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最近では聞かれなくなった言葉ですが
「名物に美味いものなし」って言葉が有ります。
私も調べた限りですけど、
この言葉にも結構深い意味があるようで、言葉通りって訳じゃ無さそうです。
ヤドカリを呼び水に、城ケ島観光協会が新名物料理の開発へ/三浦地元だけで食べられる隠れた食材で町おこしに取り組んでいる城ケ島観光協会(青木良勝会長)が、新たな名物料理の開発に乗り出した。その食材は、地元住民が「アマガニ」と呼んでいるヤドカリの一種。新たな城ケ島名物として定着を目指す。 記事に出て来るヤドカリ、実は食べた事があります
以前、義兄が仕入れて説明をしながら店で販売した事もあるけど・・・ 結局、その先の飲食店での販売が難しかったようで続かなかった
今では少し知られてきた「フジツボ」も単発の注文しか起きなかったし・・・
ちょっと変わり種の食材って、やはり「変わり種」なんでしょうね。
「食べて美味しいかどうか?」って答えにはYES!って答えられるけど、
「コレが売れ続けるか?」の答えには返答が詰まってしまうモノが多い。
昔から獲れるけども流通には乗っかって来なかった品物には
乗っける事が出来なかっただけの理由が存在するって事。
しかし、「やはり既存のモノしか駄目なのか?」と言うと
実はそうとも限らないのです。
その理由の最大のモノは、「環境の変化」と呼ばれるものです。
味覚が以前とは変わらなかったとしても、この数十年で大きく変わったモノがある。
例えば「交通機関」であり、例えば「噂を広げるネットと呼ばれる環境」です。
この存在が、とても小さな商圏でしか無かったものを、その枠を取っ払ってくれる事にもなった。
ちょっと変わったモノが欲しいと望む人間が全体の1%しか居なくても
100人のうちの1%なのか、100万人の1%なのかによって出る人数は大きく変わってくる。
だからこそ、まだまだ面白いモノがたくさんあるのですが・・・
ところで、この言葉の別の意味も少しだけ・・・
名物って、ある意味「希少価値」にも影響してくるものです。
勿論、中には古い歴史の中で「土産」のように成立してきたモノもありますけど・・・
基本、何処にでも有るモノは「名物」には成りにくいのです。
最近のB1グランプリなどで知名度が上がったモノの多くが
その地域では極々当たり前に昔から有ったモノで、その地域の人は当たり前に食べて来たモノ。
ところが、他所から訪れた人間にとっては物珍しかったりしたモノと言うのが多い。
本当に「おもしろい」と思う。
環境に慣らされて、当たり前過ぎて感じられなくなった○○・・・・
其処に「?(疑問符)」を付ける事で、別の世界が見えるかもしれません
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親父
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先週、親父の一周忌で墓参りに行ってきました。
法要は、お袋が高野山で特別に頼んで行って戴いたから今回は別段行わないとの事で
雨が降る中、私の車に一同を載せて田舎まで
墓参りだけするですから、あっという間に終わり。
特に何かある訳じゃないので、本家に行って・・・
本家はお魚屋さんを営業中でした。
近くに姉が宿を取っていたので其処に宿泊する事になっていたのですが
食事は最初から期待していませんから、本家の魚屋さんからお刺身をたっぷり戴いて
夕食は案の上という感じでした。
大洗は魚の街なのに、宿で「ホタテの殻焼き」とか出しちゃうし・・・
何故、地元の食材を使わないのか・・・
ま、安く安定した価格の食材を求めたら養殖になっちゃうけど・・・
宿屋なのですから、同じお客さんが毎日来る訳じゃない。
多少の変化は全く問題無いのに・・・
面倒なのでしょうね
結局、本家から持ち込んだお刺身をおかずにご飯を食べて終わり
ま、そっちの方が美味しいから良いのですが
翌日早々に宿を出立してお土産の買い出しに
女性陣(今回は私だけしか男は居ませんでした)の買い出しのサポート。
藁苞納豆が欲しいとの事だったので記憶を頼りに
一軒目で見つけました
買い物をしている間、私は漁協のセリ場を覗きに・・・
セリの直前でしたが、魚が少なかった。
天候の所為ですから仕方ありませんが・・・
(一応、常磐シラスの時期です)
その後、本家によって再びお土産を自分用に購入。
買ったのは、シジミ、セメ干し(背黒イワシの丸干し)、アカジ干し。
去年は、木端鰈を戴いてきましたけど、今回はコレ。
干物は写真撮りをする前に毎回食べちゃうので
再度撮影に挑戦します。
どんだけ食いしん坊なんだ
とりあえず、シジミの写真だけアップ!
去年もアップしたけど、普通のシジミと違うでしょ
このシジミを使った料理は・・・・
なんでしょう?
