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仏教の教え

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安心立命

「安心立命」

・天命に身を任せて心を動かさず、煩悶もないこと。
・どんな時も心が落ち着いていること。
・人力を尽した後は天命に任せ、いかなる場合にも動じないこと。
・心配がないこと。
・「立命」は、天から与えられたものを全うすること。
 天命に身を任せて心を動かさず、生死や利害に惑わされずに
 超然としている。

泥中の蓮華

「泥中の蓮華」

仏教においては「蓮の花」を悟りのヒントとして象徴的に
捉えた考え方を持っています。
蓮の花は泥の池の中から綺麗で美しくそして大きな花を咲かせます。
この美しい花を咲かせるためには汚く、汚れた水が必要なのです。
綺麗で清らかな真水からは綺麗で美しく大きな花は咲かないようです。
汚い泥水の中から養分を吸い取り見事な大輪を咲かせるようです。

それに例えて私たちが住んでいるこの世界も同様だと言います。
この世を娑婆(しゃば)と呼びます。
娑婆とは「堪え忍ぶ」ということだそうです。
この世は生きていると「苦」はあるものですね。
しかし、どんなにしんどく、きつい環境のなかに自分が身を置いていても
いじけることなく、その中から様々な事を学び、経験していくことによって
美しい花を咲かせることが出来ると言うことですよね。

それは自分が傷つけられている状況に自分が置かれているならば、
他人の痛みが解るようになるための学びであるのかもしれないし、
優しさの無い環境に置かれたならば、優しさの尊さを学ぶため、
そして愛の無い状況に出くわせば、逆に愛の偉大さを学ぶという
こともあるでしょう。
全ては「自分の心のありよう」だということだと思うのです。
置かれている環境に対して嘆き、もがき、苦しみ
不平不満ばかりの生活に留まっているのか、
それともその状況を丸ごと受け入れ、引き受け入れて
その環境を肯定的に捉え、気にしない感じない自分になれるかで
大きく生き方が違ってくるのだろうと思うのです。
非常に難しいことですけどね。
だからこれが出来れば「悟れる」のだと思うのです。
釈迦は実践できたから「悟った人」なのだと思うのです。

私も早く「悟った人」になりたいと思う今日この頃ですが、
煩悩に埋もれて苦しむことも多い毎日です。

。。。.:♪♪*:・'(*⌒―⌒*)))☆ ♪♪♪

諸行無常

諸行無常

この世は常に流動し、変化しているものであり、
一瞬でも同じもの、同じ状態、同じ事象のものはない。
この世のすべての存在は移ろい消えていくもの。
仏教の基本的な考えです。

しかし、人は今生きているこの世がすべてであると思うから
「苦しみ」というものが生じる・・・。

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【禅語】
「花無心招蝶 蝶無心尋花」  良寛

(はなはむしんにしてちょうをまねき 
       ちょうはむしんにしてはなをたずぬ)
                     

この意味は「花は蝶を招きたいと思って咲いているわけではない。
また、蝶も花に舞い降りたいとも思っているのではない。しかしこれらは
「蝶は花から蜜をもらって、花は蝶に花粉を運んでもらっている」
という形で共生しています。ここには互いの利害関係という形では
成り立っていません。ただ単に自然に出合い、巡り合っているだけ
なのだという意味だそうです。


私たち人間社会も様々な出会い、巡り合いで成り立っています。
良寛は「無心の巡り合いと生命の神秘」を詠っているのだそうです。
この巡り合いや繋がりは、何か見えないものが秘められているのだと
思います。

我々も無心に人との素晴らしい出会いを大切にして、
自分さえ良ければそれで良いという考えを捨てて、
互いが利害でなく無心で付き合う、互いに優しく、互いに思いやる心を
持って共生していく必要性があるのだと思います。

自然は色々な事を教えてくれ、学ばせてくれる優しい存在です。
自然に感謝。ありがとうございます。

随処作主

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随処作主
「随処に主となれば、立処皆真なり」
この意味は「どんな場所、どんな時でも自分をしっかりと認識していれば、
その場所、その時が真理である」とか「随所とは自分の居るところ、
何時でも、何処でもという意味であり、主となるとは、それ以上は無い」
という方もいらっしゃいます。

私の解釈ではいつでも、どこでも自分に与えられた環境の下で、
心を込めて精一杯の自分を出し切り、一生懸命に最善を尽くして生きる
と言う事が大切なことである。
自分の人生における主人公は自分でしかない。
ということは自分の人生を生きているのであって、
他人の人生を生きているのではない。
なので他人と比べて自分は脇役だと感じることは無い。
ということは自分の人生において物や人、事象と対立する必要などなく、
自分の人生であり、いつでも主人公と思えば決断する時も、
自分の行動や発言などもすべてに責任を持たなくてはならない。
一切は最善なのであると思い生きることが大事だと思うのですね。
いつでも楽しく、明るく笑って人生を楽しく
過ごしたいものですよね。


いつでも自分と他人を比べて生きる必要性がなく、
結果的に自意識や自我、エゴ・我欲を持つこともなく、妬む必要も、
憎む相手も、恨む人も無いという境地になれるのだと
私は勝手に解釈しています。


薔薇を見て美しいなぁ、鮮やかな紫色だなぁと見えるのも、
美味しいものを食べて旨いと感じるのも自分の世界。
他人と比較して感じるのではなく、
自分自身で感じて美味しいなぁ、美しいなぁと感じれば良いだけ。
そこには誰の力も必要としないはずですよね。
謙虚に驕らず、一生懸命に最善に生きている時、その瞬間、その瞬間
自分の中から全てを幸福に包み込める明るい光・波動が発せられている
のではないでしょうか。

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