いや待て、その前に、タイ人は結婚しないではないか。
私の友人には、「高学歴女性タイ人」比率が非常に高い。
一流大学卒業、海外で修士号取得、、、って層が多い。
それが、みんな結婚しない。
必ずしも彼氏がいないわけでも無いようだが、とにかく結婚しない。
結婚に対する価値観の多様化、、、のような話ではなく、
「誰も結婚しない!!!」のはどういうことだ?
たとえば、私のよく行く会社では、20代から40代の女性社員が16名いるのだが、
結婚しているのは、ゼロ!
以前10年近く前に私がタイで働いていた職場ではタイ人女性スタッフは15名ほどでした。
今は元の職場で働いている人は一人もおらず、国連職員やら外交官やら大学講師など、
「大出世」している。 (私一人が取り残されている!)
↑ もともと優秀な人達ばかりだからか、、、、、、
すいません。そいつら今でも全員独身です。
なぜ結婚しないのか? を聞いてみた。
(職場で聞けばセクハラ!!!)
タイ人友人A:結婚したくないわけではない。
但し、良い男は大学時代にすでに売約済!
今まで彼女がいない男はろくな男ではない。
付き合っている人がいるのに乗り換える男もろくな男でない。 いずれにしても、カスと結婚するくらいなら結婚しない方がまし。
→冷静に分析している頭の良い女性です。
少々きついが、性格はとても良い。 でも、その頭の良さが結婚の障害!!!
タイ人友人B:結婚したい。
相手に、多くの条件を望まない。
自分以上の学歴で(本人はタマサート大学卒、チュラロンコン大学院修士)、
ビジュアルは「普通にハンサム」であればそれでよい。お金もそんなにいらない。
ベンツに乗っているのは生意気だから、BMWくらいが丁度いい。
性格は「すごく良い」が絶対条件。
→ノーコメント
タイ人友人D:結婚できるならしたい。
現恋人は髪の長い、、、、女性。
(ちなみに、本人はショートカット) →勝手にやっといてくれ!
タイ人友人D:いい人が見つかればね。
なお、本人はチュラロンコン大学卒、スタンフォード大学修士。
冷静に見れば美人だと思う。自家用のベンツで通勤している。
→スタンフォード大卒でベンツに乗っている女に釣り合う男はいないんだろうなあ。
学歴社会・階層社会のタイのこと、カセサート大卒、車はFITTの男では釣り合わないんだろうなあ。
(ちなみに、そういう男は「普通には十分エリート」です)
ちなみに「データえっせい」URL:http://tmaita77.blogspot.com
という面白いウェブサイトがあります。
データをニュートラルに分析しているように思えます。
(データがあまり好きではないのは、「結論ありきでデータをその結論を補強するために恣意的に使う」事例が多くある気がするためなのですが、このブログはニュートラルで面白いと思います。)
この中で、年収と結婚率との相関関係が示されています。
よく、男性の年収が低いほど結婚率が低い
つまり、
「年収が低くて結婚できない」=「ワーキングプア問題」
というのは有名ですが、
(但し、この因果関係にも注意は必要です)
このブログでは、「年収の高い女性の結婚率が極めて低い」ことや、
年収の低い女性の結婚率が高いことから、
日本のジェンダ認識の特徴の示唆があり、
確かにこういう国際比較は面白いだろうなあと思います。
但し、タイの場合は年収よりも資産の比率が高いので、
(固定資産税も贈与税もない)
年収と結婚率以外の要素が多いのではないかと推測しますが。
たとえば、上記のスタンフォード大卒の女性の「親の資産」は間違いなく多いよ思いますが、
本人の資産はそれほどでもないのではないか。
さらに、収入は普通の大卒女性とそう変わらないのではないかと思います。
#タイでは(途上国のなかではやりやすいのだと思いますが)年収の調査は極めてやりにくいし、どれだけの精度で調査できるのか疑問もありますが、それ以上に資産の調査は極めて難しいのです。
今では、日本人の中でも「東南アジアにおける高齢化・少子化の進むタイ」は常識となり、
また、タイ政府も高齢化に対する対策の必要性の認識が強くなってきました。
(少子化に関しては、あまり認識がない気がしますが)
上記「老いていくアジア」は現状における問題提起の本だったのですが、
その対処方法については、可能性を示唆しているだけです。
私も僭越ながら思うことを書いみました。
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その他雑記
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FREEDOM TO WALK
という人身売買防止キャンペーンのイベントがあります。
11月3日から18日まで、バンコクからミャンマー国境まで歩くというイベントです。
1日だけの参加でもOKなので、11月3日に参加しました。
We are walking because we can.(歩こう、それが私たちができることだから)
に激しく共感してしまいました。
11月3日は、手作り感いっぱいのイベント。
楽しいウォークでした。 18日はミャンマー国境のサンクラブリでゴールです。
時間のある人は行ってみても楽しいと思います。
(私は、別件で無理なのでした、、、、 別件とは、、、まだ内緒!)
