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それは、昼休みの散歩道。
とある川岸を、昆虫だとか植物だとか、水石だとか、石笛だとか、化石だとか、漂流物だとか、目に留まるものを愉しみながら歩いているわけだが、
ちょうど、良い感じに川の水も無くなって、中央付近まで覗いてみたのだ。
お昼休みの人がいない川岸っていうのは、なんとなくのんびり時間が過ぎるものよのお
ちょいと最近、川の流れが削ったのか何なのか、砂利層が無くなって川底露出。
ぬーん、粘土層であるなぁ。頁岩のような泥が固まった半分岩状のものじゃなくて、まるっきり粘土。
まー、何か埋まってるかと思いつつ、ちと採取して調べてみると、案の定何か埋まってるんでやんの。
何だろうか?人工物だろうかただの石ッコロだろうかなどと、その埋まっているものを取り出して洗ってみると
あー、化石だこれ。
多分植物の茎の化石。かなりの時間泥に埋まっていたために石化しておりまするわなあ。最初ウミユリかと思ったよ。地質上、それはないだろうけれど。
きっと昔は、一面にこんな植物が生えていたのだろう。その後小さな土砂が溜り粘土質を形成する時に、植物も取り込まれて長い時間が流れたのだろう。
そんな推測をしながら、宮沢賢治の「イギリス海岸」をふと思い出したのであった。
ああ、こういう思いがイーハトーヴと繋がって、物語を形成する舞台になるのだろう。
ここは多分、誰も知らない。暇が出来たら少々発掘してみるか。
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化石
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どうしてそんなにのろいのか♪
それは、雷竜のディプロドクス類だから〜
そんなわけで、モシリュウ発見物語の講演に出掛けてきたのであった。
講師の方は、国内ではじめて恐竜を発見したとされる方なのである。
宮沢賢治の童話「楢の木大学士の野宿」の中にも出てくるモシリュウを、賢治の没後、予言されていたかのように発見したお話なのであった。
歴史的な経緯を追うと、恐竜と言う命名は、明治27年に構山又二郎が名づけたことから日本の化石の研究が進んでゆき、その途上に置いて宮沢賢治が明治29年に生まれる。八重垣又兵衛が東北は宮古に白亜紀の地層を発見する。
岩手県の宮古に白亜紀の地層があるということを、宮沢賢治は彼らに会って聞いていたに違いないということだ。
そこから、宮古の海岸の地名であるモシ(茂師と書く)海岸を、童話の舞台と定め、モシリュウを空想したのだ。
そしてその空想は、昭和53年にモシリュウ発見によって現実となる。
宮沢賢治の大学士は、ここの地層の中でも黒色頁岩が見られる日出島を舞台にしたという。童話でも登場する黒色頁岩はこの付近からしか確認されていない。
モシリュウの発見について、雨の降る日に民宿の便所から現場の崖が見え、用を足している時に発見した("^ω^)・・・というのは本当ではなく、
海岸に降りて露出していた部分を、最初から一目見て発見していたのだという。
その後、近くの売店で接着剤を買いに行くが、木工用ボンドしかなくしかも雨降りだったのでかなり発掘には難儀したのだとか。
現在の海岸。レキやサンゴがガラガラ重なっている場所から、前日のがけ崩れで丁度露出していたところを見つけたとの話である。
骨としてはディプロドクス類の右前腕部分だろうと、当時判断したそうだが、今は雷竜の仲間のものだろうという事で、ディプロドクス類なのかは不明だそうである。
この骨が日本で最初の恐竜の骨であるというのは、その前に発見されていた恐竜の骨であろうというものが、ことごとく候補から消えたからだと。
まずは、サハリンで発見されたニッポンリュウは、今サハリン自体が日本の領土ではなく
長崎県で発見されたトラコドンは、実は哺乳類の化石だったとか。
