Tatsuo's Blog

音楽とスポーツを愛する友へ心より愛をこめて・・・。

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学生達との合宿(たった一日ですが)無事終わり
夕方に帰ってきました。
帰りに、家族と水春という温泉(お風呂場)
に行ってきました。

脱衣所で小さい女の子が二人
「これ、何々ちゃんとこのお風呂と
ちょっとちがうねぇ。」
と、初めて来た場所だったようで
一緒にいる友達の家のお風呂と
比べているのがとっても微笑ましかったです。

私が、彼女達をみてニコニコしていると、
すぐ側に私より10歳ぐらい上の男性の方が
また、同じようにニコニコしていました。

彼女達が可愛いのはいうまでもありませんが、
私は、その微笑んでおられる男性をみて
またなんだか嬉しくなっていました。

なぜ嬉しくなるのか、自分でも解らないのですが
嬉しいんです、なにか暖かいものを感じるんです。
「ああ、これも音楽なんだなぁ・・・」
と、思えたりしました・・・。

今日は、久しぶりに雨でした。
何日振りだろうと数えていると
雨の日のことは忘れて
先週の21日のことを思い出しました。

先日はまだ僕の中で高校野球は終わっていません。
なんて書いていたんですが、今日思い出してみると
あの決勝の日が遠い昔に感じたのが不思議でした。

人間は、自分の生きて来た年月に比例して
現在生きている時間を感じる
ということを以前、聞いたことがあります。
つまり、二十歳の人の感じる一時間は
四十歳の人では三十分
十歳の子では二時間に感じる
といったぐあいです。
そういえば、小さい頃の一日は
とても長かったですよねぇ。

私の一週間は
二十歳の人では二十日足らず
十歳の子では一月以上です。

その私がもう昔に感じるのだから
若い人の中で、今年の高校野球は
もっとずっと昔のことなんでしょう。

雨が降っている
歩道を一人歩いていて
歴史ってこんなふうに
創られていくんだなぁと
しみじみ感じました・・・。

今日、電車で端の方に座っていたのですが
肘掛けの所にもたれるように眠りこけていました。
自分の腕が肘掛けから滑り落ちて
頭が、「ガクン!」と幾度もなっているにもかかわらず
私自身は、半分眠りの中で
何度も「いゃ、今のは誰にも見られていない・・・」
と頭の中で思い直し、同じことを繰り返していました。
きっと、周りの人にとっては「人間獅子脅し」の様に見えたでしょう。

大阪駅につき、目が覚めると
自分のやっていたことがおかしくて
人ごみの中で一人ニヤニヤしながら歩いていました。
私とすれ違った大阪駅の大勢の人達は
私のその顔を見て、またおかしく思われたことでしょう。

以前に女性が隣の男性の肩に
何度も頭をもたげては戻す動作を
繰り返していたことを思い出します。
私も、同じ経験がありますが
自分では、何度もやっている感覚がなかったり
「いゃ、今のは絶対に気づかれていない!」
(これは、私だけかもしれませんが)
なんて思ったりしているんです。

そんな時、本当に
人間て人のことはよく見えるのに
自分のことは、全く見えないんだなぁ
と、身を以て感じます。

でも、
電車で、隣の知らないおじさんの肩に
頭をもたげている女性を見ると
私は、微笑ましく見えたりします・・・。

甲子園が終わりました。
この15+1日の戦いは、どれほどこの日本列島を揺るがしたでしょう。
そして、この国の人、特に私達大人にどれほどの勇気を与えたでしょう。
私は今、高校野球テレビ中継、ラジオ中継、熱闘甲子園の打ち上げを終え
(もう朝の5時を回っています。)
この文章を書いているのですが、まだ興奮冷めやらぬといった心持ちです。

欧米の文化、特にアメリカの文化は
その価値を数字に表す事が多いようです。
何万枚、何万冊、打率、打点、何秒、何メートル、ヒットチャート何位など
グラミー賞やスポーツに置いても同じです。
今は、アメリカの影響を受け
日本も全てのものを数字に置き換えるケースが多くなっているようです。

日本の文化というのは、元来、内なる自分に正解がありそれを、外に求めない。
つまり「自己を知ることこそ、物事を追求する出発点であり到着点である。」
という考え方が、欧米の文化と考えを異にする大きな点であると私は考えます。

日本の、高校野球というスポーツはあきらかに、アメリカのそれとは異質のものです。
前にも書きましたが、技術やかっこよさを観ている訳ではなく
それとは反対の、未熟さや、素朴な所を観ているのです。
数字に置き換えた記録で観ずに、心で観ているのです。
判官びいきという言葉もこの延長線上にあるんでしょう。

今年の大会は、その最たるものだったようです。
沢山の日本の人間が、球児の方言に心和ませたでしょう。
どれだけのお父さんが、謙虚な監督の涙に感動したでしょう。
決勝戦で引き分けになった時、観ていた全ての人が
どちらにも勝たせてやりたいという気持ちになったでしょう。
言い出すときりがありません。

彼等の未来に栄光あれ・・・。

「絵で文字でもうまく描こうなんて、とんでもないことだ。」

これは、熊谷守一さんの「へたも絵のうち」からの文章です。
つまり、今の自分を全て受け入れなさいということだと思うのですが。

しかし、なかなかこの自分というのが解りません。
心の中は、いつもふらふらしている。

熊谷守一さんは「へたも絵のうち」で
下品な人は下品な絵を描きなさい、
ばかな人はばかな絵を描きなさい、
下手な人は下手な絵を描きなさい、
とおっしゃっているそうです。

自分を卑下してこの言葉を
全て受け入れるのは簡単だと思うのですが、
果たして、熊谷さんは
下品であること、ばかであること、下手であることを、
軽蔑しておられるのであろうか

私は、反対にこの言葉には
賞賛の意味が含まれているように思うのですが
もし、そうだとするなら
私は、自分のことを
下品なのか、ばかなのか、下手なのか、
解りません。

私は、下品にも、ばかにも、下手にもなれない
大ばか野郎です。

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