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若い時から読書と音楽は大好きでした。
特に読書とのお付き合いは長く
青年時代に読んだ色々な随筆・エッセーなどから
知らず知らずのうちに考え方に影響を受けたように
今になってみれば思います。
その中にこんなお話がありました。
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昔、お釈迦様が民衆に説法を説いている中で
中々わかってもらえない。
そばで聞いていたある人が
「こんな道理のわからない人たちに時間を費やしているよりも
一人で求道の道に力を集中した方がよいではありませんか・・・」と。
それに対して、お釈迦様は、
「まさか、山の中に分入り、野生の動物たちと寝起きを共にするわけにも行かない。
自分の身近の人たちから順々に教えを広めるのが、無理もなく自然なのだ」と。
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私のような凡俗な人間は
お釈迦様のような生き方や考え方は到底できませんし
したいとも思いません。
とにかく、「無理なく自然に生きる」ということは
決して、脱俗的に仙人のような生活をすることではなくて
自分が生きる場で関わる色々な人達と
ともに生きることだと・・・
その時に教えられた様に思います。
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その様な考えは釈尊哲学なのでしょう。
2011/12/20(火) 午前 9:23
ゆうけんさん、コメント頂き有難うございます。
釈尊自身の考え方とは
同一でないのかも知れませんね。
後世の人の考えなのかな?
でも考え方そのものに共鳴はしますね。
「矢のたとえ」もそうかもしれません。
矢が飛んできて人が瀕死の重傷・・・
それを見ていたある人は
その矢がどこから誰が飛ばしたかを詮索している。
ある人は傷の手当をしている。
キリスト教と仏教の教えを
比較している考え方と言われますが・・・
もっともこれは仏教の立場から見た考えではありますね。
2011/12/20(火) 午前 10:20 [ 名無しの権兵衛 ]