北海道のエゾミカサリュウについては、肉食恐竜の化石ではなく海竜であるモササウルス。
そんな感じで繰り上がって最初の発見になったのだとか。
これが有名になったのが、昭和56年に上野で開催された大恐竜展で大々的に新聞紙が発表したから。新聞社はこういう催しに祭祀て何かしら話題を探す。因みに朝日新聞。朝日はこう言う記事だけをやっていればよろしい。
モシリュウの上腕レプリカ。
見る限り、この化石には他の生物がくっついたり、かじったりなどという生痕化石が見当たらない。
まーなんだ、そもそも白亜紀の地層にですな、ジュラ紀に生息していたディプロドクス類が混ざっていること自体が不自然だと思って、ちょいと発掘の状況を質問させていただきましたとよ。
何というか、別の場所で死んだ骨がレキ岩の混ざってここまで流れて来たものだろうということで、この骨以外に他の部位の出土はないそうだ。
ということから、恐らく別の場所で死んだ恐竜が尾根だけになり、1万年くらい埋まって化石になった後、自然に掘り返されて川水に混ざって今の場所まで流されてきたのではなかろうかと。
恐竜発見の方程式なども。
D(discovery)=p(人員)N(化石の含有率)A(地層の露出)で求められる。
という御話であった。
最後に、栃木で恐竜が見つかる可能性は、ほとんどない!
でも恐竜だけが、化石ではない。
とのありがたいお言葉をイタダイて公演は終了するのであった。
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そんなこんなで、今年の夏最後の化石発掘などに赴いたのであった。
んざざーーーん!!とばかりの大雨でござる、大雨でござる。
うほっ、良き発掘日和なり、鮎釣りの人がこの大雨の中で胸までつかって竿を垂らしておりまするぞ。
ってわけで、発掘現場。
うむ、良い天気に成り申した(笑
水かさは結構れども、雨で流れた川岸には新しい貝の化石が良き漢字にむき出しているであろうて。
というわけで、マツモリツキヒのモッさん大量ゲット。
それに、腕足類ひとつ。ヒラウネホタテの良い形など。
我輩の化石標本で良きものが今回もとれましたぞよ。
腕足類については、今までは横縞模様の種しか入手していなかったのであるが、こんかいは縦縞模様の個体を発見。たぶん別種なのであろうぞよ。
で、今回は裏側などと合わせが出来るヒラウネホタテなどが入手できましたよ。
こんな感じでこの種は表と裏で貝の形が違うんですな。
裏側の方が平べったい。
ホラちょうどぴったし。
裏側はこんな感じの模様がついている。
これは対にして保管しておいても見られるものじゃろうて。
さて、秋の夜長に虫の声でも聴きながら酒でも飲もうかね。
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んやー毎年毎年懲りずに飽きずに、夏恒例の化石発掘なのでござるいまする。
昨年の豪雨でどれだけ現場が荒れたのかが気になるところなわけで、
河川敷を抜けると、
これは良いかも…と思ったのもつかの間、急激な乾燥が地層に細かなヒビを生じさせて、化石本体をぐずぐずに…
あー遠くで鮎釣りしてる人々が…これはハンマー使うと迷惑だな、と、。
さて、我輩もここで捕鯨活動するかねー、などと思っていたら急に草むらからオッサン登場!
なにぃ〜!噂のシ―何とかと言う反捕鯨団体のオッサンか!?
まあ、反捕鯨団体ではなく、どうやら鮎の釣り人監視人なのだろう。
「ここら辺もずいぶん川岸が変わっちゃったねー」
「以前大学生が来てたけどどこらへんに鯨の化石があったの?」などと世間ばなし。
確かに生物が掘ったと思われる巣穴の生痕化石は残っているのよ。
だけど、魚の鱗や葉っぱの化石だけで、肝心の本体が見当たらないね。
しかもこの崩れやすい地層と言ったらもうまじで崩壊一歩手前。
鮎釣りの人がいるのでハンマーは使えんし。
ダメダ、採取できん。今度出かける時には木工用ボンド必須!!
