真昼野 三太でござります・・

仕事がきつくて・・・・・只今、71kgデス・・・

奈良のおはなし

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今日は、お孫さんの運動会でした。

今年入学した小学校は《平和小学校》という名前です。

一年生は二クラスだそうで、一番多い学年でも3クラスの6年。。

運動会もタンタンと順調に進み、午後2時にはほぼ終了しました。

お昼のお弁当は、子供と一緒に食べる事ができず、残念(@_@;)

でも、お母さん達の若さに嬉しいやら・・・嬉しいやら・・・嬉しい\(◎o◎)/!

今日はちょっと肌寒いくらいの気温だったんですが、お母さん達は・・・お尻が半分は出ているジーパンで・・・

タンクトップから覗く胸の谷間に忘れていた男もちょっとだけ思いだしました。

(*^_^*)

こんなに楽しいのなら、来年も絶対来てやるって思った次第です。

昨日、妻と一緒に奈良公園にある奈良国立博物館に『国宝・法隆寺金堂展』にいきました。

当日は朝から雨が降り、家から出かけるのには気分的にブルー。。

それでも、タダで観れるので渋々行ったんですが・・・・

感動しました!!

普段見ることが難しい壁画が間近で観る事ができ、

しかも日本最古の四天王像を360度の視点から見ることも出来たんです。。

後背に隠された作者の書など、絶対に法隆寺では観る事ができません!!

残念ながら、写真等は撮ること出来ないんですが、

しっかりと、この眼に焼き付けてやろうと一生懸命観察させてもらいました。

7月21日までやっています!!

是非、ご鑑賞あれ!!



そば処 山の神

生駒市南田原町にある そば処『山の神』。

昨日、家族で美味しいと評判のお蕎麦やさんがあると聞き行ってきのした。

家が奈良市なので、富雄川を北に走って白庭台方面に左折。

ちょっと走ると右手にガソリンスタンドが見えます。

ここからが聞いていたのとちょっと違った。

道沿いにあると聞いていたんですが、交差点を右折してすぐの所にあったんです。

しかも、ガソリンスタンドの裏なので分かりずらかった!!

給油の車も列をなして並んでいるし(値上げの影響です)、

古民家を移築し改装しているのでパッと見には分からないんです。

でも、趣があって美味しそうな感じ!!


中に入ってメニューを見て・・・ビックリ!!

なんと、もりそば・おろしそば・とろろそば・かけそば・・・のみ!!

天ぷらや他の店にあるような着飾ったそばは全くありません!!

これは、よっぽどそばに自信があるんだろう!!って、勝手に想像したりして・・・


私はもりそばの大盛り850円、息子も同じで妻はおろしそばを注文しました。

待つこと20分位でやっと出てきたのは・・・そば殻を出来るだけ落としたそば!!


ちょっとだけそば殻の色のついた白そばは・・・思った以上にコシがあり、出汁も戴ける!!

細めのそばが出汁とうまく絡み、ワサビと大根も好みで入れてあっという間に無くなりました。


ホームページも無いし、食べることに専念していたので写真を撮るのもわすれてしまい、

次回の訪問時に写真を撮らせてもらう事を了承していただきました。


ここのご主人!!

童顔なんですが、40代なのか30代なのか・・・どちらにしても若い主人です。

そば打ちも外から見られるようにしてあり、ご主人の腕前を確認できます。


今まで食べたそばの中では、1・2位を争う位に美味しいそばでした。



近くに行かれたら寄ってみては如何でしょうか!!

今日の奈良の行事

薬師寺のお身拭い・・・12月29日  午後1時から

           伽藍内の諸尊像のホコリを払い、身を清める年末の恒例行事です。
           金堂の薬師如来像や日光・月光両菩薩立像(いずれも国宝)などで行われます。           最初に仏様の魂を抜く法要を営み、朝の餅つきに使用したお湯で、青年僧らによ           りお身拭いが行われます。
           金堂終了後、大講堂、東院堂など諸堂でもお身ぬぐいが行なわれます。

           拝観料 大人 500円 

奈良の歴史 再発見

私が生まれた大阪から奈良市に引っ越してきたのは昭和55年の5月!!

