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リクエストに応えて「鄭夢周」について補足します。 当時の「朱子学」の第1人者です。また、この後の朝鮮における儒学の基礎を固めた人でも有るようです。 先に書いたように李成桂討伐に失敗し、李成桂の懐柔も拒みます。 そして・・・ すでにここで後ろ向きに馬に乗っていますが本当はもう一軒、知人の家に寄ってからの様です。 その寄った家に主人が刺客が待ち伏せされていると教える様ですが・・・ この時代の血生臭い出来事には必ずと言って良いほど五男(後の太宗)が関わっているようです。 そのあたりは「大王世宗」でも理解できますね。 なぜ、反対向きで馬に乗ったかと言えば「刺客の顔をまともに見ることが出来ない」と言うことらしいです。 死を覚悟していたと言うことでしょうね。 今でも雨が降ると「鄭夢周」の血が流れると伝わっているそうです。 |

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お〜そういうことだったんですね。ありがとうございました<m(__)m>
>この時代の血生臭い出来事には必ずと言って良いほど五男(後の太宗)が関わっているようです。
う〜〜〜太宗のイメージが…破壊
いやいや、私が勝手に作り出していただけなのかも^m^
2009/11/4(水) 午後 8:46
ruriさん、おはようございます。
新しい国が興ったときには必ずと言って良いほど多くの血が流れるのはどこの国の歴史でも有ることでしょう。
日本でも徳川が豊臣の一派を尽く潰していったのと同じでしょうね。
2009/11/5(木) 午前 10:06
なるほど〜。では死を覚悟して後ろ向きに…気骨のある文臣だったことが分かる逸話ですね。
よく考えたら、自分の調べたお勉強記事でも、五男がチョン・ドンジョンを説得するが失敗し暗殺と、史書に載ってたのを書いてました。
すっかり忘れてる〜情けな〜い(-"-)
私もruriさんと同じく太宗お気に入りなのですが、血で刀を染めることは一手に引き受けていたのでしょうね。
開国したあとの実質的には2代目になるわけですし、こういう人材が不可欠だったのかな〜と太宗大好き目線で納得しておきます☆
2009/11/5(木) 午後 11:57
kiokioさん、こんばんは。
お二人ともすっかり太宗のファンになっているのですね(笑)
一つ太宗を弁護しますと、太宗が王位に就いたその年に太宗はこの亡き鄭夢周に文忠の称号を与えて領議政の官職も与えたようです。
2009/11/6(金) 午前 1:00