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最近、天誅組というのに興味があり、ゆかりの地である東吉野町に行きました。
天誅組とは、土佐藩・久留米・鳥取・三河・佐賀などの脱藩浪士が結成した尊皇攘夷の最激派の事で
ここには、色々と天誅組に関する遺跡があり、天誅組の終焉の地として有名です。
明治維新に先んずること5年も前に当時の徳川幕府にたいしての動きをしたそうです。
結局、結束していた同士たちの裏切りにあって事はならなかったんですが、
どういう人たちがこのような大それた事をしたのか・・・
また、東吉野町の人たちが何の関わりもないのに未だに大事にしているのか・・・ちょっと興味が・・
最近、那須信吾という人の短編小説を読み、この東吉野で討ち死にした事を知りました。
家を出たのがちょうどお昼すぎで、24号線から西名阪に入り福住から榛原を抜けて
国道166号線を走ると道が二股に分かれています。
真っ直ぐ行くと松坂方面(たかすみ温泉やスメールがあります)で、
右に行くと東吉野町に行きます。
途中、水分神社や丹生川上神社などの名刹もあり、天誅組に関する石碑なども多数ありました。
天誅組は当初は十津川勢とも巧くいっていたみたいで色々と成果をあげていたそうですが、
高取城攻略に失敗し、一旦は十津川に逃れたそうです。
しかし、十津川勢の裏切りによりこの東吉野まで逃げてきたそうです。
天誅組は一気に伯母ヶ峰峠を越えて東吉野に迫ったそうです。
天誅組の先鋒を務めるのは、土佐藩脱藩 那須信吾。
彼が考えたのは、、首領である中山忠光を生きて逃すことだけでした。
九月二十四日の夕暮れどき、那須信吾ら決死隊六名は宝泉寺前から出店坂を一気に駆け下りて、
彦根藩の本陣(現いかり屋)に突入したそうです。
得意の長槍を揮って、彦根藩陣所を突破して四条屋儀兵衛宅前まで進んみ、
そこで彦根藩武将大館孫左衛門を討ち取りまし。
踵を返して碇屋前に肉迫すると、敵の銃隊が火を吹きました。
那須信吾は槍を敵に投げ付けると、太刀を引き抜いて敵にむかおうとしましたが、
満身に銃弾を受け悲しいかな斃れたそうです。
と、まあこんな調子なんですが・・・・
天誅組で有名なのは吉村 寅太郎(虎太郎とも)なんですが、
豪快で直情的な那須信吾に惹かれました。
とにかく、町中に天誅組に関する石碑やら関係するものが一杯で・・・・・
一通り色んな史跡を見て回り、近くにあるやはた温泉で冷えたからだを温める事にしました。
昔なら本当に秘湯といっても過言では無いくらいの温泉で、
昨日は檜風呂が男性で、岩風呂が女性(1週間交代とか)。
ひのきの香りに包まれてちょっと熱めの温泉にゆったりとつかり一週間の疲れをとりました。
料金は500円で、遠いのを無視すれば安いの一言!!
ほぼかけ流しの温泉から川をはさんであるのが ふるさと村。。
明治45年にできた古い小学校を利用した宿泊もできる施設です。
食堂もあり、予約すれば学校給食も戴けるとか・・コッペパン、牛乳、スープ等・・・
7月からは、河原でデイキャンプもできるそうでこの夏に孫をつれて行く予定です。
やはた温泉ホームページはこちら・・
http://www5.kcn.ne.jp/~furusato/yahata_onsen.html
歴史と文化につつまれた東吉野町に是非!!
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