정여창(チョン・ヨチャン)「鄭汝昌」(1450〜1504)(世宗32年〜燕山君10年)
幼い時に父親を亡くし独学で学問に励んでいるところに流配された金宗直に会い門人となり金宏弼等と学問を積みこの時代の国立大学的存在の成均館に入学してさらに学問を積みます。
成宗が優秀な人物を求めると成均館では鄭汝昌を推薦しますが拒否して逆に地方で隠遁生活を送ろうとするのを成宗が強引に官職に就けます。
その年の成宗22年に文科に合格すると王世子だった燕山君の師になりますが馬が合わなかった様です。
燕山君1年には地方に赴任すると民を良く治め人々から称賛されたようです。
しかし戊午士禍が起こると流配されてしまいます。さらに亡くなった後で甲子士禍が起こり墓を暴かれ切り刻まれる刑に遭います。
中宗反正で伸冤され右議政の職を追贈されます。
「韓明澮」の鄭汝昌( ? )
儒学の有名な人物の様で紹介程度です。
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