|
北海道で子供たちに野球を指導なさっている監督が、
毎日記事にしておられる、著名な方が書かれた感動する文章があります。
今日ご紹介するのはその一つです。
こうの史代 (わたしは存じあげなかったんですが) と仰る方が
『この世界の片隅で』で書かれた、一節だそうです。
「生きとろうが死んどろうが もう会えん人が居って
ものがあって うちしか持っとらんそれの記憶がある
うちはその記憶の器として この世界に在り続けるしかないんですよね」 これには感動してしまいました。
こうの史代という方は、漫画家なんですが、
多分これは、その主人公が言ったセリフだと思います。(わたしはまだこの作品を読んでいません)
わたしの解釈はこうです。(読まない内からこんなことを書くと怒られるかもしれませんが……)
自分の目は、自分にしか映せない映画のカメラのレンズ。
そして、その映画は、決して誰も見ることが出来ない。 もし居たにしても、アングルも音響も必ず違ってる。 生まれて来た人の数だけの映画が、日々生まれている。
その上映をみんなが待っている。 しかし、それは撮ったカメラマンその人が、記憶の中から
かいつまんで、みんなに話すしか伝える方法はない。
わたしたちは、世界中の歴史を記憶する大きな人間ハードディスクである。
その記憶の一つ一つが、世界を作り、歴史を創り、子孫の繁栄を願っている。
だから、生まれてきて意味のない人間なんていない。 書いているうちに、何か壮大なものになってしまいましたが、
この文章を拝見して、わたしの中の長い間の謎がひとつとけたんです。 |

- >
- エンターテインメント
- >
- 音楽
- >
- 邦楽




>わたしたちは、世界中の歴史を記憶する大きな人間ハードディスクである。
>その記憶の一つ一つが、世界を作り、歴史を創り、子孫の繁栄を願っている。
>だから、生まれてきて意味のない人間なんていない。
・・・とっても素適ですね・・・私も、本当にそう思います。
>撮ったカメラマンその人が、記憶の中からかいつまんで、みんなに話すしか伝える方法はない。
・・・そうやって、祖父母や両親達から受け継いで来た映画、自分自身が人生から学び感じてきた映画を、家族や友人や身の周りの人たちと上映しあい、たくさんの映画に喜怒哀楽しながら、みんなで一緒に世界を創造して生けたら・・・
そう考えると、どんな人の映画も、素適だな・・・
人の一生って、素晴らしいな・・・と想います。
西浦さん、ステキな想いを、ありがとう・・・
イイね!
2012/6/30(土) 午前 2:12 [ MYU ]
「生きとろうが死んどろうが もう会えん人が居ってものがあって うちしか持っとらんそれの記憶がある
うちはその記憶の器として この世界に在り続けるしかないんですよね」この言葉を見て、若くして亡くなった妹を思い出しちゃいました・・・そう、器となって妹の分もという気持ち、さらに持ち続けようと思いました(*^_^*) イイね!
2012/6/30(土) 午前 7:51
僕は一時期死神に取り付かれた事がありましてね
でも 今もこうして生きてる
なんか意味があって生かされている
そう思っていますよ
本当にいいお話です^^
2012/6/30(土) 午前 9:11
MYUさん、ありがとうございます。
いつも心にしみるコメントありがとうございます。
映画の中で自分が何時も語り部となって、
周りの誰かが主人公になれば、その映画はハッピーエンドって思うんです。
でも、その語り部が主人公になってしまうと、
紆余曲折をして、なかなかハッピーになれないように思います。
そんな自分も、誰かの映画の中では、主人公なんですよね。
だから、自分の映画の中では登場してくる俳優さんには、演技をしやすいように、
いつも考えていれば、そして、全ての映画が全ての人がそういう思いであれば、
みんながハッピーで幸せになれるそんな気がします。
2012/6/30(土) 午後 4:05 [ touchup1954 ]
サチさん、ありがとうございます。
妹さん若くして亡くなられたんですか……。
自分の近くにいた人の不幸は、とっても辛いですが、
自分自身を、正しい事、真っ直ぐなことに向わせてくれるというか、
人間は、最後に人生で最大の仕事をするように思うんです。
サチさんにとって妹さんはそんな方だったんでしょうね。
すいません辛いことを思い出させたようで……。
2012/6/30(土) 午後 4:09 [ touchup1954 ]
浜ちゃん、ありがとうございます。
死神に取り付かれる……、一生懸命に生きておられる人は、
言葉が違うかもしれませんが、往々にしてこういう経験をなさいます。
その後に、自分が生かされていると感じれる方が、
この上記の言葉を解って下さると思うんです。
浜ちゃんもきっと辛い思いをされたんでしょうね。
2012/6/30(土) 午後 4:13 [ touchup1954 ]
こんにちわ。
良い事をおっしゃっていますね。
この世の命で無駄な物は何ひとつないのですよね。
何か意味があって生かされていると思います。
イイね。。
2012/6/30(土) 午後 4:19 [ - ]
こんにちは♪
西浦さんはいつも素晴らしいブログを書いていらっしゃいますね!