ところで、また話は変わりますが、
(すいません、いつもどおりダラダラ書きです。 この書き込みに「結論」はありませんので、どこで読むのを止めても大丈夫です)
歩くイベントから連想ですが、本当に歩くって素直に楽しいですよね。
街中の散歩、野山の散歩、とっても気持ちいいです。
そういえば、私の学生時代は「合ハイ」というものがありました。
近所の短大の女の子をいかに参加させるかが幹事の腕の見せ所でした。
ちなみに、合コンではありません。合ハイ(=合同ハイキング)です。
参考;合ハイとは、男女合同で行くハイキングのこと。
【年代】 昭和時代 【種類】 若者言葉
散歩を楽しむというよりは、なんだか不純な動機の参加ですが、
それでも女の子に相手にされないと(だいたいそうでした)、結局は自然を楽しむしかないわけで、
私が散歩の楽しみをしる機会にもなりました。
ところで、「となりのトトロ」ってなんでこんなに魅力的なのでしょう?
(何の先入観の無い)子供もタイ人もトトロが大好きになる人が多いのは、
きっと何かすごいものがあるのでしょうね「トトロ」には。
その主題歌は「散歩」という歌です。
『歩こう歩こう、私は元気、歩くの大好き、どんどん行こう♪♪』
ついつい、口ずさみながら歩いてしまいます。← 誰かに聞かれたらとっても恥ずかしい!
でも、そんな散歩って気分転換にもなるし元気にもなりそうです。
ところで、随分昔に水前寺清子という歌手がいました。
私の生まれる前だったかもしれません。←嘘つけ!
「365歩のマーチ」で、
『幸せは歩いてこないだから歩いてゆくんだよ♪
腕を振って足をあげてワンツーワンツー、休まないであるけ♪♪』
これは、「元気に頑張ろう!」という詩なのだと思いますが、
一方で、「歩けない人(=歩く気力のない人)を非難する曲」でもある気がします。
幸せをつかめないのは、歩いていないことが原因 = 休まずに歩かない本人の責任
と言っているように私には聞こえてしまいます。
小学生のころは無邪気に歌っていたのですが、だんだん大人になってくると、
「歩くことができない自分には」とっても苦痛を感じる曲になってきました。
そんなときに出会ったのは、中島みゆきの「時代」です
『今はこんなに悲しくて涙も枯れ果ててもう二度と歩けそうもないけど、
そんな時代があったねと、いつか話せる日が来るわ♪♪』
こっちは、とっても共感できました。
歩けないときももあるよ。 無理に歩かなくても、そのうちまた歩けるよ。
のメッセージに随分勇気づけられました。
(私は、一週間に1回くらいは落ち込んでいます)
でも、「少し落ち込んだとき」はこの曲を聞いて元気になるのですが、
「すさまじく落ち込んだとき」、この曲が聞けなくなってしまいました。
「また歩けるよ」って無責任なこと言わないで! 「もう明日はない」との反発を感じてしまったのです。
反発っていうのは、あとからの理由づけで、そのときは、「辛くて聞けない」。
そんな感じです。
そんなときに、さだまさその「立ち止まった巣描画」で、
『走り疲れたら、お歩き。歩き疲れたら、お休み♪♪』
で、「なんだかんだ言い訳しなくても休めばいいんだ」
と、そして「できないこと」「休むこと」が次につながるんだと勇気づけられました。
途上国協力の仕事をしていると、
援助する側の都合で、
『この期間でこれだけのことをしなければならない』
ということがあります。それはそうなのですが、それを実施するのはカウンターパートであり、
住民であったりするのだと思います。
彼らが、本当にサボっているのであれば、『頑張ろう』との勇気づける活動が必要だと思います。
「水前寺清子の三百六十五歩のマーチ」的頑張りができればいいなあと思います。
でも、少なくとも私の経験では、途上国で結構頑張っている人は大勢います。
できていないことには、様々な事情があるのです。
そんな人に、『頑張ろう』というのは単なる押し付けにになってしまいます。
様々な事情で頑張れない人には、『休もう』から始まるのが結局は頑張れるのではないかと思いました。
「サボる」のと「休む」ことは違うと私は思ったりします。
すいません、「歩く」からどんどん飛躍してしまって、何を書いているのか、わからなくなってしまいました。
