ドラマ「イ・サン」で「英祖」が、ドラマ「チャン・ヒビン」で「淑嬪 崔氏」が出ているので二人についてもう少し説明を加えます。 書くまでも無いですが「淑嬪 崔氏」は「英祖」の生みの親ですね。 (ムスリ)として宮廷内で働いていましたが、王の目にとまり側室となったシンデレラです。 (ムスリ)出身の側室は李氏朝鮮500年の中でも「淑嬪 崔氏」ただ一人です。 しかし、この(ムスリ)は正確には宮廷女官では無く、女官のための雑用掛かりです。 女官で無いので最初は実家から宮廷に通ったそうですが、宮廷内の話が外に漏れるのを防ぐために後では宮廷内で生活するようになった様です。 韓国サイトを見てみると7歳で宮廷に入ったと書いてるものも有りますのでこの時代には住み込みになっていたものと思われます。 身分が低かったために側室となるまでの詳しい記録はほとんど残っていないようです。 ドラマ「チャン・ヒビン」の設定通りに中殿とは仲が良かったようですが、チャン・ヒビンが中殿の時代は迫害を受けたようです。 そして「英祖」が24歳の時に49歳で病死します。 しかし、まだ「英祖」が王位に就いていないので側室に与えられるお墓の称号は 묘 (ミョ) 「廟?墓?」でした。 廟、墓共に묘なのでどちらか解りません。 ちなみに王、正室の墓は「陵」、王子、王女の墓は「園」、側室は以下は「廟?墓?」となります。 そして「淑嬪 崔氏」の病死後6年経ったときに「英祖」は老論の後押しで王位を継ぎます。 余談ですが「英祖」は王位を継ぐのを再三固辞したようです。 「ムスリ」の子とのコンプレックスが強かったのと兄の重臣達による攻撃を見て嫌気がさしたのが理由ではと歴史学者は考えているようです。 王位に就いた「英祖」は亡くなった母親への孝心がとても強かったようです。 何とかして亡き母親を王の生母としての位に上げるために力を注ぎます。 王になったその年にまず母親のための祀堂を建てます。 この時は「淑嬪廟」となり、後に「毓祥廟」となり今現在は「毓祥宮」として残っています。(イ・サン)の72話参照。 母親を思い出す度に涙を流したと記録にも残っている様です。 しかし、当時の法が壁になり思った通りには行きません。王と言えども重臣の反対を抑えきれなかった様です。 しかし、ついに王位に就いて29年目で母親のお墓を「園」に昇進させます。 園には普段は家臣に書かす碑文も「英祖」自身が書いたようです。 「あ(嗚乎)! 25年間産んで育ててくれた恩に万分の一でも応えられた様だ。・・・自ら筆をとり・・・筆をとり書こうとすると涙、鼻水が顔に溢れる・・・・」 親子の情が深かったのが見てとれる内容です。 そして「英祖」は最も在位の長い王となり、最も国が発展した時代の偉大な王と評価されています。
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こんばんは〜♪またまた詳しい記事に感銘です。
英祖が王位を再三固辞した…なんとなく理解できます。
「チャン・ヒビン」ではまだ幼いですが、ずーっとあのような、幼い子にはある意味地獄のような宮中で育ったのだと思うと、心に沢山傷を負っていたでしょうね。
24歳のときに亡くなったのなら、お母様との思い出は十分あったろう
と思われますが、きっと苦労されるお姿ばかり見ていたのでしょう。
英祖の背景が分かるにつれ、イ・サンや暗殺ミステリーなどに出てくる厳格な様子にも納得がいきます。
イ・サンの最初の頃は何にも知らなかったので、なんて憎らしいお祖父さまなんだ!って結構頭にきながら見ていましたから…^_^;
2009/5/30(土) 午後 11:36
kiokioさん、韓国のどのサイトを覗いていい加減な訳で読んでみてもkiokioさんが書かれた様な言葉が流れています。
二人で小さくなってひっそりと暮らしてたのではとも書いてる学者もいました。
30歳で王位について29年間も辛抱したことになりますね。
この時点でうるさい家臣団が皆引退していなくなったから出来たのかなとも思われます。
また、「英祖」のおかげでチャン・ヒビンもこの「毓祥宮」に祭られることになったのもちょっと皮肉かなとも思えますね。
2009/5/31(日) 午前 0:50
おはようございます〜〜〜〜☆☆
皮肉ですね。ヒビンの子どもはわずか4年なのに、チェ氏の子どもは最も長く王として君臨したんでしょ?歴史って面白いですな。
2009/5/31(日) 午前 7:00 [ とん子 ]
こんにちは^^
嬪になっても、生まれた時の身分が低いと死んでからも差別されるなんて、かわいそうです。
でも、チャン・ヒビンと一緒のお墓なんですか〜@0@
死んでからも、いじめられてそうな感じですが…
ドラマでは、最近少し強くなってきたので、チャン・ヒビンがイラついて^m^それを見るのが楽しいです(笑
2009/5/31(日) 午後 0:10
とんこさん、こんにちは。
実際にはチャン・ヒビンの息子はいろいろと持病が有ったようで政治はほとんどみていないようです。
在位4年と短い期間でしたが、ほとんど闘病生活で終わったようです。
実際はその期間も「英祖」が代理で政治を行っていたと記録に残っています。
チァン・ヒビンの子も哀れと言えば哀れな境遇だったのでしょうね。
2009/5/31(日) 午後 4:12
ruriさん、この時代は儒教の教えがピークの時代だったのでしょうね。
今でも偏見、差別が世界的に残っている世の中です。
我々には推し量ることの出来ない時代だったと考えられますね。
まだ、今の時代が数倍はマシなのでしょうね。
2009/5/31(日) 午後 4:16
ドラマ「チャン・ヒビン」は見ていないですが、時代劇にはまってしまったので、機会があれば見たいですね(^^)/
歴史についての詳しく説明にポチ。
2009/5/31(日) 午後 6:26
虫小屋さん、こんにちは。
「チャン・ヒビン」はどちらかと言えば女性好みのドラマかも知れません。
でも、見てる人は皆嵌ってますのでそれなりに楽しい?と思います。
自身のお嫁と比べて幸せと思うか、同じ境遇か見たら知らせてください(笑)
2009/6/1(月) 午後 0:53