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今回の旅行で一番期待していたのがこの高千穂峡観光である。
 
階段を下りてゆくと開けてきた。
 
高千穂峡(たかちほきょう)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井にある
五ヶ瀬川にかかる峡谷である。
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国の名勝天然記念物に指定されている(五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷))。
 
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昭和9年(1934年11月20日に名勝、天然記念物に指定された(「五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷)」)。
昭和40年(1965年3月25日には祖母傾国定公園に指定された。
峡谷は貸しボートで遊覧できるようになっており、峡谷に流れ落ちる日本の滝百選の一つである
「真名井の滝」の至近まで近づくことが出来る。
                                             
 
ボートが見えます。
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見応えが有りま
す。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 柱状節理、奇岩です。
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高千穂峡概要

[阿蘇カルデラをつくった火山活動によって、約12万年前と約9万年前の2回に噴出した高温の軽石流火砕流の一種)が、当時の五ヶ瀬川の峡谷沿いに厚く流れ下った。この火砕流堆積物が冷却固結し熔結凝灰岩となり、柱状節理が生じた。熔結凝灰岩は磨食を受けやすいため、五ヶ瀬川の侵食によって再びV字峡谷となったものが高千穂峡である。高さ80m〜100mにも達する断崖が7kmにわたり続いており、これを総称して五ヶ瀬川峡谷(高千穂峡)と呼ぶ。

断崖・絶壁
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見上げると仙人の屏風岩
 
 
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3つの橋が架かっていた。
 
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とても見応えが有り時間が許すなら
ゆっくり見ていたかった。
 
画像が不鮮明なところが有り申し訳ないです。
九州全県旅行の最初の日に出かけたのが青の洞門と耶馬溪そして宇佐神宮
である。
ここでは青の洞門と耶馬溪を紹介いたします。どちらも昔来たことがあるのですが
そのときの記憶がうっすらのこっている程度でした。
 
新幹線は小倉で降り、観光バスに乗り換えてここに来た。
 
青の洞門は全長342メートルでトンネル部分が144メートルである。
石工たちを雇って30年の年月をかけて完成したのが1763年、
 
今から約250年前の事。(青の洞門の”青”は地名を表すとのこと)
 
 
 
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青の洞門(あおのどうもん)は、大分県中津市本耶馬渓町樋田にある耶馬渓
山国川に面してそそり立つ競秀峰の裾にある洞門(隧道、トンネル)である。
 
 
 
 
 トンネル入り口、是が手彫りだとおもうと感動的になる。
 
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国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、
ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、
石工たちを雇ってノミだけで30年かけて掘り抜いたといわれている。
 
この逸話を元にして書かれたのが、1919年(大正8年)に発表された菊池寛の『恩讐の彼方に』である。
 
 
 
トンネルはノミと槌だけでほられたそうだ。30年かけて彫り上げたトンネル、
途中で投げ出す事も無く頑張って完成したのだ。感無量だった事であろう。
 
最初は通行料を徴収したらしい。日本初の有料道路とのこと。
 
   トンネルを掘る姿                                     ぜんかい和尚
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耶馬溪の景色
 
切り立った崖が特徴
 
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禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた
難所で通行人が命を落とすのを見てトンネル掘削を思い立ったそうだ。
 
これらの写真を見ると通行するにはかなりの難所だった事が想像できる。
 
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禅海和尚の偉大なる善行が偲ばれる。
 
今回はツアーという事も有り団体行動なので今後のご紹介を含め、ゆっくり写真撮影が出来なく、物足りなくおもわれると思いますが御容赦下さい。
先日の九州全県周遊旅行で気に入ったところを順次紹介いたします。
 
2日目に珍しい景色を見た。島々の織り成す不思議な光景です。
島と島そして陸を含んだ海の形が十字に見え、クルスの海といって願いが
叶う海だそうだ。
 
高台からの風景
 
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「クルスの海」は、柱状岩が波の侵食で東西200メートル、南北220メートル、
高さ10メートルにわたって裂け、十文字に見えることからこう呼ばれています。

十字に割れた岩の外に、小さな岩場があり、合わせると「叶」の字に見えることから、
ここで祈りをささげると「願いが叶う」といわれています。
 
叶うという字に見える。
 
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この二つの重なる曲線は、お互いの足りない部分や弱いところを補い合い、
相手を思いやる姿を表現し、
上に向かい細くなる形は我々の願いが天に向かう意味を表す。
 
新年に向かいこのような景色に出会ったことで来年は何か願いが叶いそうな
気がした。
素敵出来事に出会いそうだ。
 
 
 
また、ここから見る風景は南国情緒たっぷりであった。
 
 
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次回に続く
この16日から20日までの5日間、久しぶりに旅行してきた。
「九州旅行全県まるごと周遊5日間」
九州7県を観光する贅沢な旅行をさせてもらった。
 
