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横浜山下公園に行ったときに赤い靴をはいていた女の子の像を見た。
この像の由来をバスガイドさんから事前に聞いていた。そばには野口
雨情作詞の歌が刻んだ碑があった。
ガイドさんから聞いた話は大体次の通りである。
静岡県出身の岩崎かよの娘・きみがその赤い靴を履いていた少女のモデルとされた。
その「定説」は次のとおりである。
岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、北海道に渡り、結婚する。
そして、きみが満3歳の時、当時開拓地として注目されていた北海道の
開拓農場へ入植する。しかし、開拓生活の厳しさもあり、かよは娘・きみの
養育をアメリカ人宣教師夫妻に託すことにした。
やがて宣教師夫妻は本国に帰る事になるが、その時きみは結核に
冒されており、アメリカに連れて行く事が出来ず、そのまま孤児院に
預けられてしまう。きみは孤児院で母親に会うこともできず、9歳で亡くなったという。
母親のかよは、きみは宣教師夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、
きみが東京の孤児院で結核で亡くなったことは知らされないまま、一生を過ごした。
野口雨情は、かよと親交を深め、「かよの娘のきみが宣教師に連れられて渡米した」
という話を聞かされた。じつはこの時点では、きみは東京の孤児院にいたのだが、
かよはそのことを知らない。
1921年(大正10年)に、この話を題材にして『赤い靴』が野口雨情によって作詞された。
かよはきみが東京の孤児院にいたのを知らなくアメリカにわたっていると
思い込んで野口に話したために事実と異なる作詞となったようだ。
せつなく実に寂しい話である。
「赤いくつ」
作曲 : 本居長世
作詞 : 野口雨情
1.赤いくつ はいてた
女の子
異人さんに連れられて
行っちゃった
野口雨情の名作「赤いくつ」は本居長世の美しくも哀調を帯びた
メロディに載せられて歌い継がれている。
この曲をいつ頃覚えたのか私も記憶にないのだがいつしか口ずさ
んでいたように思う。
大正10年「小学女生」に発表された曲だ。
これをクリックすると曲が聞ける。懐かしい歌だ。
http://jin3.jp/kimi/kashi.html
横浜港の船、かもめを見てそれに中華街も散策した。
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