常に前向きに、勉強して、生きているんでしょうね〜
今回の記事も、私の仕事の参考になります。
人生の最後のセレモニーのお手伝い・・・
ありがとうございます(^^)
2012/6/30(土) 午後 6:21 [ みんみんミント ]
西浦さん、こんばんは(^−^)
今日のお話、西浦さんは深く深く考えられましたね。
私はそこまで深く(壮大に^^)踏み込めませんが、
子供に恵まれなかった母の姉二人(私の伯母ですね)が、50歳と62歳で亡くなったとき、この二人の思い出を語り続けるのは私だなって思いました。また、5年前に息子の親友の母であり、私の親友でもある彼女が亡くなったときも、同様に感じました。よく一緒にお花見したところ(無くなってしまった、毎日放送ですよ^^)に、ほかの友人と集まって、彼女の写真を置いて、彼女を語らって献杯しましたね。
彼女たちを忘れないことが、私のすべきことであり供養なんだと感じています。
こうのさんの「生きとろうが」の境地には、まだまだ立ったことのない、きままでございます。
2012/6/30(土) 午後 9:27 [ きまま ]
明妃(めいひ)さん、ありがとうございます。
そうなんです。こうの史代って方は、
わたしよりずっと若いんですが、
やはり考えている人は、凄いですね。
色々学ぶところが沢山あります。
2012/6/30(土) 午後 11:51 [ touchup1954 ]
みんみんミントさん、ありがとうございます。
そう言って頂くと、とっても嬉しです。
前向きじゃないかもしれませんが、みなさんからも、
若い子達からも、学ぶことが沢山あります。
以前に、病院に歌いに行った時偶然中学生時代の
女子の同級生に会ったんですが、
彼女は明日をも知れぬ病だったんです。
わたしは、どう対処すればいいか分からなくて、
おどおどするばかりでした。
こんな時に、人間の度量の大きさって出るんだなあって思いました。
わたしが大きな勘違いをしているならごめんなさい。
人生の最後のセレモニーのお手伝い・・・
何か身を削るようなお仕事ですね。
2012/7/1(日) 午前 0:02 [ touchup1954 ]
きままさん、ありがとうございます。
伯母さんが50歳と62歳……とってもお若いですね。
きっときままさんは伯母さんに可愛がって頂いたんでしょうね。
それに、息子さんの親友のお母さん。
想い出が深い程、その人への思いが強い程、映像は鮮明に、
その方の心が優しい程、自分の中の
人に対する思いやりとして生き続けていますよね。
人は近しい人が亡くなるときに、人生で最も重要なことを学ぶんでしょうね。
2012/7/1(日) 午前 0:12 [ touchup1954 ]
こんばんは。
なぜここにいなければいけないのか私の役割は何なのか、とよく考えますが
結論が出たことはありません。
「…この世界に在り続けるしかない」そういうことなのですね。
2012/7/1(日) 午前 0:49 [ Cecil ]
Cecilさん、ありがとうございます。
わたしもCecilさん同じようにいつも考えています。
それで、これまでの自分の中の結論なんですが、
「…この世界に在り続けるしかない」
この後に「何かのために、誰かのために……」をつけると、
今の所、納得が出来るのですが。
でもこれまでも、こんなことを考え、
幾度も、あっ!これは間違いだっていうのがいつものことですから、
これも、あと一年もするとそうなるかもしれません。
2012/7/2(月) 午前 2:15 [ touchup1954 ]