川崎在住「主夫」の毎日

みなさま、コメントありがとうございまする。ひさしぶりですごく懐かしい。

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8月6日。
ヒロシマに原爆が投下された日。
8月9日。
ナガサキに原爆が投下された日。

忘れてはならない日。

原爆が開発されたのは、アメリカの国家プロジェクト「マンハッタン計画」によってだということは有名です。世界に名だたる科学者が参加して、砂漠の中に村を作り、そこで集中的に開発されました。
まさに当時、核物理学・核化学の世界の頭脳というべき優秀な科学者集団が集まっていました。
このプロジェクトが立ち上がる切っ掛けを作ったのも、世紀の天才物理学者、アインシュタインでした。
アインシュタインはドイツの科学者でしたが、ヒトラーのユダヤ人弾圧の対象になり、アメリカに亡命していたのです。
そこで、ドイツが原爆を開発しているという情報を受け、アメリカ大統領に手紙を書いたのです。
「ドイツよりも先に原爆を開発するべきです」という内容です。
そしてアメリカの原爆開発は動き出し、次第に加速していきました。
マンハッタン計画全体を仕切り、動かしていたのも物理学者であるオッペンハイマーです。
オッペンハイマーは後には核の父と呼ばれ、核の国際管理を唱え尽力しました。

一方、ドイツの原爆開発はどうなっていたのでしょう。
ドイツはもともと核物理学の総本山です。
ですが、優秀な物理学者の多くがユダヤ人でもありました。
ですから、ヒトラーが政権をとってからほとんど全てのユダヤ人物理学者は他国に亡命を余儀なくされました。
そのなかでドイツ人、すなわちゲルマン人の優秀な物理学者が国内にとどまっていました。
その人はハイゼンベルクといいます(私はこの人の著作が大好きです。尊敬しています)。
ゲルマン人のハイゼンベルクは、ある意味で英雄に祀り上げられ、優秀なゲルマン民族の星であったわけです。
ハイゼンベルクが政治的な立場を明らかにしたような文章を読んだことがありませんが、物理の内容的に言えば、間違いなく原爆開発が可能なことは知っていたと考えられます。
ですが、一貫してヒトラーに「原爆開発は(理論的にも、開発費的にも)無理」だと進言していたようです。
ヒトラーも一時期、相当原爆開発を真剣に取り組んだようですが、ハイゼンベルクの「抵抗」によって諦め、原爆ができないなら毒性の強い放射性物質を飛行機でばら撒くという作戦も考えていたようです。
すなわち、ドイツは原爆開発を諦めていたのです。

アメリカのマンハッタン計画が推進され加速していく背景にはドイツの原爆開発があったはずなのに、実はドイツは原爆開発を諦めていました。
それに開発の競争相手であるドイツが降伏して、相手がいなくなっても原爆開発は終りませんでした。
なぜでしょうか。

多くの国家予算をつぎ込んだこの国家プロジェクトを、途中でやめるわけにはいかなくなったのです。
アメリカは既に「戦後」をにらんで核を保持することに目的が変わったからです。
当然、優秀なオッペンハイマーはそのことを知っていました。
標的はドイツから日本に変えられました。
一説によると、日本にはじめての原爆を投下して不発でも、日本人なら核開発の材料にできないという判断もあったようです。(日本も初歩的な原爆開発はしていたという史実はあるようです。)

そして、日本に原爆が投下されました。
すぐにアインシュタインは自分の過ちに気がついたといいます。
大変なことに自分が手を貸したということに気がついた。
ヒロシマの状況をフィルムで見たとき、多くの科学者が自分たちの開発した悪魔のような兵器の恐ろしさを初めて目の当たりにしました。
そして、多くのものが後悔し、多くのものが戦争を終らせるためにやむを得なかったのだと理解した。
当然、「やむを得な」くはなかったわけですが。

この原爆投下を機会に、科学者は核の国際管理や世界平和のために、パグウォッシュ会議などで積極的に役割を果そうとしました。
多分、原爆という過ちに自分たちが加担した、戦後の国際政治の枠組みを大きく変えてしまったという自責の念があったのではないでしょうか。
世界的に有名な日本の科学者、湯川秀樹氏や朝永振一郎氏なども、核廃絶や世界平和のために積極的に発言をしました。先日残念ながら亡くなられましたが、湯川スミ夫人も本当になくなる直前まで精力的に活躍されていました。

