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キリスト教教会はどこか浮世離れしたところがあって、
説教も教会の雰囲気も、私にとってはすこぶる居心地の悪い
ものであったという気が致します。
牧師もそこに集う会衆も
本当は信じていないのに、信じているような振りをして・・・
それに単に信者同士の傷の舐めあいじゃあないの・・・って
本当にこれは私の不信心から来るものなんでしょうけれど。
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しかし、聖書そのものの言葉は重い・・・
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『私たちの齢は七十年。
健やかであっても八十年。
しかも、その誇りとするところは
労苦とわざわいです。
それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。
詩篇90編10節』
『悪者どもが青草のようにもえでいでようと、
不法を行う者どもがみな栄えようと、
それは彼らが永遠に滅ぼされるためです。
詩篇92編7節』
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この人生というものが『全て』ではないと
聖書は語っています。
人生に倦み疲れることなく、
『救い』の時が与えられるまで
この長旅を続けて行きたい・・・
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すべてがあって、すべてでなくて、
すべてがあって、すべてそのものが祝福と、
旅に在る私たち、長旅の中での御言葉とともに
耐え忍びながら、信じながら仕えしこととともに、
歩んで生きたいものだとわたしも想っています。
2010/5/12(水) 午前 0:37
ninoさん、コメント頂き有難うございます。
本当に私たちの長旅は「労苦とわざわい」に
彩られているのかもしれません・・・
例えそうではあっても、
長旅の果てに望まれる目的地が
「乳と蜜の流れるカナンの地」である事を思うときに、
この人生を歩み通そうと思う気力が
生まれてきます。
2010/5/12(水) 午前 7:19 [ 名無しの権兵衛 ]