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この5月に紹介した横浜山下公園の「赤い靴の歌」がここJR海田市駅構内に
貼付してあった。これは横浜の宣伝ポスターである。
大きな船をバックに詩が書かれている。懐かしく感じた。
海田市駅というと呉線と山陽本線との分岐点であり交通の要所である。
2階に改札が有りエレベターが3基(写真左と中央及び裏側)もついている。
1基はホーム内で最近設置された。
以下は5月2日の記事である。
{横浜山下公園に行ったときに赤い靴をはいていた女の子の像を見た。
この像の由来をバスガイドさんから事前に聞いていた。そばには野口
雨情作詞の歌が刻んだ碑があった。
ガイドさんから聞いた話は大体次の通りである。
静岡県出身の岩崎かよの娘・きみがその赤い靴を履いていた少女のモデルとされた。
その「定説」は次のとおりである。
岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、北海道に渡り、結婚する。
そして、きみが満3歳の時、当時開拓地として注目されていた北海道の
開拓農場へ入植する。しかし、開拓生活の厳しさもあり、かよは娘・きみの
養育をアメリカ人宣教師夫妻に託すことにした。
やがて宣教師夫妻は本国に帰る事になるが、その時きみは結核に
冒されており、アメリカに連れて行く事が出来ず、そのまま孤児院に
預けられてしまう。きみは孤児院で母親に会うこともできず、9歳で亡くなったという。
母親のかよは、きみは宣教師夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、
きみが東京の孤児院で結核で亡くなったことは知らされないまま、一生を過ごした。
野口雨情は、かよと親交を深め、「かよの娘のきみが宣教師に連れられて渡米した」
という話を聞かされた。じつはこの時点では、きみは東京の孤児院にいたのだが、
かよはそのことを知らない。
1921年(大正10年)に、この話を題材にして『赤い靴』が野口雨情によって作詞された。
かよはきみが東京の孤児院にいたのを知らなくアメリカにわたっていると
思い込んで野口に話したために事実と異なる作詞となったようだ。
せつなく実に寂しい話である。}
「赤いくつ」
作曲 : 本居長世
作詞 : 野口雨情
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横浜の山下公園にたまにいきますが
「赤い靴」の記念碑を見ますが、由来は知りませんでした。
異人さんに誘拐されたのかと思っていました(笑)
2009/8/6(木) 午前 0:01
そういういわれがあったのですか!
山下公園に行った時、「赤い靴バス」を見たことがあります。
でも、何故横浜の地なのでしょうか?当時はアメリカ行きの船が横浜から出ていたのでしょうね。
2009/8/6(木) 午後 2:43
その「赤い靴バス」の写真が載った記事をトラックバックさせていただきました。↓
2009/8/6(木) 午後 2:48
懐かしく読ましてもらいました
事実と歌の歌詞は違うみたいですネ
山下公園に行って最近立ち止まる事ないです
今度行ったらまたゆっくり見たいです
2009/8/8(土) 午後 3:32
シルク様
由来も知ると面白いですね。
2009/8/8(土) 午後 7:47 [ toshimi523 ]
赤い靴バスがあったのですか、楽しいですね。
TBありがとうございました。
2009/8/8(土) 午後 7:49 [ toshimi523 ]
teter moro様
そうでしたか、
近いのですか?又おいでになってください。
2009/8/8(土) 午後 7:51 [ toshimi523 ]