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サンマが大量に出てくる時期になると思い出す話がある。 それは、サンマ売りの行商の話。 先日、親父の納骨の為の打ち合わせの為、本家に行った夜の事ですが 伯父達と話をしてて、そのサンマ売りの話になった。 親父がまだ中学生くらいの頃ですが、度々サンマ売りの行商に行かされたそうだ。 車の免許を持っているのが、上の二人の兄達だったので 親父は一番上のお兄さんと一緒に組まされて、2番目のお兄さんと弟が組まされて行商に行っていたそうだ。 何度か行商をしているうちに、親父は「こんな事じゃ大して稼げない」って思ったらしい。 その時代、まだまだ戦後で世の中皆が貧しかった頃です。 町中で売って、安く売って何とか売り切って終わりって感じだったそうだ。 で、農家の家に売りに行っても農作物はあっても、然程お金は持っていないのでたいして売れない。 ところが、親父は何度か行商に行っているうちに、稼ぐ方法を思いついた。 最初から農家に持っていき、米と交換で売ってくる事にした。 行く先々の農家、お金は無いが米などの農作物は持っていたそうで、 米など農作物で売ってくれるなら、現金で売るよりもたくさん売れたらしい。 しかも、最後の方はトラック山積みになったらしい。 そして、売れ残りのサンマを町中で売り切る。 この売り切る役目は一緒に行っている一番上のお兄さんの役目。 その間に、親父はあちこちの食堂等に米や農作物を売り歩いたそうだ。 まだまだ米等が手に入れにくい時代、 たくさんの米・農作物を持ってきてくれるなら買うってお店が多かったそうで 何度かこれを行っているうちに、必ず行けば買ってくれるお店が出来たそうだ。 すると、品物は確実に売り切れるし、稼ぎも同じ量を持って行ってる時の3倍くらいになったそうで、 2番目の兄と弟組と同じ額を父親(お爺ちゃん)に渡して、残りを隠しておいたそうだ。 一番上の兄は、そのお金で女性のところに遊びに出掛けていたそうでした(今回、本人から聞いた^^;) で、親父はって言うと、ずっとお金を溜め込んで学費にしてたそうだ。 もともと頭が良く努力家で、学校で2番目の成績だったそうだ。 (この当時、学校で成績一番だった方が家に遊びに来た時に教えてくれました。) 理由は、勉強する時間が無かったとの事。(ちなみに頭の良さは、姉に遺伝したようです^^;) お爺ちゃんからは「勉強なんてしてる暇があったら、魚を売れ!」って言われてたそうで、 勉強道具を何度も捨てられたらしい。 何度捨てられても勉強道具を用意する親父、終いには学費や修学旅行のお金さえも取り上げられてたらしい。 地元じゃ、一番の魚屋でも、そんな感じの時代だったらしい。 サンマの時期になると思い出す親父の話。
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今日は本葬、引き続き初七日の法要も行う。 初七日の法要の時に、事件が起こった。 親父のお兄さん(伯父)が焼香中に・・・ これは、現場に居た人間にしか伝わらないかもしれません。 しかし、前代未聞。 とりあえず、想像しながら読んで下さい^^; 初七日の法要が始まり、先ずは喪主の母親が焼香。 続いて私、姉、妹、弟・・・と続いていく。 そして、親族の順番になって4人ずつ同時に焼香を始めた時だった。 伯父さんが礼をし、親父の方を向き、手を合わせた瞬間・・・・ 喪服のズボンが足元に・・・ 落ちた・・・ 会場が一瞬、空気が変わった・・・ 最初は私も何が起きたのか・・・、正直唖然としていたし、本人も慌てて引き上げたし・・・。 勿論、笑う筈も無い、こんな状態なのだから。 しかし、焼香中に再びズボンが落ちた、スポン!と・・・・ 伯母さんが慌てて引き上げて抑えた。 もう駄目だ! 再び見てしまったのだ、その瞬間を。 どうしよう・・・ 笑っちゃいそうだ・・・>< 今の今まで涙を流していたのに・・・ でも、声を出すわけにはいかない! 耐えろ!耐えるんだ! 「クックックッ・・・」 「ウッ、ズズッ・・、クックッ・・」 泣きながら鼻をすすり上げ、笑いを堪える声が左右(母親と姉)から聞こえる・・・。 (マズイ!釣られちゃマズイ・・・。耐えろ!耐えるんだ!) 相当肩が震えていたらしい^^;(後で言われました^^;) そして、礼をして引き上げる際にまたしても・・・・ 精進落としの席で従兄弟が言っていたが 「あんなタイミングでズボンを落とすなんてTVでも難しいよ^^; コントじゃあるまいし^^;」 会場で案内をしていた葬儀社の人達でさえも一瞬パニックになったそうだ。 笑っちゃいけない!と^^; 司会の方、よくも耐えれたもんだと感心する。(勿論、空白の時間は長かったが^^;) でも、我慢出来なかった会場の1人(葬儀社)は、会場を飛び出していった・・・。 とんだハプニングはあったが、無事に挨拶も済ませ葬儀は終わった。 そして精進落としの席で宴会のように盛り上がった。 長男として挨拶をさせて頂き、同時に司会を。 司会進行や挨拶がやけに手馴れているらしい(後で言われました^^;) 確かに、今まで何年も青年会議所でやってきたのだし^^; 様々な親父の話が尽きない。 子供の頃、毎年本家に行くと手伝わされた記憶。 海の家や近郊の民宿への仕出しの配達。 人手として呼ばれてたって話。 鑑別所に栗羊羹2本を持って差し入れに行った時の話・・・ 祖父に隠れて、金を工面し勉強がしたくて学校に行ってた話。 (全て親父の話。いつか書くつもりです。) 無事、実家に戻った。 姉は翌日に島に戻る準備を始めた。 親父の最期の地、義兄が待つ島へ。 親父は短い滞在期間ながらも様々な人に好かれたようだ。 一人で出歩き、島の人が絶対にしないであろう格好で笑顔を振りまいていたそうだ。 革靴を履き、プレスが掛かったスラックスにYシャツ、そしてジャケット。 確かに一躍有名人になるだろう。 親父が亡くなった事を聞きつけた島の人達(恐らく全員じゃないか?と言ってた)が次々と家に押しかけて来るらしく、 義兄は来られる人達との挨拶に忙殺されているらしい。 葬儀に来たくても、立地的要因で来れなかった義兄。 本当にすまないと思っている。 15日に島で改めて簡単な葬儀を行うそうだ。 人は、亡くなった後に様々な事が判ってくる。 清算をされているという言葉はおかしいとも思うが、亡くなった後に、どれだけの人達に、どれだけ愛されていたのかが露わになる。 自分に問いかける・・・。 答えは出ない。
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