私は思います。
原爆開発を契機にした現在の国際情勢、そしてその中での日本の情勢。平和や食が危機的な状況にあり、気候変動も大きな転機をむかえています。
このようなときにこそ、科学者の皆さんに活躍してもらいたいと思います。
科学者は原爆という取り返しのつかない「大失敗」をしました。
そこには科学と政治の関係に対する理解が無かったからです。
だから戦後の科学者の取り組みがあったはずです。
そして、戦後の地道な日本政府の大学破壊などの中で、またもや発言力を失ってしまいつつあるように見えます。
科学者が生きのびることことだけでも大変な時代ですが、今こそ野蛮な退行に対して、知の最高到達者が最先端に立って闘ってもらいたいものだと思うのです。
今こそ科学者の社会的役割が大切になっているのでないかと。
そうしたら、私たち一般市民は本当に心強い。一緒に頑張りたいものです。

61回目の原爆投下の日に。
核廃絶と平和を願い、平和憲法を守りぬくことを誓って。

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閉じる コメント(66)

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今、韓国の衛星放送を見ています。(日本のではなく、韓国国内放映のです。) EBSと言う、教育TVみたいなドキュメンタリー番組が放映されるチャンネルです。アメリカのTV局が作った特番で、日本では見たことのない、記録フイルムや、再生場面を組み合わせ、アメリカから見た、原爆秘話や、秘話、恥部をも描いてます。こんな番組を日本ではなく、アメリカが作り、韓国等で放映さる。何故、日本のマスコミが扱わないか?絶対扱うべきです。 アメリカの正当性を語る番組ではなく、日本人被爆者にもインタビューしてる、まともな番組です。

2006/8/11(金) 午後 11:38 fwapy

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fwapy7777さん、日本では基本的に原爆は「終った」課題です。ですから、政府も積極的には取り組まない。なぜなら国体と引き換えに封印したからです。ですから、むしろ今の問題として核兵器の問題を捉えているアメリカなどの方が敏感に何かを感じてる可能性があります。

2006/8/12(土) 午前 0:07 tou*uhy**uchi*

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そうですね、でも「日本は二発の原爆で戦争加害国から被害国になった」って所を、区別しない限り、後世として原爆で被害にあわれた人々の犠牲に報いれないと思うのは青二才?でしょうか?

2006/8/18(金) 午前 2:21 fwapy

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十数年前まで、軍事独裁国であった韓国が今、百年前までの自国の歴史の清算を研鑽してます。私も、まさか、日本では無理、ではなく、草の根の声を発し続けねばと思います。歴史の証人が生きてるうち、、、

2006/8/18(金) 午前 2:24 fwapy

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久しぶりです!俺も平和を祈り続けてます!

2006/8/21(月) 午後 11:09 [ pun*r*ck*badr*li*ion*y ]

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アフガニスタンで「子ども達に必要なのは、笑うこと、歌い、遊び、自分を表現すること」と設立されたMMCCの子ども達が、今日本に来ています。彼らが言ったそうです。「日本に大きな爆弾が落とされた日なんだろう?その人達のためにお祈りしたいんだけどいいかな?」彼らは生まれたときから、戦争の中にいます。今も爆弾が落とされています。子ども達は生まれてくる国を選べない。

2006/8/27(日) 午後 11:31 [ めぐみ ]

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(続き)今回の彼らの来日に向けて活動しているうちに 豆腐☆百珍さんや大勢の方々が自分に出来る方法でさまざまな活動をしていること知り、ささやかなことでも小さな声でも伝えていこうと思います。

2006/8/27(日) 午後 11:33 [ めぐみ ]

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fwapy7777さん、私は「加害国から被害国になった」という風には思いません。私は「加害国であり、尚且つ被害国になった」と思います。被害者の犠牲に報いるためには、すなわち国際社会の中で核兵器廃絶が是認されるためには、やっぱり加害の事実をどう誠実に日本が引き受けるかが大切じゃないかと思います。残念ながら日本は引き受け切れてないと思います。だからなかなか主張が国際社会で影響力を持たないのではないでしょうか。どうでしょうか。

2006/8/29(火) 午後 10:07 tou*uhy**uchi*

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fwapy7777さん、私もそう思います。日本が、歴史から誠実に学び、本当に愛すべき国になることを期待しています。そのために少しでも声をあげられたらいいなぁとも。

2006/8/29(火) 午後 10:11 tou*uhy**uchi*

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パンクロックさん、久しぶり。この時期だからね。一緒に希望のある未来をつくりましょー。

