あなたの心に太陽を

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仏教の教え

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十善戒

十善戒
真言宗の経本には「十善戒」という経文があります。

非常に当たり前の事ばかりですが、現代社会に生きるものが

果たしてどれだけ理解があるのでしょうか。

いまだからこそ心から重要な経文だと思います。

        「十善戒」

 不殺生(ふせっしょう)・・・むやみに生き物を傷つけないこと。

 不偸盗(ふちゅうとう)・・・他人のものを盗まない。
               
 不邪婬(ふじゃいん)・・・・男女の道を乱さないこと。
                よこしまな性的関係を慎むこと。
               
 不妄語(ふもうご)・・・・・うそをつかないこと。
 
 不綺語(ふきご)・・・・・・無意味なおしゃべりをしないこと。
               でまかせのいい加減なことを言わないこと。
               
 不悪口(ふあっく)・・・・・乱暴なことば、荒々しい言葉を使わないこと。
 
 不両舌(ふりょうぜつ)・・・筋の通らないことを言わないこと。
                陰口を言わないこと。

(陰口、悪口、批判、非難、不満、愚痴などの類は聞いていて気持ち
の良いものではないですよね。いつも感謝の気持ちを口にしていた方が
気持ち良いに決まっています。)



 不慳貪(ふけんどん)・・・・欲深く物に執着しないこと
              
(身の回りを見渡し人と比較して「あれも欲しいこれも欲しい」と思う
のではなく「あれもある、これもある。とっても幸せ!」と思える心が
幸せを呼ぶのではないでしょうか)




 不瞋恚(ふしんに)・・・・・耐え忍んで怒らない。憎んで怒らないこと。
               
(「心は丸く氣は長く腹を立てずに命永らく」と言う言葉があるように
怒るという事自体が健康には悪いのだ思います)




 不邪見(ふじゃけん)・・・・まちがった考え方をしない。
                誤った物の見方をしないこと。

(ひねくれた考え、ヘソ曲がり、皮肉やイヤミな考えなども不邪見だと
思います。つねに素直に実直な物事の捉え方が大事だと思います)


人として生きていくのに出来る限り守りたいものです。

過去の事や未来の事に煩わないように生き抜くことが大切。

まだ起こってもいない未来の事に思い煩っても意味が無い。

また、過ぎ去った日々を悶々と引きずり続け、マイナス思考に包まれ、

悔しがったり、後悔したり、腹を立てたり、憎んだり、怒ってばかりいたら

貴重な人生をすり減すだけである。

大切な事は今のこの一瞬をどう生きるか。

どのように精一杯生きるか。

今出来る「衆善奉行」を行い生きるだけである。

大切な事は今のこの一瞬。

まだ起きてもいないことを心配したり、思い悩んだり、不安感や

焦燥感に襲われ、暗く沈んでいたら自分がこの世に生まれてきた意味や

価値が発揮出来ないで終わってしまう。

肉体を持って生きているこの瞬間。

今のこの一瞬を精一杯に世の為、人の為、自分の魂の為に

どれだけ「善」を尽くして生きているかで自分の価値が決まると思います。

全ての明るい将来だけを願い、楽しく元気に素直に今を生きたいものです。

良い日も悪い日も無い

日日是好日
辞書を紐解くと

・毎日毎日が無事でよい日であるということ。

・毎日毎日平和で楽しい日が続く。

等とあります。


「日日是好日」・・仏教では自分にとって都合がよければ「良い日」であり、

良くなければ「悪い日」と決めるのは独りよがりというもので

本当は良い日も悪い日も無いという意味です。

これは、良い日も悪い日も全ては人が勝手に決めている事であり、

良い日も悪い日も無いということです。

晴れた日もあれば、曇りの日もあるし、雨の日だってあります。

ハッピーな日もあれば、嫌な気持ちになったり、しんどい日もあります。

でも1日と言うものは太陽と地球と月が決まったように動いていて、

太陽が昇り、そして沈むということを繰り返しているに過ぎません。

毎日が繰り返されることには何の意味もありません。

そこに、「今日は幸運な日」「ラッキーな日」「ハッピーな日」

「面白くない日」「アンラッキーな日」などと勝手に意味を与えて

いるのは自分自身です。


ということは、自分の心の持ちようで今日1日が

人生最良の日であると決められるのです。

晴れたら晴れた日を喜んで、雨なら雨の日を喜んで、

この日を迎えるのです。

今日という日は二度と来ません。

始めて迎える日であり、永久の別れの1日です。

心から最高の1日だと前向きに元気に明るく素直に

生活して行きたいものです。

心頭滅却すれば火もまた涼し

無念無想の境地にあれば、
どんな苦痛でも苦痛だとは感じないという意味です。
これは『碧巖緑』に出てくる言葉です。
禅家の公案とされ、1582年甲斐国の恵林寺が
織田信長に焼き打ちされた際、
住僧快川がこの偈を発して焼死したという話があります。
織田信長に抵抗し、信長の仇敵をかくまったため、
信長の怒りにふれて寺に火を放たれます。
しかし、快川は少しも動ぜず、
「心頭滅却すれば火もまた涼し」と唱え、
火中で禅定に入ったまま焼死したそうです。
これは心を落ち着けて周りと一体になれば、
火の熱さなど辛くはないというものです。
非常に理解し難い境地です。
体は痛いし熱かったと思いますが、
心は辛くなかったのでしょうね。 
周りと一体となり、炎につつまれ
自らも炎になりきったのです。
まさに究極の「悟り」の域だと思います。



到底こんなこと真似など出来ませんが、
せめて「自分と他人」「自分は自分」など区別した
物の見方は止めたいものです。
そう考えると自分は他人と同一であり、
一体であると考えるべきです。
自分がされて嫌な行為は
他人に絶対にするべきではない。
何故なら他人にした行為は
自分に対してした行為と同一であるからだと思います。
自分にされて嬉しい優しい行為を
他人にすべきであり、
それは自分自身にしていることと
同じだと思うんです。
まさに自ら撒いた種は自分で刈り取るという事と同じだと思います。

「一切唯心造」

すべての現象、存在、出来事は唯一、
「心」の働きにより映し出され、
「心」が造り出したものにすぎず、
「心」より現出したものであり、
「心」のほかに何物も存在しない。
地獄も極楽も「心」の中にあり、
「心」が造り出したものにほかならないと
禅では説いています。
「心」の向け方、「心」次第で
同じ出来事でも地獄にもなり、
極楽にもなるということです。
すべては自分の「心」の中に
神も仏も天国も地獄も極楽も存在するのです。

人生は長くもあり、短くもあります。
同じ生きるなら、イライラしたり、不安感に満ちた
地獄のような「心」よりも
いつも謙虚な気持ちで感謝して極楽のような「心」で
平穏な生き方がしたいものです。

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