娘が生まれるので新築してから無人で置いてあった家に入ったのです。

それからは、奈良の古い寺社や観光地等を時間を見つけては子供と一緒に散策したものです。

しかし、奈良の歴史と言うものを知りたいと思い、色々な本や名所などから知識を得ていました。

大概は、神武天皇から桓武天皇までの歴史で、その中でも聖徳太子・中大兄王子(大化の改新)・

蘇我入鹿等は色々と書かれておりその時代の背景なども結構わかりやすく面白く読んだものです。

しかし、それ以降の奈良ってどうなったんでしょうか??

と、言うわけでちょっと調べてみました。

1871年(明治4年)の廃藩置県で大和全体を管轄する奈良県が生まれます。

県庁が置かれたんですが、1876年(明治9年)に奈良県が廃止され、

大和は堺県に続いて大阪府に属することになります。奈良って、昔、大阪府だったんです!!

でっ、1887年(明治20年)奈良県の再設置が認められ、奈良に新しい息吹を与えることになります。

1898年(明治31年)には、待望の市制が施行されます。

大阪、京都へ鉄道が通じ、奈良公園の整備が進むと、

県政の中心地としての奈良市は、近代化をめざして着実な歩みを進め、今に至ります。

なぜ、奈良が寂れていったのか・・・

710年(和銅3年)に、飛鳥の藤原京から奈良へ都が移され平城京(ならのみやこと読みます)が

築かれます。

この平城京は70年あまりの間、古代日本の首都として栄えることになります。

平城宮から南に走る朱雀大路(30mの幅と広い側溝があったとか・・)を中心に、

大路と小路によって整然と区画され、壮麗な宮殿や寺院、貴族の邸宅によって美しく彩られていました。

唐の都・長安にならった規模雄大な都市計画は、最盛期の人口約10万、唐をはじめ渤海・新羅など異国の

人たちの来訪もあり、天平文化の花を咲かせたのでした。

70年間だけの繁栄です。

この時代に、長屋王事件や天然痘の流行で死者が沢山でて、藤原の4兄弟も死亡したりと、沢山の人が

道ばたで死んだそうです。

この、呪われた都から出たいと願ったのが桓武天皇(幼少 山部王)です。

この天皇、育った所が丹波だそうで、都を京都にしたのも丹波に近いからだとか・・・

都が京都に移ると、平城京の跡はまもなく田んぼになってしまいますが、

諸大寺がそのまま残ったおかげで、奈良は社寺の町として新しい歴史を歩むことになりました。

勢いをのばした興福寺をはじめ、東大寺や元興寺の周りに次第に「まち」が生まれ、

奈良の原形が作られていきます。

そして、1180年(治承4年)平氏の焼き打ちにあい、奈良は全滅に近い打撃を受けます。

しかし、東大寺・興福寺の再建が成って、奈良の町は見事に復興します。

13世紀の末には数十の町を数え、15世紀末には、京都に次ぐ日本第2の都市として繁栄します。

そして時代は江戸時代を迎えます。

江戸時代には、幕府の直轄領として奈良奉行の支配下におかれました。

有力な町人の中から数人の惣年寄が選別、奉行の命令を受け、町政にあたります。

17世紀末には、総町数205、人口3万5千人と記されています。

奈良晒をはじめ酒・墨・甲ちゅう・刀・団扇などの特産品に富んだ産業都市だったといえます。

私の家から平城京までは車で10分位です。

佐紀町が平城京の北なら、私の家は南の西端になります。

実際に考えた事も無かったんですが、平城京って凄く広い都だったんだとつくづく感心します。

これからも奈良と一緒に生活するわけですが、もっと奈良の事を知りたいと強く思った次第です。

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