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仏教の教え

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因果の法則

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因果の法則
お釈迦様は
『すべてのものは縁に因って生じ、縁に因って滅びる』と
説かれました。
種をまかなければ花の芽はでない。
撒いた種は自らが刈り取る。
善根を積むという「縁」によって、
物事の結果が良くなってくるということのようです。

因果経には
『前世の因を知らんと欲せば、
すなわち今世に受くるところのものこれなり。
後世の果を知らんと欲せば、
すなわち今世に為すところのものこれなり。』とあります。

結果と原因の法則であり、類は類を呼ぶということですね。
今を正しく生きるから、正しい未来があるということでしょうね。
何千年も前からこのようなことをお釈迦様は気付いておられた。
凄い事です。
行動、言動、心遣い、言葉使いなどの善業を積むことで、
平安で幸福な現象を体験する事が出来るのだと思います。

今行なっている自分の心の思い、行動すべてが
これから自分に起きる全ての現象であるならば
正しく考え、正しく生きる。
これに尽きる事なのでしょうね。
本当にこの世はありがたいことです。

放下著

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禅語に『放下著』という言葉があります。
「放下」とは、投げ捨てる、放り出す、捨て切る、何ものにも執着をもたず
一切をさっぱりと棄て去ることだそうです。そして「著」は、放下の意を
強めるために用いる動詞につける命令の助辞だそうです。
ようするに「放下著」とは煩悩、妄想、仏、悟りまでも捨て去る、
全ての執着を捨て、全てを放下せよと言う意味で禅匠は物事へのこだわり
を戒めているとのこと。捨てきる心が逆に一切のものが生きかえるのだと。
迷いも、悟りも捨て切った境地であり、放下著とは「自我を捨てなさい」
と説いているようです。
地位、名誉、財産、身分、立場等を捨てよというのではなく、
持っている自分自身を捨て切れと教えているそうです。

難しいですよね。でも生きている上で悟って物質的なものを捨てきれた
としても、実は何よりも捨てきれないのは「自我」とか「自己」という
部分なのかもしれませんね。
自分というものが中心にありすぎるから他人を押しのけてまで自分を
優先にしようとする行為がはじまり、やがてそれは争い、競争、戦争へ
と発展していくのかもしれませんね。自分よりも他人を優先する考え
境地になったとき、生きている意味が解るのかもしれませんね。
まだまだ私には遠いことみたいですけどね・・・。

「怨憎会苦」

「怨憎会苦」
お恥ずかしながら最近知った仏教用語です。
『四苦八苦』という中にこの「怨憎会苦」というものが
あると昨日書きました。
簡単に言うと「嫌いな人に会う苦しみ」のようなことですね。
このような状態を意識して生活するならば
まさに生き地獄のような状況であることが窺えます。

憎み、嫌い合う者同士が会わなければ成らない状況ですから。
例えば職場でいつも怒鳴り散らし、責任を押し付け、自分勝手で
自分に優しく他人に厳しい性格の悪い嫌な上司や同僚、後輩などに
囲まれて苦痛に耐えながら同じ職場で働かなくてはならない状況など
を想像するとぞっとするような最悪な環境ですよね。
また血縁関係で切っても切れないもの同士(親類縁者、親兄弟など)
などとこのような状況になれば最悪です。

人間として生きているからには、”しがらみ”が纏わりついてしまい、
このような状況は付いて廻る事も致し方ない現実かもしれませんが、
出来るだけ回避したいものですよね。

それにはやっぱり自分の心が変わる事しかないのかなぁと思います。
憎んでも恨んでも嫌っても何も創造的な明るい産物は出て来ない。
嫌う事、憎むことなどを止めにして、現実を拒否しないで、
全てのことを赦し、認め、受け入れるとこの世の苦しみから解放
されるような気がします。

恨む心を捨て、悔やむ心を捨て、全ての現象を愛し、尊み、
感謝する心を育むことで心豊かに生きていけるのかなぁと思います。
非常に難しい生き方ですけどね。
人間には欲望やプライドがありますからね。
まさにこの世で生きている限り『四苦八苦』を繰り返し、
色んなことを学んでいかなくてはならないのでしょうね。

四諦

私は基本的には、この世は「苦」とは思っていません。
「苦」と思うから「苦しく」なるから。
「苦」と思えるようなことを「苦」と思わないようにすれば「苦」ではなくなる。
この世というものは案外、単純なものなのではないだろうかと思うのです。
この世には「苦」などなく、現実にある「苦」は「自分の心が産んだ幻影」
に過ぎないと思うのですよね。
それは自分の心持ち一つだと思います。
苦労は苦労で自己成長のためには必要であり、
人に優しくなれるため、暖かくなれるためなら必要だと思います。
でも本来は苦労という感覚など必要ではない心持ちだと思います。
苦労を苦労と思わなくなった時に自己成長があるのだと思います。


四諦
四諦は仏陀の根本の教えである。
それは、
1.人生は苦であるという真理と、
2.その苦の原因は人間の執着にあるという真理と、
3.この苦を滅した境地が悟りであるという真理と、
4.その悟りに到達する方法は八正道であるという真理
これを苦諦・集諦・滅諦・道諦と呼ぶそうです。
『苦諦』・・・人生の厳かな真相、現実を示し「人生が苦である」ということ。
そして人間苦には四苦八苦というものがあり、
四苦とは、「生」「老」「病」「死」
そしてそれらに、
愛し合うものが別れねばならない「愛別離苦」
憎み合うものが一緒に生活しなければならない「怨憎会苦」
求めても得られない「求不得苦」
人間生存自身の苦を示す「五陰盛苦」
を加えて四苦八苦というそうです。
『集諦』・・・現実に苦があらわれる過去の煩悩。
苦の原因である煩悩、苦を招き集める煩悩。
貪欲や瞋恚、愚痴などの心の汚れをいい、苦の原因の事です。
『滅諦』・・・苦のなくなった涅槃の境地で解脱の世界。
『道諦』・・・苦を滅した涅槃を実現すること。

無財の七施

無財の七施

仏教用語に『無財の七施』という教えがあります。

「眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施」

の7つですよね。簡単に説明させて頂きますと

眼施とは、優しい目で接すること。

和顔施とは、いつも穏やかな微笑みで接すること。あたたかい笑顔。

言辞施とは、思いやりのある暖かい言葉で交わすこと。

身施とは、礼儀正しく、自ら進んで他のために尽くす気持ち。

心施とは、思いやりの心で常に感謝の心で人に接すること。

床座施とは、場を譲ること。

房舎施とは、他の為に雨風をしのぐ所を与えること。

このような教えと言いますか、考えが仏教にはあるようです。

非常に難しい行為だなぁと思います。

自分の事よりも真っ先に相手、他人にことを中心とした

考えであり、自らの現世利益だけを願う人にはちょっと

理解できない事かもしれませんね。

でも、これは決して他人に対する慈悲、慈愛だけではないのです。

自らに通じることだと思います。



アメリカの思想家 エマーソンはこう言ってます。

種を蒔けば刈り取らなければならない。

人を殴れば苦しまねばならない。

人に善をなせば、

君も善をなされるであろう。
                 エマーソン

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