 コースは広島から小倉までを新幹線で、九州ではバスで福岡・大分・宮崎・鹿児島・熊本・長崎・佐賀を
右回り。バス走行距離は1300キロ。
そして方々の観光地を歩き回ったのでなんと歩数45000歩。
 
主な観光地
 
青の洞門・・・伝説に残る手彫りのトンネルを見学した。
宇佐神宮・・・広い境内
湯布院・・・・いいところだ、沢山の観光客で埋まっていた。
高千穂峡・・・夢にまで見た観光地。期待に胸膨らませて観光。
 
日向クルスの海・・・願いが叶う、小さな島が織り成す不思議な形
霧の蔵ブルーワリー・・・霧島で有名な焼酎工場
青島・・・風が強く波が荒かった。
知覧平和会館・・・特攻隊員の遺品を見た。
                                          長崎鼻から開門岳を臨む
長崎鼻・・・南国の亜熱帯植物と開聞岳の景色を愉しむ。イメージ 1
仙巌園・・・見応えのある庭園だ。桜島の噴火を見た。
吉野ヶ里遺跡・・・広大な敷地に弥生時代の建物が点在していた。
長崎平和公園、めがね橋・・・平和について改めて考える。
大宰府天満宮・・・観光客が多かった。
など
 
旅行中は天気よく、その土地土地の名物や歴史など細かく説明してくれた素晴しいバスガイドに恵まれ楽しめた。
 
 
また、添乗員は気配りが行き届いておりいい思い出が出来た。
 
詳しくは次回から紹介いたします。
 
 

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先日行った熊本城で寄った本丸御殿の美しさには圧倒された。

それは外は大雨で歩くのも大変な日であった。建物の入り口を入ってゆくとそこに
御殿があった。美しくきらびやかであった。

座敷に座り記念写真を撮る。しばらくはそこにいて美しいところに出会ったという感慨に
浸る。

天井にも細工がしてあり素晴しかった。


 熊本城本丸御殿紹介

 加藤清正によって創建され、行政の場、生活空間として利用された「熊本城本丸御殿」。

 平成15年の秋から始まった「本丸御殿大広間」の建築工事は江戸時代から残る絵図や文献、
 古写真、発掘調査を基に進められてきました。

 大広間(対面所)、数寄屋(茶屋)、大台所等、復元工事を終え、一般公開されました。

 延床面積:約2,951平方メートル  総事業費:約54億円
 平成20年4月20日から一般公開中

本丸御殿のあとは熊本城に行くが大雨で、見学時間も迫り早々に退散した。
立派なお城なので又の機会にゆっくり見学したい。


 熊本城の紹介

 熊本城(くまもとじょう)は熊本県熊本市にあるお城で、大坂城、名古屋城と並んで
 日本三名城の1つです。

 城郭は約98万平方メートル(東京ドーム21個分!)、周囲は約5.3kmという広大な敷地に、
 大小の天守閣、櫓(やぐら)49、櫓門18、城門29を備えるという、全国でも有数規模の
 お城です。

 熊本城の歴史は古く、加藤清正が設計し慶長6年(1601年)に築城着手、1607年に
 完成しました。

細川忠利(ほそかわただとし)

加藤家改易後、肥後の国づくりにあたった文武両道の城主。
加藤家が改易された後に肥後に入国したのが、豊前小倉城主細川忠利でした。

祖父は当代一流の文化人として知られる細川家初代藤孝(ふじたか)別名幽斎(ゆうさい)、
父は戦国武将忠興(ただおき)別名三斎(さんさい)母は明智光秀(あけちみつひで)の娘、
玉(別名ガラシャ)です。

細川家は信長、秀吉、家康に仕えて戦国乱世をくぐり抜け、丹波、豊前と国替えを重ねて
肥後藩主となりました。

忠利が肥後に入国するにあたって一番気を使ったのが、加藤家に礼を尽くすことでした。
国入りのときに行列の先頭には清正の位牌を掲げ、入城する際は大手門(おおてもん)
で深々とぬかずき、天守に登って清正の眠る本妙寺(ほんみょうじ)に向かい頭を下げたと
伝えられています。

















あの剣豪宮本武蔵も晩年をここで過ごしたそうです。

 宮本武蔵(みやもとむさし)

 武蔵が、細川忠利公に招かれ熊本に来た理由は・・。
 剣豪宮本武蔵は寛永17年(1640年)57歳のとき、藩主細川忠利(ほそかわただとし)公に招かれ、
 城内千葉城(ちばじょう)で晩年を過ごしました。

 武蔵が熊本に来たのは、終焉の地を求める心のほかに、彼が剣の道から得た真理を治国経世の上に
 役立てようという気持ちもあったようです。

 武蔵はこの地で自ら創始した二天一流兵法(にてんいちりゅうへいほう)を大成して
「兵法三十五ヶ条の覚書」「五輪書」などを著し、また茶、禅、書画製作の日々を送りました。


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