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「それでもボクはやってない」は2009年にヒットした映画です。 日本の裁判制度に問題を投げかけた映画として話題になりました。 筆者は、とっても気になったのですが、なかなか見る機会がなく、やっと最近ビデをを手に入れて見ました。 筆者は、子供のころから(子供の頃は?)、いわゆる「いい子」で、犯罪を犯してはダメですよ! という教えを守って育ちました。 子供の頃にみたドラマ(確か「ザ・ガードマン」だと思うが、)前科を持つ若者が、社会から虐げられるシーンがあった。 本来であれば、「前科を持つだけで、なぜ社会から虐げられなければならないのか」問題意識を持たねばならないのだと思うが、その時にそのドラマを見ながら母親が発した言葉は、「前科を持つと、ああやって一生ついてまわるんだ。悪いことは決してやっちゃダメだよ」ってこと。 よい子だった筆者としては、警察に捕まることはしないまま育ちました。 (本当は、「よい子」ではなく、警察に捕まるようなことをする勇気がなかっただけですが) その後、善とは何か? 悪とはなにか? と(浅はかながら)考えていくなかで有罪かどうかは、絶対的なものではなく、社会のシステムの中で決められてしまうことに疑問がずっと深まってきました。 でも、その疑問を突き詰める頭はないまま疑問だけを抱えて来ています。 例えば、大麻を吸うなんてことは、(誤解を恐れずに個人的見解を書けば)筆者的にはなぜそんな大犯罪なのかわかりません。現在だってオランダでは合法化されているし、タイでも田舎では食したりするようです。タバコや酒が合法で、大麻が違法だなんて、合理的な説明ができるわけではありません。唯一言えるのは、「法律という仕組みに合致しているのかしていないのか」です。 つまり、 「大麻は法律に違反している」「酒は法律に違反していない」 ことが事実であることであって、 「大麻は悪い」「酒は良い」ということではないのだと思います。 大麻を吸った人は、「法律(=社会の決まり)」を犯したことを責められるのであって、大麻を吸うこと自体が悪いのかどうかは判断しかねます。 SMAPの草薙クンが逮捕されて家宅捜査までされました。 酒によっぱらって、夜中に公園で全裸になって叫んだ! これは、公衆に不安感と迷惑をかける行為で、「悪いこと」です。 でも、「絶対にゆるせない・人間としてあるまじき」ほどの凶悪犯罪なのでしょうか? 酒に酔って前後不覚に陥った経験を持つ人は少なくありません。 (筆者もあります) 辛いことがあって、酒を飲まずにいられない気持ちになったことがある人間は少なくありません。 (筆者もそうです) で、そうなったからといって「逮捕され」「家宅捜査」を受けるのみならず、仕事を取り上げられるほどの悪事でしょうか? ようは、草薙クンは、やったことは「少し悪いこと」だったのですが、 「有名人」であったために、大きな罰を受けることになったような気がします。 「私はSMAPのメンバーでなくて良かった」と筆者は胸をなで下ろしたのでした。 そんなこんなで、筆者は「裁判」というものに相当否定的なものを感じてきました。 法律はよくわからないのですが、法律の専門家が、論理をこねくりまわして、法律の裏をかくことは「合法的」などと発言しているのを聞くと、「良いことは良い」「悪いことは悪い」と判断するのが、人間として当然! 「法律の裏をかくことが善」で「無知で法律違反してしまうことが悪」というような発想には疑問を感じ続けました。 で、裁判員制度。筆者的には普通の人が普通の感覚で裁判を行う、少なくとも裁判の判断に普通の感覚を取り入れることは、大賛成です。 法律に違反したかどうかももちろん大切ですが、「悪いことをしたのか」「していないのか」を普通の感覚で行うこと。その一歩が裁判員制度だと思っています。 「普通の人の感覚が裁判を変える」というのであれば、このブログで何回も書いている「エンパワーメントアプローチ」とも通じる部分が大きいとも思います。 「プロの裁判官が正確な判断をすれば良い」などとの意見があるが、 「プロ」ではなく「普通の人」の感覚が大切なのです。 同じように、 「政治はプロの政治家がやるのが一番。素人が口だしすべきでない」 「行政サービスはプロの公務員がやれば良い。素人が口だしすべきでない」 はおかしく、普通の国民みなが、勉強して政治家なり公務員なりを監視・指導・参加しなければならないのです。 それが、エンパワーメントアプローチなのです。 裁判にも裁判官を監視・指導・参加しなければなりません。 もとにもどります。 "それでもボクはやってない" 周防正行監督による、『Shall we ダンス?』以来10年ぶりの新作映画。前作の封切り後、じっくり時間をかけて地道な調査活動を続けてきた監督が「どうしても作りたかった」という、日本の刑事裁判に疑問を投げかける社会派の作品である。周防監督は、2002年に東京高裁で逆転無罪判決が出された事件をきっかけに痴漢冤罪(ちかんえんざい)に関心を持ち始め、自ら取材した数多くの同種事件の実在エピソードを作品中に散りばめるなど、痴漢冤罪事件を通じて、日本の刑事裁判の実態を映像化している。
ウィキペディアより( http://ja.wikipedia.org/wiki/それでもボクはやってない ) |

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先日の週末、とある地方で開催されたワークショップを見学に行きました。 |

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