まあ、今回は我輩の化石発掘ナイフ1号を久しぶりに使用したのですよ。
これ、以前に刃が鍛接不良でポロポロ欠けてしまったので、新しく2号を造ってお蔵入りさせていたのだけど、欠けた刃をごっそり削って研ぎなおしたもんだから現役復帰。その確認の発掘でもあったわけですよ。2号に慣れるとさすがに使い勝手がチガウ感じがする。
全く採取できずに帰る。天気もいいことだし河川敷で昼を食ってのんびりしつつ、休日をまったり過ごす。
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何のことかと申しますと、先日の土曜日に化石発掘に行きますたのさ、ホッシル。
土曜日は日程がずれ込んだOTOの会合もあって、これにも参加したかったんだけれど、当初の予定を優先するのよ。
我輩、どちらかというと、人間の文化活動より自然の方にこそ同朋意識が強くてねー。
朝、今年一番の寒波到来に、那須は雪でござんすかい?と、ちと心配になったのであるのだが、雪の降ることも無く、穏やかな天気になりまして、
那須博物館でちょいと展示している化石なんぞを見学する。
まあ、化石より館長らしき人物と那須野の九尾狐伝説についての話をメインにしていたような。
物語の最初に語られる「古老の話…」がどのあたりから集められた話だったのかは分からないそうだ。
とりあえず有力なのが、源頼朝の軍事演習が核になって、話が作られたのではないかという事。
我輩自体は、平将門の残党が土着し、これを那須氏が追い出して那須に入植した話が大元になってるんじゃないかと推測していたが、将門との接点を考えた仮説は今のところ無さそうであった。
ということで、化石の話に戻るのだが、ちょっとした展示会が催されてはいるものの、雪の那須にやってくる人も無く。
冬の展示はどうにも交通の便が宜しくないよなー。
写真の化石「オオトオキナエビス」は那須の特産となっておりまする。
何でも那須で発見されて新種認定されたものだとか。今回これを狙ってみようかとオモフ。
で、発掘地点到着。まー川の水は凍ってるし、化石は川底だしで、非常に寒い採取場所。
以前にここで採取した時には、脆くて壊れやすい化石に難儀し、腕足類ばっかり採取していたような・・・
そんな壊れやすい二枚貝の採取地点から早々に切り上げて、オオトオキナエビスの採取地点に移動。
昔は川岸に層がむき出していたようだが、大雨で流されてオキナエビスの採取層が川底に散りじりになったもたいである。
だがしかし、我輩くじけない。とりあえず午前中の採取で、やっとこそれらしいものを採取。
お昼は雪の残る那須の疎水を見ながら、講演のベンチでオニギリ。
うーむ、寒い。
こうして、午後に化石のクリーニングと同定を行ったのである。
えーめぼしいものは左の大岩から離れないアラカワニシキに、これでも良い状態の大きなノトキンチャクの二枚貝、キサゴの仲間に、オオトオキナエビスである。
ちょっとオキナエビスは小さいけれど、まあ、とりあえず目的は達成かな。
大きなノトキンチャクにオオトオキナエビス、キサゴのちっこいの2つ。
割れたものは接着して、木工ボンドを付けて表面を保護。
採取した数はこんな感じではあるのだが、ここは前記のとおり割れやすい化石が多くて、良い標本を採取するのが難しい個所である。
こうして100均で売っている木箱に入れて保管。
左上の白い貝が昨年採取した腕足類の仲間。2種類の腕足類が採取できている。固体の大濃さが均一なので、成体でこんな大きさなのだろうか。
この場所の貝化石は、死んでから流された物らしく生きている状態で見つかるより、貝がバラバラになって出てくることが多い。
しかも、サラ石が一緒に交じった砂岩であるため、陸地から程遠くない場所に流されたまったものなのであろう。
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