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ツアー最終日4日目は待望の小樽へいきました。
小樽というと小樽運河、石原裕次郎、ガラス工芸です。
石原裕次郎が幼年時代を小樽で過ごし、第二の故郷として懐かしんだこの地にいま、彼の思い出が
鮮やかによみがえります。彼の全盛時代は映画を、その後は彼の歌に熱中しました。
残雪のある小樽運河を散歩しました。運河、セピア色の倉庫群……ノスタルジックな港町・小樽。歩きに
くさはなんのその待望の場所に来たという感動で胸がいっぱいでした。
ガラス工芸というと北一ガラス。支店が沢山あり、一帯がこのチェーン店でした。
情報
小樽と裕次郎と海陽亭と稲穂小学校
小樽稲穂小学校の改築工事が進んでいます。石原裕次郎が小学校時代の数年、ここ稲穂小学校に通い、小樽で生活していたということ
小樽の語源
アイヌ語のオタ、オル、ナイ(砂浜の中の川)で、元は銭函の名ですが、魚場と一緒に地名も引っ越しました。豊かなニシン魚場の小樽は、明治・大正時代は出稼ぎ漁民「やん衆」が溢れ、ニシン漁に湧きかえりました。明治に入り1869年北海道の要港に成長しました。
悲運を秘めた運河の誕生
運河造成計画は明治29年、各町代表が集まり、増加する一方の船や貨物のさばき方を話し合ったのが始まりでした。大正12年9月にやっと誕生しました。
小樽の斜陽化とそれを救った蘇える運河
昭和61年に南側半分が埋めたてられ散策路に整備されました。石造り倉庫群も店舗や博物館に再利用され、運河は歴史と浪漫の街小樽の象徴として蘇りました。
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