2006/8/29(火) 午後 10:12 tou*uhy**uchi*

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めぐみさん、はじめまして。アフガニスタンに比べたら、日本の現状がいかに恵まれているか、そしていかに下らないことに腐心しているかよく分かると思うんです。子どもは国を選べないわけですが、今の状況をキチンと次世代に引き継ぐ努力をしないと、いつ同じような状況になるか分からないかもしれません。少しでも踏ん張れれば嬉しいと思います。

2006/8/29(火) 午後 10:15 tou*uhy**uchi*

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彼らの国を米国が爆撃した時日本は赤ちゃんからお年寄りまで全ての国民で割って、一人当たり1万円ずつの税金を使っています。私達はそんな意思もないまま彼らの上に1万円分ずつ爆弾を落としたのです。一般市民の上に、子ども達の上に・・・ でも、きのうアフガンキッズの一人が言いました。「あなたは幸せです。私も幸せです。ありがとう。さよなら」涙があふれました。子ども達は生まれる国を選べない。子どもには国境も差別もない。彼らが無事大人になれることを祈っています。

2006/9/4(月) 午後 11:19 [ めぐみ ]

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めぐみさん、戦争にお金を使うくらいなら、もっといろいろ有効なお金の使い方があるはずですよね。

2006/9/5(火) 午後 9:17 tou*uhy**uchi*

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ほんとうに!他の国のために使うとしても、もっと有効に使ってほしいですよね。「ねがい」という広島の中学生達が作った歌の歌詞が、とても良いんです。「もしもこの頭上に落とされたものが、ミサイルではなく、本やノートであったなら、無知や偏見から解き放たれて君は戦うことをやめるだろう」2番地上に響くものが、爆音ではなく歌の調べであったなら・・・3番この足元に植えられたものが地雷ではなく小麦の種であったなら・・・

2006/9/5(火) 午後 10:44 [ めぐみ ]

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歌の歌詞はなかなか泣かされます。まったく実感のこもっていますね。教育の大切さ、食べ物の大切さ、日本では忘れられている部分も多いです。

2006/9/6(水) 午後 9:55 tou*uhy**uchi*

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今日アフガンキッズのベースキャンプで推定年齢14歳(皆自分の生年月日を知りません)の女の子が二人で作ってくれた昼食を一緒に食べました。トマトもヘタだけ残して使っていました。待っている間におなかがすいて男の子達とキュウリの痛快○かじり(塩をつけながら)新鮮で美味しかったです。

2006/9/8(金) 午前 0:04 [ めぐみ ]

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歌の4番 もしもひとつだけ願い叶うならば、戦争捨てて世界に愛と平和を、この願い叶うまで私たちは歩き続けることを止めないだろう♪この歌大人だけで歌うので練習していたら、いつの間にか子ども達が覚えて、最後のリフレイン一緒に歌いだし、涙が止まりませんでした。

2006/9/8(金) 午前 0:06 [ めぐみ ]

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めぐみさん、日本は平和ボケだといわれています。だから戦争をするべきだというのではなく、やっぱり平和が一番いいんだって再認識するような経験が必要ですよね。

2006/9/8(金) 午後 0:09 tou*uhy**uchi*

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昨日アフガンキッズが帰国しました。子ども達も学校を休み、バスを借りて皆で見送りに行きました。成田までは皆で今回の共同公演で一緒に歌った日本語やダリ語の歌を唄い、出国ギリギリまで遊んだり写真を撮ったり …最後は皆抱き合って泣いて泣いて別れを惜しみました。見えなくなるまで手を振り、気づいたら、泣きじゃくってへたり込み立てなくなっていた子も…

2006/9/12(火) 午後 1:41 [ めぐみ ]

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続き この子達はきっと大好きなトモダチと共に生きていくために平和について考えていくと思います。アフガンキッズも遠い日本でこんなにトモダチが出来たこと、愛されたことが彼らの自信になり、アフガンで活躍していくでしょう。彼らは最後の最後(空港についても)まで、日本の子ども達が唄った歌と振り付けを覚えようとしていました。帰ったらすぐに練習し、日本で覚えたことを皆に伝えたいと!帰りのバスで子ども達が公演で大人が歌った「あの日の授業」「ねがい」を合唱したのには驚きました。いつのまにか全部覚えていたのですね。

2006/9/12(火) 午後 1:45 [ めぐみ ]

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